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第五百十五話 背負うもの(三)

「ところで、エレニア=ディフォンのことについてだが」

 レオンガンドがそう切り出してきたのは、話が一度終わってからのことだった。

 時間はそれほど立ってはいない。しかし、部屋の外に屯しているであろうファリアたちは、恐ろしいほど静かになっていた。マリアに怒られたのが効いたのかもしれないし、場所を移したのかもしれない。ベッドの上から動くこともできないセツナには判断のしようがなかった。

「エレニアがどうかしたんです?」

「彼女の処分について、君の意見を聞いておこうと思っていたんだ」

「彼女の処分……?」

「そうだ。エレニア=ディフォンが、セツナ・ラーズ=エンジュール暗殺未遂事件の実行犯として捕縛されたという話は聞いているな?」

「はい」

 うなずいたものの、聞いていなかったとしても彼女が捕縛されたことは想像できただろう。使用人がエレニア=ディフォンだということに気づいてから、刺されたのだ。セツナが生きているということは、彼女が捕縛されたか、殺されたかのどちらかしかない。あれほどまでにセツナを憎んでいたのだ。脇腹に短剣を一刺ししただけで満足してどこかへ走り去る、などということは考えられない。

「暗殺未遂事件だ。暗殺に失敗こそしたものの、君は瀕死の重傷を負い、三日三晩生死の狭間を彷徨っていた。それだけでも極刑に処すべき重罪だ」

「極刑……」

「本来ならば、の話だ。彼女は、戦争で恋人を失い、精神を消耗し尽くしていた。善悪の判断がつかなくなっていたところにログナー解放同盟が目をつけ、彼女を利用したのだろう……という言い分もつく。もっとも、そんなものでは世間は納得しないだろうが、ログナー解放同盟に標的を変えることはできるかもしれない」

 ログナー解放同盟という反政府組織の存在自体は、セツナも聞いたことがあった。《獅子の尾》内でも何度か話題になったことがあったはずだ。戦後のログナーの事情については、セツナとしても知っておく必要があったからだ。セツナは、戦争をガンディアの勝利に導いた人間であり、数多くのログナー人に不幸を撒き散らした張本人でもあるのだから。もちろん、知ったからといってなにができるわけでもない。戦争の結果、不幸になった人々にしてあげられることなどなかった。

(当時は……)

 いまならば、どうだろうか。

 領伯という最高級の位を得たいまならば、ログナーの人々に、ザルワーンの人々になにかをしてあげられるのかもしれない。少なくとも、領地であるエンジュールの住民にはなにかしらできることがあるかもしれない。具体的にはなにも思いつかないが、考えていく必要はあるだろう。

「ログナー解放同盟は、彼女を用いることで、ガンディア内部に壊滅的な被害をもたらすつもりだったのだ。君はガンディアにとってなくてはならない存在だからな。それにログナー戦争で活躍した君を殺せば、ログナー人の溜飲は下がる」

 レオンガンドは、静かに嘆息した。

「もっとも、だ。そのログナー解放同盟も、ガンディアの派閥争いに利用されていたようなのだがな」

「……太后派、ですか」

「ああ。太后派の首魁であるラインス=アンスリウスが、君を殺すためにログナー解放同盟、ログナー家、エレニア=ディフォンを巻き込んだ。ガンディアにとって損失となる行動を取らないからこそ、太后派だろうと反レオンガンド派だろうと放っておいたというのにだ。彼らはガンディアの最重要人物の命を奪うことで、政局を動かそうとした」

 レオンガンドの握った拳が震えているのがわかった。

「許し難いことだ。わたしはすぐにでもラインスを捕らえ、太后派を壊滅させたいと想っている。だが、現実はそううまくはいかないものだな。ラインスが暗殺未遂事件の黒幕だという確たる証拠がない。君の命を救ったオーギュストの証言だけでは、彼の身柄を拘束することはできないのだ」

 オーギュストという名前は、今朝、ミリュウたちの口から聞いて覚えていた。オーギュスト=サンシアン。ガンディア王家に仕える貴族の中でも特別な立ち位置にあるといい、家格においてはガンディア王家をも凌ぐほど高名な家柄にあるということまで説明してくれたのが、ファリアだ。そんな家の当主であるオーギュストが、ミリュウたちにセツナの危機を知らせたからこそ、セツナは間一髪助かったというのだ。

