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第五十一話 王都発、敵国行――馬車の中で――

 ガンディアは、小さな国である。

 ワーグラーン大陸南部に肩を寄せ合うようにして密集する無数の小国家のひとつに過ぎない。南方の護りをミオン、ルシオン両国との同盟によって安定させてはいるものの、北部に隣接するログナー、ベレル、アザークの三国とは敵対関係にあった。特に小国家群の中でも抜きん出た国力を有するザルワーンと繋がるログナーの存在は、ガンディアにとって長い間頭痛の種であった。ミオンと隣接するベレル、ルシオンの隣国であるアザークはまだいい。しかしログナーは、ザルワーンの支援を受けてガンディアへの侵攻を繰り返してきたのだ。

 ガンディア国内の安定を図る上で、ログナー、そしてその背後に控えるザルワーンの脅威を取り除こうとするのは至極全うな考えだった。だが、だれしも思いつくことでありながらこれまで実現に向けて動き出せなったのは、長きに渡る指導者の不在という国家にとって致命的な問題があったからに他ならない。

 先王シウスクラウドが病に倒れたのは、約二十年前のことだ。英傑と謳われた偉大な王が、栄光に満ちた未来を失ったとき、ガンディアという小国から光という光が失われていった。当時、レオンガンドは幼い子供に過ぎず、シウスクラウドに代わって指揮を振るうなどできるはずもなければ、その幼い王子を擁して軍を率いるような器の持ち主もいなかったのだという。

 もちろん、有能な将軍もいるにはいた。しかし、英邁な王の意思の下に統率された組織は、その一個人の息吹が届かなくなったとき、機能不全に陥り、末端では壊死を起こしかけていた。そもそも、有能な将軍たちがガンディアを見離していったのだ。

 やがて幼かった王子は成長したものの、国の内外では〝うつけ〟という悪評が飛び交い、人心は彼の元から離れていった。

 国民が絶望するのも無理な話ではなかったのだ。

 しかし、先王の死後、王位を継いだレオンガンドは、バルサー要塞の奪還によって国内にその実力の片鱗を見せ付けることに成功し、ひとまずは人気の回復に成功したのだった。もっとも、未だに〝うつけ〟なのか、そうでないのか、判断を付けかねているものたちも多い。すべては、今後の結果次第なのだろう。

「さて、今後の予定だが」

 ラクサス=バルガザールが、セツナに向かって口を開いたのは、ふたりの長い旅路の最初だった。ガンディオンを出立してまだ半日も立っていない。いや、一時間立ったのかどうかすら不明である。

 王都ガンディオンから北へと伸びる街道を、ふたりは、馬車に乗って進んでいた。晴れやかな空の下、日差しは暖かだ。風は緩やかであり、空の青さと白日のあざやかさ、雲の白さが織り成すコントラストは目に痛いくらいだった。

 道幅の広い街道を行き来するのは、なにもふたりの乗る馬車だけではない。彼らと同様に王都から城塞都市に向かう人もいれば、マルダール、あるいはバルサー要塞からガンディオンに来る人々もいた。徒歩のものもいるし、馬を走らせるものもいる。乗合馬車で目的を目指すものもいるだろう。当然の話だ。

 ここは街道である。

「まずはマルダールへ行く。それは聞いているな?」

「そこで合流するんですよね?」

「そうだ。その相手なんだが、わたしにも見当がつかない」

 彼は、嘆息するように告げた。相手の少年が不安そうな表情になるのを意識するが、事実なのだから仕方がない。もちろん、合流相手の情報を何一つ寄越さない上の連中に対して不遜なことを考えないでもなかったが、言ったところでどうにかなるものでもない。あの場では口にできなかったことかもしれないし、説明する機会を失っただけかもしれない。

 ラクサスは、内心の徒労感を圧殺して、話を続けた。王都に帰ってきてからというもの、心配事ばかりが増えているような気がする。それも加速度的に。

「マルダールで合流した後、西へ向かう」

「西へ? ログナーに向かうんじゃ……?」

「それも考えたがな。こちらはたった三人だ。正面から潜入するよりは、別の方法を取るほうが安全だと判断した」

「別の方法?」

「アザーク」

「……それって、ガンディアの北西の国でしたっけ?」

「そうだ」

 ラクサスは、セツナがガンディア周辺の地理を多少なりとも理解できていることに満足した。王の命を受けてから出発するまでの数日の間に懸命に覚えたに違いない。彼は、この国は愚かこの世界の住人ですらなく、その上で地理は苦手だとのたまうほどだ。地図と睨み合うセツナの姿を思い浮かべて、ラクサスは、微笑を浮かべた。

