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第四十九話 矛の向かう先

 獅子王宮は、王都ガンディオンの中心部に聳えていた。《群臣街》の北側に位置するバルガザール邸から馬車で南下し、王都の三つある城壁の最後のひとつを越えた先、鬱蒼たる《王家の森》の向こう側に存在していた。その《王家の森》といえば、通行用の道幅は広く取られており、馬車での往来も十分に可能だった。それは当然だろう。森の木々が邪魔をして自由に行き来ができなくなるなど、本末転倒も甚だしい。

 森の真ん中に聳え立つ王宮は、豪奢にして壮麗であり、見るものの度肝を抜くほどだった。なにもかもが圧倒的なのだ。王宮だけ見れば、ガンディアが小国などとは到底信じられないだろう。セツナだってそうだった。馬車の窓から王宮を覗いた瞬間、眩暈を覚えたほどだった。

 それは、これから向かうその宮殿の中に渦巻いてるのであろう様々な思惑に対して、多少うんざりしてしまったからというのもあるかもしれない。それが考えすぎかどうかはすぐにわかるのだろうが、これだけの宮殿に権謀術数が蠢いていないはずがない、というのはセツナの思い込みなのだろうか。

 やがて、馬車は王宮の遥か手前で止まった。《群臣街》を抜け、城門を潜り、森を通り、ようやくのことで辿り着いたのだ。

 セツナは、馬車を降りるなり、獅子王宮の威容に圧倒されて言葉を発することもかなわなかった。唖然としたまま、ラクサスに付き従った。

 それから、王宮のどこをどう通って来たのか、セツナは、まるで記憶していなかった。ただ、前を進む男の背中を追ってきただけに過ぎない。王宮は、彼がこの世界に召喚されて以来、見てきた建物とは明らかに質の異なる存在だった。マルダールやバルサー要塞などとは、設計思想からして違うのかもしれない。

 王の住まう御殿なのだ。

 戦争のために築かれた要塞や、半ば城塞化した都市とは根本から異なるのだろう。

 王とその家族――つまりは王家と、それに連なる貴族のみが住むことを許された御殿は、想像以上にきらびやかで、俗世とは隔絶された楽園の中にさ迷い込んだかのような感覚が、セツナにはあった。

 しかし、そのきらびやかさの中にも気品というべきものが見え隠れしており、優雅とか流麗という言葉がよく似合っていた。飾り立てられた世界だ。気品がなければ、ただの成金趣味になりかねないのかもしれない。

 さて現在、セツナが歩いている一角は、どことなく浮世離れした王宮の中にありながら、辛うじて現実味を帯びた空間と言えた。目的地へと続くのであろう長い廻廊の壁際には、数々の甲冑が整列している。セツナが戦場で目にしたタイプのものもあれば、竜や一角獣など異形の生物を模したものも並んでいる。整然と立ち並ぶそれらは、進軍の号令を待つ兵士たちのように見えなくもなかった。

 飾られているのは、鎧兜だけではない。剣や槍、斧などの様々な武器が、壁に固定されており、壁に武器を飾り立てているかのようだった。

 その廻廊に漂うのは、鉄の匂いであり、戦場の空気だった。王宮の中にあってことさらに異質な雰囲気に包まれているのも当然だろう。しかし、それでも現実感が薄いのは、きっとそれらの武装が一度も使われていないのが、セツナにもわかるからだろう。

 手入れは行き届いている。埃ひとつ見当たらないほどだ。だが、振るわれない刀槍にどれほどの価値があるというのか。武器は、戦場でこそその意味を謳うのだ。観賞用の美術品ではない。

 もっとも、ルクス=ヴェインの長剣グレイブストーンのように芸術的な美しさを誇る武器が存在するのも事実だが。

「この廻廊は、今は亡きシウスクラウド陛下が、その晩年夢に見た情景を元に考案されたのだ」

 セツナの思索を断ち切ったのは、ラクサスの凍てついたような声音だった。その冷ややかな声を耳にするたびにセツナは、ぎょっとするのだが、同時に思い返して安堵するのだ。

(このひとは、悪いひとじゃない)

