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第五百二話 不在の間

 クルンデールを進発したと思しき軍勢がガンディア国境を突破したのは、十月十日のことらしい。セツナが動けないという情報を手に入れてからの行動にしては早過ぎるというのは、だれもが考えることだ。セツナが暗殺されかけたのは十月八日の夜中であり、翌日に情報が届いたとしても、軍備を整えるには数日は必要であり、事前に知っていなければできないことだ。

 ガンディア領に程近い都市であるクルンデールが常に戦争の準備をしているというのなら、話は別だが。

 それにしたところで、王宮内で起きた事件の情報を翌日には知らなければならないことであり、鳩を飛ばしても難しいことのように思えた。真夜中には王都中に広まった話ではあっても、だ。隣国に届くには時間がかかる。

「知っていたとしか思えないな」

 ルウファ・ゼノン=バルガザールは、馬上、吐き捨てるようにいった。負傷をおしての参戦は、エミル=リジルの猛反対を受けたが、彼はエミルの引き止めを無視した。療養も大事だが、国土防衛も大事だという彼の発言にエミルはなにもいえなかったようだった。

 ガンディア領カルセルア丘陵。王都ガンディオンの西、アザーク国境とのちょうど真ん中辺りに横たわる丘陵地帯に、アザークの軍勢は展開しており、急遽編成された迎撃部隊も丘の上に陣取っていた。なだらかなふたつの丘に展開した両軍が睨み合って一時間も立っていない。

「でしょうね。セツナを殺して、その衝撃でガンディアが揺れているときを狙って攻撃する予定だったんでしょう」

「それ以外には考えられないな」

 十月十日、午後。

 夕焼けがカルセルモ丘陵を風景を赤く燃え上がらせるかのようであり、その炎の中で布陣する敵軍は、勇猛に見えなくもない。数にして三千ほどか。アザークが現在放出できる全兵力をぶつけてきたと考えておくべきだというのがデイオン将軍の見立てであり、彼の予測は間違いなかった。

 対して、ガンディア側の兵数は二千足らず。軍団長アレグリア=シーンを指揮官とする本隊が二千人規模の部隊であり、《獅子の尾》は別働隊として本隊とは離れた場所に陣取っていた。《獅子の尾》は遊撃部隊である。本隊に組み込まれては、その自由さが失われるのだ。

 迎撃部隊の二千人を構成するのは、ガンディア方面軍がほとんどだったが、レマニフラの黒忌隊、白祈隊も混じっていた。ナージュのいる王都を守るのだ。レマニフラの兵士たちも文句はあるまい。

「だとすれば、ログナー解放同盟とやらがアザークと通じていたということになるわね」

 エレニア=ディフォンの証言を信じるなら、そういうことになる。彼女は、ログナー解放同盟の手引によって、王宮の使用人となることができたらしいのだ。それ以来、セツナを暗殺する機会を窺っていたといい、晩餐会のときを選んだのは、これ以上ない絶好の機会だったからだという。許しがたいことだが、起きてしまったことをとやかく考えている場合ではない。

「……どこのだれであっても関係ないわ」

「そうね」

 ファリアは、ミリュウの声が深く沈んでいることに気づいた。泣き疲れているところを戦場に駆り出されたのだ。不機嫌なのは当然だが、アザークがセツナの動けない時を狙ったのが許せないのかもしれない。

「あたしを怒らせたことを後悔しながら死ぬだけよ」

 緋色の鎧を着込んだミリュウは、赤い髪とともに夕日に照り映え、まるで燃え盛る炎のようだった。


 丘の上で睨み合ったまま夜を迎えるかと思われた矢先、アザーク軍が動き出した。三千ほどの軍勢を三部隊に分け、いわゆる双翼陣と呼ばれる陣形を構築していたのだが、そのうちの一翼を担う一隊が丘を下り始めたのだ。

 ガンディア軍、アザーク軍、双方ともに別々の丘の上に陣取っており、直接的な攻撃を仕掛けるには丘を駆け下り、また丘を駆け上らなければならなかった。午後四時過ぎ、互いの陣形が見えるほどの距離で対峙して以来、互いにまったく動く気配がなかったのは、攻撃のためとはいえ丘を下りるということは、敵の的になるのと同意だったからだ。

 戦闘では高所に陣取ったほうが有利なのは、だれの目にも明らかだ。わざわざ自分から不利になる必要はないとだれもが考える。だから、対峙が長引くのだ。対峙にしびれを切らし、仕掛けたほうが負けだ。

「動いた」

 ルウファが白衣を靡かせながらつぶやく。

 ガンディア軍の中で、もっとも敵陣に近い位置に布陣しているのが《獅子の尾》だった。不在の隊長に代わり、《獅子の尾》の指揮を取る副長ルウファが、この場所を選んだ。もちろん、本隊を率いるアレグリアと事前に申し合わせていることだ。アレグリアも反対はしなかった。《獅子の尾》に敵軍を押し付けられるのだ。反対するものはいまい。

