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第五百三十五話 湯煙る郷に在りて(十一)

「そもそも、だ」

 アズマリアの勝ち誇ったような声が聞こえてきたのは、大気を切り裂くような金属音が響いた直後だった。

 ファリアは、知らぬ内に閉じていた瞼を恐る恐る開けて、ほっとした。それから思いがけず安堵した自分に気づき、愕然とする。無事だったのはアズマリア=アルテマックスなのだ。父の仇であり、母の魂を束縛する存在。滅ぼすべき敵の無事な姿に安堵するのは、心の奥底では、彼女を殺したくないからだ。

 その事実を認識したとき、ファリアはその場から動くこともできなくなった。

「なぜ……」

 クオールが睨んだのは、黒き矛を構えたセツナだ。セツナが、クオールの強襲を防いだのだ。アズマリアに殺到する彼と、無数の羽弾の尽くを叩き落とし、アズマリアに傷ひとつ付けさせなかった。しかし、黒き矛の柄頭で地面に叩きつけられたクオールに目立った外傷はない。セツナは手を抜いているのだ。クオールを殺すべき対象とは断定していない。

「黒き矛がいる限り、わたしを殺すことなど不可能なのだよ」

 セツナに護られながら、アズマリアが勝ち誇るのもわからなくはなかった。黒き矛のセツナが護ってくれているのだ。《白き盾》のクオンとは違って無敵の防御力を得ることはできないが、最強の攻撃力を得ることはできる。防御ではなく、攻撃という手段で護ってくれる。これ以上頼もしいものはあるまい。

「なぜ邪魔をしたんだ?」

 クオールが、痛みに顔を歪めながら態勢を整える。翼を展開し、黒い羽を撒き散らした。羽はわずかに光を帯び、召喚主の命令を待っている。レイブンズフェザーの羽は、弾丸となるのだ。その点でもシルフィードフェザーとよく似ている。

 セツナは、クオールを睨むのではなく、ただ見つめ返していた。黒き矛の切っ先を天に向けているのは、敵意はないということを示しているのかもしれない。

「アズマリアがいっていたじゃないか。アズマリアを殺しても、ファリアの母さんが死ぬだけなんだろ? よくわかんないけど、そういうことなんだろ? まったく理解できないけどさ!」

「そうだよ、その通りだ。愛しいセツナ。おまえの判断はなにも間違っていない」

「一々癇に障る言い方してさ! 俺はあんたのものじゃねえっての。俺は俺の意志で、ファリアの母さんを護っただけだ!」

(セツナ……!)

 セツナの叫び声のひとつひとつがファリアの胸に刺さる。叫び返したかった。彼の名を呼びたかった。けれど、声が出ないのだ。口が動かない。体が、呪いでもかけられたかのように動かなかった。

 セツナが止めてくれたから、セツナがそこまで考えて行動してくれたから、ミリアの肉体は死なずに済んだのだ。ミリアはまだ生きている。アズマリアの依代となったいまも、確実に生きているのだ。その生命を終わらせることなど、ファリアにはできない。

(いま、わかった……)

 ファリアは、滲む視界をどうすることもできないまま、確信を得た。自分では、ミリアを、母を殺すことなどできない。できるわけがなかった。十年前と変わらぬ姿で目の前に現れた、優しくも厳しいミリアを手に掛けることなど、不可能なのだ。たとえアズマリアの姿をしていたとしても、だ。その肉体はミリアのものであり、ミリアの魂が宿っている。

 その事実を再確認したことで、殺意の刃は折れてしまった。

 そして、クオールによるアズマリアへの攻撃が失敗したことを心の底で喜んでしまっていた。リョハンの敵、《協会》の敵、そして、父の仇である魔人の無事を喜ぶなど、あってはならないことだ。そんなことはわかっている。しかし、それは同時に母の無事でもあるのだ。母の無事を喜ばない娘がいるだろうか。あれだけ愛していた母親の生存を望まない娘がいるだろうか。

「おまえにとってはそれが肝要だろう。そして、それでいいのだ」

「本当になんなんだよ! あんたは! 散々ひとの気持ちを踏み躙っておいてさ!」

「何度もいったはずだ。わたしの目的はこの世界を救うことだ。そのために武装召喚術を発明し、人間に授けた。《協会》を作らせ、術を広めさせたのも、そのためだ。武装召喚師の増大は、この世の理不尽に対抗する数少ない手段となり得る」

「だったら、ファリアの父さんを殺す必要なんてなかっただろ」

 セツナは、クオールの動向に細心の注意を払いながら、アズマリアを睨んでいる。クオールは、まだ、アズマリアへの攻撃を諦めていないようだった。彼にしてみれば千載一遇の好機なのだ。いまを逃せば、つぎにいつアズマリアと巡り会えるのかわかったものではない。それに、いまここでアズマリアを討つことができれば、ファリアの背信行為を報告する義務さえなくなると考えているかもしれない。

 すべてが丸く収まるとは、そういうことだろう。

「その通りさ。実際、彼が約束通りわたしの肉体になってくれていれば、ああいう結果にはならなかっただろう」

「約束……」

「そう、約束だ。わたしと彼のな。だが、彼は約束を破り、わたしの肉体になることを拒んだ。わたしは彼の肉体を奪おうとした。それが、十年前、リョハンで起きた戦いの発端だよ。まさかリョハン全域を巻き込むことになるとは思ってもいなかったがな」

