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第四百六十五話 オーギュスト(二)

(さて……)

 ようやく喧騒が遠のいたのは、人気のない路地裏に迷い込んだからだった。大通りからはかなり離れているようだ。目当てもなく歩きまわった結果、迷子になってしまったのだが、特に問題はなかった。大通りにさえ出ることができれば、王宮に戻るのは容易い。そして、大通りに辿り着けないはずもない。

 オーギュストは、足を止めると、狭い路地の見慣れない風景を見つめながら、後方に意識を注いだ。

「どこまでついてくるつもりです?」

「はて、なんのことかね」

 相手があっさりと正体を現してきたことには、オーギュストも面食らった。

「わたしもこの先に用事があるのだよ、オーギュスト君」

 振り向くと、初老の男性がたったひとりで立っていた。見事な白髪は陽光に輝くばかりであり、気品のある顔立ちは貴族特有のものといってもいいだろう。長身痩躯。日々鍛錬を怠っていない肉体は、年齢を感じさせるようなものではない。そして、王都の市街には不釣り合いな服装は、彼がただの老人ではないことを物語っていた。

 ジゼルコート・ラーズ=ケルンノール。ガンディア南東の地域であるケルンノールの領主にして、先王シウスクラウドの実弟である。想像もしなかった超大物の登場に、オーギュストが度肝を抜かれたのは無理もないことだった。冷や汗が噴き出した。

「ジゼルコート様とは気づかず、失礼なことを!」

「いや、気にせずともよい」

「そういうわけには参りませんよ!」

「まあよいではないか。王都の現状を見ただろう? だれもが勝利に浮かれ、喜び、はしゃぎ回っている。こんなめでたいときに、その程度のことを気にするのも馬鹿馬鹿しかろう」

 ジゼルコートの顔は穏やかな笑みを湛えており、オーギュストは安堵を覚えずにはいられなかった。ガンディア王家のひとびとというのは、他人を安心させる術を心得ているのだろうか。グレイシアにせよ、ジゼルコートにせよ、オーギュストのような若輩者にさえ、優しく接してくれるのだ。王母派の狂者たちがグレイシアの前では子犬のように大人しいのも、グレイシアが野放図なまでに優しく、限りない愛を注いでくれるからに違いない。

「ですが……」

「君もしつこいな」

 ジゼルコートが苦笑したので、オーギュストもこれ以上はやめることにした。礼を失したことを謝るのはいつでもできることではある。

 しばらく、ふたり並んで歩いた。オーギュストはジゼルコートと肩を並べて歩くなど恐れ多いことだと何度も断ったのだが、ジゼルコートが許さなかった。せっかくのお祭り騒ぎを味わうのだといってきかず、オーギュストはジゼルコートに引っ張られるようにして大通りに向かって歩いた。追跡者の正体がジゼルコートと判明した以上、大通りから離れる必要はなくなったのだ。大通りに戻り、市民に混じって祭りを楽しむのも悪くはない。

「ところで、オーギュスト=サンシアン。君にひとつ、確認しておきたいことがあるのだが」

 ジゼルコートが口調を改めたのは、オーギュストの反応を窺うためだったのかもしれない。

「君は、グレイシア殿下のところに出入りしているそうだな?」

「それが、どうかされましたか?」

 オーギュストは涼しい顔で問い返した。オーギュストが太后派であるということは、隠しようのない事実として知られている。いまさら確認されるようなことでもなかった。もっとも、ジゼルコートが確認の必要性を感じたのは、彼にとって重要な事だったのだろうが。

「殿下は元気かね? 久しく逢っていないので、気になっている」

「お元気ですよ。それこそ、周りのものが驚くほどに。しかし、ジゼルコート様ならば、すぐにでもお会いすることもできましょうに」

 ジゼルコートは、ケルンノール領伯というガンディアでも数少ない領土持ちの貴族である以前に、ガンディア王家の人間である。先王シウスクラウドの実弟であり、シウスクラウドの補佐に専念するため、王位継承権を放棄したという逸話は、ガンディアでは知らぬものがいないほど有名だった。王位継承権を捨てたとはいえ、ガンディア王家の人間であることに変わりはなく、ケルンノール領主に封じられた後も自由に獅子王宮に出入りすることができたはずだった。ただの貴族ですら、王宮を出入りできるのだ。ケルンノール領伯ならばなおさらだ。

 しかし、ジゼルコートは、レオンガンドが即位して以来、王宮を訪れたことはなかった。王宮に近づくことすら禁じているらしく、王都に現れることすら稀であった。ケルンノールには小さな町しかないのだが、その小さな町で領民と慎ましく暮らしているらしい。

「そういうわけにもいかないのが、政治の下らないところさ」

「そうですか?」

「だれもが君のように振る舞えるわけではない。サンシアン家の人間という特別な立ち位置だからこそのオーギュストだということを、忘れないことだ」

「肝に銘じておきます」

 オーギュストは、ジゼルコートの言葉の裏に隠された真意を読み取ろうとしたが、徒労に終わった。なにも隠されていない。言葉そのままの意味にしか取れなかった。サンシアン家が特別な立ち位置にあるのはわかりきったことだったし、オーギュストの振る舞いが、サンシアン家の特別性によるものだということも理解している。だが、だからといって、サンシアン家の立ち位置が変わるものではない。

「素直でよろしい。しかし、この騒ぎ、陛下が帰ってくるまで続きそうだな」

「陛下が凱旋なされても続きましょう」

「間違いない」

 ジゼルコートが笑ったのは、王都市民の能天気さが羨ましかったからかもしれない。

 ジゼルコードの横顔は、やつれているように思えた。

 

