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第五百十一話 余波(一)


「そうか!」

 レオンガンドが玉座に腰を下ろしたまま膝を打って喜んだのは、セツナが今度こそ目を覚ましたという報告が入ったからだ。

 謁見の間で、ミオンの突撃将軍ギルバート=ハーディと会見を行っている最中の出来事だったが、レオンガンドはギルバートの前であることを忘れたかのように大袈裟に喜んだ。これほど嬉しい事はなかったし、ギルバートとはこの感動を共有することができるだろうという思いもあった。ギルバートはザルワーン戦争を戦い抜いた仲間であり、戦友といってもいい。もちろん、立場は大きく違うし、ギルバートがセツナに対して思い入れがあるという話は聞いたこともなかったが。あの戦いを勝利に導いたのがセツナだということは、ギルバートにも否定はできまい。

「祝着至極でございますな」

「ああ、その通りだ、将軍!」

 レオンガンドの興奮ぶりには、堅物のギルバートも笑みをこぼさざるを得なかったようだった。

 レオンガンドは、セツナが意識を取り戻した喜びを抑え切れないまま、会見を続けた。すぐにでも王宮を飛び出して、セツナのいる《獅子の尾》隊舎に向かいたかったが、彼個人のことよりも政務を優先しなければならないのが王の務めである。王宮全体が震撼するほどの騒ぎになっているのを尻目に会見を続けなければならないのは、なんとも歯がゆいことではあったが。

 会見の内容は、ギルバートが配下とともにミオンに帰国することの挨拶が主であり、あとはミオンとガンディアの今後について多少言葉を交わした程度のものだった。

「では、我々はこれにて」

「式には、将軍にも参加して欲しいものだ」

 レオンガンドがいうと、ギルバートは微笑を浮かべた。式とは結婚式のことだ。レオンガンド・レイ=ガンディアとナージュ・ジール=レマニフラの結婚式であり、盛大なものになるのは間違いない。

 しかし、日取りはまだ決まってはおらず、ナージュもその侍女たちも、日程が決まらないことにはどうすることもできないと不満を漏らしていた。それも仕方のないことではある。

 レマニフラは大陸小国家群の中でも南方に位置する国であり、小国家群中央付近に位置するガンディアからはかなりの距離があった。連絡を取るだけでも一苦労であり、同盟締結および婚約成立の公文書の往復だけで一月近くかかっている。レマニフラとガンディアの間には幾つもの国があり、国境を通過するのも簡単な問題では無いのだ。

 正式に結婚するには、やはり、レマニフラの王であるイシュゲル・ジゼル=レマニフラの了承が必要であろう。婚約したからといって、勝手に式を挙げては、レマニフラの面目が丸つぶれになる。レオンガンドとしては、いますぐにでも結婚し、ナージュを妻として、妃として迎え入れたいのだが、政略結婚である以上、そう簡単にことが運ぶものではないのだ。

「ところで、宰相殿も一緒に帰国するのか?」

 レオンガンドが問いかけたのは、ギルバートがちょうどこちらに背を向けたときだった。

「ええ、その予定ですが」

「そうか。いや、呼び止めてすまない。たいしたことではないんだ」

 レオンガンドは、ギルバート=ハーディが怪訝な表情のまま謁見の間から退出するのを見届けると、眉間に皺を寄せた。

 マルス=バールが前触れもなく王都を訪れたのは、九日のことだ。ミオンの宰相マルス=バールは、ガンディアを救国の恩人と公言し、大のガンディア好きとして知られている。ミオンがガンディアとの同盟関係を強固にしているのは、宰相の掲げる政策方針によるところが大きい。ミオンという国は、マルス=バールが支配しているといってもよかった。が、そう仕向けたのはガンディアであり、意志薄弱な少年王よりも、野心を秘めながらも能力の高い人物が国を運営するほうがましだろうという判断から、マルス=バールを応援した。

 マルス=バールは、ガンディアの思惑通り、三国同盟の強化に力を注いだ。ガンディアの国土防衛のために軍を繰り出してくれたこともあれば、バルサー要塞奪還戦、ザルワーン戦争においては、援軍としてミオンの誇るギルバート=ハーディ将軍と騎兵隊を貸し出してくれもした。

 それは、いい。

 問題は、マルス=バールという男の得体の知れなさだ。

 レオンガンドと会えなかったからといってラインス=アンスリウスと会見を行ったかと思えば、ルシオンの王子夫妻とも会い、オーギュスト=サンシアンにも会っていたというのだ。彼が単純に同盟強化のために動いているのならば、なんの問題もない。

 しかし、マルス=バールと会った時、レオンガンドは、きな臭さを感じずにはいられなかった。

「マルス=バールには注意せよ」

 レオンガンドは、側近たちに厳命し、情報部の一部にも調査を命じた。情報部の内情がラインスに筒抜けである可能性が高い以上、信用できるごく一部の諜報員しか使えなかった。そのマルスは今日、グルバートとともにミオンに帰国するという。

