第五百四話 晴れない暗雲
「エレニア=ディフォンは相変わらずログナー解放同盟の関与を証言しているだけですね。それと、王宮に入れたのはキリル=ログナーの口添えが有ったからということ」
「それだけなら、ログナー家に対してなんらかの処分を下す理由にはならないのだが」
レオンガンドは、キリル=ログナーと、エリウス=ログナーの顔を思い浮かべて、苦い表情になった。昨夜、二度目の暗殺未遂事件が起きている。医務室にカインを配置していたことで、暗殺は防がれたものの、暗殺者がログナー家の紋章を帯びていたことから、ログナー家の使用人であることが発覚していた。
その情報によって王宮が荒れたのは、必然だった。レオンガンドは情報の管理を徹底したものの、二度に渡る暗殺未遂事件が太后派の仕組んだものである以上、情報が漏洩するのは当たり前のことだったのかもしれない。漏洩というよりも、太后派による流布と考えたほうが正しい。
十月十一日。
暗殺未遂事件から三日が過ぎた。
今日の朝議は、ログナー家の処分を巡って紛糾し、正午までもつれ込んだ。昼食休憩を挟んでまで朝議を再開するという事態にはならなかったものの、正規の会議を行うべきだという結論に至ったのは、レオンガンドとしては頭の痛いところだった。
議題は、ログナー家のことに終始した。
ログナー家は、エンジュール領伯暗殺未遂事件への関与が疑われていた。
ログナー家がガンディアの一貴族と成り果てたのは、セツナ=カミヤがログナー戦争において獅子奮迅の活躍を見せたからであり、ログナー人がセツナを恨んでいるのは必然だ、というのが一般的な認識だった。
ガンディア全体よりも、セツナ個人に憎悪を向けるほうが容易いものだ。
なにせ、ログナー人の多くはガンディア国民にならざるを得なかった。中にはベレルやアザーク、メレドに流れたもののいるかもしれないが、ログナー国民のほとんどがガンディアに帰属していた。国民となった以上、国を憎むよりも個人にその憎悪の矛先を向けるほうが、なにかと都合がいい。
結果、セツナは数多の敵を持つことになったが、彼は気にもしていないようだった。そもそも、ログナー方面に出向くことも少ない上、彼は戦場で出会ったログナー出身の軍団長たちとは上手くやれていたようなのだ。ログナー人が自分を恨んでいようといまいと、周囲の人間がそうでないのならば、関係のないことだろう。
セツナは出会いに恵まれているということだ。
レオンガンドはそういうセツナを好ましく思ったし、これからも大切にしていくべきだと考えていた。そんな矢先に今回の事件が起こっている。
王宮警護と王立親衛隊による厳重な警備に不備があったのか、どうか。
セツナがエレニアに刺されたのは、王宮二階の北側通路だ。晩餐会の関連書類を調べさせると、事件の起きた時間帯、北側通路には警備の衛兵が配置されておらず、まったくの空白状態だったということだ。これは完全に王宮警護の失態であり、不備といってもいいのだが、そもそも急遽晩餐会の開催を取り決めたのはレオンガンドたちである。王宮警護に万全の警備体制を構築させるだけの時間的余裕を与えることができなかったのは、レオンガンドたちの失態なのだ。
凱旋翌日に論功行賞を行い、さらに晩餐会を開催するなど、正気の沙汰ではなかった。しかし、戦勝の熱が冷めやらぬ時期に行うべきだという声もあり、レオンガンドは決行に踏み切った。結果、危うくセツナを失いかけたのだ。
レオンガンドは、自分の判断が間違っていたということを思い知りながらも、そのことを追求してこない太后派に詰めの甘さを認識した。
太后派としては、セツナを暗殺できれば最上、暗殺に失敗しても、エレニアの捕縛からログナー解放同盟、ログナー家の関与が明らかになり、ログナー家に疑惑の目を向けられることでも十分だったのかもしれない。太后派としては、レオンガンドの影響力を少しでも削ぎたいのだから、レオンガンドの下にあってログナー人に多大な影響力を持つログナー家を失墜させることは、重要なのだろう。
それでも二度目の暗殺を決行したのは、保険だったのかもしれないし、ログナー家への疑いをさらに強めるためだったのかもしれない。
「時間が解決する問題とも思えませんが」
「時間が経てば経つほど、ログナー家への疑惑は深まり、処分を下さない陛下への疑心も増えましょう。たとえ、疑心を抱くものが少なかろうとも、太后派が吹聴いたしましょう。彼らは、そういうことが得意ですからな」
バレットの皮肉げな言い様は、レオンガンドに昔を思い出させた。“うつけ”を演じ、“うつけ”を振るまい、自分が本当に“うつけ”なのではないかと思い込みかけた日々。反レオンガンド派の過剰なまでの“うつけ”の宣伝は、レオンガンドの人格に暗い影を落としているのは間違いなかった。もっとも、そうなることはわかっていたのだ。承知していたのだ。
それでも、心に刻まれた傷を拭い去ることはできない。
レオンガンドは、完璧な人間などではないのだ。不完全で、いびつな魂の形をした一個人に過ぎない。
「ログナー家への誹謗中傷が増えていくのは目に見えている。彼らを保護しようにも、彼らが今回の事件になんの関わりもないことを証明する手立てもない。実行犯のエレニアはログナー家の関与を証言している上、昨夜のことがある。暗殺者は実際にログナー家の使用人だったのだろう?」
「はい。しかし、エリウス殿は……」
