第五百五十五話 血と魂(三)
王都は、レオンガンドとナージュの結婚式を一目見るために訪れた人々で溢れかえっていた。
空前絶後の賑わいとはまさにこのことであり、ガンディアのみならず、様々な国から集まった人の数は、王都の許容量を遥かに超えていた。都市警備隊は、十二月四日の時点で王都への入場制限を設けることを決定したが、それでも王都の市街地には、数え切れないほどの人々が宿を求めて歩き回っていたという。
当然、王都に入りきれなかった人々は、城壁の外へ放り出されることになる。野盗や野生の動物のみならず、皇魔という天敵が存在する大地において、城壁外で一夜を過ごすというのは危険極まるものである。
レオンガンドたちは、その数日前から、ガンディオンに集まる人の数が想像を絶するものだということを察知しており、緊急会議を開いている。もし、王都に入りきれない数のひとが訪れた場合、どう対処するべきなのか。城壁外に放置するなど以ての外だが、かといって、許容量を超える数の人間を王都に入れてもいいものでもあるまい。であれば、城壁外でなんらかの対応策を取るよりほかはなく、そのとき、レオンガンドたちが白羽の矢を立てたのは、カイン=ヴィーヴルだった。
軍属の武装召喚師であるはずの彼はいま、特に任務も与えられず、王宮内をぶらついて使用人たちに恐怖を感じさせるだけの存在になりつつあった。カインを放置していたというわけではなく、カインに与えられるような任務がなかったからだ。もちろん、王宮内部の警備にも使えなくはなかったが、彼は、いざというときのためにレオンガンドの手元においておきたかったというのが大きいようだ。
カインという存在は、セツナたちよりも使い勝手がいいのだろう。セツナたち《獅子の尾》は王立親衛隊である。一方、カインは軍に所属しているとはいうものの、その立ち位置は軍人というより、レオンガンドの私兵に近い。セツナたちが陽とすれば、カインは陰なのだ。アーリアやウルも、陰であろう。
陽の立場にあるものよりも、陰の立場にあるもののほうが都合がいいこともある。逆もまた然りだが。
「そのいざというとき、ってのが、王都が満員になったときだったわけだ」
セツナがカインにそう話しかけたのは、十二月五日の昼間のことだった。ガンディア国民のみならず、招待客である各国の王族が引き連れてきた数多の人々でごった返す市街を突破し、王都の外周城壁に辿り着いたとき、ぐったりとした様子のカインを見つけたのが、セツナのある種の感情を揺り起こしたのだ。
奇妙な獣の仮面に軍服といういつもの格好の男は、セツナの接近にも気づいていなかったのか、こちらを見て、しばらくしてから返事を浮かべた。
「そうなるな」
外周城壁の上からは、王都の外がよく見えた。夏を越え、秋を経て、冬の色彩を帯び始めた平原が、晴れ渡った空の下に横たわっている。滲んだ青さの中、太陽の光だけが嫌に烈しい。それでも夏のような暑さは感じられなかったが、それが季節の変化というものだろう。
この大陸には四季がある。
「あんたも大変だな」
「君に同情されるとはな」
「同情もするさ」
セツナは、外周城壁の向こう側に聳え立つ岩壁を見遣りながら、カインの苦労を考えたりもした。王都は、三重の同心円を描く都市だ。王宮、群臣街、市街という三つの区画があり、区画と区画の間には城壁が聳えている。岩壁は、その三つ目の城壁の外に築かれた新たな城壁なのだ。そして、その城壁を作り上げたのが、セツナの目の前でめずらしく疲れている様子を見せている男であり、カインはそのために精も根も尽き果ててしまっているようだった。
つまりカインは、市街からもあぶれてしまった人々のためだけに四つ目の城壁を築き上げたということになるのだが、それもこれも、彼が凄腕の武装召喚師だからこそできた芸当に違いない。並の武装召喚師では、たった数日で、王都の外周を覆う堅牢な岩壁をつくり上げることなどできないだろう。
