第五百二十四話 ログナーについて
「よお、調子はどうだい?」
ログナー方面軍第四軍団長ドルカ=フォームが声をかけてきたのは、エインたちが作戦本部としているマイラム宮殿の門をくぐり抜け、宮殿の中に向かおうとしていたときだった。軽薄そうな美丈夫が、いつものような気軽さで片手を上げて、存在を主張している。
「そこそこですよ。俺としては、もう少し手早く済ませたいところなんですけど、そうもいかず……」
エインは、ドルカに素直な感想を述べると、後ろを歩いていた部隊長たちに先を急ぐようにいった。三人の女性部隊長は、敬礼ののち、王宮に駆け足で向かう。ドルカと遭遇してしまった以上、話が長くなるのは覚悟しなければならない。が、それはエイン個人の話であり、部隊長たちには関係のないことだ。彼女たちには先行して作業にあたってもらうほうが効率的だろう。最良は、ドルカに遭遇しないことだったが、出会ってしまった以上、彼との会話を楽しむのも一興だとエインは考えた。
ドルカ=フォームはエインの嫌いな人間ではない。エインの好悪の判断のひとつは、セツナへの敵対心の有無なのだが、ドルカにはそれがなかった。少なくとも、ザルワーン戦争中、ドルカはセツナに対して敵意をぶつけたことはない。ログナー方面軍の軍団長に選ばれるほどの人物だ。セツナとの共闘や連携のことを考えれば、敵意の有無も選考理由のひとつになっているのかもしれなかった。
「解放同盟の殲滅、ね……まあ、仕方がないな。彼らは調子に乗りすぎた」
「セツナ様を暗殺できれば、ガンディア軍の弱体は必至。ログナーをガンディアから解放するには、一番の近道だとでも考えたのかもしれませんけどね」
「だが、そんなことを許せるエイン軍団長ではない、と」
ドルカは笑って、エインの横に並んで歩き始めた。宮殿から出てきたように思えるのだが、どうやらエインを探していただけのようだった。副官のニナ=セントールの姿が見えないのは、彼女には宮殿内を探せとでも命じたからかもしれない。
彼がログナー方面に戻ってくるという話は二日前に聞いており、彼がエインのいない間に宮殿にいたことには驚くことはなかった。エインたちは宮殿の外にいたことはいたのだが、マイラム市街にいたわけではない。マイラム近郊にあるというログナー解放同盟の根城に部隊を繰り出していたのだ。結局根城にはだれもおらず、空振りに終わったのだが。
意気消沈して帰ってきたところ、ドルカと再会したということだ。もちろん、ドルカは身一つでマイラムにきたわけではあるまい。彼と彼の副官、それに第四軍団の団員たちとともにザルワーン方面から戻ってきたのだ。つまり、ザルワーンの状態は極めて安定しているということだ。
「いっておきますけど、私情はありませんよ。陛下に命じられたから、やるだけのことです」
「わかっているよお、そんなことはさ。けど、領伯様を刺した連中を許すことはできまい?」
「当然です」
「ははっ、わかりやすくていいな、エイン殿は」
ドルカがからかうので、エインは頬を膨らませた。
「ドルカ軍団長だって、ニナさんが傷つけられたら怒り狂うでしょ?」
「……そりゃあそうさ。だれだって、大切なひとやものを傷つけられたら、黙ってはいられないだろ?」
ドルカは、ニナがこの場にいないからか、めずらしく真面目に告げてきた。エインは、ドルカのそういうところが嫌いになれない最大の要因なのではないか、と思わないではない。軽薄かつ軟派に振舞っているのは、自身の本質を隠すための演技であり演出なのだろう。
(恥ずかしがり屋なのかもしれない)
ふと、そんなことを思ったが、第三軍団の女性兵に声をかけるドルカを横目に見ると、そうでもないのかもしれないと考えを改めた。
「で、戦況はどうなんだ? ログナー解放同盟なんて流行りもしない組織に参加する人間なんてそう多いとは思えないんだが」
「鬱積した感情っていうのは爆発すると手に負えなくなるものなんですよ」
「ん?」
「セツナ様の暗殺未遂事件からこっち、解放同盟の行動が活発になったのは知っていますよね?」
「うん」
「ログナー人の中には、やはりガンディアによる支配を快く思っていなかったひとも少なくなかったらしくて、そういったひとたちが今回の事件を契機に解放同盟に参加したようです」
「へえ。ログナーの末期よりも余程ましな政治を行ってくれてると思うけどなあ」
俺も軍団長になれたし、と彼は付け足したが、本音に違いない。ログナーがあのままエリウスの国となっていたとしても、ドルカやエインが日の目を見ることはなかっただろう。エインは自分が軍団長などといった役職につけるとは思っていなかったし、なろうとも思っていなかった。人生、なにが起こるのかわからないものだ。
「俺もそう思いますけどね。だれもが俺達のように素直には受け取れないみたいで」
「なるほど。俺たちは素直なわけか」
「ひねくれすぎて素直になったのではないかと」
「違いない」
