表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
483/3726

第四百八十二話 ジゼルコートという男

「なるほど。殿下は相変わらずということですか」

「ええ。相変わらず」

 レオンガンドがジゼルコートに話したのは、太后グレイシアの若々しさと相も変わらぬ愛情の深さであり、ことの詳細については話してはいない。母に抱きしめられたことまでこの叔父に話す必要はないと判断した。もっとも、それ以外のことは話してはいる。後宮でラインス=アンスリウスと遭遇したことは、ジゼルコートの表情に苦いものを走らせていた。

 ラインスはジゼルコートの政敵ともいえる存在だ。

 ジゼルコートが先王に代わり、影の王として君臨した時代、もっとも勢力を誇ったのが、王妃の実兄にしてアンスリウス家の当主たるラインスだったのだ。ジゼルコートは、ラインスの影響力を排除するのに苦労したようであり、その苦労が半ば水の泡になりそうな昨今の情勢には、彼も頭を悩ませているようだった。

「それはよいことですね。兄上にとっては最愛の女性であり、わたしにとっても大切なお方。義姉上はガンディア王家に光をもたらしたのですからな」

「そうですね……光。光です」

 レオンガンドは、ジゼルコートのいうことが理解できた。グレイシア・レア=ガンディアという女性が王家にとっての光だというのは、彼の実感するところでもある。シウスクラウドが病に倒れた時でも、グレイシアは明るさを失わなかった。その気丈な振る舞いがひとびとを奮い立たせ、国難にも立ち向かうことができたのだ。

 そして、慈しみに満ちたひとでもある。

 王家であろうと貴族であろうと、はたまた一般市民に至るまで、彼女はあふれる愛を隠さなかった。だれに対しても分け隔てなく愛情を注ぐことのできる彼女は、稀有な存在であり、奇跡のような人物だとだれもが褒めそやした。

 ガンディア王家の中で、グレイシアだけが敵のいない存在として、浮かんでいる。

「その光に群がるのが、太后派のような連中だというのは嘆かわしいことですな」

「なんとかしなければならないのはわかっています。が」

「事を急いで、仕損じるようなことがあってはなりません。どうか慎重になされよ」

「もちろん」

「とはいえ、最近の太后派は動きが妙です。くれぐれもご注意を」

 ジゼルコートとの会談は、そのようなところで終わった。ジゼルコートの注意喚起は、レオンガンドの気を引き締め直すものとして有効であり、彼は叔父に感謝した。久々に叔父の顔を見ることができたことも、彼には喜ばしいことだった。やはり、家族と会うのは、力になる。

 と、別れの間際、ジゼルコートは予期せぬことをいってきた。

「そうそう。ログナー解放同盟の手のものが王都に現れたという話は聞き及んでおいでですかな?」「! いえ、それは初耳です」

「そうですか。陛下の情報網に引っかからないということは、誤情報かもしれませんな」

 ジゼルコートの反応はあっさりとしたものだったが、だからこそレオンガンドは引っ掛かりを覚えた。レオンガンドが王都を離れていたのは約一ヶ月に及ぶ。その間の王都の事情は、ケルンノールにこもっていたジゼルコートのほうが詳しくても不思議ではない。もちろん、レオンガンドが王都を離れている間も、彼の配下は王都中に目を光らせていたのだが、レオンガンド側とジゼルコート側では見る角度というものが違う。レオンガンド側から見えなくとも、ジゼルコート側からは見えるものもあるだろう。

「……探らせましょう」

「それがよいでしょうな。では、わたくしはこれにて」

 執務室を去るべく扉に向かった領伯の背に向かって、レオンガンドは、言葉を投げかけた。

「ジゼルコート殿」

「はい?」

「王宮に戻られる気はありませんか?」

「……少なくともいまはそのときではない、と考えております」

「そうですか」

 レオンガンドは残念に思ったが、彼を無理に引き止めることはできないのは、最初からわかっていたことだ。強引に引き止め、政治に参加させたところで、彼が味方になってくれるかというとそうではなかろう。いまはレオンガンドにとって心強い味方ではあっても、だ。人間の感情というのは、いつどこで変わるものかわからないのだ。

「王宮のことは陛下に任せた以上、わたしのようなものは関わるべきではない。わたしはケルンノールで馬でも愛でながら余生を過ごすのが性に合っている……そう思うのです」

 そう言い残して、ジゼルコートはレオンガンドの執務室を去っていった。関わるべきではないと言いつつ、レオンガンドに忠告してくれたのは、彼の親心なのかもしれない。レオンガンドは、だれもいなくなった虚空を見遣りながら、ぼんやりと思った。

「バレット」

「ログナー解放同盟について、ですね」

「ああ。早急に調べ上げろ。奴らの動きが活発化することなどありえないと思っているが、万が一ということもある」

「すぐに」

「頼む」

 バレットさえいなくなった執務室の一角で、レオンガンドは目を閉じた。瞼の裏に浮かぶのは、ログナー戦争の一部始終だ。ヒース=レルガの捜索及び救出に端を発する戦いは、全面戦争に発展することなく終わった。消化不良。不完全燃焼。そんな言葉がよく似合う戦いだったのは間違いない。しかし、ガンディアは勝利のために多大な犠牲を払ったし、ログナーにも出血を強いた。勝利と敗北。両国の立場を分けたのは、たったひとりの武装召喚師とたったひとりの将軍だった。