 アザーク。ガンディアの隣国のひとつだ。ガンディアの西にある国であり、南はルシオン、北東部はログナーと隣接している。

「まずはアザークに向かう。アザークとは敵対関係にはあるが、我が国とは現在戦闘状態にはない。比較的安全だろう」

「じゃあ、アザークからログナーに?」

「ああ。口で言うほど簡単にはいかないだろうがな」

 彼は、そこで話を切った。アザークからログナーへ入る方法については、合流した後で十分だと思ったのだ。それに、彼の考え事を増やすのは良くないだろうとも想っていた。セツナの戦闘力については、一応信頼している。この目で見たわけではないにせよ、レオンガンドのお墨付きを頂いている上、実弟であるルウファからも絶賛されているほどなのだ。疑う理由はない。

 しかし、精神面ではどうだろう。やはり、彼は十七歳の少年に過ぎない。 戦いとは無縁だった異世界から、闘争に明け暮れるこのイルス=ヴァレに召喚されたというだけの、普通の少年なのだ。

(そうだ)

 ラクサスは、セツナとの初対面のときのことを思い出した。廃墟の如く破壊し尽くされた《市街》の一角で、彼はセツナと出会った。しかし、禍々しい黒き矛を手にした少年の姿からは、何百人もの敵を殺した戦士に対して抱くような印象はなく、むしろ天敵を恐れる小動物のようなイメージを受けたのだ。

 そんな少年を敵国の真っ只中に連れて行くというのは、あまりにも無謀なで無体な試みだと言わざるを得ないのだが、かといって主君に反論できるような立場にはない。ただ主命を受諾し、全身全霊を尽くすのが彼の役目であった。

 だからこそ、ラクサスは、セツナのことを気に掛けなければならないと想うのだ。未知の世界に飛び込んだばかりだというのに、敵国の内部に潜入するという困難な任務を命じられた哀れな少年。不安しかないだろう。実際、ラクサスの目の前の少年は、不安そうに視線を落としていた。

「どうしたんだ?」

「大丈夫かなあって」

「なにがだ?」

「あのふたり」

「ああ……あのふたりか……」

 そう言ってラクサスが頭を抱えたくなったのは、セツナの心配事が彼にも関係の無いことではなかったからだ。

 彼の脳裏を過ぎったのは、三日前の情景だった。

 彼の実家である通称・バルガザール邸の応接室には、王宮帰りのラクサスとセツナ、彼の弟であるルウファとファリア=ベルファリアの四人だけがいた。彼のもうひとりの弟、ロナンも話に加わりたがっていたが、ラクサスは許可しなかった。部外者を入れるわけにはいかなかったのもあるが、ロナンの口の軽さを恐れたのも事実だった。情報の流出は、自分の命を脅かすことに直結する。



「――理解したわ。セツナ自身が選んだ道よ。わたしが口を挟む余地はないし、それが最良の選択だったと想うわ。ガンディアは小国だけど、良い国だもの。それに、陛下なら君を悪いようにはしないでしょうね」

 セツナが話し終えたとき、ファリアは、優しげなまなざしでセツナを見つめていたのをラクサスは鮮明に思い出すことができた。彼女がセツナに対して時折見せる慈母のような表情が、極めて印象的だったのだ。

「ファリア……」

 彼女に対してセツナが感動している様子だったのは、彼の声が震えていることで気づかされた。ラクサスは、ソファに腰掛けたファリアの正面――つまりセツナの背後にいたのだ。

「君には君の、わたしにはわたしの道がある。君は君の想う通りに進んでゆけばいいのよ。ま、それにしたって、ログナーに潜入とはねえ……って、そんなこと、わたしに話しても良かったの? 部外者よ?」

 ファリアの悪戯っぽく微笑はもう少し見ていたくもあったが、ラクサスは、口を挟まなくてはならなかった。そろそろ彼女に説明しなければならない。

「いや、そうではありませんよ」

「はい?」

「あなたにも協力してもらわなければならないのです。ファリア=ベルファリア殿」

 ラクサスは、ファリアの惚けたような顔を見た。彼女ほどの人物が、こちらからなにがしかの要請があることを予想していなかったとは到底考えられないことなのだが、表情を見る限りでは普通に驚いていた。もしかすると、セツナのことで頭が一杯だったのだろうか。

