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第五百五十一話 ミオンという国

 ギルバート=ハーディは、悪い噂を耳にすることが増えた。

 宰相マルス=バールの御用邸に異国人と思しき連中が出入りしているという。当然、その異国人の中にはガンディア人やルシオン人も含まれている。それだけならば問題はないといえる。ガンディアもルシオンも同盟国であり、長い付き合いだ。ミオンの宰相の元に足繁く通うものがいても、不思議ではない。マルス=バールはこのミオンの実質的な支配者なのだ。ご機嫌伺いに訪れるものも後を絶たない。

 しかし、ルシオンはまだしも、ガンディアの人間がミオンの宰相如きの機嫌を取る必要があるのだろうか、という疑問もある。

 ガンディアは、いまや一時のザルワーンを大きく凌ぐ大国となった。同盟国とはいえ、弱小国のミオンやルシオンの顔色を窺わずとも、ガンディア単独で領土拡大を成し遂げられるだけの力を得てしまった。こうなっては、同盟国としての立場を失わないためにも、ガンディアの機嫌を損ねないように振る舞うべきなのは、ミオンのほうだった。

 ミオンは、ザルワーン戦争においてギルバート率いる騎兵隊三千を援軍として提供、ガンディアに多大な貸しを作ってはいる。ミオンの騎兵隊でザルワーン戦争を生き延びたのは半数程度であり、千四百人を超す死者が出ているのだ。大国を打ち倒せたにしても、大きすぎる犠牲を払ったといっても良かった。

 ギルバートとしては、多数の部下を死なせたことは痛恨の極みだった。だが、だからこそ、その戦果を無駄にしてはならないのだ。その犠牲をガンディアへの大きな貸しとするのは決して悪いことではないが、それだけに囚われて、大局を見失ってはならない。いま、ガンディアとの同盟に亀裂が入るような真似をするべきではなかった。

 若き国王イシウスはガンディアを頼みとしている。レオンガンドを兄のように慕っているところがあり、ガンディアという国そのものに全幅の信頼を置いてもいる。イシウスがマルスに命令を下しているとは到底思えない。

 宰相自身が怪しいのだ。そして、危うい。彼の御用邸に出入りするものの中には、明らかにガンディア人やルシオン人とは違う人種の人間が混ざっており、それらはミオンの北から来ているということまで判明している。ミオンの北にある国々といえば、最近ガンディアの傘下に入ったベレルや、そのベレルと休戦協定を結んでいるジベル、そして反魔王連合を名乗る国々、そしてクルセルクなどが思い浮かぶ。北の人間は、ベレルやジベルの人間ではないらしいということまで、ギルバートは掴んでいた。

 となれば、反魔王連合の三国かクルセルクということになるが、魔王との戦いに忙しい――しかも、一方的にやられている――反魔王連合の国々がミオンの宰相となにかを企んだりするだろうか。ミオンを反魔王連合に組み込みたいというのならばわからなくはないが、それにしたところで、ジベルやメレルディアといった近隣の国々を連合に組み込むほうが先決だろう。では、クルセルクの魔王がミオンにまでその魔手を伸ばしているのだろうか。

 確信が持てないまま、日々が過ぎていった。


 十二月である。

 大陸暦五百一年も年の瀬を迎えようとしているこの時期、北方では、クルセルクの魔王軍が反魔王連合との激戦を繰り広げていた。四国の連合軍であった反魔王連合は、ニウェールが攻め滅ぼされたことにより、ハスカ、ノックス、リジウルの三国の戦力で、魔王軍と戦わなければならなくなっていた。

「北は物騒ですな」

 宰相は、ひとごとのようにいった。

 冬の始まりを告げる寒風が吹き荒ぶ朝の事だった。

 ギルバートがマルス=バールと話し合う機会を得たのは久々であり、彼は、膨れ上がりつつあった疑念を胸中に押さえ込みながら、彼の世間話に応じだ。

「ええ。魔王軍の勢いはとどまるところを知らないようで」

「それに引き換え、ガンディア近隣の平和なこと」

「良いことではございませんか」

 ギルバートは、心の底からそう思っていた。戦いのない日々がこれほど素晴らしいものだとは、いままで考えたこともなかったのだ。

 ガンディアの戦いに援軍として参加することが増えた。バルサー要塞奪還戦ではあまり活躍もできなかったが、ザルワーン戦争では大いに戦った。それこそ、多数の配下を失うほどに、戦った。戦って、戦って、戦い抜いた。

 戦うことが億劫になってきている。

 部下や息子の手前、突撃将軍ギルバート=ハーディであり続けなければならないという事実も、彼の心を疲弊させた。

「だれも悪いことだとはいっておりませんよ。この平穏が仮初のものでなく、永遠に続くというのならば、それに越したことはない。それならば、ガンディアが盟主として君臨するのも悪いものではないといえましょう」