 セツナが敵陣に食い込み、アスタル=ラナディースが敗北を宣言した。

 彼の活躍と、彼女の判断が、あの戦争を終わらせた。

 あのとき、彼がいなければ、彼女がいなければ、戦いはもっと長引き、泥沼化したかもしれない。

 いや、そもそも、セツナがいなければ、戦争に踏み切っていたのか、どうか。ヒースの救出だけで満足していた可能性も高い。ヒース=レルガは、ナーレスとの連絡役として必要不可欠だった。彼さえいれば、ザルワーンに潜伏中のナーレスと連絡を取ることは容易となり、そうなればザルワーン対策は簡単だ。隣国ログナーよりもザルワーンのほうに脅威を感じていたレオンガンドにとって、ログナーの情勢に応じて攻めこむという博打に出るよりも、堅実にガンディアを強化し、ザルワーン対策を練ることのほうが急務に思えた。

 しかし、現実はまったく違う結果となった。

 アスタル=ラナディースが当時ログナーの国王であったキリル・レイ=ログナーに背き、王子への譲位を迫った“飛翔将軍の乱”は、ログナーの支配者であるザルワーンの軍勢を動かした。ログナー軍とザルワーン軍の対峙は、ガンディアにとってはログナーへの付け入る隙となりえたのだ。そして、その隙をものにするためには、圧倒的な攻撃力が必要だった。それが黒き矛のセツナであり、彼の活躍はガンディア人に栄光をもたらしたのだが、ログナー人にとっては絶望に等しいものとなった。

 もっとも、ログナー国民の大半は、ザルワーンによる支配がガンディアによる支配に替わっただけだと捉えていたようであり、ザルワーンよりもガンディアのほうがましだと考えるログナー人の割合は多かったようだが。

 それでも、ガンディアに対して反発を抱くものはいる。敵国による支配を平然と受け入れられるほうがおかしいという考えは当然だったし、感情論で反発するのも理解できるものだ。

 ログナー王家の一員であったアーレス=ログナーが、ログナーの降伏及びガンディアによる平定をよしとせず、ログナーの都市レコンダールを占拠したことは、そういった反ガンディア的な感情を抱く人々に衝撃を与えたらしい。さらに、アーレスの行動が無意味に終わったことも、彼らにとっては衝撃的だったのだろう。

 ログナー解放同盟という呼称がログナーの各所で聞かれるようになったのは、ナージュ・ジール=レマニフラが王都を訪れる少し前辺だった。

 ログナーを解放し、真なる自由を得よう!

 ガンディアを駆逐し、ログナーを取り戻そう!

 ログナー解放同盟の掲げる言葉というのは、いかにも空々しく、寒いものなのだが、彼らがアーレス=ログナーの遺志を受け継いでいるといえば、そこに多少の力が加わってしまうのが奇妙なところだ。

 ログナー解放同盟は、外敵に最後まで抗い、戦死したアーレス=ログナーこそ、ログナーの正当なる王であると公言し、同時にキリル=ログナーとエリウス=ログナーを断罪している。

 逆賊アスタル=ラナディースにいわれるままエリウスを即位させたキリルも、王となったエリウスもまがい物であり、偽りの王なのだという。

 彼らは、そんな偽りの王が降伏したところで、ログナー全土がガンディアのものになるわけがないといっているのだ。

 なんとも馬鹿げた話だし、彼らの言い分に耳を貸す必要はない。それに、ログナー解放同盟がなにかしらの行動を起こしたという話はないのだ。ガンディアにとって致命的な存在とはなっていない。ログナーの各地で運動しているログナー解放同盟よりも、権力の中枢近くで策謀を練っている太后派のほうが余程厄介だし、早急になんとかしなければならない存在だった。

「アーリア」

「こちらに」

 レオンガンドの背後に突如として気配が生じると、細い腕が彼の首に絡みついた。ほかにだれもいないことが、彼女を勘違いさせたということはあるまいが。

「……ケルンノール領伯を見届けてくれ」

「御意に」

 どこか不機嫌そうな響きは、アーリアらしくはなかったが。

 虚空に溶けて消えた魔女の残滓に目を細めると、彼は椅子から立ち上がった。ジゼルコートを疑っているわけではない。むしろ、レオンガンドは、ジゼルコートは味方だと想いたいのだ。だからこそ、彼が王宮を訪れた真の理由を知りたかった。

 レオンガンドの戦勝を祝い、忠告するためだけに現れたというのならば、それでいい。しかし、それ以外の理由があるのならば、その理由を知っておく必要が彼にはあった。

「晩餐会……か」

 時計を見て、彼はつぶやいた。いまごろ、王宮大広間は晩餐会の準備で大変なことになっているに違いない。なにも論功行賞の日に行う必要はないのではないか、という声も聞こえてきたものの、レオンガンドは日程のことも考えて、今夜に決めた。本当ならば、大将軍と左右将軍が揃っているときに行いたかったのだが、状況がそれを許さなかった。それに酒宴を開くのは、今日だけではないのだ。将軍らが揃ったときにはまた別の宴を開催するのもいい。

 晩餐会にはジゼルコートを誘うべきだったと思ったものの、レオンガンドは即座に頭を振った。彼は遠慮しただろう。そういう人物だった。影の王だったころからどことなく控えめで、レオンガンドを前面に出していくような、そんなひとだったのだ。

 彼はいつだって、影に身を潜め、物事を見守っていた。

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
このランキングタグは表示できません。
ランキングタグに使用できない文字列が含まれるため、非表示にしています。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