 レオンガンドがマルスとの会見で決めたことといえば、ザルワーン戦争で戦力を提供してくれたミオンに同等の戦力を提供するということだったが、ミオンはいまのところ外征の予定はなく、領土防衛のために戦力を貸し出すことになった。

(最低でも三千……)

 レオンガンドの頭を悩ませるのは、その人数をどこから捻出するかということだ。

 ギルバート=ハーディ配下の騎兵隊三千名は、ザルワーン戦争において大いに役だった。ロンギ川の戦いでは敵本陣の背後から急襲したことで膠着状態を打開し、ガンディア軍の勝利に貢献。征竜野の戦いにおいても、その機動力を活かした戦いぶりで、勝利を呼び込んだ。

 三千人以上の価値が有ったのは、間違いない。

(状況次第だな)

 ガンディアの現在の総兵力は、不明である。

 ザルワーン戦争前は、一万を超えるかどうかだった。ザルワーン戦争後は、どうだろう。ザルワーン戦争では、ガンディア軍、ザルワーン軍ともに多大な出血を強いられている。特に一万八千もの大軍勢を誇ったザルワーン軍は、半数近くにまで落ち込んでいるのではないか。

 それでも、だ。

 三国を合わせた兵数は、一万五千をくだらないのは間違いない。

 その中から三千ならば、ミオンが三千もの兵数を貸し出したことを考えると、簡単な話のように思える。ミオンは、国の防衛が疎かになっても構わないとでもいわんばかりに、ガンディアに兵を提供している。

 王女が輿入れしたルシオンですら、千人程度の戦力を貸し出すのがやっとだ。そして、それが普通だろう。総戦力の半数以上を貸し出すなど、狂気の沙汰でしかないのだ。

 そう考えると、ミオンのガンディアへの熱の入れ方は半端ではなかったが。

「ゼフィル、バレット」

 レオンガンドは、ふたりの名を口にした瞬間、思考を切り替えた。気が逸っているのが自分でもわかる。この大袈裟な衣装を脱ぎ捨てて、すぐにでも飛び出したい衝動に駆られるが、そういうわけにもいかない。

「ここに」

「セツナに会う。準備をしろ」

「御意に」

 ふたりの側近は、レオンガンドの様子に顔を見合わせた後、首肯した。



「セツナ伯が目を覚ましたそうで」

 オーギュスト=サンシアンは、開口一番、相手の神経を逆撫でにするような言葉を吐いた。しかし、相手はこちらに背を向けたまま、微動だにしなかった。

「そのようだな」

 王宮の応接室。

 主に貴族の社交場として利用される部屋には、いま現在、太后派の貴族ばかりが集まっていた。ラインス=アンスリウスしかり、ゼイン=マルディーンしかり、ラファエル=クロウしかり。壁にかけられた絵画でも眺めているようなラインスを除く貴族たちは、オーギュストが何食わぬ顔で応接室に入ってきたことに驚きを隠せないようだったが、彼がおもむろにラインスの逆鱗に触れるようなことを口走ったために怒りを露わにした。

(まるでラインスそのものにでもなったつもりなのか)

 オーギュストは、彼ら太后派貴族がラインスと共同幻想を抱いているという幻想に囚われていることを憐れんだ。ラインスはおそらく、彼らのだれひとりとして信用してはいまい。だからこそ、暗殺計画の全容を明らかにしなかったのだ。それでも、計画は漏れ、破綻した。漏らしたのは、彼らではなく、オーギュスト自身であり、瀕死の重傷を負わせることには成功したのだが。

「目論見通りには参りませぬな」

 オーギュストは、椅子には座らず、閉じた扉にもたれるようにした。太后派貴族たちの視線は鋭く、刺すようだったが、彼は涼しい顔で受け流す。慣れたものだ。事件後、レオンガンド派貴族、軍人の集まりに顔を出したときは、もっと酷かった。レオンガンドを含め、だれひとりとして、彼を信用していなかったのだ。それはそうだろう。レオンガンド派の人間にしてみれば、敵対勢力の主要人物のひとりだったのだ。変節を即座に信じられるほうがどうかしている。

「……貴公は、いったいなにを考えている?」

「はて?」

 ラファエル=クロウの問いに、オーギュストはわざとらしく首を傾げた。

「貴公は、ガンディアのためと我々に擦り寄ってきたのではないか」

「擦り寄る、というのは言いすぎでしょう。しかし、ガンディアのため、というのは本心ではありますよ。ガンディアの将来のためには、あなた方と行動をともにするほうが最善だと考えたのは、紛れも無い事実。否定はしません」

