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第五百八話 父殺し


「本当に。本当にログナー解放同盟との関わりはないのですね?」

 エリウスが念を推したのは、確認を取っておきたかったからに過ぎない。

 十月九日。暗殺未遂事件の翌日。エレニア=ディフォンによる犯行だということが明るみになるとともに、彼女の証言によってログナー解放同盟およびログナー家の関与が疑われはじめた頃合い。

「ああ、本当だ。それは間違いない。わたしは一度だって解放同盟とやらに力を貸した覚えはない。そもそも、解放同盟の人間とも会ったことがないのだ。会う道理もない。わたしはいまやガンディアの人間なのだからな」

 キリル=ログナーは、エリウスからわずかでも目を逸らすことはなかった。自分の発言に自信があり、確証があるのだろう。その力強い響きにエリウスは安堵した。キリルが今回の事件に関わっていないという確信が得られただけで十分だった。関わっていないのならば、いくらでも挽回のしようがあるのではないか。

「しかし、世間はそうは想うまい。ログナー家の人間がガンディア王家に敵意を抱いていないという話を誰が信用する? セツナ伯に対して殺意を抱くどころか、賞賛すらしているという話を誰が理解してくれよう。だれも信用すまい。だれも理解すまい。納得すまい」

 キリルの言葉は、エリウスの淡い希望を打ち砕くものであったが、同時に現実を認識させるものでもあった。ガンディアにおけるログナー家、ログナー人の立場というものを再認識する必要がある。

「セツナ伯の活躍によって国を奪われたログナー人は、彼を憎み、殺したいとさえ思っている――そういう物語がある。実際、そう思っているもの、そう考えているものもいるだろう。解放同盟が最たる例だ」

 解放同盟はログナー人のガンディアからの解放を謳い、反レオンガンド、反セツナを掲げているという。具体的な活動内容は不明だったが、今回の事件で彼らを放置してはいけないということが明白になったのは、大きな変化だろう。解放同盟は、国家転覆すら企んでいる可能性が高い。

 王であるレオンガンドではなく、セツナを暗殺しようとしたのは、エレニアを使ったからなのだろうが。

「わたしたちログナー家のように敗戦のすべてを受け入れ、心を入れ替えて生きているものなど、数えるほどしかいないのではないか」

「……そうでもありませんよ。アスタル将軍をはじめ、グラードにレノ、エインやドルカも、ガンディアを恨んでなどいません。彼らの部下の多くも」

 将兵の多くは、ガンディアを恨むよりも、いまを生きることで精一杯なのだ。ガンディアを憎悪している暇があるのならば、つぎの戦争に備えて自身を鍛えたり、武器を手入れするほうが余程ましだとでも考えているのだろう。そして、それは正しい。戦争で活躍すればするだけ、兵士たちの立場や境遇は改善されていくはずなのだ。

 エレニア=ディフォンが例外なだけだ。彼女は、最愛の人物を殺されたために自分を見失ってしまったのだろう。彼女の心情は、エリウスにはわからない。

 エリウスは実弟アーレスをセツナに殺されたが、それはアーレスの自業自得であり、セツナが悪いわけではなかったため、彼を恨んだりする必要がなかった。レコンダールを占拠し、戦争を長引かせようとしたアーレスこそ悪だと、エリウスもキリルも考えたものだ。

「皆がそうであれば、解放同盟など生まれはしなかっただろうが」

 キリルは、嘆息するようにいって、口調を改めた。

「エリウスよ。我が息子よ。ログナー家の当主であるおまえにひとつだけ、望みがある」

「なんでしょう?」

「わたしを殺せ」

 キリルはそういったが、エリウスは最初、父がなにを言い出したのか理解できなかった。いや、きっと理解できていたのだが、脳が認識することを拒絶していたのだろう。幻聴でも、そんな言葉を聞きたくはない。

「エレニアを王宮に送ったのは、わたしなのだ。そのためにログナー家全体が責められるのは、あまりに理不尽だ。だが、ここでわたしが出て行ったところで、太后派はわたしに責任追及するだけでなく、陛下にも害をなそうとするだろう。そういう連中だということは、よく知っている」

「だからといって、なにを馬鹿げたことをいうのです」

「わたしがすべての責任を負って死ねば、少なくともログナー家への追求は弱まる。ログナー人とガンディア人の軋轢がこれ以上広がることはあるまい。わたしが全責任を負うのだからな」

「父上!」

 エリウスは、そう叫ぶしかなかった。叫んだところで、キリルが怯んだり、前言を撤回することはないのだが、ほかに反応のしようがなかったのだ。キリルのいっていることはわかる。理解できる。確かにその通りなのかもしれないと思うところもある。しかし、納得はできない。いや、そもそも、そんなことができるはずもなかった。

 父を殺すなど。

「……わたしはよく生きたよ。ザルワーンに敗れ、属国として支配された五年間。いつ死んでもおかしくはないと思っていた。ザルワーンならば、わたしを暗殺することくらい、簡単にやってのけるだろうからな。恐怖が募った。酒に逃げたのは、それが原因だったのだ。酔中ならば、暗殺されたとしても、恐ろしくはあるまい」

