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第五百五十二話 幸福の形

 大陸暦五百一年十二月。

 大陸小国家群の中央部に位置する国ガンディアは、半年前まで、弱小国の筆頭に数えられていた。英雄の風貌を持った先王シウスクラウド・レイ=ガンディアの死後、王位を継承したレオンガンド・レイ=ガンディアは“うつけ”と誹られる暗愚の王であり、彼が王であるかぎりガンディアに未来はないと嘆くものは少なくなかった。

 兵も弱く、派手好みだったこともあり、ガンディアの弱さの象徴として槍玉に挙げられることも多かった。だからといって兵の質が改善することもなく、ガンディア国民は絶望に打ちひしがれていたようだ。

 隣国ミオン、ルシオンとの三国同盟が、辛くもガンディアという弱小国を成立させている、という状況が続いた。もっとも、ガンディアの内情を知るものからすれば、同盟国のちからだけで国土を維持してきたわけではないというのだろうが、それにしても、ログナーにバルサー要塞を奪われた時点で終わりだといえる。王の死の隙を突かれ、難攻不落の要塞を奪われるなど、あってはならない失態だった。

 ともあれ、ガンディアは終わりの中にあった。

 忍び寄る破滅の前に、“うつけ”の王も。将軍たちも沈黙を続けた。それは、バルサー要塞を制圧し、勢いに乗るログナーへの反攻作戦を練っていたからなのだが、当時の国民にはわかるはずもなかった。

 ガンディアは終わりだろう。

 遠く南の国から、イシュゲルは、ただ嘆いたものだった。

 イシュゲルが嘆いたのは、シウスクラウドのためだった。シウスクラウド・レイ=ガンディア。その颯爽とした姿から獅子王の名をほしいままにした男は、イシュゲルにとって数少ない親友であり、戦友だったのだ。

 シウスクラウドは、若いころ、レマニフラで客将をやっていた時期があり、王子だったイシュゲルとともに野盗退治や皇魔討伐に汗を流したのだ。ガンディアの王子である彼がなぜ、レマニフラで客将をやっていたのかというと、彼の父親である当時のガンディア王が、シウスクラウドの経験不足を嘆き、武者修行に旅立たせたからだった。

 シウスクラウドは、二年ほど、レマニフラに滞在し、戦闘の経験を積んだ。ガンディアに帰る頃には見違えるような人物に変わっていたのだから、成長というものは恐ろしく、素晴らしいものだ。

『そんなことがあったんですか……初耳ですよ』

 そのことを話すと、レオンガンドは、心の底から驚いたようだった。

『シウスも話せなかったのでしょう。なにぶん、ガンディアとレマニフラは国交を結んでいませんでしたからな』

 名を変え、正体を隠していたころの彼は、王子というよりは野盗や山賊の首領といったほうが正しいような有り様であり、それこそ、表沙汰にはできないようなこともしてきたようだった。経験不足を補うには、なりふり構っていられなかったのだろうし、そういう経験が、彼を獅子王へと押し上げたに違いない。

 イシュゲルがシウスクラウドの本名を知っているのは、彼と気の置けない間柄になれたからに他ならなかった。イシュゲルは彼の正体をだれにも明かさなかったし、彼が国に帰ってからも、レオンガンドに話すまで隠し通してきた。

 それでも、ガンディアのことが気になり続けた。側近たちには、イシュゲルが遠いガンディアの情報を欲しがることが奇妙に思われただろう。

 二十年前、シウスクラウドが病に倒れたという報せに触れたときは、気が気でなかった。イシュゲルの人生で、心の通い合った友といえるのはシウスクラウドを置いてほかにはなかったのだ。彼だけが親友だった。その親友が原因不明の病に倒れ、回復の目処が立たないというのだ。

 ガンディアの、シウスクラウドの躍進はこれからだ、というときだった。

 イシュゲルが小国家群における覇権争いに興味を失ったのは、第一にそれが大きかった。競い合うはずの友が病に倒れ、戦線復帰の見込みが立たない以上、イシュゲルには戦う意味がなかった。元より、国土拡大に野心を燃やしているわけではなかった彼にとって、その転機は大きかった。

 そして、シウスクラウドが死に、レオンガンドが後を継いだ。彼が“うつけ”と誹られ、国の内外から忌み嫌われているという話も知っていたイシュゲルには、ガンディアがみずから破滅に向かっているのだと思うしかなかった。

 だが、奇跡は起きた。

 バルサー要塞を奪還し、その勢いに乗じずるかのようにログナーへ侵攻、ログナー全土を瞬く間に平定していった。

 レオンガンド・レイ=ガンディアは、“うつけ”の評判を払拭し、小国家群にその名を轟かせ始めた。

 イシュゲルがガンディアとレマニフラの同盟を考え始めたのは、ガンディアによるログナー平定があまりに鮮やかだったからだ。そして、レオンガンドに愛娘を嫁がせることにした。当然、結婚となれば、相手のあることだ。同盟はともかく、結婚はできないと突き返されるかもしれない。しかし、ナージュは良い娘だ。自分の子供とも思えないほど素晴らしい女性に育っていた。ナージュならば、だれにでも気に入られるという自信があった。あとは、ガンディアがレマニフラとの同盟に旨味を見出してくれるかどうかだったが、それに関しても楽観視しているところがあった。

