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第五百二十六話 湯煙る郷に在りて(二)


「えーと……なになに。領伯御一行様、エンジュールへようこそ?」

 ルウファが城壁に掲げられた横断幕を読み上げたのは、エンジュールの正門に辿り着いてからだった。

 エンジュールは、ログナー北東の都市バッハリアの南部の山間にある小さな街だ。遠方から見えれば自然と調和の取れていた景観も、近づけば街を囲う無骨な城壁で台無しにされてしまうのだからもったいないと思うのだが、しかし、皇魔の襲撃から逃れるには堅牢な壁で街を護るしかないというのがこの時代の共通認識だった。

 どんな小さな街であっても、壁に囲われているという。皇魔という異世界から召喚された化け物がいなかったとしても、多くの都市は城壁で覆われていたに違いないのだが。

「領伯御一行様ねえ」

「歓迎してくれるのかい?」

「どうでしょうね。まあ、無体に扱われることはないでしょうけど」

 そんなことを言い合っている内にセツナたちを乗せた馬車が正門前で停車した。正門前には武装した衛兵たちがいたのだ。衛兵は御者に確認を取ると、街の中に進むように促した。問題はなにも起きなかった。それは、王都を発してからエンジュールに到着するまでの旅路の総評でもあった。セツナたちは、極めて安全な経路を辿り、ここまできている。道を急ぐ必要は皆無だった。むしろ、ゆっくりする必要のほうがあったのだ。休まなくてはならない。それが王命なのだから。

 正門をくぐり抜けた先には、エンジュールの住民らしき人々が人集りを作っていた。城門と同じような横断幕を掲げるものもいれば、馬車の中を覗こうとするものもいた。しかし、馬車の進路を塞ぐようなものはひとりも現れなかったし、セツナたちに害をなそうとするものもいなかった。そんなことをすれば返り討ちに遭うことくらいわかっているのかもしれないし、そもそも、敵意を抱くものが少ないのかもしれない。

「領伯様ーっ!」

「せつなさまー!」

 セツナは、幌馬車の後ろを追いかける子供たちの無邪気な様子に笑みさえ浮かべた。子供たちにはよくわからないことかもしれないが、大人たちが騒いでいるということは理解しているに違いない。が、彼らには大人の騒ぎなどどうだっていいのだ。自分たちが騒げるかどうか、それが子供にとっての至上命題なのだ。

「子供には人気があるのね」

「には、ってなんだよ、にはって」

 セツナがミリュウの感想に憮然とすると、ルウファが口を開いた。

「そうですよ。子供と年上の女性には、でしょ」

「は?」

 セツナはルウファを睨んだが、ルウファの隣の軍医が大きく反応した。

「なるほど、隊長殿は年上殺しなのかい」

「一目瞭然でしょ?」

「あー……理解したよ。わたしも注意しないとね」

「注意したところで、どうにもなるもんじゃないででででっ」

「副長殿、言葉には気をつけるべきではないかと」

「言葉だけじゃなく、手にも気をつけてほしいものだ」

 ルウファは、言い返したが、ミリュウに耳たぶをきつく引っ張られたせいで涙目になっていた。エミルがミリュウを睨むが、迫力がなさすぎて、ミリュウにはなんの効果もなかった。そもそも、この場合、ルウファが悪いのだ。

「年上殺しってなんだよ」

 ぼやくが、だれも取り合ってくれないのが、納得できなかった。

 隣を見ると、ファリアは、相変わらずぼんやりと考え事をしている。疲れが出ているのかもしれない。戦争が終わってからもほとんど休みがなかったのがファリアたちだ。セツナほど気楽にいられる立場の人間もいないのだ。

 セツナは、《獅子の尾》の隊長であったが、事務処理に関しては隊長補佐と副長に任せきっていた。提出された書類に判を押すことだけが隊長らしい仕事であり、それ以外ではセツナに出来る仕事など皆無と言ってよかった。もっとも、セツナに求められるのは戦果であり、そうである以上、事務作業などで煩わされないように副長以下が取り計らうのは、ある意味では当然だったのかもしれない。

 セツナは戦いに専念すればいい、というのは、レオンガンドの言葉でもあったが。

「疲れてる?」

「ん……ううん、そんなことはないわよ」

「そうは見えないけど」

「そう? 年中元気なのが取り柄なんだけど」

 ファリアはいって笑ったが、その笑みに力はなかった。

 まるで魂が抜けてしまったような、そんな気さえして、セツナは心苦しかった。ファリアの力になってやりたいと思うのだが、どうすればいいのかわからないまま、時間ばかりが過ぎていく。

