第四十六話 召喚師たち
「シルフィードフェザーと名づけたのは、若気の至りという奴ですがね」
粉塵渦巻く地上に降り立つなり、ルウファがセツナに向かってそんなことを言ってきた。もっとも、セツナは、彼の立ち姿に見惚れかけて、生返事を浮かべることもできなかったのだが。
一対の翼に、である。
その純白の翼は、ルウファの背中から生えているように見えたが、実際にはそうではなかった。よく見ればすぐにわかることだったが、ルウファの纏う外套から一対の翼が伸びているのだ。いや、マントそのものが、翼を形成しているようだった。最初に見たときに比べて形状が大きく変わっているのは、そのマントが変形したということに違いない。原理は不明だが、それ以外には考えられなかった。
そして、汚れ無き白さを誇る一対の翼は、想像上の天使のそれのように美しく、見るものを圧倒する輝きを帯びていた。粉塵さえも、翼を汚すことを恐れるかのように逸れていく。
セツナは、そこでようやく、五体満足のまま地上へと辿り着けたことに思い至った。黒き矛から放たれた光によって破壊された地面の上、状態は万全とはいえないが、それでも十分に過ぎるだろう。
「ありがとうございます……二度も、助けてもらって」
感謝を述べながら、セツナは、言いようのない気恥ずかしさに顔を赤らめるしかなかった。あの屋上から威勢よく飛び出したものの、結局それは無謀な勇み足に過ぎなかったのだ。愚行だ。もし、ルウファが助けてくれなければ、セツナの肉体は地面に激突し、粉々に砕け散っていただろう。
矛の力を過信したのだ。
それは偏に、理解していないからに違いない。
(矛の力を)
セツナは、矛のことを想った。手の内にある黒き矛は、その禍々しい形状のままに驚異的な破壊力を秘めている。それは先の戦いでも実証済みだった。鉄の鎧すら紙くず同然に斬り裂くほどの力。多勢に無勢をものともしない力。しかし、いまのところそれくらいしかわかっていないのが実情だった。
できることとできないこと。
それを知らなければならない。
(力の使い方……か)
セツナは、いけ好かないがアズマリアの言うことももっともだと想った。力の遣い方も知らない、未熟な戦士。このままでは、矛の強大すぎる力に振り回されるのが落ちだろう。実際、先の戦いがそうだった。セツナの実力などでは決してなかった。あの瞬間、矛の力が、セツナの肉体を突き動かしていた。
そもそもセツナは、戦いにおいては素人以下に等しいはずだった。特別腕っ節が強いわけでもなく、類まれな身体能力があるわけでもない。学生の平均より多少は上といった程度の体力しか持ち得なかった。にも拘らず、皇魔やランカインとの戦いを潜り抜け、初陣において多大な戦果を上げることができたのは、黒き矛のとてつもなく強大な力のおかげだった。
すべて、それである。
黒き矛を召喚したがために、セツナはいま、こんな場所で戦う破目になっている。
「いやいや。ガンディアの人間としては、こんなところでセツナ殿に死なれては困りますからね」
ルウファの声に、セツナは、とめどない思索の旅から帰還を果たすことができた。彼が話しかけてくれなければ、延々と答えの見つかりそうもない考えに耽っていたかもしれないという事実に愕然として、セツナは、苦い表情になった。
もっとも、ルウファはこちらのことなど気にも留めていない様子だったが。
「ま、セツナ殿の考えもわからなくはない」
周囲に視線を巡らせるルウファに倣い、セツナも周りを見遣った。粉塵は既に風に流されてしまっており、セツナの矛による破壊の爪痕の有様が、晴れ渡った空の下に曝されていた。矛の切っ先から放出された光は、地面に穴を開けるだけでは飽き足らず、周辺の家屋の壁にもその威力を刻み付けていた。
