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第四百六十八話 暇人たち

 龍府は、ザルワーンの首都だった。

 大陸小国家群の中央部における最大の都市にして、古都。

 龍の棲む都と呼ばれ、観光のために訪れるものも少なくはなかった。観光客の落とす金銭はザルワーンにとっても馬鹿にできないものであったらしく、ザルワーン政府の中には龍府見学を奨励する動きもあったという。

 それもいまは昔の話だ。

 ガンディアがナグラシアを強襲し、全面戦争の戦端が開かれてからというもの、龍府を訪れる人間は激減した。それはそうだろう。どれだけザルワーンが有利な情勢であっても、戦争の真っ只中である国に飛び込む愚か者は少ない。皆無ではないというところが人間の愚かなところなのだろうが。

 そんな観光目当ての人々が龍府を賑やかせはじめたのは、ここ一日二日のことだった。

 戦争が、ガンディアの大勝利に終わったと喧伝された効果がでてきたということであり、ガンディアが龍府を開放していることの現れでもある。

 ガンディア軍が制圧して以来、重苦しい静寂に包まれていた都も、本来の喧騒を取り戻しつつあった。

 そんな都の往来を見渡しながら、シグルド=フォリアーは嘆息するのだ。

「暇だなあ」

 龍府天輪宮玄龍殿の最上層から見下ろす景色は、本来ならば退屈を紛らわすには絶好のものだったに違いない。しかし、シグルドの胸に空いた空白を埋めるには、古都の完成し尽くされた景観だけでは物足りないことこの上なかった。

 血が、滾っている。

「結構なことです」

「なにがだよ」

「暇なことが、ですよ」

 ジン=クレールの冷ややかな言い様にシグルドは顔を背けた。玄龍殿が《蒼き風》のために開放されたのは、レオンガンド・レイ=ガンディアの粋な計らい、とでもいうべきか。ガンディアとの契約を再優先に考えるシグルドに、レオンガンドは感謝を惜しまないといった。その感謝の表現のひとつが、玄龍殿を《蒼き風》の宿舎にすることだったりするのだろう。

 本来、シグルドのような傭兵風情は、天輪宮と呼ばれる建築物群に立ち入ることはできないのだ。ザルワーンにおける王宮のようなものであったが、ザルワーンの管理は徹底していて、特別な許しを得たものでなければ足を踏み入れることはできなかった。もっとも、ガンディアのものとなったいま、ザルワーンの理が働くはずもなく、《蒼き風》でなくとも立ち入ること自体は可能になっていた。

 とはいえ、天輪宮の中枢である泰霊殿には、《蒼き風》団長シグルドであっても許可無く入ることはできなかった。

 泰霊殿は、ザルワーン統治本部が置かれており、ガンディア軍の最高権力者である大将軍アルガザード・バロル=バルガザールの居場所でもあった。

 そんな場所にわざわざ侵入する理由もなく、シグルドは、玄龍殿から龍府を見下ろすか、龍府の観光に出かけるのが日課になっていた。

「そりゃまあ、そうだろうけどよお」

「なにが不服なのです?」

「不服なわけじゃねえよ」

 シグルドは、複雑で精緻に描き出された龍府の街路を見下ろしながら、ジンの問いに反応した。ジンは、《蒼き風》の副長であり、事務仕事に追われることが多い。とはいえ、ザルワーン戦争の報告書は既に提出しており、いまジンが取り掛かっているのは、《蒼き風》の団員補充だった。《蒼き風》は傭兵集団だ。金のために命を差し出す、そんな連中の集まりであり、人数が減ればその分だけ補充するのは当然のことだった。

 ザルワーン戦争では、多数の団員が死んだ。

 ロンギ川でジナーヴィに殺されたものもいれば、征竜野であの武装召喚師に殺されたものもいる。それとは別の原因で死んだものもいる。

 嵐のような戦いの中で、シグルドは生き残った。ジンも、ルクス=ヴェインも生き残った。悪運が強いのだ。

(生き残ることが、良いこととも思えないがな)

