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第五百四十六話 余韻

「ベレルがガンディアに屈しただと!?」

 アルジュ・レイ=ジベルが声を荒らげたのは、彼にもたらされた報せが衝撃的だったからだ。

 ジベルの南に位置する小国ベレルが、ガンディアの支配下に組み込まれたという報告は、ベレル侵攻における戦勝報告に沸き立つジベル国内を一瞬にして沈静化させている。いや、とっくに沈静化してはいたのだ。ガンディアの横槍によって、ジベルはひとつの勝利をなかったことにしなければならなくなっていた。

 制圧した都市を無償で手放すということは、つまりそういうことだ。

 これでハーレルまで手放すことになっていれば、ジベルの国民感情は反ガンディア一色に染まったかもしれない。いまでさえ、ガンディアへの敵愾心が膨れ上がりつつある。ガンディアさえ余計なことをしなければ、ジベルはベレルを圧倒し、その国土の半分以上は奪うことができたのだから。

 もっとも、アルジュは、そのことに関しては国民ほど怒ってはいなかった。ザルワーン戦争のどさくさに紛れて、ザルワーン領土の一部をジベルのものにしたという事実があるからだ。スマアダと、旧メリスオール領の大半がジベルの領土となっている。それもこれも、ガンディアがザルワーンの軍勢と戦ってくれていたからなのだ。

 ジベルだけでは、スマアダを奪うことさえも難しかっただろう。

 しかし、ベレルがガンディアの属国となるというのは、話が違う。

「どうやら、してやられたようですな」

 ハーマイン=セクトルの冷静な声が癪に障ったが、アルジュは、怒りに震える手を押さえるようにして将軍を見やった。ハーマインの表情に変化を望むことはできない。いつも通りの冷徹さで、こちらを見ている。

「将軍、ひとごとではないぞ」

「わかってはいますが、わたしひとりでは如何ともし難いことです」

「……死神部隊も同行していたのであろう? 彼奴らを使えばよかったのだ。彼奴らを使い、《獅子の尾》を皆殺しにでもしておけば、このようなことにはならなかった」

「たとえ上手くいったとして、ガンディアの怒りを買いましょうな。そして、上手くいかない可能性のほうが高かった。なればこそ、クレイグは死神部隊の運用を提案しなかったのでしょう。死神部隊の使い方は、わたしよりもクレイグのほうがよくわかっています」

「クレイグ……死神零号か。奴はいまなにをしているのだ。主君への報告さえも怠るなど、あってはならぬことではないのか」

 アルジュは、言葉ではそのようにいったものの、クレイグが目の前にいないことに安堵さえ覚えていた。彼は、死神部隊という、およそ常識では計り知れない暗躍部隊の存在を認めたくはなかったのだ。死神部隊の隊長である死神零号ことクレイグ・ゼム=ミドナスと顔を合わせたことがないのも、それが一因だった。

 死神に逢えば、死に取り憑かれるのではないか。

 いや、既に取り憑かれている。常に青ざめた顔がその証左だと、彼は思うようになっていた。

 そんな思い込みが、彼と死神部隊の間に埋めようのない溝を作っているのだが、生まれながらの君主であるアルジュには関係のないことだった。死神部隊との連絡は、ハーマインが行えばいい。

「ログナー、ザルワーンを飲み込んだガンディアに真っ向から立ち向かうのは、あまりに無謀。ここは、多少損をしたとしても、ガンディアの機嫌を損ねないように振る舞うべきです。いずれ、反撃の機会は訪れましょう」

「訪れるか?」

「ガンディアには、北進の意図あります。東をミオンに任せ、南をルシオンに委ねている以上、ガンディアが国土を拡大するには、西か北に勢力を伸ばすしかない。そして、ザルワーンを倒した勢いに乗るのならば、北に向かって領土を拡大していくでしょう」

「それはわかっている。北に、クルセルクがあることもな」

「クルセルクとぶつかれば、ガンディアもただでは済みますまい」

「ガンディアは、ザルワーンを打ち倒したのだぞ? クルセルクに遅れを取るだろうか……」

「さて。そこまでは」

 ハーマイン将軍が明言しなかったのは、クルセルクがどれほどの戦力を保有しているのか、いまいちわからないからかもしれない。クルセルクは、ジベルの北に位置する国であり、その国土はジベルの二倍程度、ガンディア・ザルワーン地方程度らしい。国土から想像しうる動員数は、ガンディアよりも少ないと見るべきだが、魔王は、皇魔の軍勢を率いるという話もあり、そういう情報が、クルセルクの実力を測りづらいものにしていた。

 ノックス、ニウェール、リジウル、ハスカの四国による反魔王連合との戦争が、クルセルクの実力を白日の元に晒すのではないかと期待されているが、それはすなわち、反魔王連合という四国連合軍とクルセルク一国の戦力が拮抗しているか、大差がないと判断されている証明でもあった。