 故に、ラクサスに返ってきた言葉も的外れだった。

「わたしもログナーに行け、っていうことかしら?」

「いえ、あなたにはルウファと行動をともにしてもらいたいのです」

「はあ?」

「ルウファには、セツナの代わりをしてもらうのでね」

 ラクサスの言葉に、彼のすぐ隣から驚愕と悲鳴の同居した叫び声が上がってきたのは、当然の結果だったのかもしれない。

「ええっ!?」

「ああ。言っていなかったな。そういえば」

「兄さん!?」

 彼は、ただ愕然とせざるを得ないのだろう。ルウファにとっては予期せぬ事態だったのだ。自分は部外者なのだと決め付けていたのかもしれないが、だとしても、どうして関係者以外立ち入り禁止のこの空間に存在することを許されたのかを考えるべきであっただろう。弟のロナンが入室を禁じられ、彼が許された理由を。

 ラクサスは、冷ややかに告げた。

「王の御命令だ。ルウファ。おまえにはしばらくの間、セツナ=カミヤとして振舞ってもらうことになった。黒き矛の武装召喚師の噂は、周辺諸国にも知れ渡っているのだ。それほどの人物の姿が、突如として人々の前から消えたらどうだ?」

「それは……間違いなく噂になりますね」

「そうだ。人の口に戸は立てられん。噂は、様々な憶測を呼ぶものだ。憶測など所詮憶測に過ぎないが、確信に迫る可能性もないとは限らない。例えば、セツナは極秘の任務に携わっているとか、ログナーに潜入しているとか、な。そんな話がログナーに知られてみろ。潜入中の我々が窮地に陥ること請け合いだ」

「それはわかりますけど……」

 そういいながらもルウファは、納得できない様子だった。不服な本心を隠すこともせずに聞いてくる。

「見た目は、どうするんです? 俺とセツナなんて似ても似つかないじゃないですか」

「髪は染めてもらう。背格好はそれほど変わらない……か?」

「いやいや、俺のほうが高いし」

「それなら、足を切ってもらうとして」

「無理ですよ!」

「陛下の命令でもか?」

「ぐ……!」

 それはさすがに暴論であったが、それでもルウファが食って掛かってこないのは、彼がガンディア王家に忠誠を誓った人間であるという自覚があるからなのだろう。王の命は絶対――幼い頃からそう教育されてきたというのも大きいのだろうが。

 ラクサスは、そんな弟にたいして表情が緩みかけたものの、彼の中の冷徹な意志が微笑さえも浮かばせなかった。

「冗談だ。背丈など正確に知られているはずもない。なにより、イメージが大事なのだ。セツナ=カミヤは黒髪の少年だ。その条件さえ満たしていればいい」

「だったら、俺じゃなくても……」

「おまえは武装召喚師だろう」

「うう……こんなことのために武装召喚師になったわけじゃないのに」

 それはそうだろう。しかし、ラクサスは、まなざしをさらに険しくして、悲嘆に暮れるルウファを見据えた。極めて冷厳に、問う。

「では、なんのためにこの家を飛び出した? バルガザールの家名に泥を塗ったおまえをなんの咎もなしに迎え入れた父上の判断は、やはり間違いだったのか?」

 ルウファがバルガザール家を飛び出した理由を、ラクサスは知らない。おおよその見当はついているものの、その事実を本人に聞き出したことはなかった。そもそも、ルウファとこれほどまでに言葉を交わしたのは、実に五年ぶりのことだったのだ。

 五年である。

 ルウファが、武装召喚師を志して家を飛び出し、そのまま消息を絶ってから、五年もの歳月が流れていた。その間、ラクサスは騎士して一人前になるべく、修練に修練を重ね、バルサー要塞の防衛戦に参加し、あるいは皇魔の巣を滅ぼすために国内を走り回っていたのだ。風の噂を聞くこともあった。ルウファが無事だという噂には安堵を覚えながらも、憤りを感じずにはいられなかったし、半年前、ルウファが王都に帰ってきたという報告は、彼は神へ感謝したものだった。そして、父であり将軍であるアルガザードが、ルウファに下した一年間の謹慎処分という判断には、異論を抱きつつも胸を撫で下ろしたものだ。

 家を出る前から武装召喚師としての訓練を始めていたとはいえ、わずか五年で、武装召喚師として人並み以上の腕前を身に付けたという事実は、ルウファなりの覚悟の大きさを物語っていた。並大抵の努力ではない。それこそ血の滲むような特訓の連続だったに違いない。

