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第五百六十四話 血と魂(十二)

「ナージュも母上もわたしの側から離れないようにしてください。わたしの側が一番危険ですが、もっとも安全です」

 レオンガンドが妻と母のふたりに呼びかけたのは、セツナたち《獅子の尾》が飛び離れてからすぐのことだ。少し前まで観衆への挨拶の準備で大騒ぎになっていた王宮区画内は、一瞬にして化け物どもが跋扈する異世界へと変貌し、別の意味で騒然となっている。

 クルセルクからの贈り物が皇魔の群れだったという事実は、電撃的な早さで王宮区画内に知れ渡ったはずであり、王都全域に伝わり切るまで大した時間はかかるまい。門は閉じたままだが、連絡手段はほかにもある。

「はい!」

 ナージュが妙に嬉しそうな声で返事をすると、彼女の侍女たちとともにレオンガンドの側に駆け寄ってくる。

「危険なのに安全なの?」

 グレイシアは、おかしそうに笑った。彼女は、戦闘能力を持たないただの人間でありながら、皇魔の群れを目の当たりにしても悲鳴ひとつ上げなかった。肝が座っているのだろうし、そうでなければ太后の座に君臨し続けることなどできないのだろう。

「ええ、わたしはガンディアの王ですからね、一番狙われるはずです」

「じゃあ、ジゼルコートに護ってもらおうかしら」

「それでも構いませんが……少なくとも、アーリアとカインに任せたほうが確実ですよ」

「アーリアちゃんが護ってくれるのなら安心ね!」

「ちゃん……?」

(ふふ)

 レオンガンドは、アーリアが動揺して言葉を発するというめずらしい現象を目撃して、少し意地悪く笑った。アーリアにも弱点があるということだ。彼女はウルと同様にガンディア人、中でもガンディア王家の人間を心の底から憎んでいるが、どういうわけかグレイシアだけは、憎悪の対象から外れているようだった。憎んでいないし嫌ってもいないのだが、苦手なのだという。

「カインちゃんもよろしくね」

「はい。命に換えても御身をお護りいたします」

「駄目よ」

「は?」

「死んでは駄目よ」

「……御意」

(カインまでも手玉に取るか。さすがは母上……といったところか)

 太后派の跳梁を許したとはいえ、彼らの意のままにはならなかっただけのことはある、とレオンガンドは思った。

「陛下」

「バレットか」

「東門を操作していたのは王宮警護の隊員で、自殺していました」

「そうか」

 レオンガンドは、つぶやくようにいった。王宮警護の中に反レオンガンド派の内通者がいるだろうことはわかっていたが、あぶり出すことができないまま、結婚式の当日に至っていた。完璧な警備体制など、端から期待していなかったのだ。だからといって式の日取りを伸ばすことはできない。レオンガンドにも意地がある。意地のために死ぬのは馬鹿げたことだが、反レオンガンド派などという愚者の影に怯えるのは、もっと馬鹿馬鹿しい。

 警備に《獅子の尾》を動員したのは、黒き矛のセツナならば、どのような事態にも対応できるだろうという確信があったからだ。セツナひとりでは無理だとしても、《獅子の尾》には四人の武装召喚師がいるのだ。四人が力を発揮してくれれば、いかなる企みにも対処できると信じた。

「門は閉じたままだな?」

「はい。陛下ならば、そうされるかと思い」

「その通りだ。皇魔を王宮区画の外に出してはならぬ」

 レオンガンドは、東門の向こう側にいる何千もの観衆を脳裏に思い描いた。開門すれば、その観衆に被害が及ぶかもしれない。

 門前には、《獅子の牙》と《獅子の爪》が待機している。彼らならば皇魔とも対等程度には戦えるだろう。だが、そんな彼らでも、皇魔を取り逃してしまうかもしれない。皇魔は、たとえ一体でも凶悪な怪物だ。一般市民には対処できるわけがない。

 バレットに目を戻す。褐色の剣士は、曲刀に手をかけ、いつでも戦えるとでも言いたげな様子を見せている。

「しかし……《獅子の尾》に皇魔の殲滅を命じたほうが早かったのでは?」

「うむ。そのほうがわたしの身も安全だよ」

 レオンガンドは肯定した。肯定した上で、自分の考えを伝える。

「ナーレスならば、どうするかを考えた」

「軍師殿ならば……」

「彼なら、この状況を利用するだろう。ガンディアは大きくなったとはいえ、未だ人材不足といわざるをえない状況にある。国土は広がり、国力は上がった。動員しうる兵力も倍増したといっていいだろう。しかし、それだけでは、彼の国と渡り合うには力不足だ」

「クルセルク……」

 クルセルクは、反魔王連合の国々をのみ込み始めている。じきにガンディアを凌駕する国土を得るだろう。魔王がつぎに標的とするとすれば、ジベルやアバードといったクルセルクの近隣国だが、その近隣国にはガンディアも入っている。ザルワーンを得たことで、ガンディアはクルセルクの隣国となったのだ。

 肥大するクルセルクに対抗するには、近隣国と協力関係を結ぶのが手っ取り早い。

「魔王を、参加国の共通の敵にする」

 レオンガンドは、戦場に視線を向けた。王家の森の木々が音を立てて倒壊し、炎が上がっている。稲光のようなものが走り、悲鳴が聞こえた。怒号が響き、破壊音が轟く。

 戦闘は、既に激化していた。

(ナーレス。あなたはいま、どこにいる?)

