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第五百六十三話 血と魂(十一)

 レオンガンドとナージュを乗せた馬車が王宮区画の東門に到着したのは、時計の針が午後三時を指し示した頃だった。約二時間かけて群臣街を行進してきたことになる。馬車で移動するだけならばそこまで時間がかかるような距離ではなかったが、パレードなのだ。道沿いに集まった観衆への、王妃のお披露目も兼ねている。行進の速度はゆったりしたものであり、観衆は飽きもせず、レオンガンドとナージュの晴れ姿に歓声を上げ、手を振り続けた。

 舞い踊る紙吹雪と鳴り響く音色が、観衆共々、レオンガンドとナージュの門出を祝福したものだった。

「綺麗だねえ」

「うん」

 ミリュウが呆けたようにつぶやいた言葉にうなずきながらも、セツナは、眼下の群衆への注意を緩めなかった。彼はいま、東門の門楼の屋根上、ミリュウの隣に立っている。国王夫妻を乗せた馬車が、ファリアの待機地点に到着する頃合いを見計らって移動してきたのだ。ファリアの待機地点はまだセツナの感知範囲外ではなかったが、移動するのも時間がかかるため、早めに場所を移すことにしたのだった。そのため、ミリュウとふたりでレオンガンドとナージュを出迎えることになったのだ。

 ファリアも既にこちらに向かっているだろうし、ルウファもすぐに飛んでくるだろう。

 パレード最後列の《獅子の牙》が東門に辿り着いたところでパレードそのものは終了となるのだが、終了に際して、レオンガンドとナージュは挨拶する手筈になっていた。そのため、王宮東門の門前は凄まじいばかりの人集りができており、道沿いでパレードを見ていた人達も集まってきていることがわかる。

 やがて、《獅子の牙》が門前に辿り着くと、王宮区画内で待機していた《獅子の爪》の面々が登場し、都市警備隊とともに門前を固めていく。そこに《獅子の牙》の騎士たちが加わり、王の剣と盾による強固な防壁が構築された。

 コの字型の防壁の中心には、馬車に引かれていた台座が置かれており、そこに王と王妃が登ることはだれの目にも明らかだ。しかし、ふたりの姿はない。

 レオンガンドとナージュは、王宮区画に辿り着いたあと、一旦馬車を降りている。ふたりは幸せそうな表情を崩してはいなかったものの、その目には疲労の色が見えていた。わずかばかりの休憩時間がふたりのために用意されていた。

 外周城壁の内側で水分を取っているふたりの姿を横目に見て、再び視線を東門の外側に戻す。王宮警護、都市警備隊、ガンディア軍、王立親衛隊によって敷かれた強固な警備網は、しっかりと機能しているようだった。警備に当たるだれもが緊迫した面持ちで、一切、気を抜いてはいなかった。ナーレスたちが危惧したような事態は起きなかったし、これから起きるという気配もない。だが、ここで気を抜くわけにもいかないのだ。

 最悪の事態は、いつ訪れるかわからないものだ。

 そんな中、セツナは東門上方に向かって迫ってくるなにかを感じ取った。黒き矛によって強化された超感覚が捕捉したのは、空を切り裂いて飛来する物体。複雑な人型。視線を上げる。純白の翼が、日光を反射して眩しいくらいに輝いていた。ルウファだ。しかも彼はファリアを抱き抱えたまま、飛んでいた。

