第四百五十七話 第二龍鱗軍(二)
「皇魔、皇魔、皇魔!」
ビュウ=ゴレットの剛剣が唸りを上げるたび、皇魔の悲鳴が上がった。血飛沫とともに体の一部が空に舞う。燃え上がる炎の中、ビュウの剣技は獲物を求めてひたすらに冴え渡る。人間を明らかに凌駕する化け物を相手に、一切怯まないのがビュウの凄まじいところだと、彼の副将は思っている。
「ここは地獄かあっ?」
「地獄に跋扈するは、亡者が相応しいかと」
第二龍鱗軍副将バジル=セレドは、小型弓銃で飛行型皇魔を撃ち落としながらいった。改良に改良を重ねた弓銃は、片手で扱うことも難しくはないほどの軽量さを誇り、空中を自在に飛翔する銀翼の皇魔を狙い撃つには持ってこいだった。難点を挙げれば、軽量化に重点を置いたがための威力の低さだろうか。そこは、攻撃回数で補うしかないのかもしれないが、一度でもバジルの矢を受けた皇魔は、二度と食らうまいと思うのか、彼の射線を回避していった。
(皇魔も知能を持っている、か)
開戦前、ビュウが配下の兵士たちに教訓として伝えた言葉を思い出しながら、バジルは小型弓銃の矢を補充した。小型弓銃の矢は、通常の弓や弓銃の矢よりも小さく、最大で五本まで装填しておくことができる。つまり、五回連続で狙撃することも不可能ではないということだ。
もっとも、バジルは飛行型皇魔の接近を阻むことに意識を切り替えたため、連射で矢を使い切るよりは、別々の標的に打ち込んで、追い散らすほうが良いと判断した。
一方、ビュウの戦果は凄まじい。猛火渦巻くルベンの市街地で、彼ほど皇魔を倒しているものもいまい。第二龍鱗軍の部隊長にせよ、一般の兵士にせよ、数を頼みにしなければ、皇魔と組み合うことなどできないのだ。そして、それは決して兵士たちが怯懦だからではない。弱いからではない。彼らは軍人だ。通常人以上の膂力を持ち、戦闘員としての自覚も持つ、歴とした戦士なのだ。それでも、皇魔には力負けしてしまう。それが普通だ。皇魔が人類の天敵と呼ばれる所以だ。人間に比較して強靭な肉体を強力な生命力を誇り、人智を超えた異能を発揮するのが皇魔なのだ。剛力が取り柄に見えるベスベルやレスベルすら、異能を持ち、それを使いだせば手が付けられなくなる。実際、鬼どもの異能によってルベンは壊滅に近い打撃を受けてしまった。市民はルベンの西側に避難しているものの、これ以上、皇魔たちの侵攻を許せば、害が及ぶことは疑いようがない。
皇魔の快進撃を止めなくてはならないのだが、兵士たちでは堤防にすらなりえない。堤は一瞬にして決壊し、皇魔の群れが市街へと雪崩れ込んだのを見た時、バジルは戦死を覚悟した。ここを死に場所とするほかないと思った。
ルベンを放棄するということは、必ずしも不可能ではない。都市のひとつくらい、皇魔にくれてやっても構いはしないだろう。だが、背後には市民がいる。第二龍鱗軍の実力を信じ、第二龍鱗軍の運営に協力を惜しまなかったひとびとがいる。都市を放棄するということは、彼らを見捨てるということにほかならないのだ。
ひとりでも多くの市民を守るには、ここで討ち死にする覚悟で戦わなくてはならなかった。
その気概を見せているのが、翼将ビュウ=ゴレットだった。ザルワーンでも有数の剣の使い手として名高い人物だったが、その口の悪さ故にルベンの守備を任されるに至ったという経緯の持ち主であり、同様にルベンに送り込まれた兵士たちの心の拠り所となったのは、偶然にしても良く出来た話だった。
ルベンは、ザルワーンの戦略上、重要な都市ではない。イシカやメレドの国境にほど近い都市であり、奪われれば痛手となることは間違いないのだが、ザルワーンはかねてより南進を掲げていた。南へ向かうことに全力であり、東西に勢力を伸ばすという気はさらさらなかったのだ。東の脅威であったメリスオールを飲み込んでからというもの、その傾向は顕著になり、マルウェールやルベンに配置されるということは、前線から外されるも同然という考え方が。ザルワーン軍人の中で一般的なものとなっていった。
当然、ビュウ=ゴレットも、前線から遠い僻地に追いやられたことに軍上層部の思惑を感じ取ってはいたようだが、彼はむしろやりたいようにやれると言い放ったほどの人物だった。実際、彼はルベンがザルワーン政府から見放された都市といい、ルベンを思うままにした。市民が第二龍鱗軍に協力的だったのも、市民もまた、ザルワーン政府のやり方が気に食わなかったからだろう。ルベンがザルワーンの戦略において重要なものとして扱われていないのは、だれの目にも明らかだった。そして、ガンディアのザルワーン攻略においても、ルベンは黙殺された。その結果、第二龍鱗軍は無傷のまま終戦を迎えることができたものの、いま、こうして多大な出血を強いられている。
