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第四百七十五話 隊舎(四)

「セツナ様がエンジュールの領伯となられたことは、今日より公表され、数日の内にエンジュールにも伝わるでしょうが、セツナ様がエンジュールに赴かれるのは、しばらく先の事になりましょうな。王都での仕事が落ち着くまでは、セツナ様には自由な時間を与えることはできません」

 ゼフィルは何気に酷いことをいってきたが、セツナには聞き返しているだけの心の余裕はなかった。

「領伯って、具体的になにをすればいいんですか? 俺、そういうこと、まったくわからないんですけど」

「ああ、そうですね。領伯となられた以上、セツナ様には領地運営に携わって頂くことになります。エンジュールをどのように開発し、どのように発展させるのか、黒き矛の腕の見せどころといったところですね」

「うえええ!?」

「なんて声出してるのよ」

「本当、こんなのが領伯で大丈夫なのかしら」

 ファリアとミリュウの言葉が内臓を抉るような鋭さを見せるのだが、セツナは、彼女たちに食って掛かることもできない。それだけ、ゼフィルの説明が衝撃的すぎたのだ。が、ゼフィルは笑っていうのだ。

「冗談ですよ。領地の運営に関しては、こちらから司政官を派遣することに決まっています。セツナ様は領伯である以前に、王立親衛隊《獅子の尾》隊長であられるのです。領地の経営に心を奪われて、本来の仕事がおざなりになられては困りますしね」

「そ、それなら安心だ……」

 セツナは、心の底から安堵の息を吐いた。ファリアもミリュウも、ルウファまでが安心しているところを見ると、セツナが領伯になったことを心配していたのは、セツナだけではなかったということだろう。ただの十七歳に領地運営などできるはずがないのだ。

 十六歳のエインが軍団長を務めている事実から目を背けている自分に気づきながら、セツナは確信を持って思った。セツナとエインではなにもかもが違う。エインは軍人の家で生まれ育った生粋の軍人であり、異世界から召喚されたセツナとは比較していい人物ではない。この世界にようやく馴染んできたのがセツナという人間なのだ。覚えることは山ほどあって、それらを片付けてもなお、領伯としてやっていけるとは思えない。

「さっきもいった通り、エンジュールはバッハリア南部の地域です。いまでこそ温泉騒動で人気が沸騰していますが、それまでは小さな街がある程度の、なんの変哲もない土地だったそうですよ。ログナーの人々の間ですら話題に上らなかったというのですから、エンジュールの知名度がどれほどだったのかがわかるというものですね」

 セツナは仲間たちを見たが、だれもがきょとんとしていた。三人とも、ログナーについて詳しくはないのだ。ルウファはガンディア人だし、ミリュウはザルワーン人だ。特にファリアは、リョハンという北方の都市から来たひとである。セツナを含めた四人の中で、ログナーと関わりのある人間はいないといってもよかった。

「そういうこともあり、エンジュールは、バッハリアと同じ司政官に任せていたのですが、此度、セツナ様がエンジュール領伯になられたことで、管轄をバッハリアから切り離すことになりました。バッハリアの司政官にはバッハリア運営に専念してもらい、エンジュールには新たな司政官を派遣することになります。その司政官の選定にはもう少し時間がかかるので、それまではバッハリアの管轄のままですが」

 ゼフィルが紅茶で喉を潤す間、セツナの脳内を駆け巡ったのは、彼のいった言葉の数々だ。しかし、そのすべてを正確に理解しているとは言いがたいのが、困ったところだった。

「さて、エンジュール領伯となられたからには、名前も考えなくてはならないかもしれませんね」

「名前?」

「現在、セツナ様は、セツナ・ゼノン=カミヤという名で通されておられますが、ゼノンは、王宮召喚師を示す言葉ですよね」

 セツナは、ゼフィルの質問にうんうんと頷いた。王宮召喚師ゼノンの称号を与えられたのがつい最近のことのように思える。しかし、よくよく考えてみると、彼が王宮召喚師を拝命したのは、ログナー戦争の直後のことであり、二ヶ月以上前のことだった。ザルワーン戦争が起きるずっと前であり、レマニフラの使者が王都を賑わすよりも前のことだ。