 キリルの独白を聞くエリウスの脳裏を過ったのは、属国ログナーの五年間だった。ザルワーンによる支配。圧政というよりは暴政に近く、国民の嘆きがエリウスの元にまで届くことが少なくなかった。当時、ログナー全土が閉塞感に包まれていたのは、必然に近いものがあったのだ。

「しかし、わたしは生きた。生き延びてしまった。アスタルがおまえに王位を譲れと迫ってきたとき、これで終わるかと思ったものだが、そこからさらに生きてしまった。余生だよ」

 キリルは、微笑した。透き通ったような笑みは、彼が死期を悟っているからなのかもしれず、エリウスはただ愕然とした。

「ガンディオンでの三ヶ月、実に素晴らしい日々だった。それもこれも陛下のおかげだということを忘れてはならん。陛下がログナー家だけでも貴族に取り込んでくれたからこそ、わたしは人間らしく最期を迎えることができるのだ。人間らしく。ログナー人らしく、な」

「待ってください。結論を出すのはまだ、早い」

「ほかに道はないぞ」

「考える時間をください」

 そういって、キリルの部屋から逃げ出したのが、九日のことだ。

 それから二日間、エリウスは悩み続けた。一日経てばキリルも考えを改めるかもしれないと思ったが、その考えは甘かった。キリルは、エリウスの顔を見るたびに決断を促した。エリウスはキリルを避けるようになった。だが、時間が経てば経つほど、ログナー家の立場は苦しくなっていくのは明白だった。世間が、ログナー家こそ暗殺未遂事件の首謀者だと噂するようになっていた。真実を明らかにしたところで、挽回できないところまできているのではないか。悪い予感がした。

 状況を好転させるにはどうすればいいのか。

 エリウスは、レノ=ギルバースと膝を突き合わせて、考えぬいた。しかし、答えは出なかった。暗殺の実行犯であるエレニアがログナー家の関与を証言している以上、どうしようもない。ログナー家は無関係だと主張したところで、受け入れられるはずもない。

 そんな折、マーク=ウォロンによる暗殺未遂事件が起きた。マーク=ウォロンはキリルがもっとも重用していた使用人であり、家政の一切を取り仕切っていたほどの人物である。彼がキリルにエレニアを紹介したということもあり、キリルもエリウスも彼こそ解放同盟の一員なのではないかと疑っていた。疑うだけしかできなかったのは、晩餐会の夜から今日に至るまで、ログナー家の屋敷に姿を表さなかったからだ。

 追及を恐れて逃げたのではないか。

 エリウスの推測は、半ば当たっていた。

 もっとも、マーク=ウォロンは逃げたのではなく、王宮に隠れていたようなのだが。

 二度目の暗殺未遂事件によって、ログナー家は窮地に立たされた。

(馬鹿げている)

 キリルが判断を誤ったことは確かだし、その責任を追求されるのも仕方のないことだ。それだけの事件に発展してしまったのも事実だったし、もしセツナが死んでいれば、取り返しの付かないことになっていたのだ。

 他に道はないというキリルの言葉は、道理だった。

 道など、ほかにあるはずもなかったのだ。


「これでよかったのだ……」

 すべてが終わったあと、彼は、キリルの亡骸を前にして茫然とつぶやいたものだ。家を存続させるためとはいえ、親を殺したことに違いはない。直接手を下したわけではないにせよ、死を命じたのは彼なのだ。

 キリル自身が望んだことではあるが、彼が拒絶すれば、キリルが死ぬことはなかっただろう。キリルはログナー家の人間だ。当主命令を遵守する立場にある。たとえそれがログナー家のためであったとしても、当主の命令を無視するような人間ではない。そこが貴族の貴族たる所以なのかもしれない。

 喪失感と虚脱感に襲われながら、エリウスは、父の亡骸を処置するように命じた。会議の手土産に首を持っていくところまで、キリルの発案だった。

 会議を台無しにしてやろう。

 キリルのなんともいえない笑い声が、エリウスの耳に残っている。

「辛かったろう」

 同情的な声が、エリウスの意識を現実に引き戻した。長机を挟んだ対面の席に、レオンガンド・レイ=ガンディアが腰掛けている。戦略会議室とかなんとかいう部屋に連れて来られたのは、大会議場で行われた緊急会議が台無しになってすぐのことだ。

 台無し、というのとは違うかもしれない。が、太后派の思惑が台無しになったのは間違いなかったし、ログナー家が許されたのは大きかっただろう。ログナー家はガンディアの貴族として存続し続けることになったのだ。

 レオンガンドがログナー家に歩み寄ってきたのは、意外なことではあったが。

「……いえ、特には」

 強がりをいったのは、そうでもしなければ、自分を保てなかったからかもしれない。

 戦略会議室には、エリウスとレオンガンド以外にはだれもいなかった。当初、レオンガンドの側近ふたりが同席していたのだが、レオンガンドが席を外させたのだ。どういう理由かはわからなかったが、エリウスは、こうなった以上、レオンガンドにログナー家の命運を委ねるよりほかはないと考えていたし、レオンガンドとふたりきりになれたのは好機だと思った。ログナー家の未来を勝ち取るには、王である彼に一歩でも近づく必要がある。

「貴公は強いのだな」

 レオンガンドは、遠くを見るような目でいった。

「わたしは、貴公のようにはいかなかった」

 エリウスは、なにもいえなかった。

 レオンガンドが発した言葉の意味を理解したからだ。

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