第五百四十九話 魔軍の胎動
クルセルクが反魔王連合に対して宣戦布告を行ったのは、十月下旬のことだ。
そもそも反魔王連合なる集団が形成されたのが十月上旬であり、クルセルクの反応は決して遅いといえるものでもない。ノックスとの戦争が一段落した直後でもあったし、宣戦布告を行う必要があったわけでもない。反魔王と名指しされている以上、戦いの布告は既になされていると見ても良かった。
それでも、魔王ユベルはノックス、ニウェール、リジウル、ハスカの四国に対し、懇切丁寧に宣戦布告を行い、全面戦争の構えを見せた。
反魔王連合は、ノックスを中心に結成された連合軍であり、その名の通り、打倒魔王を標榜している。ノックス、ニウェール、リジウル、ハスカはいずれもクルセルクの東に位置する国であり、規模でいえば、四国合わせてようやくクルセルクを凌駕できるといった程度の小国家の集まりである。一国一国の戦力は取るに足らないものといっていい。
ユベルは、端から相手にはならないと踏んでいた。雑魚はいくら集まっても雑魚に過ぎない。かといって、油断することはない。いつものように入念に軍備を整え、万全を期するだけのことだ。余裕を見せつけるような戦いをする必要さえない。
魔王らしく振る舞おうとすれば、足元を掬われかねない。自縄自縛に陥る可能性だって否定はできないのだ。
くだらない感傷でクルセルクを失うのは、馬鹿げている。
「ようやくここまで来たのだ」
ユベルがひとりごちたのは、魔王軍の大軍勢が魔都クルセールを出発した直後のことだ。魔王みずから軍を率いるわけではない。魔王軍には有能な指揮官がいて、将軍たちがいる。将軍らは皇魔ではあるが、最近になって人間と意思疎通することができるまでになっており、そういう面での心配は少ない。
皇魔と人間の兵による混成軍を率いるのは、人間の指揮官である。オリアス=リヴァイアを魔王軍の指揮官に任命したのは、単なる気まぐれではない。彼には軍事的才能が有るように思われたからだ。少なくとも、ユベルやクルセルクの軍人たちよりも優れた洞察力と計画力があるようだった。
オリアス=リヴァイアと知り合ったのは、ザルワーンとガンディアの戦争が終わった頃合いであり、彼に興味を持ったのは、彼の目に自分と同じ影を見出したからに他ならなかった。
オリアスは、ザルワーンにおいてはオリアン=リバイエンという名で知られた人物だ。武装召喚師でありながら外法の研究者でもあり、マーシアス=ヴリディアの研究を受け継いだという。彼は、ユベルが外法の被験者であるということを知っているにも関わらず、外法に携わっていたという事実を明かしたのだ。
ユベルにどのような目に遭わされても構わないとでもいうかのように。
挑戦的な目だった。
そのまなざしこそ、ユベルの琴線に触れるものであり、ユベルは彼をクルセルクに迎え入れた。オリアスだけではない。黒い鎧の戦士もだ。言葉を発することもできないその戦士は、オリアス曰くただの抜け殻であり、役には立たないだろうということだった。しかし、オリアスがクルセルクにつく条件のひとつが、黒い戦士の受け入れである以上、ユベルとしても彼を受け入れるほかなかった。
黒い戦士が抜け殻であろうとなんであろうと、オリアス=リヴァイアは役立つだろうことは明白だった。武装召喚師なのだ。黒き矛のセツナほどの戦果を期待するのは無茶だろうが、いずれにしても、常人以上の活躍を見込めるだろう。
そして、オリアスを連れてクルセールに戻ったユベルは、オリアスのやりたいようにさせた。彼がなにを目的としてクルセルクについたのかを知りたかったのもあるが、オリアスのなそうとすることがユベルの目的に役立つに違いないという確信があったからだ。
なぜか。
(彼は……俺に近いのだ)
ユベルは、そう思っている。暗い情熱を胸に秘め、ただひたすらに目標へと邁進する姿は、ガンディアを滅ぼすためにクルセルクを制圧したときの自分の姿を思い起こさせた。しかし、なにもかもが一致するというわけではない。
が、だからどうというのか。
