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第五百四十五話 戦わずして

「なんと……!?」

 ジノ=レンドが、顔面を蒼白にさせたのは、あまりに衝撃的だったからだろう。そして、聞き直してくる。

「いま、なんと仰られた?」

「ベレルは、即刻ガンディアの庇護下に入られよ、と申し上げたのです」

 ナーレスは、冷酷に告げた。

 ジノ=レンドの元々色白の顔がより一層白く、青ざめていく。血管が浮き上がり、表情筋が痙攣していた。目が血走っているのは、日頃の激務のせいだろうか。彼はベレルの宰相として、国政のほとんどに携わる人物なのだ。日夜、休み暇もなく働いているという話だった。ガンディアでそういう役割をしているのが、レオンガンドの四友であり、四人で役割を分担していることもあって、彼ほどの激務ではないようだった。

 もっとも、ガンディアが巨大化すればするほど、四友の仕事は増大しているはずであり、いまではジノと同等の仕事量になっているのかもしれないが。

「は、ははは……じょ、冗談には聞こえませぬな」

「わたしは冗談を言っているつもりはありませんよ。そもそも、冗談をいうためだけに、宰相殿の時間を奪うなど、言語道断でございましょう」

「そ、それはそうですが……し、しかし、それは……!」

「宰相殿もわかっているはずでしょう。ベレルの戦力は、ジベルの軍勢に対して無力だった。短期間でふたつの都市を制圧されてしまい、我々の協力がなければ、ミョルンを取り戻すことは愚か、ジベルとの間に講和を持つこともできなかった。ましてや、ベレルという国が存在できたかどうかも怪しいものだ」

「ミョルンはルーンベレルの目と鼻の先ですからな」

 オーギュストが他人事のような口ぶりで告げたが、それは事実だ。だからこそ、ルーンベレルからミョルンまで一日半程度で辿り着けたのだし、ミョルンからルーンベレルに戻るのにも時間がかからなかった。その程度の距離なのだ。もし、ガンディアが救援を寄越さなければ、ジベルはルーンベレルへの攻撃をためらわなかっただろう。

 もちろん、ベレルの首脳部がルーンベレルを放棄し、ベイルダールなどに首都を移すなどをすれば、ベレルが滅び去るのは先延ばしになっただろうが、それもただの延命にすぎない。ジベルがベレルへの追撃を諦めたとしても、他の国が弱体化したベレルの領土を奪おうと動いたに違いなかった。

 いずれにせよ、ガンディアが援軍を動員したからこそ、ベレルは国として存続することができたのだ。

 ナーレスは、ジノ=レンドの膝の上に置かれた手が、小刻み震えているのを見ていた。彼が小心者というわけではあるまい。突然、国の実権を明け渡せといわれれば、怒りに震えるものだ。

「ルーンベレルには、ベレルの騎士団が待機しておりました。騎士団と精鋭が力を合わせれば……」

「一月」

「は?」

「保って、一月といったところでしょう。ルーンベレル滞在中、騎士団の演習を見学させていただきましたが、あれでは弱兵の誹りを受けて久しいガンディア軍にも劣る。ジベルとまともに戦えるとは思えません」

 ナーレスが断言すると、ジノ=レンドは密やかに嘆息した。そして、手の震えを止めるように膝を掴むと、ゆっくりと口を開く。

「……騎士長がその評価を聞けば、怒り狂ったところですな。だが、ナーレス殿の仰る通りだ。前任の騎士長が抜けてからというもの、騎士団は腑抜けの集まりとなってしまった。嘆かわしいことです」

「騎士長ひとりでそうも変わりますか」

「変わりますよ。実力そのものに変化はなくとも、心構えが変われば、なにもかも変わりましょう。騎士団の練度は間違いなく落ちた。グラハム殿ならば、このような惨状にはならなかったでしょうに」

 宰相の嘆きは、彼が真にベレルの実情を理解し、国の将来を憂えていることの証明だろう。彼はジベルによる侵攻の直後、イストリア王にガンディアへの援軍要請を提案している。ベレルの軍事力では、国土の防衛さえもままならないという事実を把握していたからこそだ。