 ファリアは、アズマリアの言葉に含まれる嘘に気づいていた。いや、それは嘘とは違うのかもしれない。本当のことを言っていない、というべきか。あれだけの皇魔を解き放っておきながら、リョハン全域が戦場になることを考慮していないなど、有り得る話ではない。

 しかし、一方で、彼女の知らない真実も混じっている。アズマリアとメリクスの約束など、聞いたこともなかった。メリクスがアズマリアのゲートオブヴァーミリオンによって召喚された存在だという話は、子供の頃から聞いて知っていたものの、父がアズマリアとそのような約束をしていたという話はしらなかったし、知っていたとしても、信じなかったかもしれない。

「……そりゃ拒むだろうさ。あんたの肉体になんてだれがなりたがるもんか」

「人間とは、得てしてそういうものだということを知ったよ。が、中には進んでわたしの肉体になるものもいる。ミリア=アスラリアがそれだ」

「ファリアの母さんが? 嘘だろ」

 セツナがファリアの心情を代弁してくれていた。そして、ミリュウの優しい手が、ファリアの心を慰めてくれている。

「娘を肉体にするといったら、代わりにと差し出してくれたよ」

「はっ」

 セツナが吐き捨てたのは、どういった感情だったのか。彼が天に向けていた黒き矛の穂先をアズマリアに突きつけたことで、わかる。

「やっぱり、あんたは悪人だな」

「善と悪で割り切れるほど単純な世の中ならば、そうだろうな」

 アズマリアの表情に変化が現れないのは、セツナへのある種の信頼があるからだろう。セツナが突如としてアズマリアに斬りかかるようなことはあるまい。それはファリアにだってわかる。セツナは甘く、迂闊なのだ。

 ファリアは、ミリュウの手に触れると、彼女の驚く顔を尻目にゆっくりと立ち上がった。ようやく硬直が解けてきたのだ。

「だいじょうぶ?」

「ええ、ありがとう」

 感謝を述べると、彼女は照れくさそうに顔を背けた。その様子を眺めていることはできないと、ファリアは勇気を振り絞ってアズマリアに対峙する。美貌の魔人は、悠然とした態度で、ゲートオブヴァーミリオンを振り返っていた。問う。

「わたしの代わりに?」

「ああ、そうだよ。おまえをわたしのつぎの肉体にするといったから、ミリアはわたしに体を差し出したのさ。もっとも、当時のおまえは、わたしの器になどなれるはずもなかったが……ミリアはわたしの言動を鵜呑みにしてくれたのだろう」

 アズマリアはそういってきたが、思慮深いミリアが魔人の言葉を簡単に信用するだろうか。たとえ目の前でメリクスが殺され、動揺していたとしても、だ。アズマリアの言葉を額面通りに受け取るほど、取り乱していたとでもいうのだろうか。

 あの場を収めるにはほかに方法がなかったからではないのか。

 地獄のような戦場を収束させるには、アズマリアを納得させる以外にはなかったのではないか。

 そのとき、ファリアの脳裏にはミリアに迫るアズマリアの姿が浮かんだ。燃え盛るリョハンの町並み。人間と皇魔の死体の山。泣き叫ぶ子供たち。そして、ファリア=バルディッシュの勇姿。

「メリクスほどではないにせよ、優れた武装召喚師の肉体を得ることができたのは、おまえのおかげだ。感謝しているよ」

「っ……!」

 ファリアは咄嗟にオーロラストームを拾い上げて構えたが、射線を合わせるので精一杯だった。濡れたオーロラストームに発電させるのは正気の沙汰ではなかったし、なにより、アズマリアの肉体を滅ぼすことなどできるわけがない。

「無理だといっただろう。ファリア、あなたはわたしを殺せない。だって、あなたはわたしを愛しているもの。わたしがあなたを愛しているように」

 アズマリアの姿がミリア=アスラリアに変容する。まるで最初からミリアの姿であったかのような容易さで変身してしまうのだから、たまったものではなかった。敵意も雲散霧消してしまう。ファリアは、ミリアの前では無力だった。訓練とは違うのだ。

 訓練ならば、いくらでも本気でかかっていけたというのに。

「ファリアも、クオールも、もう諦めなさい。あなたたちでは無理なのよ。できないことをしようとするものではないわ。無理をして、意地を張っても、残るのは虚しさだけよ」

 子供を窘めるような口調は、ミリアらしい優しさと厳しさに満ちていた。子供の頃の空気を思い出して、ファリアは涙ぐんだ。

「諦める……? そんなこと、できるわけがないでしょ!」

「あなたにわたしが殺せるの? クオール」

「くっ……」

「優しい思い出があなたたちを縛っているもの。殺せるはずがない。リョハンも、わたしを殺したいのならわたしと無関係の人間を差し向けるべきなのよ。でも、リョハンにわたしと無関係の人間なんて残っているのかしらね」

 ミリアはこちらに背を向けると、悠然とした足取りで、ゲートオブヴァーミリオンの向こう側へと進んでいった。だれも止めることなどできなかった。唯一、クオールが飛びかかろうとしたが、セツナの一瞥が彼の行動を制した。

 ゲートオブヴァーミリオンが閉じる寸前、ミリアの目がファリアを見た気がした。


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