 善人かどうかはともかく、悪人ではない――それがセツナの実感だった。

 でなければ、セツナへの事情聴取があんなに穏やかに進行するはずがなかったし、そもそも、休憩する暇すら与えられなかったに違いない。ラクサスが、これから事情聴取する対象であるセツナを労る理由はないのだ。たとえ、レスベルの殲滅に力を費やしたのだとしても、恐るべき存在かもしれないものに対して、緩やかな対応を取ることはないだろう。

「シウスクラウド陛下は、最後の最期まで、生を諦めておられなかった。生きて、再び戦場に立つ――それが陛下の夢であったのだ」

 ラクサスの声音に微かな熱を感じて、セツナは、顔を上げた。正装を纏った男の背中には、なんの感情も見当たらない。しかし、虚空に拡散する彼の言葉は、時として異常な熱量を帯びているように感じられた。

「そしてそれは、わたしの夢でもあった……」

 セツナは、ラクサスの言葉に込められた深い悲しみを感じ取った。彼にとって先王シウスクラウドがどれほど偉大な存在であったのか理解する。先王の考案した回廊に至るだけで感情を昂ぶらせてしまうほどなのだ。余程のことに違いなかった。

 それと同時に、セツナのラクサス評に一文が加えられた。

(情の深いひとなんだ)

 故に、普段は感情を表に現さないのだろうか。表面的には冷徹に見えて、その奥底では激情がのた打ち回っている――そんな人物なのかもしれない。

「残念ながら、その夢が果たされることはなかったがな」

 ラクサスはそう告げると、不意に脚を止めた。甲冑の回廊のちょうど真ん中あたりだろうか。左手に硬く閉ざされた両開きの扉があった。ラクサスがその目の前に立ち止まったということは、この扉の奥にレオンガンドがいるに違いない。利便性の悪さから考えるに、謁見などをするための場所とは到底思えなかった。

「ラクサス=バルガザール、セツナ=カミヤを伴い、参りました」

 ラクサスの声は、多分に緊張しているように感じられた。さすがにラクサスと言えど、君主に対しては緊張感を抱かざるを得ないのだろう。

 セツナはセツナで耐え難い不安に苛まれながらも、なんとか冷静さを保とうとしていた。レオンガンドには久しく会っていない気がするのだが、それは気のせいである。バルサー平原での戦いは数日前であり、当日の朝に言葉を交わしているのだ。もっとも、戦後、数日間眠り続けていたセツナにとっては、それもつい昨日のことのように思えるのだが。

「入りたまえ」

 室内からの返答は、レオンガンドのものではなかったが、緊張感が増大するには十分な厳粛さと威圧感を備えていた。もちろん、こちらを威圧するつもりもないのだろうが。

「はっ」

 ラクサスが扉を開いた瞬間、重苦しい冷気が、ラクサスの背後のセツナにまで伝わってきた。冷厳な空気。呼吸さえも憚れるような、そんな感覚があった。

 セツナは、室内に入っていくラクサスの背中を見詰めながら、静かに覚悟を決めた。ラクサスの後に続く。扉の向こう側へ。

(う……)

 セツナが足を止めたのは、室内に足を踏み入れた途端、いくつもの視線が突き刺さってきたからだ。好奇、猜疑、冷徹――セツナへの視線は様々な感情を伴ったものであり、彼をなんとしてでも見定めようとしているのがわかる。

「ラクサス、ご苦労様。王都に帰ってきたばかりだというのに、わざわざすまなかったね」

 気さくな青年王というセツナの印象そのままに、レオンガンドが、ラクサスの労をねぎらうようにいった。


 王は、ふたりの前方にいた。部屋の中央には大きな長方形のテーブルが配置されており、無数の椅子が並べられている。そのうち、扉側の椅子にはだれも腰かけておらず、反対側――つまりセツナたちの正面――に、レオンガンドと四人の男が座っていた。

 レオンガンドは、微笑を浮かべていたが、ほかの四人は、セツナを値踏みするように見ていた。その視線の鋭さに胸中で悲鳴を上げかけたが、セツナは、レオンガンドの存在を感じることでなんとか堪えていた。