魔王軍の将軍たちを見てみよ。彼らは人間ですらない怪物どもだ。皇魔と呼ばれ、恐れられる人類の天敵たちであり、ユベルとはなにもかもがかけ離れた存在だった。そんな連中に比べれば、オリアスとユベルの違いなど、些細なものだろう。
(さて、お手並み拝見といこう)
ユベルは、リュスカが小首を傾げるさまを見やりながら、胸中でつぶやいた。
魔都クルセールを進発した魔王軍一万が、ニウェールの国境を突破し、ニウェール西部の都市ネヴィアに押し寄せたのは、十一月十一日のことだ。
クルセールを発ったのが十一月三日であり、その行軍速度がいかに遅かったかがわかる。もちろん、ただ遅かったわけではない。クルセールでの集合に間に合わなかった部隊と各地で合流しながら移動していたことが大きな原因であり、つぎに、反魔王連合征伐の総指揮官オリアス=リヴァイアが、目的地に急がなかったことが大きい。
オリアス曰く、急いだところで敵が逃げるわけではないし、結果が良くなるわけではない、とのことであったが、人間はともかく、皇魔たちは不満を漏らした。とはいえ、皇魔の不満がオリアスの耳に届いたところで、どうすることもなかったが。
皇魔のほとんどは人語を理解できない上、話せないのだ。彼らの愚痴がオリアスの思考を妨げることはなかった。その点では、人間の部下を率いるよりもずっと気が楽だと彼は思った。
「人間よりも気楽? あなたの場合、人間相手にも同じことでしょうが」
オリアスの部下のひとりが、吐き捨てるようにいった。魔王が選び抜いたというその女は、自分が魔王の寵愛を受けているということを信じているのか、オリアスに対しても歯に衣着せぬ物言いをしたものだった。
オリアスは、その女の気の強さを気に入ってしまったため、好きにさせていた。彼女以外の部下は、いつかオリアスの逆鱗に触れるのではないかと戦々恐々としていた様子だったが、女は頭が良いのだろう。なにがいってはだめで、なにをいってもいいのか、無意識に理解しているようだった。
「頭のいい女は嫌いではないよ」
「あなたに好かれても困りますよ」
女は、魔王に心底惚れているらしく、オリアスがどれだけ言葉を尽くしても振り向いてはくれなかった。だからこそ、オリアスもそのように振る舞うことができるのだが。
頭がいいだけでは、オリアスの望みを叶えることはできない。
そして、女も魔王への恋慕を遂げることはできまい。魔王には寵姫がいる。それも皇魔の寵姫だ。人間とは比較にならない美しさを誇る化け物を側に置いているのだ。彼女に勝ち目はない。いや、戦う前から敗北が決まっているようなものだった。それでも彼女は魔王への想いを募らせているようだった。
「魔王……魔王か……」
オリアスは、ユベルのことを考えるたびに不思議に思った。魔王を名乗るあの男は、どうしたところで普通の人間だった。どこにでもいるような若者であり、オリアスならば召喚武装を使わずとも殺せるのは疑いようのない事実だった。暗殺も不可能ではあるまい。だが、彼は魔王なのだ。どうあがいても、魔王として君臨している事実があり、抗いようのない魅力のようなものがあるのも間違いない事実だった。
オリアスがクルセルクにいるのは、自身の目的を遂げるためでしかないが、それでも、魔王に力を貸してやっても良いと思わせるなにかがあった。
魔王は、ただ復讐を望んでいる。
破滅的な復讐戦争を起こそうとしている。
それだけが彼のすべてで、それ以外はどうでもいいとでもいいたげだった。
実際、ガンディアへの復讐以外、どうだっていいのだろう。クルセルクの支配も、この反魔王連合との戦争も、どうだっていいのだ。ただ、ガンディアへの復讐戦を遂げるためには、反魔王連合を放置しておけないというただそれだけのことだ。
「それだけのことだ。油断してはいけないが、気張る必要はない。いつも通りにやりたまえ。いまこそ特訓の成果を見せるときだ」