 オーギュストがジゼルコートと別れることができたのは、あれから二時間後のことだった。それまでジゼルコートの散策に付き合わなければならなかったのは、オーギュストの立場を考えれば当然のことだ。いくらサンシアン家が特別とはいえ、ガンディア王家の人間を無視するわけにもいかない。王家を蔑ろにすれば、サンシアン家もまた、蔑ろにされるだろう。サンシアン家が高名であろうとも、ガンディアの人間にしてみれば、ガンディア王家のほうが大切に決まっている。

 オーギュストは、追跡者がいないことを確認すると、市街の片隅にある一軒の宿屋に向かった。宿場街なのだろう。ほかにもいくつもの宿屋が軒を連ねており、ガンディオンに訪れた人々を迎え入れようと必死だった。オーギュストはそんな宿屋群の中で、《獅子の鬣》亭という看板が掲げられた宿に足を踏み入れた。いつものように店主に話を通し、一階の最奥の部屋へ。

「遅かったじゃないか、オーギュスト」

 部屋に入るなり、待ちくたびれたといわんばかりの台詞をぶつけてきたのは、口髭の特徴的な男だった。ゼイン=マルディーン。マルディーン家の当主である彼は、実弟ゼフィル=マルディーンがレオンガンドの側近くに仕えていることに鬱屈した感情を抱いている。元より、反レオンガンドの感情を強くもっていたが、弟が取り立てられたことが決定打となったらしい。

「偶然、ジゼルコート様と出会いましてね。ジゼルコート様の散歩に付き合わなくてはならず、このような時間になりました。申し訳ありません」

 オーギュストが素直に事情を話すと、円卓を囲んでいた男たちに緊張が走るのが見て取れた。彼ら太后派にとっては重要なことだろう。

「ほう、ジゼルコート様が王都に来られていたのか」

「それは災難だったな」

「災難……でもありませんよ」

「あの方は新王派だろう」

 ゼインが吐き捨てるようにつぶやいたが、その場にいるだれもが彼の言い方を注意しなかった。狂者にしてみれば、新王派、レオンガンド派に属するものは、悪鬼や蛇蝎のような存在なのだ。罵倒されて当然、批判されてしかるべきなのだと思っている。

「追跡はされなかっただろうな?」

「振り切るのに時間がかかったのですよ。最初は、まっすぐここまでくるつもりだったのですが」

「それはご苦労だった。疲れただろう」

 労いの言葉をかけてきたのは、太后派の首魁とでもいうべき人物だった。金髪碧眼の、いかにも貴族然とした人物であるが、ゼイン=マルディーンや他の太后派の貴族たちとは違い、風格があった。

 四十代後半と、まだまだ若いものの、王母派、太后派においては上から数えたほうが早いのかもしれない。若い貴族、軍人の中にも、反レオンガンド派の人間は少なくはなかった。

 もっとも、最近の情勢を見る限り、反レオンガンド派からレオンガンド派に鞍替えしている人間は多いようだが。

 暗愚と誹謗していた相手が暗愚でなかったのだ。鞍替えするのも、当然の道理なのかもしれない。

 反レオンガンド派がガンディアを二分する勢力だったのも今は昔の話。

 貴族の間では未だに強い勢力を誇っているが、それは、貴族たちが現実を知らないからに他ならない。彼らにとっての現実とは王宮での生活なのだ。王宮外の出来事に目を向け、耳を傾けようとは思うまい。

 ラインス=アンスリウス。

 グレイシア・レア=ガンディアの実兄であり、有力貴族アンスリウス家の当主である。

「しかし、君の疲れが取れるのを待っている暇はない。時が迫っている」

 ラインスの瞳の奥でなにかが蠢いている。それはおそらく、レオンガンドへの悪意なのだ。彼は、レオンガンドを憎んでいる。

 レオンガンドが王位を継いだときから、彼の凋落は始まったのだ。

 それまで、彼はガンディア王宮の中心に近い位置にいた。王妃グレイシアの実兄であるというだけで、強大な権力を握ったのだ。つまりは外戚である。それもこれもシウスクラウドが長らく病に臥せっており、王宮が空白に近い状態いたからなのだが、彼はなにを勘違いしたのか、ガンディアの影の支配者として振る舞っていた。

 レオンガンドの一派がラインスを目の敵にするのは、必然だった。

 そして、王位を継承したレオンガンドの最初の仕事が、ラインスのような外戚の排除だった。ラインスを当主とするアンスリウス家は、王宮に近づくことさえ許されなくなった。外戚の中には投獄されたものもおり、ラインスが王宮からの排除だけで済んだのは、彼がレオンガンドの伯父だったからだろう。

 レオンガンドは、親族に対し、冷酷になれなかったのだ。

 その結果、ラインス=アンスリウスは、レオンガンドに感謝するどころか、彼を憎悪するようになったのだから、皮肉なものだ。

 オーギュストは、円卓の中で唯一開いていた席に座ると、太后派の主要人物を見回した。ゼイン=マルディーンを筆頭に、名門名家の当主が顔を揃えている。この場にレオンガンド派の人間が出くわせば、目を丸くして仰天するに違いない。

 そんな大物ばかりが円卓を囲んで、秘密会議を行っているという状況は少しばかり滑稽だと、彼は思うのだが。

(さて……どうする?)

 オーギュストは自問しながら、ラインスの計画を聞いていた。

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