 こちらに移動中だったファリアと合流した、ということだろうが。

 ルウファのその秀麗な顔は緩みきっていた。

「いやー、役得役得」

「あら、セツナから乗り換えたの?」

「なんでよ!」

 ファリアは渋々といった様子で彼の首に腕を回していたが、ミリュウの発言には瞬時に表情を変えた。

 ルウファは、門楼の屋根に着地するとファリアを解放するとともに翼を収納した。純白の翼は瞬く間に白い外套に変化し、彼の体を包み込んだ。

「お似合いだったわよー」

「そうですかあ?」

「……エミルに言いつけるわよ」

 にやけて、なぜかくねくねするルウファに向かってファリアが告げると、彼は冷水でも浴びせられたような顔になった。

「それはいくらなんでも酷くないっすか」

「そう?」

「そうっすよ」

「じゃあやめておいてあげる」

「ありがたきしあわせ……って、あれ? なんでこうなるんだろうか……」

 ルウファが釈然としないのは、ファリアをここまで運んできたことがなにもかも裏目に出ているからに違いない。

 セツナは、ルウファの肩を叩いた。

「全部おまえが悪い」

「なんで!?」

「終始にやけてるからだよ」

「うう……仕方ないじゃないっすか。だってファリアさんですよ!?」

 ルウファが力説する傍ら、ファリアはミリュウとなにやら話し込んでいたようだが、ルウファの言葉にずっこけたのをセツナは見逃さなかった。

「まあ、それはわかる」

 セツナがルウファの言葉を肯定すると、ファリアとミリュウが異口同音に声を上げた。

『わかるの!?』

「ファリアもミリュウもこの上なく魅力的だからさ。ルウファがにやけるのもしかたがないよ……ん?」

 セツナは、ファリアとミリュウからの反応がないことに気づいて目を向けると、ふたりとも顔を真っ赤にしていた。

「さっすが隊長。一言でふたりを撃破するとはね」

「なにがだよ」

 そんなやりとりをしていると、東門の門前が慌ただしくなってきていた。群臣街の道路は、パレードが終わったことで観衆に開放されており、もはや道という道がひとというひとで埋め尽くされているといっても過言ではなかった。後ろのほうからではレオンガンドとナージュの姿を見ることはできないだろうし、ふたりの声も聞こえないだろう。それでも空気感は味わえるということなのか、人集りが減る気配はなかった。

 その人集りが注目しているのは、王立親衛隊の防壁の向こう側だ。そこにレオンガンドの側近たちが姿を見せ始めていた。ケリウス=マグナート、スレイン=ストール、ゼフィル=マルディーン。あとバレット=ワイズムーンとエリウス=ログナーが揃えば、レオンガンドの側近は勢揃いとなる。

 側近が揃い次第、レオンガンドとナージュ、それに太后グレイシアとレマニフラ国王イシュゲルが出てくることになっていた。

「これは……?」

 セツナは、大気の不自然な振動から、東門の周辺で異変が起きていることを察知した。周りを見ると、ファリアたちも怪訝な顔をしている。黒き矛でなくとも感知できる変化。ただごとではないのだが、城門の上に立っているだけではなにが起きているのか確かめようがない。

 やがて、様々な声が聞こえたかと思うと、足場にしている城壁が微かに揺れ、東門が閉じ始めた。

「門が閉まるわよ?」

「予定とは違うな。なにかあったのか?」

「隊長、下でもなにが起こったのかわからないようですよ」

 ルウファが、屋根の端から王宮区画を見下ろしながらいってきた。ファリアと目線をかわし、屋根の端に駆け寄る。眼下、声を荒げるバレットと彼を諌めるレオンガンドの様子が確認できた。バレットが怒っているのは門が閉じたことに対してだ。そして、レオンガンドですら状況を把握できていないということは、不測の事態が起きたということにほかならない。

 ナージュとグレイシアが不安そうな顔をする傍ら、イシュゲルが近衛兵を呼び、ジゼルコートが王宮警護を招集する。レオンガンドの親衛隊はというと、《獅子の牙》も《獅子の爪》も、門の外側に取り残されていた。つまり、この状況を作り上げたなにものかは、この瞬間、レオンガンドが孤立に近くなるということを知っていたということだが。

 不審げな顔をしているのは、ガンディアの人間だけではない。結婚式に出席した周辺諸国の首脳陣は、パレードを終えたレオンガンドたちを出迎えるため東門の前に集まってきており、門が閉じる瞬間を目の当たりにしていたのだ。式次第とは異なる展開にだれもが首を捻り、イシュゲルやジゼルコートの行動に追随する形で兵を呼んだりもしていた。