 皇魔を率いているという話が事実ならば、そういう評価になるのも当然のことだが。

 そこまで考えて、アルジュは肩を震わせた。死神に魅入られたつぎは、魔王に魅入られるのではないかという恐ろしい想像が、彼の思考をめまぐるしく動かしている。

「待て……クルセルクが我が領土を犯してきた場合はどうするのだ? 彼の国は魔王の支配地。なにをしでかすかわからぬという点では、ガンディアよりも遥かに理解し難い国ぞ」

「その場合は、近隣諸国に協力を募りましょう。そのときにはベレルも喜んで力を貸してくれるはずです。ガンディアも」

「そういうものか」

 アルジュは吐き捨てるようにつぶやいた。ハーマインの言に納得したわけではないが、いままでどおり彼に一任しておくのがジベルとしては正しいということはわかっている。アルジュには、自分が無能な王であるという自覚があった。

 

「レムちゃんさあ、帰ってきてから俄然やる気出してるねえ。なにかあったの?」

「黒き矛の寝込みを襲ったそうよ」

「ふーん……って、マジっすか?」

「マジ」

 意識を集中させ、感覚を研ぎ澄ませる。

 閉じた瞼の裏に浮かぶのは闇であり、闇の奥底に潜むのは死の影だ。あまねく生命に終わりを運ぶ影。それこそ、死神の本質であるといってもいい。闇の深奥に潜む、死そのものと同化することで、人間は死神にさえなりうるのだ。

(というのは置いておいて……)

「カナギちゃんにその言葉遣いは似合わないわ、うん」

「そう?」

「マジで」

「マジなのね」

 カナギ・トゥーレ=ハランとゴーシュ・フォーン=メーベルの会話が、レムの精神修養を妨げた。他愛のない会話だ。毒にも薬にもならない様な、日常会話。そんなものでさえ、場合によっては邪魔になる。

 特に、レムの場合はそうだ。

 だからだれもいない時間帯を選んで訓練場に入ったはずなのだが、なぜか、ふたりが現れた。

「だから」

「うーん」

「そこのふたり、うるさいわよ」

 レムは、腰に帯びていた短剣を抜くと、相手も見ずに投げつけた。訓練用の木製の短剣は、レムの左後方に向かって飛翔し、壁に当って音を立てる。回避されることが前提の投擲なのだ。直撃するほうが驚きだろう。

「そんなに大きな声で喋ってないけど」

「神経質だねえ、レムちゃんってば」

「だから! さっさと出てけ! 気が散る!」

「本当にどうしたの? 随分気が立ってる」

「そうだよ、レム。また隊長に振られたのかい?」

「隊長は関係ないわよ!」

 叫び返して、いつの間にか瞼を開けてしまっている自分に気づいた。意識の集中が途切れ、緊張が霧散する。死神の気配が失せた。

 レムは、自分がいつも通りではないことを再確認すると、大きくため息をついた。肩の力を抜き、カナギたちと向かい合う。半球形の訓練場は、死神の訓練にうってつけの暗闇によって満たされている。闇に慣れた目でなければ、カナギたちの姿を見つけることは難しい。そんな暗闇の中で飛来する短剣をかわすのだから、彼らの実力も凄まじい物があるというべきか。

 もちろん、レムもふたりに負けない実力はある。

 いまは気分が乗らないのだ。

「隊長じゃないの?」

「そらまためずらしいこって」

 カナギとゴーシュの反応は、想像通りのものだったが、レムには彼らの言葉を否定することはできなかった。レムが頭を悩ませるのは、決まってクレイグのことだったからだ。

 だから、レムも困っているのだ。

「うん……違うのよ。おかしいでしょ」

 レムは、暗闇の中にカナギの白く透き通った肌を見出すと、歩み寄ってその華奢な体に抱きついた。脳裏には、本当の死神の姿が浮かび上がっている。

 黒き矛を手にした少年の目は、クレイグよりも余程、死を見ている。数多の死線を潜り抜け、数えきれないほどの生命を終わらせてきたのが彼なのだ。

 彼こそ、死神に相応しい。

 確信が、彼女に迷いを生んだ。戦いにすら発展しなかったのは、それが原因だった。刃を交えることさえできず、接吻でお茶を濁すのが精一杯だった。悔しいわけではない。悔しさなど、感じることさえできなかった。

 少なくとも、怖気づくことはなかったのだから。

「おかしくはないわ。ふつうのこと、よ」

「ありがとう、カナギ」

 死に魅入られた運命を克服するには、この世に実在する死神に縋るしかないのではないか。

 レムは、絶望的な気分の中で、カナギの胸に顔を埋めた。

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