 四人の男は、王の側近なのだろうか。どの男も、ただ者ではない面構えをしていた。

「いえ。元より帰還報告に参上する予定でしたので」

「そうだったね」

 頑ななラクサスの言いようが面白かったのか、レオンガンドは、にっこりと笑った。その笑顔は、同性のセツナが見ても惚れ惚れするくらいに素敵なものであり、レオンガンドがこちらに視線を投げかけてこなければ、しばらくは呆けていたかもしれない。

 碧玉の如き美しい瞳が、セツナを見つめていた。

「さて、セツナ=カミヤ。早速で悪いけど、君の話を聞かせてくれないか?」



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



「なぜ、今になって現れたんです?」

 クオンは、勤めて穏やかに問いかけた。内心では激情が螺旋を描き、嵐の如き叫びを上げようとも、彼は柔和な笑みを浮かべて見せた。どれだけ感情が昂ぶろうと、荒れ狂おうと、微笑する。そうするうちに心の海は凪いでしまうものだ。嵐は、過ぎ去っていくのだから。

 それでもクオンは、その相手に対してだけは自分の感情を抑えきれないのかもしれないという恐怖があった。感情の暴発ほど恐ろしいものはない。みずからの心を支配しなければ安息など訪れないように、激情に身を任せたとき訪れるのは破滅的な未来に違いないのだ。

「おまえに聞きたいことができたのだよ」

 事も無げにそういったのは、美女である。燃えるような赤毛が象徴的ではあるが、彼女の特徴といえばそれだけではないだろう。絶世の美女という言葉が彼女以上に相応しい人間がいるのかと思えるほどの美貌は、異性はもちろん、同性であろうと虜にするに違いなかった。その肉感的な姿態に悩殺されるにせよ、蠱惑的な声音に耽溺するにせよ、彼女に楽園を幻視するものは後を絶たない。

 もっとも、クオンはそうはならなかった。理由はわからない。少なくとも、彼の自制心の強さが原因ではなかった。

 女の名は、アズマリア=アルテマックスといった。この大陸でもっとも高名な武装召喚師であり、数多の二つ名で恐れられる伝説的な人物である。

 そして、クオンをこの世界イルス=ヴァレに召喚した張本人でもあった。

「ぼくに?」

 クオンは、彼女との距離感を意識しながら問いかけた。

 太陽は、中天に至ろうとしている。風は無いに等しく、気温は静かに上昇を続けていた。クオンの額に汗が浮かぶ。が、彼はそれを拭いもせずに、アズマリアの黄金の瞳を見据えていた。妖しい光を湛えたふたつの瞳もまた、クオンを見つめている。

 ベレル王国の南西、マージアの町外れの屋敷の裏庭にふたりはいた。その屋敷は、クオンが率いる傭兵集団《白き盾》の拠点として借りているのだが、いまは、ほかのメンバーはほとんど出払っていた。買出しに出かけたのだ。

「セツナという少年を知っているか? セツナ=カミヤ。おまえと同じ家名の少年だよ」

「やはりあなたか! あなたがセツナを召喚したんだな!」

 クオンは、自分でも驚くほどに声を荒げていた。激する感情を抑える手立てが無い。今の今までぼんやりとしていたものが、一瞬にして鮮明な光を発したのだ。幾重もの渦を巻き、明確な答えの得られなかった疑問に、納得のいく回答が得られたのだ。そして、その答えは、決して許せるようなものではなかった。

「セツナまで、この世界に召喚したのか……!」

 アズマリアへの鬱積した想いが、激情となって迸るのも無理はなかった。クオンの脳裏を閃光のように駆け抜けた数多の記憶が、彼女への敵意を増幅させた。クオンは、この世界に召喚されてからというもの、アズマリアのおかげで、絶望というものを何度となく味わわされた。それが自分自身のみに降りかかるものだったからこそ、彼は、今日まで我慢することができたのだ。しかし、セツナがアズマリアによって召喚されたと判明した以上、セツナがクオンと同様の地獄に落とされるのは火を見るより明らかだった。