「ルウファ、役得だぞ」

 セツナが振り返りもせずに告げると、ルウファは素っ頓狂な声を上げた。

「え?」

「ファリアとミリュウをよろしく!」

「隊長は!?」

「俺は飛べる!」

 セツナは、言い放つと同時に、助走も付けず跳躍した。たかだか地上十メートルそこそこの高度だ。数百メートルの高さから落とされたときに比べれば、なんの問題もなく思えてしまう。そして実際、その通りだった。

 迫り来る地面に向かって矛の切っ先を向け、衝撃に備える。地面は一瞬にして目の前に迫り、漆黒の穂先が王宮区画の石畳を突き破った。小さな破壊が起きるが、この場合、仕方がないですまされるだろう。王宮区画の景観よりも、王と王妃の命のほうが遥かに大事だ。

 セツナは難なく着地すると、前方のレオンガンドに向かってかけ出した。レオンガンドは呆けたような顔でこちらを見ていたが、すぐに怜悧なまなざしを取り戻す。

「セツナ、見ての通りだ」

「王宮区画に閉じ込められた、ということですか?」

 セツナは、レオンガンドが示した方向を見た。東門が完全に閉じている。

「なにものかが仕組んでいたのだろう。万全の警備とはなんだったのだろうな」

「皮肉を言っている場合ですか」

「それもそうだ」

 レオンガンドは、セツナの反応がおかしかったのか、声を出して笑った。が、すぐに真面目な顔に戻る。

「バレットたちに門に向かわせた。たとえ何者が門の開閉を操作していたとしても、操作権を奪えばこちらのものだ」

「敵の狙いは何なのでしょう」

「わたしの命だろうな。あるいは、招待客の命かな」

「陛下に罪を被せるため……ですか?」

 そう尋ねたのはナージュだ。彼女は武装した三人の侍女に守られているが、それ以上にレマニフラの精鋭に守られてもいた。隣にはグレイシアもいて、太后は、いつものように穏やかな笑みを湛えている。不安げな表情はいつの間にか消え去っていた。

「わたしが命じていなければ、それ以外にはないさ」

「しかし、王宮区画に閉じ込めたからといって……」

 ナージュが言葉を続けようとしたとき、大気が鳴動した。巨大な拍動が耳朶を叩き、奇怪な波動がセツナの全身を突き抜けていく。いや、セツナだけが感じたわけではなかった。ナージュや侍女たち、グレイシアがその場に屈み込み、レオンガンドも両耳を塞いだ。

「なにが起きた!?」

 セツナは全身が総毛立つのを認めると、黒き矛を握り締め、周囲に視線を巡らせた。ファリアとミリュウがこちらに向かって駆け寄ってくるのを一瞥するが、そこに視界を固定することはできない。各国の兵士たちが、口々に叫んでいる。

「なんだあれは!?」

「なにが入っている!?」

「だからいったんだよ! クルセルクなんて信用できないって!」

 悲鳴とも叫喚ともつかない無数の声を聞きながら、セツナは、それを見ていた。東門からほど近い場所に置かれていた箱状の巨大な物体の表面に、不可解な紋様が浮かび上がり、箱全体を侵蝕するかのように広がっていく。全長五メートルはありそうな物体だ。いくらカインでも、よくここまで運び込めたものだと思うほどの代物であり、また、クルセルクからガンディオンまで運搬するのにどれだけの労力を必要としたのか、想像すらできなかった。

 その箱に異変が起きたのだ。

「魔王からの贈り物だそうだ」

「結婚祝いにはとても思えませんね」

 セツナは、箱が壊れていくのを見ていた。紋様から生じる力が、材質不明の巨大な箱を破壊していくのだ。箱の中から溢れだすのは、セツナにとっても馴染みのある気配だった。黒き矛を手にしていることによる超感覚が、それらの発する不快感をはっきりと認識させる。人間の神経を逆撫でにする不協和音とでも波動。殺意と敵意の奔流。

