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第四百六十一話 嘆きの丘の防衛戦(二)

(どうかな?)

 グラードは、自分が油断しているのではないかと思い、頭を振った。油断など、するはずがない。相手は皇魔だ。手加減というものを知らない化け物だ。人間と見れば殺さずにはいられないような連中なのだ。油断を見せれば即殺される。そんな相手だ。

 彼は戦斧を握る手に力を込めながら、皇魔の到来を待った。

 遙か頭上で放たれた無数の矢が、湿原の闇に吸い込まれていく。人間の神経を逆撫でにする奇怪な咆哮が聞こえた。激昂しているのがわかる。矢が命中しているのか、掠っただけなのか。どちらにせよ、絶命していないことは確かだ。

 召喚武装を身に纏うグラードの視界は、常人よりも広く、遠くまで見渡すことができる。その視界が皇魔の群れを捉え、降り注ぐ矢の雨を認識した。間断なく降り注ぐ数多の矢が、皇魔たちに容赦無い一撃を叩き込んでいく。外骨格に鎧われたブラテールには致命傷を与えることはできないようだが、ブラテールに騎乗したグレスベルの緑色の皮膚はずたずたになっていった。

 何体ものグレスベルが断末魔の悲鳴を発し、湿原に落ちるのを見て、グラードはバハンダールの凄まじさを知った。湿原の泥濘んだ地面は、皇魔であっても容易に踏破できるものではないということなのだ。ブラテールの疾風のような高速移動も、泥に足を取られては発揮できないのだ。そして、ブラテールが前に進めないということは、ブラテールを足としているグレスベルも動けないということであり、城壁上の弓兵隊のいい的になった。

「すごい悲鳴だな」

「こりゃ楽勝っすね」

「気を抜くな。皇魔の生命力を甘く見ないほうがいい」

 部下の戯言に叱責を飛ばすグラードの目は、街道を疾駆してくる一団を捉えていた。道幅が狭いとはいえ、ブラテールのような小型皇魔には関係のない話だ。いや、むしろ好都合だったのだ。が、皇魔には、街道を一列になって進むという考えがなかったらしいことが、グラードたちには幸いした。街道を進む皇魔は、湿原に展開する皇魔の全体から見れば、ごく一部にすぎない。また、弓兵隊の射程範囲に収まる皇魔は全体の半数ほどだが、皇魔がバハンダールに向かって南下するということは、残る半数も射程に入ってくる可能性は極めて高い。もっとも、ブラテールは上方からの弓射に強く、撃破できるのは騎乗しているグレスベルくらいのものなのだが。

「両翼の部隊に伝達。多数のブラテールが湿原を進み、バハンダールに接近中。街道の皇魔は、我らが当たる」

 伝令兵に情報を伝えると、彼は、戦斧を掲げた。前方、街道を進行中の皇魔が丘の麓に到達しようとしていた。もちろん、矢は街道にも降り注いでいるし、グレスベルを何体も射抜いているのだが、ブラテールの全力疾走は、射撃の雨を物ともしないのだ。

「来るぞ!」

 ブラテールが街道を突っ切り、丘に辿り着いた。骸装の魔狼の名の通り、骨の鎧に覆われた狼の群れが、奇声を発しながら丘を登ってくる。ここまでくれば、頼りは陸戦隊の近接攻撃のみとなる。城壁からの射撃は陸戦隊に誤射する可能性もある上、ブラテールには効果的ではなかった。ブラテールを撃破するには、骨の鎧を破砕した上で、致命的な一撃を叩き込む必要がある。

 グラードは、戦斧を大上段から振りかぶって、投げた。轟然と大気を切り裂きながら、先頭のブラテールの頭蓋を粉砕する。血と脳漿をまき散らしながら吹き飛ぶ皇魔の後方から、グレスベルを乗せたブラテールが飛び込んでくる。瞬間、投槍がグレスベルの胸を貫く。

「見たか!」

「見事だが、油断はするなよ!」

 グラードは叫びつつ、グレスベルの死体を背負ったブラテールが迫り来るのを見ていた。手に武器はない。が、グラードの場合、武器だけが攻撃手段ではなかった。そして、武器がないほうが、結果的に多大な戦果を上げられる可能性がある。