 胸中でぼやいて、数日前のことを思い出した。


『死ぬときゃ笑って死ね。それが《蒼き風》の掟だ』

 でなければ、団員として認めることはできない。シグルドは、傭兵団を率いるにあたって最低限の理を強いた。その最期が戦場であれ、どこであれ、笑顔でなければならないと決めた。それは、無理に笑えということではない。笑って死ねるような戦いをしろ、ということだ。

『どいつもこいつも、笑いながら死んでやがったんだ。てめえらがしみったれた顔してると、笑って死んでいったこいつらに悪ぃだろ?』

 龍府の集団墓地に、生き残った団員を全員揃えたのは、ジンだった。シグルドは、派手な葬式をするつもりはなかったが、団員が集合してしまった以上、しめやかに行うことはできないとも思った。

『せめて、笑って送ってやろう』

 墓地で笑うのは不謹慎極まりないことかもしれない。

 しかし、魂というものがあり、墓地に留まってシグルドたちを見ていたとして、シグルドたちが悲しみにくれる表情を見たいものだろうか。

 そんな風に思いながら、シグルドは征竜野で散った団員たちと別れを告げた。


「うっしゃ」

 窓の縁に落ち着けていた腰を上げ、室内に視線を戻すと、魔晶灯の光が妙にきつく思えた。

 広い部屋だ。《蒼き風》の幹部のために用意されたのだが、三人で起居するにしても十分すぎる空間があった。寝台を三つ置いてもくつろげる広さがあるというのは、いかに天輪宮が巨大な建物かということでもあるが、そんな空間を《蒼き風》のような傭兵団に与えるガンディアの太っ腹さには、シグルドたちも呆れる思いがした。もちろん、悪い気はしない。それだけ、ザルワーン戦争での活躍を認められたということであり、頼りにされているということでもある。

 しかしながら、龍府が落ちて以来、ザルワーン地方に起きたことといえばルベンの皇魔襲撃事件くらいのものであり、龍鱗軍の反乱といったようなことさえ起こらなかった。各都市に配置されていた龍鱗軍は、実質的に解体されたとはいえ、未だにその繋がりは強く残っており、ガンディアに反旗を翻そうと思えばできたはずである。しかし、そういった動きはまったく見当たらないところを見ると、ザルワーンの大敗が相当堪えたのだろう。

 ガンディアが連戦連勝したということは、ザルワーンが連戦連敗したということにほかならないのだ。ガンディア軍と直接戦った龍鱗軍は例外なく敗北を喫し、翼将の多くは戦死、生き残った兵士たちはガンディアに投降した。心が折れるのもわからなくはなかった。

 それでも、シグルドには納得出来ない。

(これじゃあ、俺達の仕事がねえじゃねえか)

 仕事がないのならば、レオンガンドたちとともに王都に戻ってもよかったはずだ、と彼は想うのだ。龍府という、ある意味では最前線に置かれているということは、名誉なことではある。だが、王都に凱旋すれば、それこそ連日お祭り騒ぎに違いないのだ。食って飲んで遊んで、戦争の疲れを癒やすには絶好の機会だ。

 それが、龍府ではできない。

 いや、できないことはない。が、ひとり騒いだところで、面白くもなんともない。将軍たちの視線が痛いだけのことだ。

 シグルドは、ジンの側に歩み寄ると、彼が睨み合っている書類を覗きこんだ。《蒼き風》に入団したいという傭兵は、少なくはない。

 ザルワーン戦争は、《蒼き風》の実力を宣伝する上では大いに役に立っていた。ロンギ川会戦、征竜野の戦いとふたつの戦場で多大な戦果を上げたことは、ガンディア軍も認めざるを得まい。ルクス=ヴェインひとりの活躍だとしても、だ。それを《蒼き風》の宣伝に使うことになんら文句はあるまい。