 そこに、ナーレスは目をつけた。彼ならば、ナーレスの提案にも耳を貸すだろう。

「それで、宰相殿は、どうお考えなのです。我々の提案を受け入れるのか、それとも、拒否するのか」

 ジノ=レンドは、しばらく自分の膝にでも視線を注いでいたようだが、

「……確かに、ナーレス殿のいう通りではある。ガンディアに援軍を頼んだ時点で、我が国の理想は潰えたのだ。他国に頼らぬ領土維持など、夢のまた夢だったのでしょう」

「ガンディアも、同盟国の力なくしては、領土を維持することなどできなかったのです。ベレルが抜きん出た軍事力を持っているのならばまだしも、そうでないのならば、国土を侵蝕されるのも致し方のないこと。であるからこそ、ガンディアの庇護下に入るべきだと、いっているのですよ」

「庇護下……なんともやわらかな響きですな」

「支配下に入れと、属国になれというべきですか?」

「いや……庇護下のままでよろしいでしょう」

 そういうと、彼は目を伏せた。しばしの沈黙の後、大きく息を吸い、席から立ち上がる。宰相の執務室には、三人以外だれもおらず、この密談が聞かれている心配はなかった。たとえ聞かれていたとしても、もう遅いのだ。

「陛下に進言申し上げてきましょう。なに、陛下のことだ。わたしの言葉に従うだけですよ」

「頼もしい」

「ベレル国内においては、わたしが最高権力者ですからな」

 ジノ=レンドは、皮肉めいた言葉を吐いて、執務室を後にした。



 酷く、青ざめている。病的なまでの青さは、むしろ彼の普段の青さが健康的な色だったのだと認識させるのだから、不思議だった。

 頭を抱える、骨ばった両の手は小刻みに震え、いまにも頭を落としそうなほどの危うさを感じさせる。金銀で彩られた王冠が特別重いというわけではあるまい。震えているのは、手だけではないのだ。上体が揺れている。

 ジノ=レンドは、謁見の間に足を踏み入れるとともに見たものの有り様に驚きを覚えるよりも、ただ哀れみを感じた。世継ぎに恵まれなかった老齢の王は、ただひとり、玉座にあってこちらを見ている。ジベルによる侵攻以来、イストリア・レイ=ベレルは急激に老けこんだようだった。元々、小国家群の王の中では高齢の部類に入るのだが、ここ十数日で著しく老化したように思えてならないのだ。

 以前は、もっと溌剌としたところがあったような気がした。

「ジノよ、そなたがガンディアの軍師と密議を交わしていたという話、真か?」

 イストリアの第一声が、それだった。

 ジノは、イストリアの顔が青ざめている理由がわかると、驚くよりも安堵を覚えた。その程度のことか、という気持ちがある。彼は既に覚悟を決めていたし、そうとなれば、イストリアが軍師の執務室を監視していたという事実など、些細なことだ。国政のほとんどを任せている男の身辺を探るのは、王としては正しい行動でもある。露見した場合、相手に与える心証は最悪だが。

(そのことをいうべきではなかったな)

 だれも知らないことだ。口にすれば、ジノを常に監視しているということを自ら証言することになる。だからどう、ということはない。ただ、迂闊なだけなのだ。そして、それがジノ=レンドが宰相としてこの国の一切を取り仕切るにたる理由でもあった。王が迂闊であるからこそ、ジノがしっかりしなければならない。

 そういう気分が抱けるほどには、ジノはイストリアを敬愛し、ベレルを愛していた。

「密議、といえば密議になりますか」

 ジノは、否定しなかった。

 イストリアの深く落ち窪んだ目に鈍い光が宿る。

「……ガンディアに援軍を要請するべきといったのは、そなたであったな」

「はい」

「……確かに、そなたの言うとおりである。騎士団は腰抜けの集団と成り果て、精兵も弱兵と大差ない軍集団と変わり果てた。ベレルの軍事力では、国土の維持すら困難であり、ジベルを撃退するにはガンディアに頼る以外の選択肢はなかった。ラクシャが援軍を寄越してくれるか? 否。ラクシャならばジベルとの挟撃を狙ったであろう。彼の国は悪辣極まりない。では、ミオンはどうか。ミオンは南の国。彼の国の援軍が辿り着く頃には、ルーンベレルは火の海になっていたやも知れぬ。なるほど、そなたがガンディアを頼みとしたのはよくわかる」