 それは、クオンにとってもっとも耐え難いことだった。

「なにを怒っている? 家族か友人か知らないが、この世界で再会を望むこともできるのだぞ。喜んで欲しいものだ」

 アズマリアがいつものように冷笑する様を認めて、クオンは、自分の中でなにかが弾ける音を聞いた。



 ◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆



 室内は、広い。

 天井から吊るされた複雑な形の魔晶灯が、室内全体を照らすように冷ややかな光を降り注がせている。磨き抜かれた石の床の上に敷かれているのは、獅子が描かれた絨毯だった。獅子は、ガンディアの象徴なのだという。絨毯の上には長方形のテーブルと無数の椅子が並んでいた。どれもこれも高級品には違いないのだが、使い古されているようにも見受けられた。

 目を引くのは、壁に貼り付けられた三つの地図だろうか。三方の壁にそれぞれ一枚ずつ貼られており、左は、王都ガンディオンを中心に描いているところから、ガンディア国内の詳細な地図だと想われた。右は、ガンディアとその周辺諸国、真ん中の地図は、その規模から考えるにこの大陸の全体図なのかもしれない。しかし、その地図からガンディアの位置を探し出すのは一苦労だった。あまりにも小さいのだ。もっとも、それはログナーやザルワーンも大差ないのだが。

「アズマリア=アルテマックスがすべての元凶……か」

 レオンガンドの口調が少しばかり残念そうだったのは、彼が最初にセツナに会おうとした目的が、彼女の存在だからだろう。ファリアとの会話において、アズマリアの弟子を名乗ったセツナと接触することで、あの伝説的な武装召喚師との繋がりを持とうとしたのだ。バルサー要塞奪還戦を控えたレオンガンドにとって、魔人とも呼ばれる彼女の力は、喉から手が出るほど欲しかったに違いない。

 セツナは、静かに呼吸を整えながら、レオンガンドの様子を見ていた。魔晶灯の照明の下で、青年王の容貌はあいも変わらず美しいままだった。

 話は、終わった。

 セツナは知りうる限りのすべてを、レオンガンドとその四人の側近に話したのだ。イルス=ヴァレとは異なる世界に生まれ育ったこと。突如として空から降ってきた門を潜り抜けた先が、カラン近くの森の中だったこと。そこでアズマリア=アルテマックスと初めて出会い、武装召喚術の使い方を知ったということ。黒き矛の召喚、皇魔との戦い、カランにおけるランカイン=ビューネルとの戦闘、そして昨日の出来事について、洗いざらい話し尽くした。

 当然、疑問の声も上がった。

 なぜ、いままで黙っていたのか。

 なぜ、アズマリアの弟子などと虚偽の申告をしたのか。

 なぜ、アズマリアがセツナに対して皇魔を放つような真似をしたのか。

 セツナは、それらの問いに対して、誠心誠意わかる限りのことは答えたつもりだった。

 異世界の住人だということを黙っていたのは、無用の混乱や誤解を招かないために他ならない。異世界に召喚されたはいいがなんの予備知識も与えられなかったセツナには、そうすることでしかあの状況を切り抜けられそうになかった。

 もっとも、初対面のファリアに異世界から召喚されたということを話しても、まともに取り合ってもらえなかったか、昨日のように受け入れてくれたかもしれないが。それはそれ、である。あのときのセツナには、嘘をつくくらいしか選択肢は存在しなかったのだ。

 それは、アズマリアの弟子という申告に対しても同様だと言える。なぜアズマリアの名が出てきたのかを考えると、この世界の住人で知っているのが彼女しかいなかったからなのだが、弟子とした理由は、ファリアに武装召喚師としての師はだれか? と聞かれたからだった。

 そして、それらの選択は、あながち間違いではなかった。

 結果として、ファリアはセツナをなにかと目にかけてくれるようになったし、レオンガンドと出逢うきっかけになったのだ。レオンガンドとの出逢いは、セツナをマルダールへと運び、《蒼き風》の傭兵たちとともにバルサー平原の戦場を駆け抜けることになった。

 そう、順風満帆だった。

 問題はなにひとつなく、なにもかもすべてがうまく行き過ぎていた。

 だからこそ、アズマリアは現れたのだろうか。

「君も皇魔も同じではないのか? 今なら、兵たちの言っていたことも理解できる。悪鬼、死神、化け物とな」

 そう言ってきたのは、レオンガンドの側近のひとりだった。黒髪の男だ。彫りの深い顔立ちは、男の厳めしさを引き立てている。年齢は、三十代半ばくらいだろうか。どこか超然とした茶褐色の瞳は、なにもかも見透かされるかのような錯覚を覚えた。