 もし一瞬でもオーギュストの警告が遅れていれば、セツナが死んでいたのは間違いないらしい。

 その話を聞いた時、セツナはただただぞっとした。オーギュストには感謝しなければならないし、シルフィードフェザーの力でエレニアを吹き飛ばしたルウファにも感謝しなければなるまい。彼がシルフィードフェザーを召喚していなければ、エレニアの二撃目がセツナの人生を終わらせていたのだから。

 さまざまな事象が複雑に絡み合って、セツナの命を現世に繋ぎ止めたのだ。幸運という一言では片付けられない。

「もちろん、ラインスが首謀者であろうと、エレニアが手を下した事実が変わらない。彼女の罪が減ることはないし、彼女は相応に処分されなくてはならない。そして多くの者は極刑を望んでいる。特に、彼女に罪を押し付け、事件を過去のものとしたい太后派はな」

「陛下は……どうしたいんですか?」

「太后派……ラインスの一党は、今回の事件で我々に痛撃を加えようとしていた。いくつもの保険をかけて、回りくどい手段を用いて、とにかくわたしレオンガンド・レイ=ガンディアの力を削ごうと躍起になっていた」

 レオンガンドの答えにならない言葉に戸惑いを覚えたものの、彼は耳を澄ませることにした。レオンガンドの声は、いまは落ち着きを取り戻している。

「彼らにとっての最良は、君を殺すことだったのは間違いない。君が死ねば、ガンディアは多大な損失を被ることになる。ガンディアの軍事力の大半を占めているのが、セツナ・ゼノン=カミヤだからな。君ひとり失うということは、ガンディアの今後の戦略を大幅に見なおす必要が出てくる。人員の配置も根本から変えることになるだろう。ガンディアは停滞せざるを得ず、領土拡大は諦めざるを得なくなるかもしれない」

「そんなに……?」

「セツナ。これが偽りならぬ君の評価だ」

 そういって、彼は微笑した。

 セツナは、自身への評価のあまりの高さに呆然とした。いや、評価が高いというのは、以前からわかっていたことだ。論功行賞でも明らかだったし、それ以前からも、そういう声は聞こえてきていた。しかし、ガンディアの戦略にまで影響するほどのものだとは、到底考えられなかったし、レオンガンドの口から語られたいまでも、信じられない思いでいっぱいだった。

「ラインスにしてみれば、君の死によってガンディアを停滞させ、そこからわたしとの決戦にでも持ち込むつもりだったのだろうが、その目論見は外れた。君が生きているのだからな。だが、ラインスの策謀は、それだけではなかった。暗殺事件をログナー解放同盟の手によるものとした上、ログナー家が関与しているという物語を作り上げた」

「物語?」

「そう、物語。ログナー家が国を奪われた恨みを晴らすために、暗殺事件を引き起こしたという陳腐な、しかしだれもが納得する物語。太后派の陰謀よりも余程説得力のある物語さ。実際、エレニアが王宮にはいれたのは、キリル=ログナーが口を利いたからだし、君が寝ている間に起きた二度目の暗殺未遂事件は、ログナー家の使用人が起こしている」

 そこまでの証拠が積み上げられれば、言い逃れなどできはしない。レオンガンドは、暗にそういっているのだろう。

 ログナー人の多くがセツナを憎悪の対象として見ているのは、知っている。ログナー戦争を終結させたのは、セツナの活躍とアスタル=ラナディースの決断によるところが大きい。そうなれば、ログナー国民に信望の厚いアスタル=ラナディースよりも、セツナに敵意の矛先が向かうのは、自然というものだろう。

 もっとも、ザルワーン戦争で部隊を同じくした軍人のほとんどは気のいい連中であり、エインのようなセツナの熱狂的な信者までいたのだが。

「ログナー家を貴族として王宮に置いたのは、わたし自身だ。ログナー家に問題が起きれば、わたしに責任問題が発生するのは当然のことだ。それは甘んじて受け入れよう。だが、暗殺未遂事件の首謀者がラインスであるとわかっている以上、彼らの思い通りにログナー家を処分するというのはな……」