 やがて、一行を乗せた馬車が辿り着いたのは、エンジュールの西側に聳える山の中腹だった。なだらかな山の中腹からはエンジュールの町並みが一望でき、草木の緑と水の青が調和する景色の美しさには、セツナも息を呑んだ。

 山麓の小さな村は、山の頂から流れ込む川と山林の緑によって彩られており、どこもかしこも自然があふれていた。自然との共存、あるいは調和を目指しているのか、無理に切り開かれたという感じはなく、自然発生的に居住区ができたのではないかという感すらあった。もっとも、人間の住居が自然発生的に出現するはずもなければ、ある程度の区画整理や道路の整備が行われている以上、ひとの手が大いに加えられているのは間違いなかった。

 セツナたちの目の前にある屋敷も、人間の手で作り上げられたものでありながら、自然の中に溶け込んでいるような印象を受けた。大きな屋敷だ。おそらく、エンジュールで一番大きな建物ではなかろうか。少なくとも、眼下の町並みの中には、比肩するだけの建物は見当たらなかった。

 屋敷は開放的な作りになっているらしく、敷地を囲う壁などはなく、そのためかエンジュールの住民が押し寄せていて、大変なことになっていた。セツナたちが馬車を降りた時、声があがったりもした。その中には、セツナたちに対する侮辱的な声もあったようだが、喧騒の中にかき消されるほど小さなものだった。

 ログナー解放同盟の運動も、エインたちの活躍もあって収束しつつあるのだ。エンジュールのような田舎にまで波及することはなさそうだ、というのが、エインたちの見通しだった。しかしながら、エインたちにはまだ仕事が残っており、こちらに合流できそうにはないらしい。エイン直筆の手紙がセツナに届けられたが、その文字からも悔しさがあふれていたものだ。

 もっとも、そんなエインがログナーを落ち着かせたからこそ、セツナたちは王都を出発することができたのであり、彼には感謝するしかないのだが。

「領伯様!」

 悲鳴にも似た呼びかけが自分に向けられたものであることに気づいたのは、数秒後のことだった。領伯を拝命してからというもの、領伯様と呼ばれ続けているのだが、どうも耳に馴染まない。領伯というものがあると知った事自体、最近のことなのだ。すぐに慣れるはずもなかった。

 ファリアたちとはいままでと変わらない態度で接していることも、領伯が馴染まない理由のひとつなのかもしれない。

 そんなことを考えながら声の主を探すと、恰幅のいい中年男性に目が止まった。軍服にも似た制服を着込んでいることから、ガンディア政府の関係者であることは疑いようがない。彼の背後には、同じような制服を身につけた大人たちが整列しており、中年男性がそれらの代表的な立ち位置にあることがわかった。

「遠路遥々、ようこそおいでくださいました!」

 中年男性は、セツナと目が合うなり、大声を上げた。声が震えている上、見た目にも気の弱そうな印象を受けるが、それはセツナたちに対峙しているからかもしれない。

 王立親衛隊《獅子の尾》は、ガンディア最強の戦闘部隊として知られているのだ。不手際があれば、どうなるものかわかったものではない、と考えられていたとしても、なんら不思議ではなかった。その上、セツナは領伯であり、このエンジュールは彼の領地だった。セツナには実感の沸かないことではあるし、だからどうということもないのだが、その事実はこの地の人々には重くのしかかっているのかもしれない。

「わ、わたくしは、エンジュールの司政官を拝命いたしました、ゴードン=フェネックでございます! 領伯様に置かれましては、どうぞお見知り置きを!」

 口早にまくし立ててきたのは、緊張していたからなのかもしれないし、彼の生来の気の弱さがそうさせたのかもしれない。とはいえ、悪印象にはならない。それよりも、セツナには気になることがあった。

「ゴードン=フェネック……?」

「確か、ナグラシアの翼将がそんな名前でしたね」

「ああ、ナグラシアの!」

 セツナは、ルウファの相槌のおかげで、合点がいった。いまとなってはザルワーン戦争開戦の地として知られるナグラシアの駐屯部隊が第三龍鱗軍であり、その第三龍鱗軍の指揮官が目の前にいる気の弱そうな中年男性だったのだ。

 もっとも、セツナは彼を直接見たわけではない。セツナたちは戦闘に集中した結果、彼の部隊を半壊に追い込み、彼にナグラシアの放棄を決断させたのだ。彼がナグラシアの放棄を決断しなければ、第三龍鱗軍は壊滅していただろう。

「は、ははは……その節はどうも……」

 ゴードンは、困り果てたような顔をした。どうしようもないほどのひとの良さがにじみ出た表情には、セツナも微笑を浮かべるしかなかった。

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