「言葉が過ぎるぞ。先の戦いは、彼の活躍のおかげで大勝を収めることができたのだ。手柄をあげることすらできなかった兵士たちの戯言よりも、彼の戦果のほうが余程雄弁だ」

 セツナが答えるより先に反論を述べたのは、貴族然とした男だった。金髪碧眼。痩せぎすで、頬がこけており、不健康そうに見えた。しかし、眼光は鋭く、生気に満ちている。肉体はともかく、精神的には充実しているのかもしれない。

 黒髪の男が、皮肉げに笑う。

「実に雄弁だな。とても人間の――それこそ、ただの少年の成せる業ではない」

「彼は武装召喚師だ。ただの少年というのは誤った認識だな」

「それも奇妙な話だと想わないか? 異世界から召喚されたばかりのものが、なぜ武装召喚術を行使できるのだ? 召喚術を習得するためには、気の遠くなるほど膨大な時間と労力を要する。それほどまでに高度な技術なのだ。聞けば、彼の世界にはそのような技術はないというぞ?  これはどういうことなのだ?」

「それは……」

 言葉に詰まる男に対して、黒髪の男はここぞとばかりに声の調子を上げた。

「つまり彼は人間ではないのだ。少なくとも、この世界にいるべき存在ではない。いまは良い。陛下の言葉に従い、ガンディアのために力を振るってくれた、その事実には感謝している。だが、いつその力の矛先が我らに向けられるかわかったものではない――」

 セツナは、ふたりの側近の口論を見守ることしかできなかった。歯痒くても、口を挟むことはできない。一方的な暴論とも取れる男の結論も、必ずしも横暴な判断ではないのだ。納得できる部分もある。

 確かに、おかしな話だった。

(俺は何で、武装召喚術が使えるんだ?)

 もっとも、それは術などではないのかもしれない。ただ、武装召喚と告げるだけでいいのだから。それだけで術は発動し、異世界から武器が現れた。ファリアが卑怯者と罵ってきたのもわからなくはない。彼女たちが費やした時間や努力を嘲笑うかのようなものなのだ。だからといって行使しないわけにはいかないのだが。

 ふと、セツナは、レオンガンドがこちらを見つめていることに気づいて、正面に顔を向けた。青年王は、心配しなくていいよ、とでも語りかけてくるかのような表情を浮かべており、そのあざやかなまなざしを見た瞬間、セツナは、自分の中からあらゆる不安が取り除かれていくのを感じた。

(あ……)

 張り詰めた空気の中では涙を流すことなど有り得ないが、それでもセツナは、涙腺が緩みそうなことに焦りを覚えた。いくら心が救われたからといって、こんな場所で泣くわけにはいかない。

 レオンガンドが、黒髪の男に向かって口を開いた。

「貴重な意見をありがとう、ケリウス=マグナート。君の懸念ももっともだ。この国は、セツナの力に対抗する手段を持ち合わせていないといっても過言ではない。矛先がこちらに向けられた場合、平身低頭で許しを請う以外に生き延びる術はないだろう。それで彼が矛を収めてくれたなら、の話ではあるけれどね」

 自嘲気味に微笑するレオンガンドに、側近たちは疎かセツナまでもはっとなった。彼の言葉が意味するところを理解して、だれもが愕然としたのだ。それはつまり、国家が、たったひとりの少年に降伏するということに他ならない。

 小国とはいえ、ガンディアは、何千という人間を兵士として動員できるはずであり、強固な要塞や城塞都市を持ち、なおかつ同盟国との関係も良好だったはずだ。その総兵力を以ってすれば、たかが武装召喚師のひとりなど容易く滅ぼせるものと考えるのが、常識だろう。

 セツナ本人でさえ、そう想っている。何千人もの人間と戦えるはずがなかった。バルサー平原での戦いの時も、結局は体力が尽き果て、気を失ってしまったのだ。意識を失ってしまえば、黒き矛を持っていようと雑兵以下の存在に成り果てる。