 イストリアは、ゆっくりと、これまでの情勢を確認するようにいった。さすがはジノが尊敬に値すると定めた人物だった。明晰な頭脳は、いまだに健在だったのだ。

「そして、ガンディアの援軍は、見事にジベル軍を追い返してくれた。ハーレルを取り戻せなかったのは痛いが、仕方のないことだ。ガンディアの武力だけを頼みに、ふたつの都市を奪還するなどという虫のいい話があるはずもない。たとえミョルンが戻らずとも、ジベルとの休戦協定を結べただけでも御の字だったのだ。それだけで、十分だった。北の脅威がなくなるのだからな」

 ジベルからの脅威がなくなるだけでも十分だというイストリアの考えは、ベレルという国の在り方に大きく影響されている。はるか昔から、ベレルの国是は専守防衛だったのだ。国土の拡大などに国力を割くよりも、内政を充実さえ、国民を幸福にさせることに集中するべきだというのが、ベレルという国の在り方だった。

「ガンディアには感謝している。感謝してもしきれぬほどだ。ジベルとの間に休戦協定を結べただけでなく、ミョルンまで取り戻せたのだからな。これは、ガンディアという強大な軍事国家が力を貸してくれたからこその結果だ」

 イストリアが両手を膝の上に置いた。王冠と長い髪の下の双眸の輝きが増している。

「ジノよ。そなたはそのガンディアと共謀し、ベレルの転覆でも企んでおったか?」

「まさか」

 ジノは、あっさりと一蹴した。続ける。

「もっと、単純なことですよ」

「それはなんだ?」

「ベレルは、すぐにでもガンディアの庇護下に入るべきです」

 ジノが告げると、イストリアは愕然としたようだった。想定外の言葉だったに違いない。

「庇護下に入れ……? なにをいっている?」

「我が国の戦力だけでは、国土の維持すらできないということが先の戦いで証明されたばかり。ガンディアが援軍を寄越してくれなければ、わたくしも陛下も、このように悠々と言葉を交わしてもいられなかったでしょう。ルーンベレルが戦火に包まれていたのは必定。ベレルが滅び去っていたとしても不思議ではなかった」

「それは……わかっている。だが……!」

「ベレルが生きるためには、ほかに方法がありません。休戦協定を結んだジベルに頼りますか? それとも、ラクシャやミオンとでも同盟を結びますか? どれも現実的ではありませんな。ミオンくらいはこちらの言い分も聞いてくれましょうが、ラクシャやジベルが我が国と対等の間柄になってくれるとは、到底思えませぬ」

 ラクシャが悪辣だといっていたのはイストリア自身だ。そして、ベレルの領土を少しでも奪いたいジベルと同盟を結ぶなど、ありえないことだ。心情的にも、実情的にも、あってはならない。かといって、ミオンも無理だろう。ミオンはガンディアの同盟国であり、ガンディアの意見を無視して他国と協力関係を結ぶとは考えにくい。

「だが……しかし……」

「その上、ここルーンベレルは既にガンディア軍の最高戦力に入り込まれています。こうなっては、どうしようもありません」

 たとえば、ナーレスの提案を蹴ったとして、ベレルが生き残るには、ガンディア王立親衛隊《獅子の尾》、ログナー方面軍第四軍団を撃退しなければならないのだ。ジベルの軍勢さえも撃退できないような戦力では、武装召喚師部隊は愚か、黒き矛ひとりさえも倒せないのではないか。

「……最初から、こうなることを予期していたな?」

「いいえ。ですが、ベレルが生き延びるには、大樹の陰に寄るしかないということは、わかっておりました」

「大樹か……。朽ちぬといいがな」

 イストリアは皮肉げにいったが、ベレルがガンディアの庇護下に入らずに生き続けられる時間よりも、ガンディアは長生きするということは明白だった。

 少なくとも、今日明日に滅び去るということはない。

 ベレルは、ガンディアの庇護下に入らなければ、即座に滅び去る可能性があった。

 ベレルの喉元には、黒き矛が突きつけられている。

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