それに、召喚武装の能力も大いに関係することだ。カインは以前まで愛用していた大地を操る召喚武装・地竜父を召喚することができなくなっており、この作業のためだけに新たな武装召喚術を編み出さなければならなかったのだ。それも数日以内という期限の内に入っており、セツナは、カイン=ヴィーヴルという男の底力を見せつけられた気がした。
第三城壁と岩壁の間には、既に無数の人々が生活を始めている。生活である。人々の様子は、結婚式が終わった後、そこに住み着く気なのかもしれないと思えるほどの生活感にあふれていた。数えきれないほどの天幕が立ち並ぶさまは、カランの大火を想起させたが、それはセツナの目の前に大火の犯人がいるからかもしれない。
そのことを考えだすと、カインへの同情も消え失せてしまうのだが、仕方がないことだ。カラン大火は、セツナにとって原体験になっている。
「しっかし、これだけひとが集まるなんてね」
セツナは、沈みかけた気分を変えるようにして、眼下の天幕群を見やった。岩壁と城壁の間は、混沌としているようであって無法地帯となっているわけではない。都市警備隊と軍が連携を取って整理に当たっており、屋台や露天商の取り締まりを行っていた。その警備隊の中にサリス=エリオンがいてもおかしくはない。市街にいるかもしれないが。
「ガンディアはいまや大陸小国家群においては大国といってもいい国だ。ログナー、ザルワーンを飲みこんだガンディアとまともに遣り合える国など、数えるほどもない。ミオン、ルシオン、レマニフラとの同盟、ベレルという支配国の存在が、ガンディアの立場を揺るがぬものにしている」
「ジベルやメレドだけでなく、アザークまで陛下のご機嫌を伺いに来るほどですものね。陛下を取り巻く状況は明らかに変わりましたわ。それもこれも、セツナ様が現れてから。セツナ様を救国の英雄と呼ぶ声があるのも、当然ですわね」
カインの言葉を次ぐようでいて、必ずしもそうではない女の台詞に、セツナは怪訝な顔になった。聞き知った声ではある。が、すぐには思い出せない。
「……だれかと思えばウルか」
カインがうんざりしたようにいうのと、セツナが女の名前を思い出したのはほとんど同時だっただろう。セツナが女の名前を思い出したのは、振り返って彼女の容姿を視界に入れたからだ。喪服のような黒衣を纏った黒髪の美女が、微笑を浮かべてセツナを見ていた。その独特な笑みと、灰色の目に覚えがあった。
ウル。ログナーへの潜入作戦時、セツナとカインを引き合わせた女であり、ガンディアの暗部に連なる人物だ。
彼女は、カインの発言が気に喰わないのか、眉根を寄せた。
「だれかと思えばとは、失礼な方ですこと」
「君は俺に対してはぞんざいだからな」
「まあ、領伯様の前でそのような冗談を言わないでいただきたいですわ」
「……まあいいさ。子供をからかうのは、程々にしておくことだ」
「えーと……」
セツナは、カインとウルの口論に口を挟んでいいものか迷った。ふたりの間に挟まれて、身動きさえ取りにくい状況にあったのだ。
「セツナ様、このような外道の戯言など、どうかお気になさらないでくださいね」
「あ、あー……まあ、気にはしていないよ、うん」
「そうですか、それならいいのですが……あ、挨拶を忘れておりましたわ。わたくしはウルと申します。この腐れ外道の命を管理しているものですわ」
「うん、まあ、覚えていますよ」
「まあ、覚えていてくださったのですね! わたくし、大感激ですわ!」
ウルは、両目を輝かせると、困惑しているセツナの手を取って軽く飛び跳ねた。背後からやれやれとでもいいたげな嘆息が聞こえてきたのだが、セツナには、カインの心境が少しだけわかる気がした。