ニウェールとの国境を超えた頃、オリアスは、魔王三将に向かってそういっている。魔王三将とは、魔王軍の中でも特に優秀な皇魔の武将のことであり、それぞれが皇魔の部隊を率いている。鬼哭衆を率いる幻角の魔人のメリオル、魔天衆を率いる黒翼の天魔のベルク、覇獄衆を率いる青肌の戦鬼のハ・イスル・ギである。
彼らは、さすがに魔王三将といわれるだけのことはあり、魔王への忠誠心も厚く、魔王に総指揮官を任されたオリアスの命にも素直に従ってくれていた。しかも、魔王三将は、オリアスを師と仰いでいる。彼の弟子は魔王三将だけではないが、特に優秀なのは魔王三将であり、彼らがいかにして三将と呼ばれるまでになったのかが理解できた。
「さあ、魔王陛下に逆らう愚か者どもに裁きの鉄槌を下すのだ」
「魔王の手先を演じるのもいいですが、指揮官ならば、それなりの指示をしていただきたいのですが」
「ネヴィア程度、ひともみに揉み潰せばよかろう」
オリアスは部下の進言に対してそう言い返すと、魔王三将にネヴィアへの攻撃を指示した。
ネヴィアは有り体に言えば普通の城塞都市だ。国境に近いこともあって四方を囲う城壁こそ頑強に作られてはいたが、それだけだった。それ以外はなんの変哲もない都市であり、反魔王連合との緒戦には打ってつけとも言いがたかった。
「半日もかかるまい」
本陣からネヴィアの様子を見やりながら、オリアスは気楽な予想を立てて、周囲を呆れさせた。ニウェールは、ネヴィアに戦力を集めている。そう簡単に落ちるはずがないと思うのも無理はなかったが、それは魔王軍の実力を知らないからだ。そして、魔王三将が反目しあっているということも、知らないのだ。
オリアスは、伝令として重用している少年兵に肩を揉ませつつ、ネヴィアが落ちるのを待つことにした。
「どうやらオリアスは上手くやっているらしい」
ユベルが、ニウェールから戦勝を報せる文書に目を通しながら、リュスカに聞こえるようにいった。いまのいままで眠っていたリュスカは、寝ぼけ眼をこするという極めて人間臭い動作をすると、小首を傾げた。
リュウディースという種族は、夜の闇に活動するのが正常であり、昼間は寝ているものなのだという。リュスカは、ユベルの生活に合わせるようにして、夜に寝て、朝に起きることを習慣づけているのだが、それでも体が午睡を欲するときがあるらしい。そういうときは、ユベルも一緒になって寝る場合もあるが、反魔王連合との戦いが始まってからはそういってもいられなかった。
魔王は、反魔王連合の動きだけに注目していればいいわけではない。近隣諸国の情勢について常に目を光らせ、聞き耳を立てる必要があった。反魔王連合征伐のために動員した一万の軍勢は主力であり、いまクルセルクに残っているのは二軍、三軍なのだ。この状況をクルセルクに攻め入る好機と見る国がないとも限らない。
現状、クルセルクの二軍、三軍と対等以上に戦えるのは、ガンディアくらいのものだが。
「ネヴィアは半日もかからずに落ちたそうだ」
「ネヴィア?」
「ニウェールの都市のひとつだよ。ネヴィア攻略ではメリオルがひとり気炎を吐いたそうだが」
「メリオル……」
リュスカがめずらしく複雑そうな表情をしたのは、メリオルがリュウフブスと呼ばれる皇魔だからだろう。リュウフブスとリュウディースは、人間でいう男と女程度の違いしかないくらい似通った種族だ。しかし、リュウディースは女だけの種族であり、子を成すのにも男を必要とはしなかったし、リュウフブスも同じく、女を必要としない種族だった。リュウフブスとリュウディースはいつからか反目するようになり、同じ魔王軍にありながら敵意どころか殺意さえ隠さない、困った連中でもあった。
リュウディースたちはリュスカが抑えてくれているものの、メリオルはむしろリュウフブスをけしかけているようなところがあり、そこも頭痛の種ではあった。
「……オリアスを迎え入れた成果が出始めた、ということだ。反魔王同盟の征伐が終われば、彼には相応しい役職を与えようと思うのだが」
「ユベル、いい考え」
「リュスカもそういってくれるか」
ユベルは、リュスカがにこやかに微笑んだ様を見て、穏やかな気分になった。