 過大評価にもほどがある。

 側近のひとりが、レオンガンドに叫ぶように言った。

「陛下! そのような世迷言は口になさいますな!」

「ただの冗談だよ」

 悪戯を叱られた子供のように、レオンガンド。茶目っ気たっぷりの彼の様子に、セツナは、唖然としながらも親しみを覚えていた。一国の王ともあろうものが、どうしてそこまで軽いのだろう。いや、軽いというのとは違うかもしれない。どちらにせよ、セツナにとって、レオンガンドが心地良い響きの持ち主だということに変わりはなかった。

「さて、セツナ。ケリウスはああ言っているが、君はどう想う?」

 不意打ちのような質問に、セツナは、目をぱちくりさせた。

「え……?」

 レオンガンドは、優しくも穏やかな笑みを浮かべていた。

「君はいつか、このガンディアに矛先を向けるかい?」

「そんなこと――!」

 あるわけがない!

 セツナは、叫ぼうとしたが、レオンガンドに制された。

「ははは、安心した。君のその反応で、ケリウスの懸念が杞憂に終わると確信したよ」

 レオンガンドはそう言ってきたが、セツナは、彼の言うことがとてもではないが信じられなかった。もちろん、疑っているのではない。彼の言葉に裏があるとしても、悪意があるとは想ってもいない。ただ、こちらの反応を見て結論付けたわけではないのだろう、ということだ。セツナの驚き慌てる様子を面白がるために問いかけてきたのではないか、そんな憶測すらも浮かんでしまう。

「わたしは、セツナ=カミヤの存在をここに認めると宣言しよう」

 その一言とともにレオンガンドの纏う空気が一変した。いままでの和やかで穏やかな気配から、威厳に満ちた国王のそれへと。それとともに、室内の空気が一瞬にして緊張した。セツナも同じだった。緊迫感に圧倒される。王の言葉の意味を理解し、感動に震えたのは、それからだった。

「彼がどこから来ようとも、我が王国のために命をかけてくれた事実を覆すことはできない。先の戦いで、我が軍の被害を最小に抑えることができたのは、彼が想像を遥かに上回る活躍をしてくれたからに他ならない。彼が力を貸してくれなければ、数多くの兵士が命を落としていたはずだ」

 レオンガンドの熱弁に対し、口を挟もうとするものなど当然、皆無だった。だれもが耳を傾け、王の言葉に込められた想いを感じ取ろうとしている様子だった。

 セツナは、レオンガンドの新たな一面を目にしたような気がして、半ば呆然としていた。軽やかさだけが彼の持ち味ではなかったのだ。

「元より無茶な戦術ではあったのだ。それでもバルサー要塞を奪還しなければ、ガンディアに安寧は訪れない。国民の心から平穏は遠ざかり、先王の夢は幻と消えてしまうところだった。だからこそ、無理にでも取り戻す必要があった。どれだけの血が流れ、どれほどの兵が倒れようとも、要塞を奪還しなければならなかった。結果は、さっき言った通りだ。セツナのおかげで、こちらの損害は極めて少ないまま勝利を得ることができた。これは何事にも変え難い事実だ。セツナがいなければ、今頃、悠長に会議を重ねている場合ではなくなっていただろう。その点でも感謝するべきではないかな? 諸君」

 レオンガンドが側近たちを一瞥すると、彼らは一様に苦笑したようだった。

「彼が異世界の住人であるという真実は、彼と皇魔が同質の存在であるという可能性を肯定もしなければ、否定もしていない。しかし、彼が寄る辺なき異邦の少年という厳然たる事実に対し、わたしたちにできることといえば、ひとつしかあるまい」

 レオンガンドの碧い瞳が、セツナを見ていた。透き通るように美しい瞳に吸い込まれそうになったセツナは、それはそれでいいのかもしれない、とも想った。自分のことをこれほどまでに考えてくれているのだ。すべてを委ねても、いいのかもしれない。

 それが最善の道なのかもしれない――そんな気がした。

「セツナ=カミヤ、俺に仕える気はないか?」

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[一言] 獣を狩って生活し、強くなって自由を手にするわけには行かなかったのかい?オジサンたちについては人間だろうとむしろ言葉を解していてそんな事言われたら摘んでしまうんじゃ無いかな?
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