第五百六話 訪問者
ファリアたちが隊舎に戻ると、《獅子の尾》の隊舎とその周辺は物々しい空気に包まれていた。セツナが隊舎に移送されたこともあり、レオンガンドが手配したらしい衛兵によって警備されていたのだ。近寄れば、ただの衛兵ではなく、《獅子の牙》の隊士たちであることがわかる。王立親衛隊の一隊であり、王の盾たる《獅子の牙》が別の親衛隊長の身辺を警護するというのはなんとも不思議な話だが、セツナの立場と重要性を考えれば、レオンガンドがそうするのもわからなくはない。
ファリアとしても、《獅子の牙》が協力してくれるのならば、これほど心強いことはなかった。《獅子の爪》よりも防御的性格の強い部隊だ。要人の警護もお手のものだろうし、彼らが隊舎の近辺を固めてくれているのならば、ファリアたちは隊舎の内部に集中することができる。
「だーかーらー、関係者以外立入禁止なんだってばー」
うんざりしたような大声がファリアの耳に届いたのは、《獅子の牙》の隊士が守る正門に近づいたときだった。隊舎は、元々ナーレス=ラグナホルンの屋敷だったということからわかる通り、広い敷地を持ち、敷地の外周を囲う外壁があり、その一方に正門がある。門が正面にしかないのは、警備をする上では楽なのかもしれない。
その正門の前で、《獅子の牙》の隊士が親子連れと口論を交わしていた。
「どうしたのかしら?」
「揉め事?」
「さあ?」
ファリアはミリュウと顔を見合わせて、肩をすくめた。こんな状況下で隊舎を巡る揉め事など、笑い話にさえならない。
「確かに、関係者ではないのですが、この子がどうしてもセツナ様に直接会って、お礼をいいたいと――」
「お兄ちゃんに逢いたいの」
「お兄ちゃん? この子、ニー……いや、領伯様の妹君なんですか?」
「そういうわけじゃなく……」
聞き覚えのある声に、ファリアは目を丸くしながら正門に駆け寄った。正門には《獅子の牙》の隊士が三名、鼠一匹通さないという意気を見せており、その中のひとりが、件の親子連れらしきふたりと対峙している。ほかのふたりは、親子連れに対してどう対処するべきか困っているような顔をしていた。
「お兄ちゃんはお兄ちゃんなの!」
威勢よくそう言い切った少女は、間違いなくエリナ=カローヌだった。ファリアにしてみれば、忘れようのない少女だ。ガンディオンに程近い場所にある小さな街、カランに住んでいた少女であり、カランで働いていたファリアには仲の良い友達のような存在だった。
彼女がなぜ、こんなところにいるのかは想像がつく。セツナ暗殺未遂事件に関する情報は、噂や誤報、憶測を含めて数多く出回っていて、王都中を騒がせている。いや、王都どころではない。ガンディア国内のみならず、近隣諸国さえも賑わせているに違いなかった。その情報を得た隣国が、アザークのように攻め寄せてくる可能性も少なくない。そのときは、ファリアたちが全力で迎撃に当たることになるが、いまのところそのような動きは見えないようだ。
また、《獅子の尾》を筆頭とするガンディア軍がアザーク軍を撃退したという情報が広まれば、セツナが動けない隙をつこうとする連中への牽制となるだろう。
エリナはきっと、そういった情報を伝え聞いて、いてもたってもいられなくなったに違いない。
彼女はセツナによって救われたひとりだ。ランカイン=ビューネルがランス=ビレインと名乗り、引き起こしたカラン大火によって父親を失ったエリナが笑顔を取り戻すことができたのは、セツナがまさに命懸けでランカインを打倒し、カランを覆った炎を消し去ったからにほかならなかった。
ファリアは、ふたりの背後から声をかけた。
「エリナ?」
「あっ、ファリアお姉ちゃん!」
こちらを振り返った少女の顔が、一瞬にして明るくなる。その変化の鮮やかさが嬉しくて、ファリアも表情を綻ばせた。隣に立っていた男性が、気後れ気味に声をかけてくる。