 皇魔だ。

 それも物凄まじい数の皇魔が、箱の中に隠されていたのだ。

「いや、戦国乱世に生きるわたしのようなものには、これ以上の結婚祝いはないさ」

 レオンガンドの声がいつにもまして鋭くなっていることに気づいて、セツナは、矛を握る力をさらに強くした。レオンガンドも緊張を覚えている。

 皇魔は、人類の天敵だ。何百年も前からこの大陸に巣食う脅威であり、悪意なのだ。大陸の人々の遺伝子には、皇魔への根源的な恐怖が刻まれているらしく、皇魔を目の当たりにすれば、どんな勇敢なものであれ、震えが来るといわれている。この世界の人間ではないセツナでさえ、奇妙な感覚に囚われるのだ。

 この世界に生まれ育ったものにとって皇魔がどれほど凶悪な存在なのか、想像に難くない。

「お、皇魔だ!」

「皇魔が出たぞ!」

「ひいいい!?」

 悲鳴のような叫び声は、兵士のいずれかが上げたものだ。が、それも致し方のないことだと、だれもがわかっている。目視で数えられるだけで百体はくだらない皇魔が解き放たれたのだ。軍人だから恐慌を起こさなかったものの、一般市民ならば悲鳴を上げて大騒ぎを起こしていたに違いなかった。

「戦場こそ、新たな門出を飾るに相応しい。そうは思わないか?」

「格好つけるのもいいですけれど、それで負傷でもしたら目も当てられませんわ」

 いったのは、ミリュウだ。彼女は、真紅の太刀を構えている、名も性能も知らない召喚武装だが、その力を確認している暇はない。

「それで片目を失ったからな!」

「笑い事じゃないですよ!」

 つぎに叫んだのはファリア。オーロラストームの結晶体が発電を始めている。

「君らを信頼しているということだ」

「信頼には答えますよ」

「当然だ。だが、《獅子の尾》はわたしよりも、招待客の保護を最優先に動け」

「はい?」

「相手がただの皇魔ならば、わたしも戦える。そしてわたしには優秀な影がいる。狗がいる」

 レオンガンドが告げるのと同時に、彼の周囲の空間に無数の鉄線が張り巡らされた。アーリアの結界はお馬の接近を許しはしないだろうが、それだけでは不安が残る。その不安を払拭するのが、彼の狗だ。

 轟音とともに、なにかがレオンガンドの背後に着弾した。爆煙の中から飛び出してくるのは、召喚武装で身を包んだカイン=ヴィーヴルだった。どこからともなく飛んできたようだが、その異容にはセツナも度肝を抜かれた。失われた腕の代わりに篭手を召喚しただけでなく、竜を想起させる軽鎧を纏っている。それだけならばまだしも、鎧の背部から生えた尾が、カインを異形の存在へと仕立てあげていた。

 カインは、尾で地面を叩き、反動で跳躍した。レオンガンドの前方に着地すると、仮面の奥の目がセツナを睨む。その目には疲労の色が見えていた。だが、彼は戦うだろう。力尽きるまで、戦いぬくだろう。

「はっ……竜にでもなるつもりかよ」

「竜になれば、君が殺してくれよう?」

「考えておくさ。では陛下、《獅子の尾》はこれより任務を果たしてまいります」

「頼んだぞ」

 レオンガンドに敬礼をすると、セツナはすぐさまその場を飛び離れた。ここにいれば、皇魔を呼んでしまうかもしれない。ファリアとミリュウに目線で合図を送り、それから、副長がいないことに気づく。彼は、ふたりを地上に降ろしてくれたはずなのだが。

(ルウファ?)

 しかし、皇魔の群れが発する咆哮は、セツナに副長の居場所を探す猶予を与えてくれなかった。

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