 皇魔ブラテールは、骨の鎧を纏う狼のような化け物だ。小型皇魔とはいえ、グレスベルを背に乗せて長駆するだけの体力と膂力、移動速度を備えており、真正面からやり合うのは避けるべきだと教わる相手だった。しかし、グラードは、敵を正面に捉えている。頭部を覆う外骨格の隙間から発せられる真紅の眼光が、皇魔への否応ない悪意を喚起させる。全身が燃えるようだった。いや、実際燃えていたのかもしれない。ブラテールはもはや眼前。だが、引かず、むしろ踏み込む。魔物が吼えた瞬間、グラードは拳をその側頭部に叩き込んだ。直撃の瞬間、小さな爆発が起き、ブラテールの体が嘘のように吹き飛んでいった。ブラテールが悲鳴を上げなかったのは、頭部がものの見事に破壊されたからだが、グラードはその最期を見届けることなく別の皇魔に攻撃を繰り出していた。つぎはグレスベルごと突っ込んできたブラテールの鼻頭に拳を突き刺し、小爆発によって頭部を破砕、透かさず跳躍し、グレスベルの腹を蹴りつけた。足の裏と接触した場所にも小爆発が起き、グレスベルが泣き叫びながら吹っ飛んでいく。着地の瞬間を狙って飛びかかってきた小鬼の棍棒攻撃をかわし、肩からぶつかっていく。

 そう、グラードの全身を覆う真紅の甲冑こそが彼の最大の武器だった。ディープクリムゾンは前述の通り、召喚武装なのだ。召喚武装は特殊な能力を持っているものだが、ディープクリムゾンにもあった。甲冑ではあっても、その能力は多分に攻撃的であり、破壊的だった。装備者の精神力を熱に変えるという代物であり、使い方次第では、いまのような爆発を起こすことさえ可能だった。

「ログナーの赤騎士ここにあり、って感じですね!」

「馬鹿者、そんなことをいっている場合か!」

「すっ、すみません!」

 そういったのは、若い兵士だった。グラードが一瞬の内に三体もの皇魔を撃破したことに驚き、興奮したのだろう。ここが戦場だということを忘れたわけではないのだろうが、その一瞬見せた隙が仇となった。彼は、空中から飛来した皇魔の翼に首を切断され、死んだ。グラードは一瞬叱責したことを後悔したものの、彼の死に叱責の有無は無関係であると判断し、即座に後ろに飛んだ。別の皇魔が、空中から滑空してきていた。

「くそっ、リックがやられた!」

「シフまでいやがるぞ!」

 誰かが叫んだ。

 銀翼の妖鳥シフ。飛行型皇魔の一種であり、注意すべきはその飛行能力だけではない。常人には捉えきれない速度で滑空する皇魔の翼に触れれば最後、先の兵士のように体の一部を切断されるのだ。銀色の翼は、まさに研ぎ澄まされた刃そのものであり、鉄の鎧さえも切り裂くといわれていた。ブラテールやグレスベルよりも警戒するべき皇魔だといえる。

 しかし、シフにばかり注意を向ければ、地上の皇魔への対応が遅れることになりかねないし、実際、上空の敵を警戒したがためにブラテールとグレスベルに蹂躙されたものもいた。

 グラードは、対応できるのだ。召喚武装を身に纏っているということにより、彼の五感は通常の数倍に引き上げられている。視界は広く、聴覚は遥か遠方で木々が揺れる音さえも拾っている。バハンダール北面に展開される戦場の情景が脳裏に浮かび上がるほどだ。それでも、シフの存在に気づかなかったのは、シフの群れが遙か上空から襲ってきたからだろう。

(上空……?)

 グラードは、はっと背後を振り返った。バハンダール北門の上空にシフの群れが殺到していた。彼は理解した。地上部隊は囮で、シフによる超上空からの強襲こそが本命だったのだ。

(だが、皇魔がこのような戦術を使うのか?)

