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第五百十二話 余波(二)

「エンジュール伯が意識を取り戻したそうだ。存外、ラインスも詰めが甘い」

「ラインス殿には運がなかったのでございましょう」

 相槌を打つような気軽さでいいながら、マルス=バールは、前方の影に潜む人物に皮肉な笑みを返した。影の向こう側で、相手がなにを考えているのかはわからない。表情が見えないのだ。表情も見ずに感情の流れを読むことは難しい。

 エンジュール伯――つまり、セツナ=カミヤが意識を取り戻したという報せは、彼に聞く前から知っていたことだ。王宮のみならず王都全体を騒がせた情報なのだ。マルス=バールが知らないわけもなかったし、相手も、それをわかった上で告げてきたに違いない。

 試した、ということでもあるまいが。

「運? 違うな。彼は所詮、アンスリウス家の跡取りに過ぎないということだ。家のこと、自分のことしか考えていない。貴公はどうか? マルス=バール殿」

「はて。わたくしは、ミオンのことしか考えていませんが」

「そうであろう。それで良いのだ。国のことを考えるのが、為政者の勤めだ」

 相手の反応に、マルス=バールはほっとした。答えを間違えて、相手の不興を買うことだけは避けなければならない。

 マルス=バールは、ミオンの宰相である。宰相であり、ミオンの国政の一切を取り仕切る立場にあった。現国王イシウス・レイ=ミオンは、政を行うには、知識不足、経験不足ということもあり、マルスに一切のことを任せていた。任せられるように仕向けた、といったほうが正しいのかもしれない。つまり、ミオンは、マルス=バールが治めているといっても過言ではなかった。それもこれも、イシウスの擁立にガンディアが協力してくれたおかげであり、そのとき、尽力してくれたのは、影の中の人物だった。

 彼と会うと、とてつもない緊張感と圧迫感を覚えるのだが、それはマルス=バール自身の弱さに起因するものだろう。彼自身は、マルスに対して威圧的な言動を取ったことはなく、むしろ穏便そのものだった。物腰の穏やかな、貴族とはこうあるべきという人物なのだ。

「わたしも、この国のことを考えている。この国の在り方、この国の行く末をな」

「陛下のやり方ではいけない、と?」

「何度もいっているが、彼のやり方ではいずれ破綻するさ。小国家群の統一だと? 笑わせる」

 レオンガンドが大陸小国家群の統一を言明したのは、ザルワーン戦争の末期だった。ミレルバス=ライバーンの問いにそう答えたというのだ。彼の野心が明らかになったことで、マルス=バールは、いよいよ気をつける必要が出てきたのだ。

 大陸小国家群を統一するということは、いずれ、ミオンも飲み込むつもりだということだ。

 そんな暴挙を許す道理がない。

「“うつけ”は“うつけ”なのだ。ぬるく、甘い。グレイシアを人質に取られて、太后派を一掃することさえできない。わたしならば、ラインスの一党など、力でねじ伏せるというのに」

 相手は、吐き捨てるようにいうと、席を立った。

「……さて、陛下に挨拶してから、街へ帰るとするよ」

「ラインス殿には飽きましたか」

「いや……彼には使いどころがある。が、まだその時期ではない。それだけのことだ」

「ふむ……」

「君も気をつけることだ。君がわたしと逢っていることを知ったら、ラインスも警戒しよう。彼はわたしを陛下の擁護者だと信じているのだからな」

 男は、笑いもせずにいった。そう信じているのはラインスだけではない。ガンディア中の、いや、ガンディア内外問わず、彼を知るほとんどの人間が、彼をレオンガンドの側の人間だと思っている。一昔前まで、マルスもそう思っていたのだ。そう思わざるをえない事情があった。

 彼は、レオンガンドのために存在したのだから。

「そういえば、ミオンには軍馬の需要はないかね?」

 不意に覗かせた商売人の顔が、彼の正体を掴みにくいものにしていた。



「また、尋問?」

 室内に入ってきた三人の相も変わらぬ様子に、エレニア=ディフォンは大袈裟に嘆息を浮かべてみせた。

「もう話すことなんてないわ」

「今日は尋問ではないの。どうしても、あなたに伝えたいことがあってね」

 三人の中で口を開くのは、決まって、ミース=サイレンという女だった。彼女が三人の中で一番偉いという風には見えないし、巧みな交渉術を持っているというわけでもなさそうであり、単純に、彼女が個人的に望んだことなのかもしれない。それを許されるだけの実力があるということでもあるのだろうが。