「俺もゼノンでーす」

「こんなときまで主張しなくていいのよっ」

「へーい」

 ミリュウに噛み付かて、ルウファがテーブルに顔を埋めた。ゼフィルは気にせず話を続けてくれる。

「領伯を示す言葉は、ラーズ。エンジュール領伯ならば、ラーズ=エンジュールとなります。セツナ様が領伯として活動なされるときは、セツナ・ラーズ=エンジュールと名乗られるのがよろしいかと」

「カミヤじゃなくなっちゃうのね」

 ミリュウが少し残念そうにつぶやくと、ゼフィルがさらにいった。

「もしくは、セツナ・ゼノン・ラーズ=エンジュール」

「長っ」

「あるいは、セツナ・ゼノン・カミヤ・ラーズ=エンジュール」

「長すぎ!」

「ゼフィルさん、遊んでません?」

 セツナが半眼になると、ゼフィルは涼しい顔で口髭を撫でた。

「ははは。冗談はこの辺にしておきますか」

「どこからどこまでが冗談なのかさっぱりわからないぜ……」

「あんたの頭ほどじゃないわよ」

「どういうことですか!?」

 ルウファの悲鳴とミリュウの高らかな笑い声を背にして、セツナは軽く肩を竦めた。

 戦争が終わり、戻ってきたのは穏やかな日常ではなく、以前にも増して賑やかな日々だった。周囲の人物がたったひとり増えただけでこうも変わるものかと驚くのだが、ミリュウという女性の性格を考えれば、そうもなろうと思い直す。

 賑やかさは、退屈を打ち消してくれるものだ。

 それは間違いなく素晴らしいものであり、こういった日々を迎えるために戦い抜いてきたのだと実感として感じる。苦しさも、激しさも、痛みも、悲しみも、怒りも、戦場で得たあらゆる感情は、こういう日常を手に入れるための代償なのだ。

 そのために生と死の狭間をさ迷うことになったが、結果を見れば、それでよかったのだと思えた。

「まあ、名前については、数時間後の晩餐会までに考えていただくとして」

「短いですね」

「今宵の晩餐会は、祝勝の宴であるだけでなく、エンジュール領伯のお披露目も兼ねておりますからね。国中の貴族が注目していることでしょう」

「え、ええ……」

 セツナは、ゼフィルの言葉に緊張を覚えた。晩餐会に参加するのもそうだが、注目の的になるのもセツナ的には勘弁して欲しいところだった。もちろん、黒き矛の使い手たるセツナが注目を浴びるのはしかたがないことなのは、わかっている。ただ、前回のようなこともあって、晩餐会には悪い心証しかなかった。

 前回の晩餐会も、論功行賞の日の夜に行われた。そこでセツナは、テラスでひとり涼んでいるところを給仕に化けたアーリアに襲われ、晩餐会を楽しむ貴人、要人、軍人の前で大立ち回りを演じることになったのだ。レオンガンドはセツナを叱責するよりも、その戦いぶりを褒め称えたものだが、あの後味の悪さを忘れられるものではなかった。

 それからというもの、セツナは人の集まる場所が苦手になったくらいだ。特にレオンガンドの門前だと、またアーリアに戦いをけしかけられるかもしれず、そういう意味でも緊張しなければならなかった。

「そっか。領伯になるってことは、セツナはガンディアの貴族になるってことなのね」

「カミヤ家がガンディアの名門になる日も近いわけですよ!」

「気が早いわね」

「神速のルウファですから!」

「褒めてないんだけど」

 あきれてものもいえないといったようなファリアの言葉を聞きながら、セツナは茫然とした。領伯になるということは、ガンディアの貴族になるということだという、ミリュウの言葉が頭の中で反響している。

「貴族……」

 異世界の存在であるはずの自分が、この国の貴族の一員になるというのは、なんとも不思議で、奇妙な話だった。


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