 皇魔が策を用いるなどという話は聞いたことがなかった。いや、そもそも、皇魔と一括りにしているとはいえ、グレスベルとブラテールは別種族であり、ともに行動することなどなかったはずだ。しかも、囮作戦で人間を出し抜くなど、考えられない。

 人類が今日まで生き延びてこられたのは、皇魔と総称される化け物達が力を合わせず、頭を使わず、ただ力だけでぶつかってきたからであり、人類が知恵でもって対抗できたからだ。その関係が崩れたとなれば、人類は天敵たる皇魔に追い詰められざるをえないのではないか。

 グラードは頭を振ると、後ろから迫ってきたブラテールを蹴り、爆発とともに吹き飛ばすと、再び城壁の上に視線を戻した。皇魔と人類の強弱関係を考えている場合ではなかった。地上の皇魔も撃退しなければならないが、いまは、城壁の遙か上空から市街地への侵入を果たそうとする皇魔のことで気が気でなかった。

 城壁には、三百人の弓兵を配置している。しかし、いかに数を揃えようとも、高速で飛行する皇魔を射落とすことができるものかどうか。召喚武装による強化を受けたグラードでさえ、シフの滑空攻撃を避けるので精一杯だった。弓兵隊が壊滅する危険性のほうが、シフを殲滅できる可能性より遥かに高い。

 そう思ったのも束の間、グラードの目の前に血飛沫を上げながら落下してくるものがあった。それがシフの死体だとわかったのは、グラードの五感が強化されているからにほかならない。

「なんだ……?」

 グラードが驚きの声を上げたのは、シフの死体がさらに落下してきたからだ。それもひとつやふたつどころではない。上空に殺到したすべてのシフが撃墜されたのではないかと思うほど、大量の死体が陸戦隊の周囲に降り注ぎ、兵士たちに悲鳴を上げさせた。同時に、皇魔の地上部隊の警戒を買う。が、それはグラードたちに有利に働いた。飛行部隊が壊滅状態に陥ったことで、皇魔の群れが浮足立った。

 先陣の後方に控えていた一際大きなブラテールが、遠吠えを発した。すべてのブラテールが動きを止める。眼光がきらめき、グラードたちに背を向けた。ブラテールに跨ったグレスベルたちは、まだ戦うつもりのようだったが、ブラテールは小鬼のことなど素知らぬ顔で丘を駆け下りていった。湿原を見やると、湿原の半ばまで迫っていたブラテールたちも、北方に引き上げていく。

 一際大きなブラテールが、最後に嘆きの丘から去った。おそらく、ブラテールたちの頭目かなにかだろう。

 これ以上の戦闘は無意味と悟ったのだろうが、だとしても、あまりに統率の取れた動きは、不気味としかいいようがなかった。

「撃退……できたのか?」

「やりました! やったんですよ、俺達!」

「死傷者多数。喜んでいいのやら……」

「……そうだな」

 グラードは、口々に実感を述べる部下の声を聞きながら、北門の上方を見上げた。一先ず、難は去った。しかし、北門に殺到していたシフが撃滅できなければ、被害は市街地にまで及んでいたことだろう。もっとも、市民の大半は地下壕に避難していたはずであり、被害があったとしても、建築物が破壊される程度のもので済んだに違いないが。

 不意に、北門の上からなにかが落下してきたかと思うと、風が舞い上がってグラードの頬を撫でた。熱気に包まれていた体には心地良い風圧だったが、それよりも、彼は驚きを禁じ得ない事態に直面した。

「グラード軍団長、ご無事でなにより」

 北門の上から落下してきたのは、ルウファ・ゼノン=バルガザールだったのだ。天使の翼が純白の外套へと変化し、青年召喚師の体を包み込む。

「まさか、ルウファ殿が?」

「俺以外にだれがあんな芸当ができると?」

「確かに、あなた以外には考えられないのだが、しかし……」

 グラードは、信じられない気持ちでいっぱいだった。ルウファは、療養のためにバハンダールに後送されたはずであり、戦闘に関わることは許されなかったはずだ、命令違反もいいところであり、上に話が漏れれば、処罰対象となるのは疑いようがない。いや、信じられないのは、そういうことではない。彼は十日ほど前、療養に専念しなければならないほどの重傷を負ったのだ。敵武装召喚師との死闘が原因であり、辛くも勝利したルウファは、その代償として戦線を離脱する破目になってしまっていた。

 バハンダールに後送されてからというもの、彼は宿舎で療養に専念しており、グラードと顔を合わせるのも、彼の部屋の中だけだった。それはつまり、自由に出歩くことも禁止されているということだ。

 それなのに、ルウファは驚くほど涼しげな顔で、グラードの前に現れたのだ。

「安静にしていなければならないのは事実です。が、隊長が命を張って落としたバハンダールを、みすみす破壊されるわけにはいきませんから」

 彼は、そんなふうに胸を張った。

「俺は、王立親衛隊《獅子の尾》副隊長ですんで」

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