 監獄代わりの部屋は、エレニアひとりを閉じ込めておくには広すぎたが、大人が四人集まれば狭苦しく感じられた。もちろん、そんなことを考慮してくれる連中ではないのは、これまででわかりきっている。そして、ミース=サイレンのひととなりも、これまでの尋問の中でわかってきていた。

 それぞれの定位置に着く三人を見比べると、ミースを除くふたりの男は、仕事としてこの部屋に訪れていることがわかる。たったひとり、ミースだけが、与えられた任務をこなす以上の熱意をもっているようだった。

 ミースは、カランという小さな町の出身であり、カランを大火から救ったセツナを神のように崇めている節があったのだ。その信仰対象を殺そうとしたエレニアに対し、彼女が牙をむき出しにするのもわからなくはない。

「伝えたいこと? ああ、処刑の日取りが決まったのかしら」

 エレニアは、軽い口調でいった。ガンディアから彼女に通告があるとすれば、そのようなことだけではないか。

「残念ながら、そうじゃないわ」

「そう。本当に残念ね」

 彼女は、多少の絶望感の中でつぶやいた。殺害が失敗し、囚われの身となった以上、彼女が望めるのは速やかな死だ。だからこそ、持ちうる情報のすべてを話した。くだらない尋問などさっさと終わらせて、楽になりたかった。

 死ぬことだけが、彼女の希望だった。

「セツナ様が意識を取り戻されたそうよ」

 ミース=サイレンの口調は、興奮を隠し切れないといったものであり、その滑稽さは、エレニアにしかわからないのかもしれない。致命傷を与えたとはいえ、死ななかったのだ。いつかは目覚めるだろう。今日まで意識を失っていたという事実のほうが驚きだ。

 エレニアは、セツナを殺すためとはいえ、特別なことはなにもしていなかった。ただ用意された短剣で突き刺しただけのことだ。

「……そう」

「あなたにしてみれば悔しくて仕方がないでしょうね」

「……ええ、そうね。そうかもしれないわね」

 勝ち誇るミースの表情に対してもなんの感情も沸かなかったのは、もはやどうでもよくなっていたからかもしれない。

 セツナに刃を突き刺したときにわかったことだ。

 彼を殺したところで、現実はなにも変わらない。

 彼が死んでいようと、生きていようと、ウェインが彼女のもとに帰ってくることは二度とないのだ。すべてが虚しく見えるのは、その厳然たる事実を認識してしまったからかもしれない。全身を焼き焦がしていた憎悪も、心を染め上げていた殺意も、意識を硬直させていた復讐心も、いまとなっては無意味なものにしか思えなかった。

「で、それがどうかしたの?」

「っ!」

 エレニアが問うと、女は鼻白んだようだが、さすがに手を出してきたりはしなかった。

 尋問が始まってからわかったことだが、ガンディア人というのは、行儀がいいということだ。つまりは、法規違反を酷く恐れている。捕虜や囚人への暴力行為は、法規違反であり、明確な処罰対象であった。それが他人の目に届かない空間であっても、彼らの行動を抑制しているのだから、ガンディア人の法規への忠誠心の高さが窺える。

 そんなある意味どうでもいいことを考えながら、彼女はミース以外のふたりを見やった。ふたりの男は、ミースの態度には呆れているようだが、かといってエレニアに対して同情的というわけではない。彼らもまた純然たるガンディア人なのだ。ガンディアにとって重要人物であるセツナを殺そうとした人物にかける情けなど、持ちあわせてはいまい。

 それからしばらくして、三人は部屋を出ようとした。本当にセツナが目を覚ましたということだけを伝えに来たということがわかって、エレニアは笑いたくなった。ミースにしてみれば、エレニアへのちょっとした復讐だったのかもしれないが。

 エレニアは、ミースの背中に向かって問いかけた。

「つぎに来るのは、処刑の日取りが決まったときかしら?」

「でしょうね」

「そう。楽しみに待っているわ」

 扉が強く閉められるのを見届けて、エレニアは、浮かべていた笑みを消した。

 死のときが迫っている。

 そう考えると、思考が暗闇の中に沈んでいくのがわかった。なにも見えない無明の闇の中に、ただただ沈んでいくのだ。沈みきった先に彼が待ってくれている。そんな気がして、少しばかり心が軽くなった。

 死ぬことでしか、彼と再会することなどできないのだから。


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