 だからこそ、ラクサスは、ルウファが目の前にいるという事実が嬉しくもあるのだ。彼は、王家に力を尽くすために武装召喚術を身に付けようとし、そして見事会得して帰還を果たしたのだ。それは驚くべきことだった。身勝手を叱責しながらも、彼の成果を賞賛せずにはいられない。が、手放しに喜ぶこともできない。そんな相反する感情のせめぎ合いの中で、ラクサスが表情を崩すことなど許されなかった。

 不意に、ルウファの瞳に光が灯った。強い、決意の輝き。

「……わかりました。やります。俺にやらせてください!」

 覚悟を決めたのだろう。ルウファの声音に込められた想いを察して、ラクサスは、表情をほんの少しだけ緩めた。だが、声音を穏やかにすることはかなわない。

「ルウファ。おまえは本来謹慎中の身ではあるが、今回は特例の処置により任務に参加することが認められている。これはおまえ以外に適任者が見つからなかったからというのが理由だが、おまえがみずからの意志で武装召喚術を修めてきたということに対する、陛下からのお答えでもあるのだ。そして、この任務を無事に成し遂げた暁には、おまえの謹慎も解かれる手筈になっている。心して、事に当たってくれ」

 ラクサスは、その言葉を口にしている間、ルウファの貴公子然とした顔に驚きが刻まれ、

次第に歓喜へと変化していく様を見つめていた。陛下の答え。それはつまり、ルウファの身勝手が認められたということに他ならない。彼の独断で成したことが、この国のためになると判断されたのだ。

 ルウファにとって、これほど驚いたことはなかったに違いない。

「はい……!」

 感極まった弟の姿に心動かされそうになりながらも、ラクサスは、眉ひとつ動かさなかった。

「で、わたしは?」

 困惑気味に尋ねてきたファリアに、ラクサスは、気を取り直すように咳をすると、彼女に向き直った。最初はファリアへの協力要請についての説明をするつもりだったのだが、つい話が逸れてしまっていた。本筋に戻さねばならない。

「さっき言った通り、ルウファにはセツナに変装してもらうわけですが、その間、ファリア殿はルウファの隣にいてほしいのです。セツナの隣には美しい武装召喚師がいる、という話も有名ですからね」

「ええ!? そうなの!? 知らなかったわ……」

「ファリア……?」

「美しい召喚師だなんて……!」

「なんか喜んでるし――」



 狂喜乱舞するファリアの姿になにやら呆れ果てたらしいセツナがため息をついたところで、ラクサスは、その長い回想を終えた。もっとも、現実の時間にしてものの一分も立っていないだろう。事実、窓の外の風景はほとんど変わっていなかった。

 一向に代わり映えのしない街道の景色は、ガンディアに訪れた一時の平穏を形にしているかのようであり、ガンディオンからマルダールへと伸びる長い道のりには、危険らしい危険がまるで見当たらなかった。無論、皇魔の姿は愚か、気配も感じられない。

(マルダールまでは、遠いな)

 ラクサスは、所在無げに外の景色を見遣るセツナのことを気にしながらも、城塞都市マルダールで待つという三人目の同行者について思い巡らせていた。ログナーでの諜報活動に役に立つ人間であれば、どのようなものでも構いはしないのだが、それでも考えざるを得ないものだ。そもそも、これから決死の任務を共にする間柄であるべきはずのラクサスたちにまで、同行者の詳細を明らかにしないのはどういう了見なのだろうか。何かしら問題があると見て間違いないのかもしれない。

(なんにせよ、考えるだけ無駄か……)

 ルウファのことを心配するのと同じことだ。

 いまの彼にはどうすることもできない事象なのだ。無駄なことに頭を捻る必要は無い。無駄なことはしないほうがいい――そんな風に考えながら、ラクサスは、瞼を閉じた。マルダールまではまだまだ距離がある。それならば、しばらく眠っていても構わないはずだ。ここ数日多忙を極めた。王都を出発するまでにいくつかの書類を提出しなければならず、また、ログナー潜入のための段取りも決めなければならかった。忙殺されたといっても過言ではない。少なくとも、ゆっくりと睡眠を取れるような時間はなかったのだ。

(たまには、な……)

 ラクサスが睡魔に身を委ねるまでに時間がかからなかったのは、疲労が蓄積していたからに違いなかった。

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