第四百六十九話 凱旋
レオンガンド・レイ=ガンディアが、総勢二千人の軍勢とともにガンディア王国王都ガンディオンに凱旋したのは、大陸暦五百一年十月七日のことだった。
数日前からガンディア軍の大勝利の報告で沸き立っていた王都の興奮は、国王レオンガンドの凱旋によって最高潮に達したのは疑いようのない事実だった。
レオンガンドを始め、ガンディア軍の面々を迎えるため、ガンディア領土の各地から集まってきていた人々の数はそれこそ、数えきれないほどであり、王都の城壁外にも溢れ出すくらいの人々でごった返していた。
空は雲ひとつない快晴であり、まるでガンディア軍の凱旋を祝うかのようだとだれもが囁き、喜んだ。
王宮への行進は、ガンディア方面軍が先頭だった。ナグラシアで合流したガンディア方面軍第四軍団長アレグリア=シーンの部隊が先頭なのは、その見た目の華やかさによるところが大きいのかもしれない。
つぎに同盟国ルシオンの軍勢が続いた。女性のみの騎士隊である白聖騎士隊の美しさは、この行進の中でも際立っているといってもよかった。ルシオン軍は白聖騎士隊だけではなく、歩兵部隊も精強だという話であり、実際、屈強そうな戦士たちが行進していくさまは恐ろしく頼もしかった。ルシオン王子ハルベルク・レウス=ルシオンと、王子妃リノンクレア・レーウェ=ルシオンへの歓声は凄まじいものがあり、ガンディアにおけるリノンクレアの人気の根強さを伺わせた。リノンクレアは、レオンガンドの妹なのだ。隣国にして同盟国の王子に嫁いだ後も、ガンディア国民にとってはガンディアのお姫様なのだろう。
つぎにミオンの騎兵隊が、その勇壮な姿をガンディオン市民に見せつけた。突撃将軍ギルバート=ハーディの勇姿を一目見るためにミオンから王都に訪れたものも少なくはないらしい。ミオンも、ルシオンと同じくガンディアの同盟国だ。国民の行き来は自由なものらしい。ミオンの騎兵隊も人気があり、ガンディア軍が弱兵で有名だったころは、どうせならミオンの騎兵隊に入りたいという声も聞こえたほどだったらしい。
ガンディア軍がそういう声に危機感を抱くのは、当然のことだ。もっとも、危機感を抱いたからといって、ガンディア軍の質が向上するわけでもなく、地道に体質を改善していくしかないのだろうが。
そして、王立親衛隊《獅子の尾》である。
セツナは、過度な装飾が施された馬車の荷台に《獅子の尾》の副長、隊長補佐とともに乗り込み、セツナたちに向かって声を上げ、手を振る国民たちに手を振り返したりもした。セツナの名を呼ぶ声が多かったのは、気のせいではないらしい。
セツナは、マルダールで凱旋用にと渡された漆黒の甲冑に身を包んだ上、カオスブリンガーを召喚することで、黒き矛のセツナであるということを主張しなければならなかった。破壊的な禍々しさを誇る漆黒の矛は、こういうパレードには不釣り合いな気がしないでもなかったが、彼のために誂えられた黒い甲冑にはよく似合った。ガンディアの黒き矛という二つ名にもぴったりといっていいだろう。そして、群衆もその名の通りの姿を期待していたのだろう。どよめきよりも、歓声が多かった。
「さすがは隊長、人気者ですね!」
負傷を押して凱旋に参加したルウファは、終始上機嫌だった。王都に辿り着くまでは征竜野の戦いに参加できなかったことを散々愚痴っていたものの、王都に溢れ返った人々を見ると、どうでもよくなったのかもしれない。それがルウファの良いところだろう。
「実感ないよ」
「またまたぁ」
「ファリアまでそんなことを」
セツナは、ふたりの反応に呆れたが、市街のそこかしこから聞こえる歓声の大きさには喜びを感じるしかなかった。帰ってきた、という感覚がある。この感覚を守るために戦い抜いたのかもしれないとも思った。
ルウファもファリアも、遠くの群衆にも見えるように派手な衣装を身に纏っていた。王立親衛隊の隊服をさらに豪華にしたようなものであり、儀礼用の服装にしても派手すぎる気がしないでもなかったが、目立つにはそれくらいでなければならないのかも知れなかった。ミリュウは、ファリアに征竜野の戦いで装備した鎧を勧めたが、ファリアが断固拒否した。鎧の実物を目の当たりにして、ルウファが参戦できなかったことを悔しがったのはいうまでもない。
ルウファは、衣装の上から召喚武装シルフィードフェザーを纏っていた。一見するとただの純白の外套は、彼の意思によって一対の翼へと変化する魔法の防具であり、彼は群衆の前で度々翼を開いては、風を起こして歓声を煽った。
ファリアも、召喚武装を装備していた。オーロラストームの異形は、とにかく人目を引いた。怪鳥が翼を広げたような射程兵器は、よく見ると、この世のものではない美しさを誇っている。実際、この世のものではなく、異世界の存在なのだが。水晶のような結晶体が無数に集まって形成された翼が陽光を乱反射して輝くと、人々は驚きの声を上げた。ファリアも気を良くして頭上に向かって雷撃を放ったが、さすがにそれはやり過ぎだとセツナは注意した。
当然のことではあるが、ミリュウは《獅子の尾》と一緒にはいなかった。彼女自身が行進に参加することを望まなかったのだ。ザルワーン戦争の凱旋パレードだ。ガンディア軍に入ったとはいえ、ザルワーン人である彼女が参加するのは、望ましいことではない。ミリュウ自身、思うところがあったに違いなかった。ミリュウは、ザルワーンを憎悪し、破壊したいとさえいっていたが、だからといって生まれ育った国の終わりを喜ぶことはできないだろう。