 マルスは、淀みなく言い切った。その歯切れの良さが、ギルバートには引っかかるのだ。まるで、用意していた回答を口にしているように思えてならない。

「なにか良からぬことを考えているのではありますまいな」

「はて?」

 マルス=バールは、ギルバートの言葉が理解できないといった顔をすると、いびつな笑みを浮かべた。

「突撃将軍は心配症ですな。わたくしのような小心者が、なにを企むというのでしょう」

「では、最近、宰相殿の屋敷に出入りしているものたちがなにものなのか、お答えいただけるのですか?」

「ええ、もちろん。答えましょうとも」

 宰相は、やにわににこやかな微小を浮かべると、優しげな口調で続けてくる。

「あれらは皆、ミオンとの商売について相談に来ている連中なのですよ」

「商売?」

「ガンディアが大勝利し、大国となったいま、我々はその大樹に護られていれば良い。戦いのことなど考えず、商売や政治のことだけを考えていればいい……そういう結論に至るのも、いまのガンディアを見ればわかりましょう」

「……どのような商売をなさるというのです」

「なに、ちょっとした小遣い稼ぎのようなものです。ガンディアから買い入れた馬を北方に輸出するという話もあれば、ミオンの織物をルシオンを通じて、南方で売るという話もあります」

「ほう」

 ギルバートは、納得したように相槌を打ったが、頭の中ではマルス=バールの目が笑っていないことに注目していた。マルスは何事かを隠しているのではあるまいか。それも、ミオンにとって重大な何事かを。

「話が実現すれば、ミオンの懐が潤うことは間違いないでしょう。夢のような話ではあるのですがね」

「……夢のような、ですか」

「ええ、夢のような。さりとて、レオンガンド陛下の結婚式ほど、夢のようなものでもございませんが」

 マルスがギルバートの前でレオンガンドの結婚式に言及したのは、これが始めてだったように思われた。以前から、レオンガンドとナージュ・ジール=レマニフラの結婚式がガンディオンで盛大に行われるという話は聞こえていて、ミオンにも招待状が届けられたという噂も耳にしていた。噂である。

 悲しいかな、突撃将軍はミオンの国政に直接関与できるような発言力は持ち合わせておらず、こうして宰相から話しかけられるまで、その話題を口にすることも憚られていた。ミオンにおいては、戦場で戦うだけが将軍の役割なのだ。

 そういう意味では、ガンディアでの扱いは、夢のようだともいえる。ガンディアに援軍として赴くと、彼は一軍の将としてだけでなく、一国の代表として扱われるのだ。一挙手一投足の隅々まで注目されているというのは息が詰まるものだが、ミオンでの扱いに比べると、天と地ほどの差があった。もっとも、将兵は彼のことを慕ってくれていたし、だからこそ、彼の騎兵隊は常に充実しているのだが。

 ふと、マルス=バールが思い出したように手を打った。

「そうそう。先だって、ガンディアから招待状が届きましてね。十二月六日……つまり五日後、王都で行われる結婚式にイシウス陛下が参加することが決まっております」

「陛下がガンディアに赴かれるとは珍しい」

「陛下も喜んでおいでです。ガンディオンは、陛下にとって夢の都ですからな」

 マルスが目を細めたのは、彼にとってもイシウスは眩しい存在だからかもしれない。イシウス・レイ=ミオン。若干十四歳の少年王は、ガンディアという国に強い憧れを抱いている。レオンガンドが王立親衛隊を設けたという話を聞くやいなや、すかさず自身の親衛隊を設立するほどだ。ミオンの首都ミオン・リオンをガンディオンのように作り変えるのが彼の夢であり、宰相を含め、多くのものがその夢を実現させないように頑張っていた。

 ミオン・リオンをガンディオンに作り変えるのは簡単なことではないし、なんの意味もないことだ。それはイシウスもわかっているのか、夢として語るだけで、実現するための動きを見せたことはない。若く、夢見がちでありながらも聡明な王だからこそ、多くのものが彼を敬愛するのだ。

「宰相殿が同行されるのですか?」

「国王と宰相が同時に国を空けるわけにはいきますまい。ギルバート将軍に同行をお願いしたいのですが」

「御命令とあらば、すぐにでも準備いたしましょう」

「そうですか、それはよかった。断られたらどうしようかと思っていたところです」

「わたくしに拒否権はありませんよ」

「突撃将軍ともあろうお方がそのようなことを」

「わたくしはミオンの将軍ですからな。ミオンの宰相の命令には従うのみ」

 それがたとえ、自分の意に沿わぬものだとしても、だ。

 でなければ、ギルバートはギルバートでいられなくなるだろう。ギルバートは、ミオンの突撃将軍なのだ。ミオンの軍人なのだ。国政を司る宰相に逆らうことなど、あってはならない。そんなことをすれば、自分を失うことになる。ミオンのギルバートであることをやめなくてはならなくなる。

 人間とは、そのような契約で成り立っている。

 だから、彼はそれ以上、マルス=バールの真意を探ることはできなかった。疑い始めればきりがないということもあれば、王都での結婚式が五日後に迫っているということもある。五日後だ。いくらなんでも急すぎると思わないではないが、ミオンにおけるギルバートの扱いとは概してこのようなものであり、便利屋程度にしか考えていないのではないかと思わないでもなかった。

 そして、それは決して間違いではないのだ。

 ガンディアにはギルバートを差し向けておけばいい、というマルス=バールの考えが聞こえてくるようで、いい気分がしないのも事実だったが。

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