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第四百八十八話 因果は廻る(一)

「それにしても、遅いわねえ」

 ミリュウが伸びをしながらいったのは、控室に入って三十分が経過したくらいだろうか。

 ミリュウを含めてたった四人しか所属していない《獅子の尾》隊のために用意された控室は、やたら内装の凝った広い部屋だった。大広間からは少し離れているものの、不便というほどのものではなかった。

 椅子にしろ、机にしろ、設置された豪華な調度品の数々に度肝を抜かれるような人間は、《獅子の尾》にはいないようだった。ミリュウは当然のこととして、バルガザール家の二男であるルウファは無論のこと、セツナですら見慣れたもののようだった。控室の豪華さに驚き、はしゃいだのはルウファについてきたエミル=リジルくらいで、彼女のはしゃぎぶりこそ女の子らしいといえるのかもしれない、などと想ったりもした。

 少なくとも、真紅のドレスを見事に着こなし、優雅に振る舞う自分に女の子らしさなどあるはずもない。年齢も年齢だが、この際、歳のことは考えないでおくことにしていた。

「ファリアさん、王宮にも知り合いが多そうだし、そのせいかもしれませんね」

「そっか。ファリアって《獅子の尾》に入る前から王宮に出入りしてたんだっけ」

「陛下の話し相手だったみたいですよ」

「そういえばそうだったな」

 セツナが、礼服の上着を脱ぎながらつぶやいた。堅苦しい格好は苦手だと隊舎でもいっていたが、実際そのとおりだったのだろう。ほかにだれもいないとわかってようやく脱ぎだしたのは、一応、場を弁えているといえるだろうが。

 服に着せられている姿は、あまりにも愛おしいのだが、それを口にするとセツナがむくれるということを知っているので、ミリュウは黙るしかなかった。むくれた顔も可愛いのだが、機嫌を損ねたくないという気持ちのほうが強い。

 彼女は、ようやく自分の居場所を見つけたと思っているのだ。セツナという少年の側がそれだ。隣でなくてもいい。彼の姿を視界に収められるぎりぎりの距離でもいい。もちろん、そうなると辛いのは間違いないのだが、それでもいいと思えるほど、彼の側というのは居心地が良かった。

 素顔の自分でいられる気がした。なにかを着飾る必要もなければ、自分を装う必要もないと思えた。愚かでつまらない女でしかない自分の在り方を受け入れてくれるひとがいる。ただそれだけのことで、この世はこんなにも美しく見えるのかと驚くほどだ。

 そして、彼女が《獅子の尾》の一員となる日も近い。公文書に署名し、あとはレオンガンドの認可を待つばかりなのだが、それも必要なさそうだった。なぜなら、彼女は、王宮主催の晩餐会に《獅子の尾》の一員として招待されていたのだ。

 レオンガンドの粋な計らいというべきか。

 ミリュウは、セツナの記憶を通して知ったレオンガンドという若き国王のことがますます好きになった。とはいえ、それはセツナの外護者としてのレオンガンドが好きなのであり、それ以外のことでは興味を持つことはなかった。

「ファリアって不思議よね。少なくともあたしより年下なのに、ずっと大人っぽいし」

「ミリュウさんが子供すぎるのでは?」

「そうかもねー」

「あれ」

「なによ?」

「怒るか怒鳴るかすると思って身構えたんですけど」

「なに? あたしってそこまで凶暴に見えるわけ? 心外だわ」

 ミリュウがひと睨みすると、ルウファは引きつったような笑みを浮かべながら、彼女の視界から消えた。部屋の片隅で珍しくもない調度品の数々を眺めているエミルに逃げたらしい。

 部屋の真ん中に置かれたテーブルには、ミリュウとセツナのふたりだけになってしまった。少し緊張する。エミルとルウファの話し声が聞こえてくるのだが、それでも、ふたりきりになってしまったという感覚が、ミリュウの意識を硬直させた。

 対するセツナは、大広間での緊張から開放されて、テーブルの上に突っ伏している。彼は、レオンガンドに新たな領伯として紹介されてからというもの、ガンディアの貴族たちに挨拶回りをしなければならなくなり、ほとんど休んでいる暇もなかった。だから、最後の最後、《獅子の尾》のテーブルに出されていた料理を平らげる勢いで食べていたのだ。

 太后グレイシア・レア=ガンディアを初め、有力貴族であるところのラインス=アンスリウス、オーギュスト=サンシアン、ラファエル=クロウ、それにログナーの元国王であり、ガンディアの一貴族となっているキリル=ログナーとも言葉をかわしたということだ。ナージュ姫は無論のこと、ハルベルクとリノンクレアのルシオン王子夫妻に、ミオンの将軍とも談笑したというのだが、セツナは、なにを話したのかほとんど覚えていないようだ。慣れない場で、緊張の極致だったのだ。覚えていなくて当然かもしれない。

 ミリュウは、そういうセツナを愛おしく想うのだ。といって、そんなことを言葉にできるだけの奔放さはない。少なくとも、今は鳴りを潜めている。

 ミリュウがセツナの横顔をぼんやりと眺めていると、控室の扉が軽く叩かれた。ルウファが応じると、扉の向こうから現れたのは、王宮の使用人らしき女性だった。銀獅子の紋章が入った制服は、彼女が獅子王宮で働いていることの証明だろう。美人だったが、特筆するべきことではあるまい。王宮に働く女性というのは、美人が多い。容姿を保つのも仕事のひとつだ。

