第四百七十六話 王宮の事情(一)
「想像通りの結果に納得半分、不満半分といったところのようです」
「……まあ、わかりきっていたことだ。どんな結果であれ、自分の活躍が認められなければ不満を抱くものだろう。きわめて公平に選び抜いたとは思うがな」
レオンガンド・レイ=ガンディアは、バレット=ワイズムーンの報告にあくびを漏らしながらいった。王都に凱旋してからというもの、レオンガンドはほとんど一睡もできていなかった。眠るとしても一時間程度であり、仮眠といってもいいものだ。それだけ忙しいのだ。
凄まじい眠気と疲労感に抗いながら、書類の束に目を通す。獅子王宮に帰還した王を待っていたのは、溜まりに溜まった書類の山である。戦争が始まるまではケリウスやスレインといった彼の腹心たちが捌いていたものが、開戦とともに行く宛もなく滞り、山のように積み上がっていったのだろう。なんのための書類で、どうして積み上がるほどに貯まるのか、彼には理解できなかったが、だからといって文句を漏らしている暇もなかった。
ザルワーンを下し、その領土のほとんどを支配下に置いたということで、処理しなければならない雑務が膨大化したこともあるのだろうが。
しかし、彼は書類と格闘ばかりしているわけにもいかない。
いくつもの行事催事が、彼を待っている。体がひとつでは足りないほどに忙しい。これでは、ナージュと戯れている暇もない。そして、戯れる前に式を挙げるべきだと考えているのだが、レオンガンドとナージュの結婚に関するレマニフラからの返答が来ていない以上、結婚式をとり行うこともできなかった。水面下では、盛大な式にするべく動き始めてはいるのだが、それが形になるのはしばらく先の話になりそうだった。そのことでナージュは父を激しく怒っていたが、しかたのないことでもある。
懸案事項のひとつであった論功行賞は無事に終わった。バレットの報告では半数は納得しているというし、不満を持っている半数も、レオンガンドたちが導き出した結論を覆すことはできまい。できるだけの判断材料を提示するというのならば、評価を改めてもいいと宣言してもいたが。
戦功については、ザルワーン戦争が始まってからというもの、すべての戦いの結果を報告書として提出させてきている。龍府を制圧した時には、ヴリディア突破戦と征竜野の戦いの報告書を待つだけだったが、それも、龍府にいる間に上位陣を定めるには十分なだけのものは集まっていた。最終的な評価は、龍府から王都に至るまでの道中で行われることになったが、当然、大将軍や右眼将軍の意見も考慮していた。
上位三人は、論ずるまでもなく決まった。多少議論が合ったのは、第二位と第三位である。
セツナが第一位であることは揺るぎないものだというのは、印象論でも、レオンガンドの贔屓目でもなかった。彼の戦果を数えれば、当然の結論であろう。国境突破戦に始まる多くの戦いにおいて、彼の上げた戦果は、ほかのものでは真似のできないものだ。ザルワーン軍の総兵力を一万五千と仮定したとして、その一割以上をたったひとりで討ち取ったのがセツナだ。そして、彼が倒したのは雑兵だけではない。翼将カレギア=エステフとその副将ベイロン=クーンは、ナグラシアにおいて西進軍を苦しめたが、セツナが討ち取ったことで状況は一転、西進軍は大勝利を収めることができた。もし、西進軍にセツナが所属していなければ、バハンダールの戦いの結果は大きく違っていただろう。
そして、ミリュウたち魔龍窟の武装召喚師率いる軍勢の制圧だ。三人の武装召喚師のうち、ミリュウ以外を下したのは、ファリアとルウファだが、ミリュウを捕縛し、軍勢を制圧したのはセツナだった。千人以上のザルワーン兵が、セツナの振るう黒き矛に殺されたといい、その戦場で生き残ったものたちは、セツナを見るたびに地獄のような光景を思い出すという。
そこまででも十分に評価に値する活躍だが、セツナはさらにドラゴンを撃破するという快挙を成し遂げ、全軍を驚愕させた。
当時、ガンディア軍は征竜野の戦いの真っ只中であったものの、セツナがドラゴンを撃破したことが戦局になんらかの影響を及ぼしたとは言い難い。彼がドラゴンを撃破しようが撃破できまいが、決戦の結果は変わらなかっただろう。ガンディア軍の勝利に終わったのは、疑いようのない事実だ。しかし、ドラゴンが存在し続けていれば、その勝利が露と消えていたかもしれないのだ。
ドラゴンが自由に動けた可能性は、捨てきれない。ヴリディアから動かなかったのは、セツナとクオンに釘付けになっていたからかもしれない。