《獅子の尾》の後に続くのは、同じく王立親衛隊の《獅子の爪》と《獅子の牙》だ。レオンガンドの剣たる《獅子の爪》は、ミシェル・ザナフ=クロウという人物が隊長を務めているらしい。さすがに親衛隊というだけあり、王都市民の認知度は高いようで、セツナたちの後方からの歓声が凄かった。
爪に続く《獅子の牙》はレオンガンドの盾であり、ラクサス・ザナフ=バルガザールを隊長とし、セツナとも縁の深いリューグが参加していた。リューグが親衛隊に参加できたのは、ラクサスの計らいによるところが大きいのだろうし、レオンガンドの懐の広さを感じるところでもある。
同じ王立親衛隊ではあっても、牙、爪と尾では毛色の異なる部隊だった。《獅子の牙》と《獅子の爪》はレオンガンドに近侍するのが最大の役割なのだが、《獅子の尾》の役割は遊撃であり、戦場を飛び回ることがセツナたちには求められた。親衛隊でありながら、王の側仕えではないのだ。なんとも奇妙な話だが、《獅子の尾》に与えられた王立親衛隊という名称がただの箔付けに過ぎないと考えれば、合点の行く話ではある。
そして、そう考えると、レオンガンドの心遣いに感激するばかりだ。セツナたちが思う存分戦うには、それなりの箔が必要だと考えたに違いなかった。
王立親衛隊につづいて行進の列を進むのは、当然、レオンガンド・レイ=ガンディアだ。セツナの位置からは本来ならばまったく見えないのだが、召喚武装による感覚の強化は、彼にレオンガンドの姿を脳裏に投影していた。
レオンガンドは、銀獅子の甲冑を身に纏っており、まさに獅子王といい表すべき存在として君臨していた。風格もあり、気品もある。なにもかもを兼ね備えているように思えるのは、セツナの贔屓目なのかもしれないが、そうでなくとも気圧されるに違いないのだ。
レオンガンドへの歓声がもっとも大きいのは、当たり前の話だ。そして、そうでなければならない。ここはガンディオン。獅子神庭と名付けられたガンディアの王都であり、ガンディア王家の治める都なのだ。どれだけ過去にレオンガンドが貶められていたとしても、ログナー、ザルワーンと立て続けに下してきた王に対して、批判の声をぶつけることはできまい。
レオンガンドは、彼の父にして英雄王シウスクラウドが成し遂げられなかったことを果たしたのだ。ログナーの制圧に、ザルワーンの打倒。それにより、ガンディアの国土は三倍から四倍に膨れ上がった。ガンディアを取り巻く状況は大きく変化した。それとともにレオンガンド自身への評価も激変しただろう。
ガンディアの“うつけ”と呼ばれていたというが、それも昔の話と成り果てる。いや、既に過去のものとなっていて、ザルワーン征服によって大きく名を上げた、ということかもしれない。
セツナは、人々の熱視線がレオンガンドと、その隣に佇む女性に向けられていることに表情を緩めた。
レオンガンドが、レマニフラの姫君ナージュ・ジール=レマニフラと婚約したのは、ザルワーン戦争が始まる直前のことだ。ナージュがレマニフラより同盟の使者としてガンディオンに赴いてきたのが八月二十二日であり、彼女の存在は、ガンディア中に知れ渡っていたとしても不思議ではない。そして、婚約の発表が国中を騒がせたのは想像に固くなかった。
政略結婚である。
南方において盟主のような国であるらしいレマニフラと同盟を結ぶのは、ガンディアの戦略上、悪いものではないという。それに、彼女の連れてきた白祈隊と黒忌隊は、ザルワーン侵攻のための戦力となった。そういった様々なことがあって、レオンガンドはレマニフラとの同盟に踏み切り、彼女と婚約した。
ナージュの名は、よく知られたもので、群衆は彼女の名を上げ、レオンガンドとの婚約を祝福した。いまさらのことではあったが、ナージュは実に幸せそうに手を振っていた。
ちなみに、ナージュの三人の侍女は、レオンガンドたちを乗せた馬車のすぐ後ろに並んでおり、黒忌隊、白祈隊がそれに続いた。
レマニフラの異装の軍勢に続くのは、デイオン=ホークロウ左眼将軍とログナー方面軍だ。デイオン将軍は本来ガンディア方面軍を管轄するが、アスタル将軍が龍府に滞在しているということもあってか、彼がログナー方面軍を率いることになったようだった。ガンディアの宿将であるデイオン将軍の人気も、決して低いものではない。デイオン将軍は、王都に満ちた歓声に少し照れくさそうな顔をしたが、すぐさま生真面目な表情に戻った。
行進は、ログナー方面軍の最後尾が王宮に至るまで続いた。もちろん、王宮まで市民が満ちているということはない。一般市民が溢れかえっているのは《市街》であり、《群臣街》では武官文官やその家族がガンディア軍の行進を見守った。
王宮に辿り着けば、貴族たちが待っている。
ガンディアの貴族の中には、レオンガンドを敵視するものも少なくはないが、凱旋のときまで敵意を露わにするものはいないようだった。
正午過ぎに王都に入ったガンディア軍が王宮に到達したのは、夕日が沈もうとする頃合いであり、それだけでパレードがいかに長時間に及んだかわかるというものだった。