 それに、傭兵とは、雇われてなんぼの商売だ。いまのところ明確な雇用先がある《蒼き風》に入団希望者が殺到するのは、当然のことでもあった。それはガンディアの将来が明るいだろうという空気も大いに関係している。

「どうだ? 面白そうなのはいたか?」

「団長の思い描く“面白い”とは違うかもしれませんが、気になる人材はちらほらと」

「副長の眼鏡に叶う人材なら文句はねえさ」

 シグルドは、ジンが連れてきた人物ならば、一も二もなく入団させてきた。そして、ひとりの例外もなく、《蒼き風》の団員として力を尽くしてきている。

「そこまで評価してくださっているとは、光栄の至り」

「ま、おまえがいなきゃなんにもならねえのが《蒼き風》だからな」

「団長あってこそですよ」

 照れくさい言葉を平然といってのけることができるのは、ジン=クレールという男ならではだろうと、いつも思うのだが。

 シグルドは鼻頭を掻いた。

「……褒め合いもここまでにしとくか。気持ちわりい」

「ですね」

 そういってから、しばらくふたりで笑い合った。


「そろそろ、王都に着いたころかねえ」

 ルクスは、屈強な男たちが床に這いつくばる様を見遣りながら、木剣を肩に担ぐようにした。這いつくばっているのは《蒼き風》の入団希望者という傭兵たちであり、どいつもこいつも癖の有りそうな面構えをしていた。一言でいえば、人相が悪い。正規の軍人にはなれそうもない連中ばかりであり、だからこそ傭兵の道を選んだのではないかと思うほどだ。

 ルクス=ヴェインは、傭兵集団《蒼き風》の突撃隊長を務めている。団長シグルド=フォリアー、副長ジン=クレールに次ぐ、いわば幹部だ。そんな幹部だからこそ、入団希望者の中から優れた人材を選り抜くための試験を行うことができる。

 壁には、《蒼き風》入団試験という横断幕が掲げられており、その下には《蒼き風》の古参団員が厳しい顔つきで入団希望者を睨んでいる。そちらも、一筋縄ではいかない様な顔つきをした連中ばかりだ。《蒼き風》には、そういう連中が集まる宿命でもあるのかもしれない。

 試験会場は、天輪宮玄龍殿の一室である。無論、ルクスが勝手に行っているわけではない。ジンが書類審査で選び抜いた入団希望者の中から、さらに実力者を選定するのが、ルクスの使命だった。もっとも、ただ強ければいいというわけではない。《蒼き風》の気風に合うかどうかも見極める必要があった。

「おそらく」

 ルクスに相槌を打ったのは、厳つい顔のエルク=エルだ。征竜野の戦い以来、なにかとルクスの面倒を見てくれるのだが、その巨躯と厳しい顔で世話を焼かれるのは、なんだか釈然としない物があった。

「凱旋かあ……いいなあ」

 ルクスが王都ガンディオンに思いを馳せようとしたそのときだった。

「隙あり!」

 鋭い声が聞こえたかと思うと、殺気が左後方から飛んできた。ルクスはその場から移動もせず、振り向き様の一閃でその男を打ちのめした。

「うげっ」

「どこに隙があるって?」

 あきれるようにつぶやくと、ルクスはその男を一瞥した。強打を食らった脇腹を押さえてうずくまるその男は、少なくとも、セツナよりは鍛えがいがありそうに思えた。

「まあ、隙が有ったとしても、口に出すべきじゃあないな」

 それから周囲を見回す。

 ジンが殺到した入団希望者の中から選りすぐった二十名のうち、最初の五人が、同じような格好で床を這っている。あとの十五人は、入団試験なるものがどのようなものなのかも知らされず、別室で待機しているはずだ。

(まるで茶番だな)

 とは思うのだが、こういう遊びも嫌いではない自分がいることに、ルクスは苦笑するしかなかった。

 今日は十月七日。

 セツナたちが龍府を発ったのは九月二十九日のことだった。


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