なにもかも憶測にすぎないが、ドラゴンが不動の存在であったとしても、あの場に存在し続けられては、ザルワーンの統治もままならなかったのは事実だ。ドラゴンが消滅したからこそ、ザルワーンが全面降伏に踏み切った可能性は、決して低くない。
ともかく、セツナの功績は、個人が成し遂げられるようなものではないといっていいだろう。
だからこそ、彼の労苦に報いるにはどうすればいいのかと苦心したのだ。セツナがなにを望み、なにを願い、なにを欲し、なにを求めるのか。道中、本人にそれとなく聞いてみたものの、答えは特になにもないというものであり、レオンガンドは困ったものだった。
本当になにも求めていないのかもしれない。なにも欲していないのかもしれない。
あるいは、レオンガンドには叶えられないようなことを求めていて、だからこそなにもいわなかったのかもしれない。
であれば、レオンガンドにはレオンガンドにできる最大の方法で報いるしかないのだが、これ以上、セツナになにを与えられるものか。
セツナには王宮召喚師という称号を用意した。そして、当初の予定では二隊だけ作るはずだった王立親衛隊を、彼のために一隊、余分に新設した。《獅子の尾》の性質が、ほかの二隊と大きく異なるのは、後付の部隊だからなのだ。無論、黒き矛の力を最大限に発揮させるには、レオンガンドの側においておくよりも、戦場に解き放ったほうがいいというのもあるにはあるが。
彼に獅騎の称号を与えるのはどうか、という案もあった。アルガザードの提案であり、デイオンもそれを推した。しかし、騎士ですらないものを唐突に獅騎とするのは無理があった。獅騎は、ガンディアにおける最高位の騎士という位置づけなのだ。セツナをいきなり獅騎に任命すれば、ほかの騎士に示しがつかなくなる。
もちろん、王の権力で無理を押し通すことは可能だ。しかし、無理を押し通せば、歪が生まれるものだ。その歪は、いずれレオンガンド自身に跳ね返ってくるかもしれない。レオンガンド自身ではなくとも、ガンディア王家にとって致命的なものとなる可能性がある。
そもそも、どこの馬の骨ともわからない武装召喚師を寵愛するレオンガンドに不満を抱く騎士は少なくない。騎士たちの不満をこれ以上膨らませるわけにはいかないのだ。騎士たちが太后派に流れるきっかけを作ってはならない。既に何人かは太后派と繋がっているという話だった。
様々な事情を考慮して導き出されたのが、セツナに領地を与えるということだった。領地を与えるということは、すなわち、領伯を任じるということであり、セツナをガンディアの貴族に入れるということでもあった。
領伯は、ガンディアの歴史上珍しい存在だった。現在では叔父であるジゼルコートがケルンノールの領伯を務めているだけであり、ほとんど忘れ去られたような制度でもあった。レオンガンドですら王都への道中、ゼフィルとの会話の中で思い出したほどだった。それも、論功行賞とは無関係の話の中でだ。
「セツナ・ラーズ=エンジュール……悪くない響きだと思うが」
「わたしとしては、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュールを推しますが」
「長くないか?」
レオンガンドは、バレットの発言に笑みをこぼしながら、手元の書類に視線を戻した。獅子王宮の一郭。レオンガンドの執務室には、彼とバレットのふたりしかいない。ゼフィルはいま《獅子の尾》の隊舎にいるはずだし、残りのふたりはザルワーンに居残り、大将軍の補佐を務めているはずだ。いつも四人で喧々諤々の討論を戦わせている側近がひとりしかいないというのは、寂しいものだ。
もちろん、アーリアは室内のどこかに潜んでいるはずだ。レオンガンドにさえ認識できない彼女を人数に入れ忘れるのは、よくあることだ。ついつい、忘れてしまう。その結果、ナージュに怒られるのだから困ったものだった。
論功行賞によって立場が大きく変わったのは、セツナくらいのものだ。
(いや……)
あとひとり、いた。
ナーレス=ラグナホルン。
彼を功の第二位としたのは、レオンガンドの意思だった。五年もの長きに渡る工作任務を終え、無事に生還した彼を評価せずして、だれを評価するというのか。そして、彼の立場を軍師に復帰させることに躊躇はなかった。いまはまだ療養に専念して貰う必要があるが、回復すれば、だれよりも働いてもらうことになるだろう。
軍師ナーレス=ラグナホルンは、レオンガンドの片腕となるのだ。
それは、レオンガンドの父シウスクラウドの夢のひとつだった。