「こちらは《獅子の尾》隊の控室だと伺っているのですが、セツナ様はここにおられますか?」

 彼女が困ったような顔で尋ねてきたのは、そんなことだった。テーブルに突っ伏していたセツナが、むくりと顔を上げる。

「俺だけど?」

「ああ、こちらにおられたのですね。良かった」

 使用人の曇っていた表情が一気に晴れた。余程困っていたのだろうが、彼女がいってきたのは、ミリュウも予想だにしないことだった。

「ファリア様からセツナ様を早急に呼んできて欲しいと頼まれまして、探し回っていたところなのです」

「ファリアが俺を?」

「どういうこと?」

「はい。なにか急ぎの用事があるようでして……」

 使用人は言葉を濁したが、セツナは問い詰めなかった。すぐさま立ち上がると、手早く上着を羽織った。その振る舞いは中々画になっていたものの、着こむと、やはり着せられているようにしか見えないのが困りものだ。

「わかった。すぐに行くよ。ファリアの居場所はわかってるんだよね?」

「はい。案内します」

 使用人が満面の笑みでうなずく。彼女も、王立親衛隊の隊長補佐からの頼み事を無事に終わらせることができてほっとしているのだろう。

「えー、いっちゃうのー?」

「ファリアが呼んでるんなら、行くしかないだろ?」

「そうね。そうよね……うん、じゃあ、気をつけてね」

「うん」

 セツナのうなずく声の可愛らしさというのは筆舌に尽くしがたいと、いつも彼女は思うのだ。そして、そのたびに抱きしめたい衝動に駆られて、できるわけがないという結論に至る。以前の自分ならばできたことが、いまはなぜかできない。気恥ずかしさが先に立つのだ。

 ミリュウは、悶々としながら、セツナが控室を出るまで手を振り続けた。

「ファリアさんの急用ってなんでしょうね?」

「さあね。あんまり詮索しないほうがいいんじゃないの?」

 ルウファの質問に適当に返すと、彼女はわざとらしくあくびを漏らした。

 それは、自衛のためでもある。

 世の中には、知らなくてもいいことがあるのだ。ファリアがセツナとふたりきりになりたくて呼び立てたということが真実だとしても、知らなければ苦しむことはない。悲しむこともない。もちろん、真実を知らない以上、それはただの妄想になるのだ。妄想で苦しむ必要はない。

 とはいえ、気になるのは事実だった。

 ミリュウは、ファリアが嫌いではない。セツナの意識を通して見たファリアは、とてつもなく魅力的な女性であり、そうである以上、嫌いになどなれるはずがなかった。

(嫌いになれたら、どれだけ楽だったのかしら)

 馬鹿馬鹿しくも、そう思ってしまうこともある。

 セツナの中で、ファリアがもっとも大切な女性だということを知ってしまっている。セツナにとっての女神であり、天使であり、光であり、幸福の象徴なのがファリア・ベルファリア=アスラリアという女性だった。

 付け入る隙などありはしないのだ。

 しかし、それでいいのだと思ってしまうほどに、ミリュウの中のセツナの記憶は大きい。いま、ミリュウがセツナに安心感を覚えるのは、彼の人生を共有してしまったことに原因があるのだろう。彼のことを知ってしまったからだ。

 だから、ふたりが幸せになるのなら、邪魔をしたくはなかった。

 そのとき、控室の扉が開いた。

「失礼する。セツナ殿はおられるかな?」

 そういって控室に足を踏み入れてきた人物のことを、ミリュウは覚えていた。

 オーギュスト=サンシアン。ガンディアの貴族界隈における有力者のひとりだという話だが、サンシアン家ならば力を持っていてもおかしくはない。サンシアン家といえば、小国家群の歴史に名を残す名家であり、没落したとはいえ、その名を知らぬものはいないほど有名だった。ガンディア王家がサンシアン家を拾ったという話は、小国家群の中央部では知られた話だ。

 オーギュストは、数人の従者を引き連れていた。

「オーギュスト様がどうしてここに?」

 ミリュウは、セツナに感じたものとは別の緊張を覚えた。背筋を伸ばし、椅子から立ち上がる。見ると、ルウファも同じように姿勢を正していた。家格で言えば、サンシアン家に並ぶ家柄は、ガンディアにはないのだ。ザルワーンの五竜氏族すら、サンシアン家の名声には敵わない。もっとも、名声だけではどうにもならないから、ガンディアのような小国の貴族に落ちぶれたのだが。

「そんなことはどうでもいい。セツナ殿はどこにおられるのだ?」

 オーギュストが苛立たしげにいったのは、切羽詰まっていたからかもしれない。

「つい今しがた、使用人の女性とともに部屋を出て行きましたわ。目的地はわかりませんが、ファリア隊長補佐の呼び出しということなので、すぐに戻ってくると思いますけれど」

「使用人に? それはまずいな」

「どういうことです?」

「事情はおって話す。いまは、セツナ殿を探しだすことを優先するべきだ」

 そういうと、彼は口早に従者に命令を飛ばした。従者たちは、オーギュストの命令に瞬時に動いた。控室を出ると、脱兎のごとく走り去る。

「だから、どうしてですか?」

「セツナ殿が殺されるかもしれない」

 オーギュストの声音は真に迫っており、とても嘘を言っているようには思えなかった。


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