第五百三十七話 彼女の居場所(一)
「実はね、クオールと会ったのは、さっきが久々というわけじゃないのよ。少し前、そう……王宮晩餐会の最中に会っていたの」
ファリアがそう語りだしたのは、彼女の精神状態が落ち着いてからだった。取り乱したり、泣き崩れたりこそしなかったものの、アズマリアを取り逃してからのファリアが冷静さを失っていたのは明白だったのだ。話を聞くには、彼女が少しでも平静を取り戻してからでなくてはならなかった。
「晩餐会の最中? そんな暇あったっけ……」
「休憩中のことよ。みんなが控室にいったとき、わたしだけ離れたでしょ。あのとき、実はクオールをおびき出すために別行動を取っていたの」
「おびき出すって、どういうこと?」
「ずっと視線を感じていたのよ。不思議なね」
「それでおびき出したのが、クオールってやつだったわけね」
「そういうことよ」
ファリアはミリュウの言葉にうなずくと、大体のことを説明してくれた。クオールがファリアを追いかけていたのは、護山会議の決定を伝えるためだったこと。護山会議の決定とは、ファリアをアズマリア討伐任務から外すということであり、この命令に従わない場合、ファリアはリョハンでの立場を失うだろうということ。この決定を覆したいというのならば、リョハンに戻り、護山会議に上申するしかないということ。そうなれば、ファリアはガンディアでの立場を失うことになるということ。
リョハンは大陸の北央部にあり、ガンディアからは極めて遠い。行って戻ってくるだけでも半年以上はかかるといい、護山会議とのやり取りに費やす時間を考えると、一年程度で済むかどうかもわからないらしい。そもそも、リョハンに戻ったとして、護山会議にファリアの意見が通るかどうかも不透明であり、意見が通らないのならば、リョハンに戻る意義は薄い。
だが、ファリアには、護山会議の決定に従えない理由があった。それは、さっきの戦いでもはっきりとわかったことだし、セツナには以前から知らされていたことでもある。アズマリア=アルテマックスは彼女にとって父の敵だった。父メリクス=アスラリアを殺害したアズマリアを討ち果たすことこそ、ファリアの悲願であり、彼女はそのためにアズマリア討伐任務に志願し、遠くガンディアまでやってきたのだ。
それなのに、護山会議は、彼女を討伐任務から外した。そして、アズマリアとの戦闘さえも禁じたらしい。戦闘行動を取れば、それだけ護山会議は彼女を処断するというのだ。実に馬鹿馬鹿しい決定に、ミリュウは憤慨し、ルウファも呆れてものも言えないようだった。
セツナも同じ気持ちだった。
アズマリア討伐はリョハン及び《大陸召喚師協会》の念願である。武装召喚術の始祖であり、尊崇すべき対象だったアズマリア=アルテマックスが、突如としてリョハンを裏切ったのが十年前。リョハン全土を戦場に変えた悪魔の様な所業は、リョハンのみならず、《大陸召喚師協会》をも動かした。アズマリア討伐命令が発動されたのだ。
大陸を渡り歩く魔人を討伐するのは用意なことではない。まず、居場所を特定することなど不可能といってよかった。どこにでも現れ、どこからでも消える。それがアズマリア=アルテマックスであり、彼女の召喚武装ゲートオブヴァーミリオンの能力だった。
ならば、アズマリアと遭遇したものが討てばいいのではないか、と思うのだ。
任務を与えられたものだけしか戦うことが許されないというのは、みずから好機を逸するようなものではないのか。
セツナたちがそのことに言及すると、ファリアは悲しそうに笑った。
「違うのよ。護山会議は、わたしにお母様を殺させたくないの、きっと」
それから、ミリア=アスラリアとアズマリア=アルテマックスの関係について、彼女が触れた。
ミリア=アスラリアは、ファリアの実の母親である。ミリア自身は、リョハンの戦女神にして大召喚師ファリア=バルディッシュの娘であり、メリクス=アスラリアと結ばれ、生まれたのがファリアだという。黎明期の武装召喚師であるファリア=バルディッシュの薫陶を受けたミリアは、アズマリアの弟子であったメリクスともども、当時のリョハンを代表する武装召喚師だった。
ファリアは、そんなふたりの娘として生まれたことを誇りに想い、いつかふたりのような武装召喚師になることが夢だったという。