 レオンガンドに不安があるとすれば、こんなときにいなければならないはずの軍師が、彼の側にいないということだった。



「なるほど、クルセルクの魔王は、ガンディアのみならず、近隣諸国も一網打尽にする腹積もりらしい」

 サリウス・レイ=メレドは、王宮区画に出現した皇魔の群れを見やり、他人事のようにつぶやいた。皇魔の群れがクルセルクの贈り物だといわれていた箱から出現した以上、魔王が差し向けたものだという以外にはありえまい。

 魔王ユベルが皇魔の軍勢を従えているという噂は、クルセルクと反魔王連合の戦争によって事実であることが知れ渡っていた。そしてそれは、ルベンやバハンダールを襲撃した皇魔の群れが、ユベルの支配下にあった可能性を示唆している。

「魔王は余程敵を作るのが好きなようだ」

 レオンガンド王の結婚式には、近隣諸国の王族が招待され、参加していた。そこに皇魔を解き放つということは、諸国への宣戦布告といっても過言ではない。

 たとえガンディア王レオンガンドを殺害するためだけのものであったとしても、巻き込まれた側には関係のないことだ。ただクルセルクへの怒りや恐れを助長させる。怒りは敵意を煽り、恐れは反感を生む。

 皇魔は、人類の敵だ。

 数多の皇魔が咆哮し、天地が震えていた。いや、揺れているのは天地だけではない。ひとびとの身も心も震えている。潜在的な恐怖が、全身の細胞という細胞を震わせている。

 サリウスとて例外ではない。幾度となく死線を越えてきた彼ですら、根源的な恐怖から逃れきることはできないのだ。

 しかし、彼の目の前で準備運動をしているふたりの少年は、皇魔の群れを目の当たりにして怯むどころか、嬉々としている。

 サリウスが特に寵愛しているシュレル=コーダーとヴィゼン=ノールンだ。美々しく着飾った親衛隊の中でも特に目立つのがヴィゼンだ。彼は好んで女性もののドレスを纏っているのだが、それがまた似合ってもいた。天使のような可憐さに拍車がかかっている。一方のシュレルは普通に礼服を着込んでいるが、ヴィゼンと並んでも遜色のない美しさがある。

「魔王なんてぼくらがやっつけちゃうよ」

「魔王が直々に相手をしてくれるかなあ」

「乗り込めばいいじゃん」

「いうだけなら簡単だけど……」

「いますぐクルセルクまで遠征するかい?」

 サリウスが冗談めかしていうと、シュレルが恭しく首肯してみせた。

「サリウス様がお望みとあれば」

「右に同じー」

「……ふふ。可愛らしいことだ。しかし、だ。魔王城に向かうには、その手下を駆逐してからでなくてはね」

「それもそうか」

「ということは、まずは目の前の敵を片付けろ、ってことだね」

「そういうこと」

「ではでは、ヴィゼン=ノールンが先手を努めませう。シュレン、同調宜しく!」

「……はーい」

「シュレルはルベンで戦ったでしょ!」

 腰に手を当て、顔を突き出して怒る様は、少女の仕草にしか見えないのだが、ヴィゼンは歴とした男である。彼は自分の少女のような容貌をよく理解しており、女性的な振る舞い方も体得しているのだ。サリウスとしては、女性らしく振る舞うヴィゼンよりも、少年としてのヴィゼンのほうが遥かに好みなのだが、あえてなにもいわなかった。

 趣味や性癖に口出しするのは野暮というものだ。

「わかってるよぉ。だから納得したんじゃないか」

「喧嘩しない、さっさと行く!」

「はーい!」

 ヴィゼンは元気よく声を上げると、サリウスに背を向けた。そのとき、彼のうなじがわずかに発光していることに気づいたのは、サリウスだけだろう。ヴィゼンの姿が、サリウスの視界から掻き消える。いや、実際には消えてなどいないはずだ。消失したかのように錯覚するほどの速度で、彼の目の前から飛び出していったのだ。

 サリウスは、不意に崩れ落ちたシュレルの体を抱きとめると、親衛隊のひとりを呼んだ。

「リッシュ。シュレルを頼む」

「任されました」

「うむ」

 リッシュに預けたシュレルは、目を見開いたまま、硬直していた。突如として意識を失った、というわけではないのだが、知らない人間からすればそうとしか思えないだろう。淡く発光するシュレルの肌が、彼の身にただならぬなにかが起きていることを示している。そして、シュレルの身に起こったことと同様のことが、ヴィゼンの身にも起きている。

(哀れなものだ)

 サリウスは、ヴィゼンとシュレルがこのような戦い方をするたびに、ふたりのうちのいずれかが気絶したかのような姿を見せるたびに、ふたりとの出逢いを思いだして胸を痛めた。

 ふたりは、外法によって心を破壊されていた。

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