「やあ、ファリア……いや、いまはファリア様かな」
「やっぱりサリスだったのね。いままで通りファリアでいいわよ」
「そういうわけには、いかないんじゃないかな……」
彼は弱々しく笑った。
サリス=エリオンとも、カランで知り合った。彼はカランの警備隊に所属していたのだが、いまは王都の都市警備隊員として、市街の平和を守っているという。
カランにいたころとは、ふたりの立場は大きく変わってしまった。《大陸召喚師協会》カラン支部の局員に過ぎなかったファリアと、カランの警備隊員であったサリスならば、釣り合いが取れていたといってもいいのだろうが。いまでは、ファリアは王立親衛隊の隊長補佐という立場にあり、一警備隊員とは比較にならない地位にいた。
だからといって、ファリアは彼との友人関係を変えるつもりはないのだが。
「お知り合いですか?」
「ええ。そういうことだから、通してあげて」
「隊長補佐殿がいいというのなら、我々としてもなんら問題はありませんがね」
そういって、《獅子の牙》の隊士は背後を振り返って、門の内側に合図を送った。どうやら正門は厳重に鍵をかけられていたらしい。これではファリアたちの出入りも不便になるのだが、情勢を考えると仕方のないことなのかもしれない。暗殺未遂事件は二度も起きたのだ。三度、四度と起きる可能性は否定しきれない。
「……リューグってさ、いったいなんなの?」
「なんなの……ってなんですか」
「いまいち、よくわからないわ」
「ははは、なにをおっしゃるのかな」
「別にどうでもいいけどさ」
ミリュウと隊士の会話を横目に聞きながら、ファリアは正門が開くのを待った。焦れったいが、万全の警備とはそのようなものだろう。不便を強いることになる、とはレオンガンドの言葉だが、それを拒否することはできない。セツナを失うよりはましだ。
「さあ、入って。セツナがいまどういう状態なのかわからないし、面会できるかもわからないけれど、ここで立ち話というのも……ね」
「ありがとう! お姉ちゃん!」
「エリナは本当に元気ね」
ぴょんぴょん飛び跳ねる少女の様子に、ファリアは、日々の疲れが吹き飛ぶような錯覚を覚えた。不意に、ミリュウが口を開く。
「思い出したわ。エリナ……エリナ=カローヌ。カランの街でセツナに付き纏っていた子ね」
「……あなたって、本当にセツナのことならなんでも知ってるのね」
つぶやきながら、彼女に嫉妬を覚えている自分に気づいた。セツナのことを知りたいと思っていたのは、ファリアのほうだ。それなのに、ミリュウはいともたやすくセツナのことを知ってしまった。セツナの記憶をなにもかも見てしまった。ファリアが知らないことまで、彼女は知っているのだ。例えば、彼が生まれ育った世界のことも、両親や家族のことも、それ以外の多くのことも。
「知ってるわよ。セツナが、ファリアのことを一番大切に想っていることだってね」
「……冗談でもいっていいことと悪いことがあるわよ」
ファリアは、エリナに手を引っ張られながら、ミリュウを一瞥した。ミリュウは悪びれもせずに言い返してくる。
「嘘でも冗談でもないの。本当のことよ」
「……ずるいわ」
「なにがよ」
「わたしには知りようがないことだもの。嘘か本当かなんて、判定しようがないじゃない」
「……そうね。ごめん」
「……ううん。謝るのはこちらのほうよ。あなたはなにも悪くないわ」
こういうとき、自分が酷く惨めに思えてならなかった。ミリュウのように自分の感情に素直になれたら、どれほど楽なのだろう。思ったことを口にするというのは、それだけで大変なことだ。大きな力がいる。しかし、ミリュウはそれを苦にしないようなのだ。それが羨ましくて、妬ましい。
日が傾きかけている。
まるでいまの自分のようだ、と彼女は思ったりもした。