クオールがいっていたように、アスラリア教室と呼ばれる武装召喚術の私塾――のようなものだろう――がメリクスとミリアによって開かれ、ファリアはその教室で、両親に術の手解きを受けた。教室以外でも彼女に教えるものは多かったらしいが、それは彼女が生まれながら特別な立場にあったからだ。
ファリアは、祖母ファリア=バルディッシュと同じ名を与えられている。
それは、彼女がいつかファリア=バルディッシュの役割を背負うことになる宿命そのものであり、しかもリョハンの住人の総意に近いものらしかった。
リョハンは、大召喚師ファリア=バルディッシュという精神的支柱があればこそ、ヴァシュタリアの中で独立自尊を謳っていられる。
ヴァシュタリア。唯一の神ヴァシュタラを崇める宗教であり、その教義を中心とする生活共同体のことだ。ワーグラーン大陸北部一帯を治めており、神聖ディール王国、ザイオン帝国とともに三大勢力の一角をなしている。リョハンは、ヴァシュタリアの勢力圏内にぽつりと浮かぶ孤島のようなものだった。
リョハンが自治権を獲得できたのは、ファリア=バルディッシュを中心とする武装召喚師たちが血を流した結果であり、その戦いにおいて戦女神の名をほしいままにしたファリア=バルディッシュが、以降のリョハンの精神的支柱となったのは、当然の道理だったのかもしれない。
つまりリョハンの人間にとって、ファリアという名は特別であり、ファリアは次代のファリアとなるべく決定づけられていたのだ。
そんな彼女に親殺しの業を背負わせたくないというのならば、最初から任務を与えなければよかったのではないか、というのは愚問だろう。
メリクスはアズマリアに殺され、ミリアはアズマリアの依代にされてしまった。
アスラリア家の不幸を払うには、彼女自身の手で決着を付けさせるべきだという判断が働いたのが、最初なのだ。おそらく、だが。
それが覆ったのが今回であり、ファリアは、リョハンの決定に対してどうすればいいのか迷っていたために、今日まで上の空だったのだろう。
「結局、アズマリアってなんなのよ。ファリアのお母様を自分の体にするとか、お母様が現れるとか、わけがわからないわ。ついでにいうと、あたしのことをリヴァイアとかいうしさ」
今度会ったら取っちめてやる、などと息巻くミリュウを横目に見やりながら、ファリアが大きく息を吐いた。
「アズマリアが一体どういう存在なのかは、わたしにもわからないわ。だって、知らないもの。知らないものを知った風に解説することも説明することもできない。ただひとついえることがあるとすれば、確かにアズマリアはお母様の体を自分のものにしたのよ」
真紅の髪に金色の目、透き通るような白い肌といった魔人の肢体が、一瞬にして別人のものに変化するさまを思い出す。そのとき現れた女性の青みがかった髪とエメラルドグリーンの瞳は、ファリアによく似ていた。
「あのとき、わたしは見たの。間違いなくね。アズマリアの体から光が溢れて、気が付いたら、アズマリアの立っていた場所には見知らぬ女が崩れていたわ。そうしたら、わたしを庇っていたはずのお母様がアズマリアになっていた」
「なっていた……?」
「わからないわよね? わたしだって、なにが起こったのかわからなかったもの。アズマリアがいっていたわ。この肉体はいままでで一番いいものだって。武装召喚師として鍛え上げられた肉体だもの、当然よね」
ファリアが皮肉っぽくいったのは、どういう理由があったからなのだろう。セツナの想像力では、計り知れないものがあった。
「それから、お祖母様に教えられたのよ。アズマリアは、他人の体を、他人の命を乗り継ぐことで、数百年に渡るときを歩んできた……って」
「数百年……」
「一体何者なのよ……」
セツナがミリュウとともに絶句すると、ファリアは、悲しそうにいってきた。
「わたしにもわからない。わからないのよ」
アズマリアは自分のことを人間といっていたが、他人の体を乗り継ぐことで長きときを生き抜いてきたそれを人間と呼ぶことなど、できるはずもない。しかも、乗っ取った肉体の外見を自在に変容させることができるのだ。人間技とは思えない。
セツナの中のアズマリアへの漠然とした不信感が、強固なものへと変わった瞬間だった。