「どうされたのです?」

「結局は、ログナー家自身で決着をつけてしまったんだよ」

「え?」

「エレニアの件の責任を取って、キリルが死んだのだ。ログナー家の当主エリウスの命によってな」

 レオンガンドが目を伏せたのは、キリル=ログナーへの想いがそうさせたのかもしれない。キリル=ログナーは数カ月前までログナーの国王だった人物だ。彼が王の座を息子に譲り渡したのは、アスタル=ラナディースの反乱が原因だが、

 ログナー家の問題は、その一件によって半ば有耶無耶になったらしい。キリル=ログナーが責任を負ったことで、ログナー家とレオンガンドを守ったという形になったということだ。

 直接関係のないログナー家も責任を取らざるを得なくなったのだ。エレニアに極刑を求める声が大きくなるのは、当然のことだろう。しかし、セツナ個人の感情としては、彼女を殺すことに意味があるとは思えなかった。そんなことをしたところで、なんの解決にもならないのではないか。彼女は、個人的な恨みを晴らそうとしただけのことだ。その強く烈しい想いを利用された。もちろん、良い悪いでいえば、悪いことだし、責任を問う声が大きくなるのは仕方のないことだ。

 それでも、とセツナが想ってしまうのは、きっと、ウェインの記憶を覗き見たことが強く印象に残っているからだ。

「……陛下は、どうお考えなのですか?」

「エレニアのことか?」

「はい。陛下は、エレニアをどうするべきだとお考えなのでしょうか。俺の意見を知りたいということですけど、俺の意見なんて聞いたところで……」

「それは違う。君は彼女に殺されかけた被害者だ。君の意見こそ、もっとも重要なんだ」

 レオンガンドに力説されて、セツナは考え込んだ。レオンガンドの意見を知れば、それに左右されるのは間違いない。レオンガンドはそうなることを察したのかもしれない。レオンガンドは、セツナの意見を聞きたいというのだ。本心を話すべきなのだろうが、だからこそ迷いもする。

「俺は……彼女に極刑を望みません」

「なぜだ? 彼女は君を殺そうとしたんだぞ。生かせば、また殺そうとするかもしれない」

 レオンガンドは問い返してきたものの、その表情に疑問符は刻まれていない。

「わかっています。そんなことは。でも、俺にはエレニアの死を望むことはできない」

 セツナは、目を伏せた。考えがまとまらないまま、言葉を続ける。

「俺は、戦場で数えきれないくらいの敵を殺してきました。陛下が望むのであれば、これからもそうするでしょう。それが俺の、黒き矛のセツナの役割なのですから、不満もありません。ですが、戦場以外では、ひとを殺したくはないんです」

「エレニアは明確な殺意を持った敵だ。それでも、君の考えは変わらないか」

「俺、多分馬鹿なんですよ。エレニアとウェインのことを知ってしまったから、どうしても憎めなくて。極刑に処すべきだという考えもわかります。国としては、そうするほうが正しいのかもしれない。でも、俺にはそういう判断はできない。陛下がそれを望むというのなら、話は別ですが」

「……つまり君は、わたしの命令ならば、エレニアを殺すことも厭わないということか?」

「はい」

 セツナが即答すると、レオンガンドは沈黙した。セツナはレオンガンドの不興を買ってしまったのかもしれないと思ったが、自分の気持ちを偽ることができないのも事実だった。レオンガンドの命令ならば殺すことも難しくはない。敵兵を殺すのと同じことだ。王の敵ならば容赦なく殺してきたのがセツナなのだ。同情の余地がある相手であっても、余程のことがなければ、殺し尽くしてきた。殺さなかったのは、戦意を喪失した相手くらいのものだ。

 エレニアがレオンガンドの敵というならば、セツナも相応の態度で望む。それだけのことだ。

 レオンガンドが口を開いたのは、それからしばらくしてのことだ。

「わかった。エレニアの処分については、これから会議で決めることになるだろうが、君の意見が尊重されるよう働きかけよう。エレニアが個人的な復讐心を利用されただけだという考えは、理解できないことではない。それになにより、君が生きているのだ。彼女の命を奪う必要はないさ」

「陛下……!」

 セツナが喜びとともにレオンガンドを仰ぐと、青年王は若干照れくさそうに微笑んでいた。

「なに、わたしも彼女を殺したくはなかったからな。意見が一致したまでのことだよ」

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