 ガンディアはいまのところ、南の国々への対応を決め兼ねているようなのだ。それもそうだろう。ガンディアの南には同盟国のルシオンがある。直接南進することはできず、領土を広げようにもアザーク方面から迂回する形を取らざるをえない。となれば、南方の国と同盟を結ぶことに利はあっても、害はないと考えるだろう。

 それにレマニフラは、三国同盟の盟主だ。レマニフラと結べば、メウニフラ、クオラーンとも友好関係を結ぶことができる。悪い話ではないはずだった。

 そして、ガンディアから同盟への返答が届いた。

 レマニフラの提案に応じるという返答には、ナージュとの婚約も含まれていた。さらにザルワーンとの戦争を開始する旨も記されており、そのための戦力として、ナージュの護衛の部隊も使うとのことだった。

(ザルワーンへの侵攻……思い切ったことをしたものだ)

 イシュゲルは、その返書を受け取ったときの気持ちを思い出して、苦笑した。当時のガンディアの戦力では、とても太刀打ち出来ないだけの戦力を保有していたのが、ザルワーンなのだ。ガンディアの二倍以上の戦力を誇る大国であり、グレイ=バルゼルグ率いる最強部隊の勇名は、遠くレマニフラにまで轟いていた。

 だが、ガンディアは勝った。それも圧倒的な勝利で、ザルワーンを下している。

 イシュゲルの判断は正しかった、ということだ。

「あの……どうかされました?」

「いや、こちらのことですよ、領伯殿」

 対面の少年の恐縮したような態度に、イシュゲルは、微笑みを返さずにはいられない。

(彼が……ガンディアの躍進の立役者。セツナ・ラーズ=エンジュール。黒き矛のセツナ)

 イシュゲルの目の前に、その黒き矛がいる。難攻不落のバハンダールを落とし、武装召喚師部隊を撃破し、ザルワーンの守護龍をも打ち倒した、ザルワーン戦争の英雄である。

 一見すると、どこにでもいそうな普通の少年に見えた。初対面からいまに至るまで、その印象が大きく変わることはない。しかし、時折見せる目の光が尋常ではないほどの鋭さを持っており、イシュゲルは王宮の中にありながら戦場の空気を感じることが何度かあった。そして、その鋭さこそ、彼が常軌を逸した強者である証なのかもしれないとも思った。

 それでも、話す限りは、普通の少年なのだ。何千もの敵兵を斬り殺してきた無双の猛者には見えなかったし、戦闘狂の片鱗さえ見受けられない。配下の女達に翻弄されるさまなど、噂に聞く黒き矛のセツナ像からはかけ離れたものだった。

「こうしてガンディアの英雄殿と会食ができるのも、我が娘がレオンガンド陛下と結婚すると決まったからにほかなりません。親孝行というべきでしょうな」

 イシュゲルがレオンガンドに無理をいって、セツナとの会食の場を設けてもらったのだ。

 イシュゲルが王都を訪れた目的のひとつが、セツナとの接触だった。小国家群全土に響き渡る一騎当千の猛者だ。ひととなりを知りたいと思うのは、おかしいことではないはずだ。

 もちろん、ふたりきりではない。レオンガンドとナージュには遠慮してもらっていたし、ガンディアの重臣やレマニフラの重臣も参加してはいないものの、セツナ側には彼の隊である《獅子の尾》の隊士たちが、イシュゲル側には彼の側近と近衛隊長が参加していた。

 男臭い会食になるかと思われたが、《獅子の尾》の女性陣によって思った以上に華やかなものになっていた。

「では、イシュゲル陛下は、レオンガンド陛下の義理の父親ということになるんですね」

「そう……ですね。しかし、悪い気分ではありません。友の……シウスクラウドの子を我が子とできるなら、これ以上に素晴らしいことはない」

 イシュゲルが本音をつぶやくと、対面の少年はどう反応していいのかわからないようだった。イシュゲルは微笑み、別の話題に切り替えた。

 ザルワーンさえも打倒し、その領土のほとんどを飲みこんだガンディア。その立役者たる黒き矛はまだ十七歳の若さである。彼がこのまま戦い続ければ、どれだけの戦果を上げていくのだろう。想像するだけで恐ろしくなってくる。

 若いといえば、レオンガンドもだ。それにガンディア軍には若い才能が溢れているという話も聞く。ガンディアの未来は極めて明るかった。近隣諸国には、敵となる国は存在しないといってもいい。ただひとつ、クルセルクだけが脅威だが、黒き矛がいる限り、ガンディアが負けるということはありえないのではないかと思えてきていた。

 あのザルワーンを倒したのだ。

(シウスよ。おまえの国はいま、隆盛のときを迎えているぞ)

《獅子の尾》の面々が次々と運ばれる料理に舌鼓を打つのを見やりながら、イシュゲルは、シウスクラウドの夢が、彼の息子によって叶えられつつあることに感動さえ覚え始めていた。

(年は取るものではないな……)

 滲む視界に、彼は苦笑を浮かべた。それと同時に思うのだ。

 レオンガンドに会いに来てよかった、と。

 セツナに会ってみて良かった、と。

 若き獅子王と黒き矛がいる限り、ガンディアは安泰だろう。

 それは、彼の娘が幸福を得るための第一条件なのだ。

 そして、レオンガンドと仲睦まじくしている様子を見れば、それ以外の条件も満たせることは疑いようがない。

 ナージュの幸福。

 イシュゲルはここのところ、そればかりを考えている。


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