ドルカが皮肉交じりに笑った。ドルカにもエインにも当てはまることだ。ふたりとも、決して、純粋で素直な性格の人間ではない。
「で、解放同盟の根城を虱潰しに当たっているわけですけど、今日までに検挙した人数は三百人を超えています」
「戦闘はあったのかい?」
「ええ。小競り合い程度のものですけどね。とはいっても、相手は素人の集まりです。第三軍団の敵にはなりえませんよ」
「そういう油断が恐ろしいな」
「油断なんてするわけないでしょ。敵がただの一般人であっても、なにが起きるかわからないんですから」
エインは口を尖らせたが、別段、怒っているわけではなかった。ただ当然のことをいったまでだ。敵が一般人を装った元軍人や傭兵かもしれない。武装召喚師が混ざっているかもしれないし、敵国の兵士が紛れ込んでいる可能性だって少なくはない。ログナーでの反政府活動を拡大することで利を得るのは、解放同盟だけではない。ガンディアと敵対する国にとっても美味しいのだ。その可能性を否定出来ないから、エインが解放同盟の鎮圧、制圧に乗り出す必要が出たのだ。
以前までの解放同盟ならば、捨て置けばよかった。なんの力もなければ、大した活動も行っていない組織であり、ただの鬱憤晴らしの集まりとしか見られていなかったのだ。レノ=ギルバースが解放同盟との関わりを噂されても、彼の立場になんら悪影響をもたらさなかったのは、解放同盟がガンディアにとっては歯牙にもかけない存在だったからに他ならない。
しかし、いまは違う。領伯暗殺未遂事件で一躍脚光を浴びた反政府組織は、その活動範囲をログナー全域に広げようとしていた。その拡大を防ぐために、エインたちがログナーに差し向けられたのだが、経過は順調とは言いがたい。
レコンダールにあった最重要拠点を抑えたものの、解放同盟の指導者はおろか、幹部たちの影も見つからない有り様だ。網にかかるのは末端の人員ばかりであり、指導者や幹部の居場所を知っているものなどいるはずもない。
これではいつまでたっても、休暇に入ることができない。
エインのやる気が日に日に減退していくのは、そういう理由もあった。
「ザルワーンはどうなんです?」
「平和なもんさ。ガンディア方面軍もログナー方面軍も必要ないんじゃないかってくらいに。だから俺達の帰還が許されたわけだけど」
「ログナーよりもすんなりと平定されたんですね」
「ログナーはあれだろ。アーレス様が馬鹿げた行動を起こしただけさ」
「ザルワーンでなにを吹きこまれたのやら」
「なんでもかんでもザルワーンのせいか」
「でしょう?」
「そうかもな」
エインの言葉に、ドルカは小さく笑った。
アーレス=ログナー。キリル=ログナーの第二子であり、エリウスの弟である。彼は、ザルワーンに留学中に起きたアスタル=ラナディースの反乱に義憤を燃えたぎらせ、グレイ=バルゼルグの軍とともにレコンダールを制圧、マイラムのアスタル軍と対峙した。アスタル=ラナディースはザルワーンからの独立を目指していたこともあり、グレイ軍との戦闘は願ってもないことだったのだ。ザルワーン最強のグレイ軍を完膚なきまでに打ちのめせば、ザルワーンとて、ログナーへの態度を改めざるを得ない。
そういうこともあって、アスタル率いるログナー軍は、グレイ軍との戦闘に入ろうとしたとき、ガンディア軍の侵攻があったのだ。アスタル、エリウスが降伏したことで、ログナーはガンディアのものとなった。
アーレスは、それが許せなかったのだろう。
レコンダールに籠もり、ログナーとガンディアを糾弾した。ログナーを本当の姿に戻そうと呼びかけ、兵を募ったりもしたようだが、戦力と呼べるほどのものにはならなかった。果たして、レコンダールは落ち、アーレスは殺された。
そのアーレスを神格化しているのが、ログナー解放同盟である。彼らはアーレス・レウス=ログナーこそログナー王家の正統であると宣言し、アーレス・レウス=ログナーの遺志を継ぎ、行動を起こしたのだ、ともいっている。
そして、キリル=ログナーの死は、解放同盟の文句を過激化させた。
弟のみならず父までも殺したエリウスは、アスタルとともにログナーをガンディアに捧げた売国奴である、と。
エインがそのことをいうと、ドルカは声を潜めた。
「そういう面があったのは否定出来ないんじゃないか?」
敗北を認めるのが早すぎたのではないか。
ドルカは、暗にそう言っているのだろうが、エインには到底同意できる話ではなかった。
「わかってるさ。あのまま戦い続けるなんて、破滅願望でもない限り無理だったなんてことはさ。なにも将軍を責めているわけじゃない。ただ、そう勘ぐる連中がいたとしても、なんら不思議じゃあないってだけのことだ」
「それはわかってますけどね。なにもかもいまさらすぎます」
「うん。いまさらだな。なにもかも」
ドルカがため息を浮かべたのは、ふたりの生まれ育った国であるログナーを包む暗雲のせいなのだろう。
空は晴れているというのに、心が晴れる気配はなかった。