(なんか……調子が狂うな)
それは、ウルの灰色の瞳に、感情というものが見当たらないからかもしれない。
「で、話は戻るが、いまのガンディアから結婚式の参列を要請されれば、どんな国だって断れるものではないということだ。ザルワーンを下して以来、どの国も、レオンガンド陛下の機嫌を損ねることを恐れている。その傾向は、ガンディアがベレルを支配下に置いてからは特に顕著だ。どんな国だって、自国の実権を失いたくはあるまい」
カインは、まるで説明でもしているかのような言い方で話を続けてきたが、セツナは特に気にしなかった。カイン=ヴィーヴルがそのような人物だと了解しているから、気にもならないのだ。心底嫌いだし、これからも仲良くなることはないだろうが、能力は確かだ。セツナより頭がいいのも疑いようがない。
「同盟国を含め、近隣諸国の中に軍事力でガンディアに勝る国はない。戦力は国土に比例するのが常であるが、ガンディアは、国土以上の戦力を有していると言っても過言ではないからな」
「それがセツナ様ですね」
「そうだ」
ウルの茶々入れのような言葉を平然と肯定するカインに、セツナは呆気に取られた。が、カインの言動を振り返れば、彼が即答するのも頷ける。カインほどセツナの、黒き矛の力を認めている人間はいないといっても過言ではなかった。彼の黒き矛への信頼は、狂信的といっていいほどのものであり、セツナ以上に期待しているのではないかと思うほどだ。
「もちろん、アザークのように、婉曲に拒絶している国もあるが」
「アザークが?」
「国王が出てこないのがその証拠さ」
「王子が来たじゃないか」
セツナは、第二王子カリス・レウス=アザークが昨日、王宮でレオンガンドに会ったことをいった。カリス王子は、ガンディアとアザークが友好的な関係を結ぶことを願っているというのだが。
「第二王子は親ガンディア派だよ。アザークは現在、親ガンディア派が権力を握っているが、国王、第一王子ともに反ガンディア派である以上、いつ引っ繰り返るかわからないのがアザークの立場というものだ」
「明日には反ガンディア派になるんですの?」
「どうかな。アザークが君が眠っている間にガンディアに攻め寄せたのは知っているな?」
「ああ。ミリュウの初陣だったんだってな」
死の淵から生還した後、ファリアたちから聞いて知っている。丘陵地帯での戦いは、ガンディア軍が一方的に攻め立て、アザーク軍を国境外へ追い返したという話だった。そして、ミリュウが《獅子の尾》に入って初めての戦闘であり、その場にセツナがいないことが彼女にとっては余程悔しかったのか、セツナの胸で泣いた。セツナは困ったが、だれも助けてくれなかった。
「そう、ミリュウ=リバイエンらの活躍もあって、ガンディア側はほとんど無傷(国境の防衛部隊は壊滅したがな)のまま、アザーク軍を撃退した。アザークはその責任問題で紛糾、反ガンディア派に代わって親ガンディア派が実権を握るきっかけとなったらしい」
「ほー……って、なんでそこまで知ってるんだ?」
「王宮内にいれば、そういう話は嫌でも耳にするものだ」
「う……」
「セツナ様は王宮に引き篭もっていられる立場ではございませんもの、仕方がありませんわ」
ウルがセツナの手を握ってくるが、セツナの視線はカインの仮面の奥の目から離れなかった。
「隣国の情勢くらい知っておくべきだ。君は領伯で、一介の武装召喚師ではないのだからな」
「……わかってるよ」
「でしたら、わたくしが協力したしましょうか?」
「へ?」
「わたくしなら、いくらでも情報を集めることが出来ましてよ」
セツナの目を見てにっこりと微笑む美女の目は、相変わらず笑ってはいなかった。灰色の目に映り込むのはセツナ自身のぎこちない笑顔であり、
「その女に関わるのは良したほうがよろしいですよ、領伯様。一介の武装召喚師からせめてもの忠告です」