「数だけは多い!」
「数だけ、なのは我々の方かと」
「こんなときまで自虐してんじゃないよ!」
「それもそうですな」
バジルは、ビュウ=ゴレットの剣技が冴え渡る様をほれぼれと見ていた。彼の代名詞とも言える剛剣が虚空に走るたび、皇魔の肉体が両断された。ベスベルの断末魔が心地よい。その一騎当千の活躍ぶりに、皇魔側も、ビュウを真っ先に排除すべき脅威と認識したようだった。緑色の小鬼どもがビュウに群がる。その側面から間断なく矢を打ち込むのは、バジル配下の弓銃隊だ。一撃一撃の威力は低くとも、雨のように浴びせれば、いかな皇魔といえどもひとたまりもなく退散せざるを得ない。
地上を埋め尽くす緑鬼も、夜空を覆う銀翼も、弓銃の射程を嫌うようにしてバジルたちの視界を逃れた。ビュウの周囲にはグレスベルの死体が散乱し、体液が彼の鎧を赤黒く染めている。
不意に、皇魔の攻勢が止んだ。上空を旋回していた銀翼の妖鳥も、街路を駆け回っていた骸装の魔狼も、突如としてバジルたちの視界から姿を消した。グレスベルも、小鬼を率いていたベスベル、レスベルの姿も見当たらない。
「……終わった、か?」
ビュウが前方に視線を移したので、バジルもそれに習って街の東を見た。皇魔は、ルベンの東門をぶち破って市街に雪崩れ込んできたのだ。第二龍鱗軍は、皇魔の群れがルベンに接近した時から迎撃のために布陣しており、城門の突破とともに大攻勢をかけたが、圧倒されたのはこちら側だった。バジルの視界には、第二龍鱗軍兵士の死体が無数に転がっている。ルベンの市街はでたらめに破壊され、紅蓮の炎が舞い踊り、熱気と狂気が逆巻いている。空気が薄い。いつまでも戦っていられるものではない。
が、市民の安全が確認されるまでは、戦わざるをえない。
少しでも時間を稼ぐ。
それがビュウの命令であり、兵士たちはその命令を守り、最後には肉壁となって散った。
「どうでしょうな」
嵐の前の静けさにも似た不気味な静寂にバジルは緊張を覚えた。統制の取れた皇魔の動きは、あまりに奇妙であり、奇怪といっていい。ただ力任せに人間を襲い、殺戮を行うのが皇魔という化け物だったはずだ。それなのに、ルベンを襲った皇魔たちは、軍事行動を行っているかのようだった。グレスベルは大型の鬼どもに率いられていたし、シフは編隊を組んで飛行していた。ブラテールは小鬼の移動手段としても機能するという、通常では考えられないような光景が無数に見受けられた。
「どう、思う?」
「奇妙、としか」
「皇魔の軍隊なんて、それこそ地獄だぞ」
「やもしれませぬ」
「否定しないんだな」
「さすがに」
「ふむ……今度こそ俺の勝ちか」
「勝ち負けは、皇魔を撃退したときに」
「ちっ、負けず嫌いめ」
ビュウがだれに対して吐き捨てたのかはわからなかったものの、バジルは、ルベンの東門に大量の皇魔が集まっていることに気づいていた。さっきまで市街地で暴れまわっていた皇魔が、外に控えていた部隊と合流したのだろう。絶望を感じるのだが、まだ敗北を認める訳にはいかない。彼は配下の弓銃隊に隊列の変更を命じた。後方の高所に陣取り、迫り来る皇魔に矢の雨を浴びせるのだ。
前方、ビュウの周囲に生き残った兵士たちが集まっている。第一波を生き抜いたのは、何人くらいだろうか。少なくとも、全滅してはいないようだったが、安心はできない。バジルの視界に映る兵数は百人足らず。もちろん、それがすべてではない。
ビュウは、開戦当初、部隊を市街各所に展開していたのだ。敵軍が東門から現れたのなら、西へと侵攻するのが道理。ならば、と、翼将は中央を北から南に貫く防壁を構築した。全部で千人足らずの軍勢を百人ずつの部隊に編成し、市街地の要所に配置したのだ。それにより、ルベンの西側まで到達した皇魔はいない。飛行型の皇魔ならば簡単に飛び越えていくものと思いきや、防壁の破壊に注力しているようだった。統制の取れた軍勢であることの証明であり、弊害かもしれない。
「報告!」
「なんだいまごろ。こっちは死ぬ一歩手前なんだぞ」
突如駆けてきたのは、伝令の騎馬兵だった。彼は、翼将の手前でありながら、馬上から降りもせずに叫んだ。彼の慌てぶりは、報告内容を聞けば納得できるものだった。
「ルベンの西にメレドの軍旗を確認! こちらに向かって進軍中!」
「なんだと……?」
ビュウが半信半疑の目で伝令兵を見た。この期に及んで、伝令兵が嘘の情報をもたらすはずもなければ、兵の急ぎぶりを見れば、事実であることは明白だった。