「彼の与り知らぬことなのは間違いないさ。彼は、ザルワーン戦争に参加していたからな。家のことは、キリル=ログナーが管理していたはずだし、エレニアはキリルのおかげで王宮の使用人になれたといっていたのだろう?」
「はい。キリル殿が王宮に口添えしたとのことです」
「王宮は王宮で、わたしがエレニア=ディフォンを欲していることを知っていたからな。キリルから話があれば、飛びつかずにはいられなかっただろう。わたしが帰国の暁には、エレニアの参加を喜ぶはずだとでも思えば、当然のことだ」
「陛下が望んでいたのは、騎士としてのエレニア=ディフォンでしょうに」
「王宮の連中には、そういう機微がわからないのさ」
レオンガンドは苦笑せざるを得なかった。王宮は、王であるレオンガンドの住居であり、支配地であるが、使用人ひとりひとりまで管理しているわけではない。使用人を管理するのは、王宮の人事を司る部署だったし、そこの人間がレオンガンドがエレニアを欲しているという情報を小耳に挟んでいたとしても、レオンガンドには知る由のないことだ。
そして、彼らは良かれと思ってエレニアを使用人に起用したのだ。もちろん、彼女の身辺調査を怠っていたわけではない。エレニアは、王宮に入ってからは一度足りとも、ログナー解放同盟の人間と会っていないというのだ。秘密裏に連絡を取り、決行の日取りを確認したらしい。
暗殺計画の実行日時が決まったのは、レオンガンドたちが龍府から王都に帰還している最中らしい。晩餐会の日程が王宮に届けられた直後であり、太后派の人間が彼女に接触しているのは間違いなかった。ログナー解放同盟が即座には知ることのできない情報なのだ。王宮内部に解放同盟の間者いるとは考えにくい。いや、それが太后派の人間なのだとすれば、合点がいく。
太后派とログナー解放同盟が繋がっている、というのは考えにくいのだが。
太后派率いるラインス=アンスリウスや、ゼイン=マルディーンはログナー人を忌み嫌っている。ログナー人と手を組むなど、考えるだけで反吐が出るとでも思っているような連中だ。解放同盟と協力しているのではなく、解放同盟を利用して、レオンガンドやログナー家を陥れていると考えるべきだろう。
もっとも、ほとんどが推測の域を出ないのが虚しいところだ。
確かなのは、セツナ暗殺計画の首謀者がラインス=アンスリウスであり、彼は太后派の貴族たちにも計画の概要しか知らせていないということだ。
とてつもなく用心深く、執念深いのがラインスという男だった。
「ウルを使うわけにはいきませんか?」
「彼女を使えば……洗い浚い吐き出させることはできるな」
レオンガンドは憂鬱な顔をした。気が乗らないのは、彼女を使うということは、彼女に借りを作るということにほかならないからだ。ウルはアーリアとは違う。アーリアはさながらレオンガンドの半身であり、彼の影として常に寄り添い、彼の思うままに行動してくれるものだが、ウルは違った。
ウルは、レオンガンドの思い通りにはならないのだ。協力はしてくれている。カイン=ヴィーヴルを制御できるのは、彼女が助力してくれているからだ。彼女が助力を拒めば、その途端、カインはランカイン=ビューネルへと舞い戻り、暴虐の限りを尽くすのだろう。カインは凶暴な破壊兵器なのだ。ウルはカインの制御装置として働いてくれるのならばそれでいいと、レオンガンドは考えている。
ウルの求める対価が簡単なものならばいい。レオンガンド個人が叶えられることならば、問題はない。しかし、ウルがどの程度のものを求めてくるのかはわからなかった。打診してみるのもいいかもしれないが、カインの制御に力を割いているということで、断ってくる可能性も少なくはなかった。
また、ウルを利用すれば、政敵を味方にすることも容易い、とはだれもが考えることだろう。しかし、彼女はガンディア人を支配することを拒んだ。
ガンディア人の精神に触れるのは、彼女の尊厳が許さない。
ウルにせよ、アーリアにせよ、レオンガンドの敵に回らないだけありがたいと思うべきなのだ。
「が、彼女を使ったところで、変わらないかもしれない。いや、変わらないだろう。情報部によると、エレニアが隠し事をしているようには見えないそうだぞ」
「そのように見えるだけのことかもしれませんが」
「それはそうだがな……」
レオンガンドが渋っていると、彼の背後に気配が生まれた。重量感というべきか。ついさっきまでだれもいなかったはずなのだが、いまは確かになにかが存在している。奇妙なことだが、ありえない話ではない。アーリアだ。
「ウルは、陛下の命令ならば聞きましょう」
「おまえのいうことが一番信用ならん」
「酷い言葉ですね」
「事実さ」
レオンガンドが悪びれもせずに告げると、アーリアは笑い声を残して消えた。
「ともかく、早急に決断を下さなければならないのは事実だな」
レオンガンドは嘆息とともにつぶやくと、重い腰を上げた。気になることは、ほかにもある。セツナのことだ。
彼は刺されて以来、意識不明のまま、眠り続けている。なぜ眠り続けているのか、いつ目が覚めるのか、軍医のマリアにさえわからないという。眠り続けているということは、食事も取れず、栄養も取れないということであり、衰弱していくということである。
このまま目を覚まさなければ、彼は死んでしまうかもしれない。
それだけは避けなければならないと厳命したところで、解決策がないのだからどうしようもない。回復を信じて、待つしかないのだ。
(セツナ……君はどんな夢を見ている?)
レオンガンドは、戦略会議室を出ると、医務室に向かって歩き出した。