「あんたにそういわれると、逆のことをしたくなるから困るんだよ」
「嫌われたもんだ」
「当然だろ」
不意に静寂が訪れたのは、セツナがカインを突き放したからか、カインが余計なことをいったからか。ウルの沈黙が、周囲の空気を重くしていた。
そしてその重力に引きずられるようにして、頭上から声が降ってくる。
「隊長みーっつけた!」
見上げると、まるで絵に描いたような天使が、こちらを見ていた。一対の翼を羽ばたかせる金髪碧眼の貴公子など、天使としか形容のしようがない。その天使がルウファだということに気づいたのは、数瞬間後のことだ。
セツナは、シルフィードフェザーはルウファだからこそ映えるのだと思った。が、それも束の間、
「って、こんなところで逢い引きですか。隊長も隅に置けませんな」
「撃ち落とすぞ」
セツナは、手だけで黒き矛を召喚する構えを見せた。しかし、ルウファはよく理解したもので、へらへらとしているのだから始末に負えない。
「隊長がいうと洒落になりませんぞ」
「……なにかあったのか?」
「明日の最終確認ですよー。みんな隊舎で待ってます」
「そういやそうだったな。連れてけ」
「なーんか、ぞんざいだなー」
そういいつつも、笑みを浮かべたままなのが、ルウファのいいところだ。ゆっくりと降下してくると、セツナが挙げた手を掴んだ。そのまま空中に浮かび上がっていく。
「ということで、おふたりさん、またねー」
「カインはともかく、ウルさん、またお話しましょう。では、こんな格好で失礼します」
セツナが手を振ると、ウルはにこやかな笑みを浮かべたまま、深々とお辞儀をし、一方のカインは、軍属の武装召喚師らしくガンディア軍式の敬礼をしていた。セツナも片手で敬礼を返し、進路に視線を向ける。
眼下に広がる王都の町並みは、国王の結婚式を前日に控え、すさまじいばかりの賑わいを見せている。
「また、とは」
「本当に撃ち落としてやろうか……」
「ぶつぶついわない、怖いから!」
「全部おまえが悪い!」
「えー!?」
そんなやりとりをしながら、セツナたちは群臣街の《獅子の尾》隊舎に戻った。そして数時間みっちりと王宮の警備について再確認し、一時間ほどみっちりと、ウルのことを問い詰められたのだった。
「なぜ、って思ってる?」
ウルが問いかけてきたのは、セツナがルウファ・ゼノン=バルガザールに掴まって、空に消えていってからしばらくたってからのことだった。
冬の風がふたりの間をすり抜けていく。
「君の言動に理由はないということを知っているからな、なんとも思わん」
「ふうん……わたしのことをわかっているとでもいうのかしら」
「俺の中のウルがそういう人間だという程度のことだ」
カインの言葉に対して彼女はしばし沈黙していたが、おもむろに口を開くと、冷ややかに告げてきた。
「……間違っていないわよ。理由なんてないわ。なにがどうなろうと、知ったことじゃないもの」
彼女はこちらに背を向けた。カインの目には、その小さな背が、いままで以上に弱々しい物に見えてならなかった。いまにも消え入りそうなほどだ。それはあまりに彼女らしくない。
(らしさなど求めてどうなる)
とも、思うのだが。
「俺もなにがどうなろうと知ったことではないがな」
彼は、ふと、思ってもいないことを口にしていた。
「君に死なれると、少し、困る」
「なにそれ」
こちらを振り返ったウルは、なぜか拗ねたような顔をしていた。
「もう少し、こう、気の利いたことは言えないのかしら。まるでわたしが死のうとでも思っていたみたいじゃない」
「違うのか?」
「違うわよ」
なにがおかしかったのか、彼女は声を潜めて笑った。そして、あざやかな笑みを見せるのだ。
「まあ、いいわ。及第点をあげる」
カインは、ウルが輝いているように見えて、目を細めた。