第四百五十三話 彼と魔王
「オリアス=リヴァイア。貴公はザルワーンにおいて、外法と武装召喚術を司っていたという話だが……それは間違いないのか?」
魔王に問われたのは、龍府近郊の樹海を南下しているときだった。
「いった通りですよ。わたしのザルワーンでの名はオリアン=リバイエン。ザルワーンでは知らぬものはいない名です。陛下も、耳にしたことくらいはあるでしょう?」
「貴公がオリアン=リバイエンか。ふむ……話に聞くほど人間離れしてはいないな」
「わたしは人間ですよ」
「それは失礼」
そんなやりとりをしながら、彼は、魔王の思考を読もうとした。ユベル。ユベル・レイ=クルセルク。クルセルクの魔王として名を馳せる男の外見は、まだまだ若い。二十歳そこそこといったところだろうか。超然とした目は、彼が常人とは異なる視界を持っているということを感じさせる。魔王の二つ名で恐れられるだけのことはあるのだ。
彼がクルセルクの王カルバルハ・レイ=クルセルクに戦いを挑み、見事に勝利し、王権を簒奪したのが三年前のことだ。カルバルハの旧クルセルク王家は滅ぼされたといわれるが、真相は不明のままだ。クルセルクの情報封鎖は、カルバルハの時代から続いている。
クルセルクがなぜ、彼のようなものに敗北したのかは長らく不明だった。ユベルが魔王の異名で畏れられるようになったのもここ最近のことであり、その実像は、隣国であるザルワーンの情報網でさえ掴むことができなかった。
魔王は皇魔を使うから魔王なのだ、という話もあった。
実際、クルセルクで皇魔の群れを目撃したものもいたし、その実像を確かめるためにクルセルク行きを熱望したのがオリアスだった。オリアン=リバイエンを手放す訳にはいかないミレルバス=ライバーンのためにクルセルク行きは叶わなかったが、いまとなってはどうでもいいことかもしれない。
ユベルがクルセルクの正規軍を撃破し、簒奪者としてクルセルクに君臨したのは事実であり、彼とその手勢を目の当たりにしたとき、すべてがわかった。
ユベルは皇魔を使役することができるのだ。
どういう理屈、どういう理由なのかはわからない。召喚武装の能力かもしれないし、まったく別のものかもしれない。原理がなんであれ、彼が皇魔の群れを率いて龍府に向かっていたのは事実であり、人間と見れば襲いかかるのが常であるはずの皇魔が、彼の前では調教された飼い犬のように大人しく振舞っているのを見れば、疑いようがなかった。
そして、ユベルの側には、常に人型の皇魔が寄り添っている。リュウディースと呼ばれる、極めて人間の女に酷似した姿形を持つ皇魔だ。オリアスは、リュウディースを見るのは初めてだったが、知識通りの容姿をした化け物が、知識とはまったく違う形で現れたことに驚くしかなかった。
ユベルに寄り添うリュウディースは、リュスカという個体識別名を持つらしく、辿々しくはあったが人語を話した。皇魔に個体識別名があることがわかった時点で驚きなのだが、その皇魔が、共通言語を口にしているというのは衝撃的にも程があった。
皇魔たちとの道中は、そういう驚きばかりであり、彼の知的好奇心は満たされ続けた。だからだろう。彼の目的地から遠ざかっていくことにも、不満はなかった。むしろ、少しでも長く、皇魔たちの生態を観察していたいという欲求のほうが強い。
魔王ユベルの配下である皇魔の間にも、階級のようなものが存在していることがわかってきていた。まず、魔王に直接触れることが許されるのは、どうやらリュウディースのリュスカだけらしい。ほかの皇魔たちは、リュスカの視線にさえ入らないように注意して移動している。おそらく、リュスカは魔王ユベルの寵愛を受けており、リュスカの不興を買うのは皇魔の命に関わることなのだ。とはいえ、リュスカは他の皇魔に対して尊大に振舞っているわけでもない。ただ、ユベルにだけ注視しているという感じであり、この集団の中では異物に過ぎないオリアンとクルードを監視してもいる様子だった。
階級とはいえ、リュスカとそれ以外といったほうがいいのかもしれない。それくらい、はっきりとした差がほかには見受けられなかった。しかし、何十、何百という皇魔が整然と行進している様はいかにも奇妙であり、夢でも見ているのではないかと思うほどだ。だが、決して悪夢などではあるまい。皇魔が隊伍を成し、人間に対して戦争を仕掛けたところで、悪夢でもなんでもない。
一行は、樹海を南西へ進んでいる。