「ではなぜ、我々を裏切り、レオンガンドについた?」

「現状を鑑みれば、ラインス殿を支持するよりも、陛下とともに道を歩むほうがガンディアのためになると考えるのは、当然の帰結でございましょう」

「貴様!」

「サンシアン家は、ガンディア王家に拾われた家。ガンディアのために命を捧げるのが我が血のさだめと心得、今日まで生きてまいりました。かつて反レオンガンドを掲げたのも、それがガンディアのためだと信じたからです」

 オーギュストは言い切ると、ゼイン=マルディールの血走った目を一瞥した。太后派の貴族たちが余裕を失ったのは、ラインスによるセツナ暗殺計画が失敗しただけでなく、ログナー家への責任追及に伴うレオンガンドの求心力低下という目論見が、ほとんど完全に失敗に終わったからだろう。それもこれも、オーギュストのせいだと思っているのだから困りものだが、半分は当たっているだろう。オーギュストが《獅子の尾》隊に報せなければ、セツナは助からなかったのだ。そして、セツナが死んでいればどうなったのか、想像するだけでも恐ろしい。

 セツナが重体に陥っただけで怒り狂ったのがレオンガンドという男だ。彼の怒りは、即座にログナー家へと向かったか、あるいはオーギュストの証言によって、ラインスに向けられただろう。ラインスは、レオンガンドが激情家だということを知らないから、あのような暴挙に打って出ることができたに違いない。セツナを殺した首謀者がラインスであることが発覚したとしても、政治力学によって護られると高をくくっているのだ。それも間違いではない。レオンガンドが冷静さを保ち続けている限りは、ラインス=アンスリウスに手を出そうとはしないだろう。

 つまりは、そういう前提で成り立った計画だったのだ。最初から、詰めの甘さが浮き彫りになっていた。

 もっとも、オーギュスト自身がレオンガンドの本来の性格についてわずかでも知ることができたのは、ついこの間のことだ。それまでは、ラインスと同様に考えていたのだから、彼を馬鹿にすることはできない。

 レオンガンドは、本性を隠すことが上手いのだ。常に自分を演出している。“うつけ”を演じ続けた彼の半生を思えば、当然の技能なのだが、その演技力はオーギュストの比ではなかった。

 その、演出された“うつけ”に国の将来を委ねるのは危ういと判断したことが、大いなる間違いだった。

(間違いに気づけてよかった)

 彼は、心の底から、そう思っていた。危うく、ガンディアにとっての最重要人物を失うところだった。オーギュストが一瞬でも迷っていれば、彼は命を落としていたのだ。

「“うつけ”が“うつけ”ではなく、名君賢君になる可能性があるのならば、そちらに懸けるべきでございましょう。それがサンシアン家の使命であるのですから」

「つまり貴様は、太后派を抜けるということだな?」

 ゼイン=マルディーンの問いは、こちらの話の内容をまったく理解していないものであり、オーギュストはため息を付きたくなった。無論、ため息などをつけば、それこそ彼らの怒りを買うことになるのだが。

(もう買っているか)

 胸中で苦笑する。

 オーギュストがレオンガンドたちに太后派の内情を話したということくらい彼らも知っているに違いないのだ。それはつまり、太后派への挑発行為そのものであり、太后派の集う時間帯の応接室に訪れたことは、ダメ押しに近いものがあった。

 それでも、彼は悪びれない。

「太后派であれ、レオンガンド派であれ、ガンディアのために力を尽くすというのならば、協力するといっているのです。逆をいえば、ガンディアに害をなすというのならば、敵になるのみ」

「ならば、敵対する道理はあるまい。我々は、ガンディアのために行動しているのだからな」

 悠然と告げてきたのは、ラインスである。ラインスは、心に余裕があるとでもいいたげな態度だったが、実際のところはわからない。彼だって悔しいはずだ。

 目論見がすべて外れてしまったのだから。

「セツナ様を殺そうとしたものの吐く台詞ではありませんよ」

「わたしはログナー解放同盟の人間ではないよ」

 飽くまでしらを切るラインスだったが、場所を考えれば当然だった。ここは王宮の中だ。どこにレオンガンド派の耳があるのかわかったものではない。オーギュストは構わず言葉を続けた。

「ログナー家に責任を押し付けることができなかったのは、無念の極みですね」

「貴様!」

「そういきり立つものではあるまい。オーギュストは我々をからかって楽しんでいるのだ」

 ラインスの悠々たる態度は、貴族たちの精神安定には一役買ったようだった。ラインスがこれほどまでに余裕を見せているということは、レオンガンド派に一泡吹かせる策があるのだろうという期待を抱かせるに違いない。

「からかっているつもりは微塵もありませんが」

 オーギュストは告げて、貴族たちの顔を見回した。ラインスの数十人の取り巻きたちは、オーギュストに対しての敵意を隠すどころか、より強くしたようだった。


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