「が、陽動なのは見え見えだな」

 陽動にしては危険極まる行動だが、それ以外には考えられない。ガンディア軍が眼下の敵部隊に集中している間に別方向から攻めてくるつもりなのだろう。だとすれば、前方の三千が敵の全戦力ではない可能性がある。どこかに潜んでいて、攻撃の機会を窺っているのではないか。

「その陽動を潰しに行く気満々なのはどなた?」

 ファリアがいったのは、ルウファが手綱を力強く握っていたからだ。しかし、ルウファは涼しい顔でこういうのだ。

「そこのお嬢さんでしょう」

「……そうね」

 ルウファの視線の先で、ミリュウがいまにも飛び出しそうな気配を見せていた。

「行っていいのよね?」

「もちろん。本隊の射程に入る前に、《獅子の尾》が潰す」

 ルウファが力強く頷くと、ミリュウは安心したように馬を走らせた。ルウファが続き、ファリアもふたりに続いた。

 後方で声が上がる。本隊が動き出したようだ。丘の上から矢を射かけるつもりなのだ。本隊の大攻勢が始まる前に敵部隊を撃退するには、セツナを投入するのが手っ取り早い。あの程度の軍勢なら、彼ならばたったひとりで蹴散らしてしまうだろう。

 しかし、そのセツナはいまも王宮で眠り続けている。

「武装召喚!」

 前方でミリュウが叫んだ。彼女の周囲に展開していた呪文が異世界の扉を開き、術式が示す召喚武装が呼び出される。彼女の右手に握られたのは、一振りの剣のように見えた。緋色の装飾がいかにも彼女らしい。

 魔龍窟で覚えた術式の一切が使えなくなったというミリュウが、独自に作り上げた術式によって召喚された武器である。彼女のためだけの召喚武装といっても間違いない。オーロラストームがファリアだけの召喚武装であるように、シルフィードフェザーがルウファだけの召喚武装であるように。

 カオスブリンガーがセツナだけの召喚武装であるように。

『《獅子の尾》としての初陣……セツナと一緒がよかったな』

 出発前、ミリュウがつぶやいた言葉がファリアの脳裏を過った。

「武装召喚……!」

 ファリアは、なにかを振り切るように術式を完成させ、オーロラストームを右手で握った。怪鳥が翼を広げたような兵器は、もはや弓などとは呼べないような代物だ。召喚武装自体、通常の武器とは比較するべきではないのだが。

 前方のルウファは、戦場に辿り着いた時には召喚を済ませている。彼の召喚武装シルフィードフェザーは、通常、純白の外套そのものとして存在していた。軽装の鎧の上に纏った白衣は、夕日を浴びて輝いている。

 遙か前方の敵部隊に異変が生じた。ガンディア側の騎兵がたった三人、丘陵を駆け下りてくるのが見えたからに違いない。しかも、二番目の騎馬兵は、《獅子の尾》の隊旗を馬に括りつけている。隣国であるアザークが《獅子の尾》の雷名を知らないわけがない。動揺を覚えたとしても仕方のない事だったが、ファリアの見る限り、敵部隊に生じた変化は、そういった消極的なものではなかった。もっと積極的な変化だ。たとえば、こちらを迎え撃つために陣形を再構築しようとしたのではないか。

「ミリュウ! ひとりで突っ込まないのよ!」

「セツナなら!」

「え?」

「セツナならこういうとき、まっさきに突っ込むんでしょ!」

「あなたはセツナじゃないわ!」

「セツナがいないいま、だれかがやらなくちゃならないことよ!」

 ミリュウの叫び声の烈しさに、ファリアは返す言葉もなかった。彼女は激昂していて、手がつけられない状態だった。おそらく、セツナが意識不明の状態から回復する兆しを見せないことが、彼女の精神状態を極めて不安定なものにしているのだろう。そんなとき、セツナの暗殺計画を知っていたかのようなアザークの侵攻が、ミリュウの怒りを買った。

 ファリアも、ルウファも、彼女と同じように怒りを覚えている。しかし、ミリュウのそれはファリアたちよりも苛烈であるように思えた。彼女がいかにセツナのことを大切に想っているかがわかるというものだ。感情を隠していないのだ。

 まるで、自分の気持ちを隠せない子供のようだ。

 だから嫌いになれないのかもしれない。

 そんなことを想いながら、ファリアは、馬上、オーロラストームを掲げた。ミリュウの前方に狙いを定めながら、敵部隊の動きを見る。《獅子の尾》もアザークの先発部隊も丘陵を駆け下りていて、ちょうど谷間付近で衝突するという予想を立てていたものの、敵部隊が進軍速度を落としたことで、こちらのほうが先に丘を降り切ってしまうようだった。敵部隊は、高低差による有利を得ようというのだろう。

《獅子の尾》には、多少の高低差など障害にさえならないということを、彼らは理解していないのだ。

「行くぞ!」

 ルウファ・ゼノン=バルガザールが指揮権を強調するように叫んだとき、ファリアはオーロラストームの矢を放った。

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