オリアスが彼らと遭遇したのは、龍府北方の樹海の中だった。オリアスは、クルードを連れてクルセルクを目指していたものの、クルセルクの支配者と予想外の対面を果たしたことで、クルセルクに行くことはどうでも良くなっていた。だから、ユベルの南行きに同道することにしたのだ。
ユベルは当初、龍府に行く予定だったらしい。
龍府に入った獅子王に挨拶するのが目的で、あの場所まできていたというのだ。そして、ユベルとの会話の中で、彼がこの戦争の結果と決して無関係ではないことが判明している。ユベルは、ガロン砦を占拠したグレイ=バルゼルグの支援者のひとりであり、グレイ軍に三千ものブフマッツを貸し与えたというのだ。グレイ軍がガロン砦に留まり続けたのは、勝算があったからということになるのではないか。三千の皇魔と三千の精兵が力を合わせれば、五方防護陣を突破し、龍府に痛撃を叩きこむことくらいはできると判断したのではないか。そして、おそらくそれは正しい。鋼鉄の軍馬と猛将グレイ=バルゼルグの軍勢を止められるようには、五方防護陣はできていなかった。
もっとも、守護龍が起動したとき、グレイの目算は露と消えたのだが。
グレイ軍は、ファブルネイアに突貫したものの、砦を触媒として召喚したドラゴンに灼かれ、消滅しのだ、グレイの反乱も、グレイへの支援も、すべて水泡と化した。
(いや、そうでもないか)
グレイ軍を暗に支持していたジベルは、この戦争において漁夫の利を得ることに成功している。グレイ軍が抑えていたガロン砦以東のザルワーン領土はジベルのものとなり、スマアダもジベルの軍勢によって制圧されたという。それに、ガンディア軍の大勝も、グレイ軍がザルワーンを睨んでいたことが大きく影響している。
グレイ=バルゼルグの反乱は、ザルワーン以外の国から見れば、決して無意味ではなかったということだ。
ユベルがグレイを支援した理由は、彼の口からは語られなかった。ガンディア王に挨拶しようと考えた理由もわからない。ユベルは、オリアスとの雑談には応じるが、真意を語ったりはしなかった。オリアスのことを信用していないのだ。
(だろうな)
オリアスは、森の影に蠢く無数の赤い光点を見遣りながら、胸の前で腕を組んだ。オリアス自身が、ユベルの信を得ようとしていなかった。オリアスは、主君を求めてはいない。彼の目的は、だれかに仕えることではない。研究を続行できるのならばだれかに仕えるのもいいが、そうでないのなら仕える意味はない。
ユベルの元でならば、研究を進めることができるだろうか。そんなことを考えている。それが可能ならば、ユベルを主君と仰ぐのも悪くはない。彼が魔王の名のままに外法を振るうのも、面白いだろう。
しかし、ユベルが外法に対して敏感なのが気にかかった。彼は外法について、なにかしらの関わりがあるのかもしれない。オリアスが外法を知ったのはザルワーンに流れ着いてからのことだが、そもそも、外法の起源はザルワーンではないらしいのだ。原点がどこにあるのかなど、マーシアスさえも知らなかった。長い長い歴史の彼方に埋没してしまったに違いない。
やがて、ビューネル砦跡に到達したのは、二十九日の正午過ぎのことだ。二日近く、樹海の中をさまようように移動している。征竜野を突っ切れば、もっと早くビューネルの大穴を見ることもできただろうが、ユベルがそれを嫌った。皇魔の集団は、遮蔽物の少ない征竜野ではあまりに目立ちすぎる。龍府のガンディア軍を刺激することになるだろう、というのがユベルの説明だったが、当初はガンディア軍を刺激することを目的としていたのではないのかとオリアスは思ったものだ。
もちろん、部外者に過ぎない彼が口出しするようなことではないし、ユベルが目的を変えたというのなら、それを見届けたいという気持ちもあった。
ビューネル砦の跡地を通過した皇魔の一団は、樹海を脱すると、夜の闇にまぎれて平原を進んだ。街道を外れ、ひたすらに東へと向かう。進行方向にあるのは、ザルワーン戦争に巻き込まれなかった数少ない都市ルベンだ。
ルベンは、翼将ビュウ=ゴレット率いる第二龍鱗軍が駐屯する都市であり、例に漏れず、厚い城壁に囲まれている。城壁は、ある程度の高さと厚ささえあれば、皇魔の攻撃を諦めさせるには十分な効力を発揮するものなのだが、魔王の意志の元に統率されている軍勢の前では、無意味であろう。
「どうなさるのです?」
月夜、ルベンを覗く丘の上で、彼は問うた。
「なに、ガンディアの戦勝祝いだよ」
魔王は笑いもせずにいうと、伝令役の小型皇魔になにごとかを告げた。
闇が、ざわめいた。