(なんてこった……)
セツナは目を覆いたくなったが、しかし、現実から逃避している場合でもないのは理解できていた。数十の皇魔が、こちらに向かって接近してくるのが目に飛び込んできたのだ。さきほどの嵐のような攻撃から逃がれられたことに憤っているのか、物凄まじいまでの殺気を放ちながら、正に鬼気迫る勢いでこちらに向かってくる。
だが、すべての鬼が距離を埋めようとしているわけではなかった。後方には、半数ほどの皇魔が残っていた。
「これほどの数のレスベルがなぜこの王都にいるのかはこの際置いておくとして、奴らをなんとしてでも排除しない限りは、市民の安全もないわけだ」
「レスベル?」
「あの皇魔の識別名ですが、知らなかったんですか? 武装召喚師なら常識でしょうに」
「え、えーと……」
驚いたようなルウファの声に、セツナは返す言葉もなかった。取り繕うことさえもできない。皇魔のことなどほとんど知らないといっても過言ではなかった。古の聖皇が召喚してしまった異世界の魔物ということくらいしか知らなかったし、識別名が必要なほど多種多様な存在だということなど考えてもいなかった。だが、森で戦った皇魔とアズマリアの《門》から現れた皇魔の姿形が違うことから考えれば、納得のいく話でもある。
皇魔というのは大枠と考えればいいのだ。その中に、レスベルという鬼のような種族があり、森で出遭った皇魔の種族もあると。
察するに皇魔とは、異世界から召喚され、この世界の人間に危害を加える異形の存在の総称なのかもしれない。
「ま、いいですよ。奴らを蹴散らすことが先決なんでね」
「ルウファさんも、武装召喚師なんですか?」
「見てわかりません? あ、俺のことはルウファでいいですから」
「だったら、俺もセツナでいいです」
「それならセツナには前衛を任せます。後方は、俺がやるんで!」
言うが早いか、ルウファは地を蹴るようにして飛んだ。まさに飛翔だっと。中空を滑るような飛躍。純白の翼が羽ばたくたびに彼の飛翔は加速した。止まらない。地を進む鬼の頭上を容易く越え、あっという間に後方に陣取るレスベルの群れへと到達した。
「わ、わかったよ……」
セツナが呆気に取られたのも無理はなかったかもしれない。彼が呆然とする間にも皇魔の先陣はこちらとの距離を詰めてくるのだが、セツナの意識はルウファの姿を捉えて離さなかった。
陽光を反射する白き一対の翼は、さながら光の粒子を撒き散らすかのようであり、赤き異形の者共へ立ち向かう様は、悪魔の群れを討ち滅ぼさんとする気高き天使の姿を想起させるほどに幻想的だった。
その背の翼こそが彼の召喚武装なのだろうが、それにしてもそのある種神々しいとさえ想えるほどの造形は、セツナの矛とは極めて対照的だと言わざるを得なかった。ルウファが天使の翼ならば、セツナは悪魔の矛であろう。
とはいえ、その形状の違いがもたらすのは、一目見た印象に過ぎず、召喚武装の持つ力とは関係はないはずだった。
と、ルウファが、中空から地上へと降り立とうとしたまさにその時、レスベルの醜くもおぞましい咆哮とともに、彼らの口腔から青白い光が迸った。
「あんたも無茶苦茶じゃないか……!」
ルウファへの直撃による閃光と爆音が轟く中、セツナは、舌打ちとともに矛を構えた。皇魔の群れは、既に目の前だった。距離にして十メートルもあるだろうか。素人の目測ほどあてにならないものもないだろうと思いつつも、セツナは、矛を手にしている以上、そういったことで不安を抱く必要がない事実を認めていた。
流れに任せるように、跳ぶ。レスベルたちの熱視線を浴びながら、その怨嗟と憎悪の渦中へ。間合いは、瞬く間にしてゼロになる。
化け物たちが大口を開けた。口腔内に青白くも不気味な輝きが生まれる。破壊衝動の塊。
(それが狙いか!)
セツナは、胸中吐き捨てた。皇魔は、最初からそのつもりだったに違いない。遠距離の砲撃は、先ほどと同様に回避されると認識したのだろう。極至近ならば、だれであれ、避けようがない。
セツナの着地は、皇魔の砲撃よりわずかに速い。数十体のレスベルの眼前。近接戦闘の間合いだった。
「はあっ」
セツナは、気合いとともに矛を真一文字に振るい、目の前の鬼の腹を斬り裂いた。あざやかな一閃だったが、それだけだ。斬られた鬼は、苦悶の表情を浮かべたものの、口の中の光を散らそうともしなかった。殺し損ねたのだ。
「ちっ!」
失態を嘆いている暇はなかった。レスベルたちの殺気が、急激に増大した。
「セツナ、飛んで!」
それは天からの救いの声のように、セツナには聞こえた。肉体が劇的な速度で反応する。全身のバネを利用した頭上への跳躍。だが、皇魔たちがセツナから目を離すはずもない。赤く輝く無数の視線が、こちらを捕捉し続けているのは明白だった。
皇魔の殺気が爆発する、その瞬間。
一条の雷光が、セツナの眼下、今にも咆哮を上げようとした皇魔の眉間を貫くと同時にその頭部を爆散させた。飛散するのは肉片や脳漿だけではない。口腔に溜め込んだ光も拡散し、周囲のレスベルを襲った。それだけでは終わらない。立て続けに飛来した幾つもの紫電の帯が、皇魔の頭や胸、腹に次々と突き刺さり、炸裂していった。
化け物どもの悲鳴と怒号が、セツナの耳朶を震わせた。中空へと至ったセツナの直下は、阿鼻叫喚の地獄絵図に見えなくもなかった。地を埋める皇魔の亡骸と、半身を失いながらなおも怨嗟の叫びを発する鬼の姿、そして、こちらに向かって青白い光を放出する化け物たち――。
「!」
セツナは、目を見開いた。視界が、青白い光に覆われていく。今の攻撃で倒れなかった皇魔たちは、セツナからまったく注意を逸らさなかったのだ。こちらは中空。体勢を変えることは愚か、その場から移動することなど不可能だった。
(今度こそ――)
「とってもいい感じだ」
覚悟を決めようとしたセツナの耳に飛び込んできたのは、ルウファの軽妙極まりないせりふだった。同時に、視界が急激に変転する。その瞬間、セツナの全身にかかった圧力は想像だにしない類のものであり、彼は、なにが起こったのか理解もできなかった。
前方で、地上から放たれた青白い光の奔流がぶつかり合い、大きな爆発を起こした。閃光と轟音が世界を染め上げ、爆風がセツナの頬を撫でた。
「到着~」
あっけらかんとしたルウファの声に、セツナは、目を瞬かせた。そうこうする間に、地上が近づいてくるのがわかる。
そこは、皇魔の群れからは、かなり離れた位置だった。
セツナが頭上を仰ぐと、白き翼を広げたルウファが黒き矛の柄を掴んでいることがわかった。つまるところ彼は、中空に跳んでいたセツナの窮地を察知し、一瞬の機転でここまで運んでくれたのだろう。それにしたって凄まじい速度と判断である。
とはいえ。
「あれ? 無傷……?」
着地するなりセツナが言ったことといえばそれであったが。
実際、セツナの目の前に降り立ったルウファには、掠り傷ひとつ見当たらなかった。レスベルの砲撃の直撃を受けたはずにも関わらず、だ。
「我が翼は飛翔するのみにあ――」
「セツナ! 無事なのね!」
びしっと言い放とうとしたのであろうルウファの台詞をぶった切ったのは、ファリアの悲鳴にも似た声だった。焦燥感に満ちた声音には、どうしようもない不安が現れていた。
セツナは、瞬時に憮然としたルウファを気の毒に思いながらも、彼女を振り返らずにはいられなかった。救いの声を聞いたあの瞬間から、彼は、その名前を口に出したくて仕方がなかったのかもしれない。
「ファリア!」
振り返った先に、異形の弓を携えたファリア=ベルファリアの姿があった。
安堵が、セツナの胸を満たした。