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第四百五十二話 軍団長たち

「はあ……」

「どうしたんです? ため息なんて吐いたりして」

 エイン=ラジャールは、書類に視線を落としたまま、あからさまで大袈裟なため息を浮かべる男に問いかけた。

「恋だよ」

「そうですか」

 どこかで頭でも打ってきたかのような相手の言動にも興味を示すこともなく、彼は書類に記された文面に眉根を寄せた。その書類には、彼が軍団長を務めるログナー方面軍第三軍団の征竜野の戦いでの戦果が記されており、彼が眉根を寄せたのは、第三軍団の被った損害の項目に至ったからだ。

「なんでそこで受け流すかねえ、エインくんってば」

 納得出来ないとでもいいたげな相手の言葉に、エインはようやく目線を上げた。視線の先、幅広の円卓に突っ伏している男は、ドルカ=フォーム。ログナー方面軍第四軍団長を務める、エインの同僚である。

 彼は、戦争が終わったことで腑抜けになってしまったようだったが、彼の副官であるニナ=セントールがしっかりしているということもあるに違いない。エインが気を抜けないのは、彼の代わりになるような人材が第三軍団にはいないからだ。もちろん、部隊長たちは頑張ってくれているし、戦場では大いに働いてくれた。しかし、エインの代わりにはならない。

 そこがドルカの羨ましいところであり、エインのやりがいのあるところでもあるのだが。

「……突っ込んで欲しいんですか?」

 エインが半眼で問うと、彼はなぜか力強く頷いてきた。

「うむ」

「やですよ。面倒くさいし。ニナさんが突っ込んであげてください」

「やです」

 ニナは、ドルカの背後で直立不動の姿勢を崩さない。ある程度のことでは表情ひとつ変えないのが、彼女の特徴といってもいい。鉄面皮ニナは、ドルカ軍団の要でもある。

「……のりが悪いなあ、ふたりとも」

「疲れてるんですよ、みんな」

「そういうものかねえ」

 彼らがいるのは、天輪宮の一郭だった。天輪宮は龍府の中枢ともいえる宮殿であり、全部で五つの殿舎から成り立つ建造物だ。ガンディアの王と側近、あるいは大将軍といった軍の上層部は泰霊殿と呼ばれる天輪宮の中心に入ったが、エインを始めとする軍団長たちは、昨日になって飛龍殿に専用の部屋を与えられた。龍府制圧当日はごたごたしていて、天輪宮近くの屋敷を宿営地として充てがわれたのだが。

 一日も立てば、状況は変わるものだなと彼は関心したものの、別段喜びを覚えたりはしなかった。仕事さえできれば、どんな部屋であっても特に問題はないのだ。中央の動きが見える場所に部屋を用意してくれたことには感謝するのだが。

 龍を模した調度品によって飾られた部屋はだだっ広く、軍団長がひとりで利用するには広すぎるといっても良かった。ドルカとニナがエインの執務室に屯しているのは、そういうこともあるのかもしれない。部屋が広すぎて、居心地が悪いのだ。

 エインはともかく、ドルカとニナは前歴が前歴だ。広い部屋になれないというのもわからなくはなかった。

「戦争が終わったんです。これまでの疲れが出てくるのは当然ですよ」

「やだやだ。老人くさい物言いだことで」

「ぴっちぴちの十六歳になにいってんですか」

「あー、またそんなことをいう。アスタル将軍の前で同じことが言えるのかい?」

「ぼくだってまだ死にたくはないかな」

 いってから、エインはしまったと思った。ドルカがにやりとしたのを見逃さなかったが、だからといってどうにかなるものでもない。アスタル=ラナディースの前で年齢の話題が禁句なのは、ログナー軍人ならばだれもが知るところだ。

「よし、ニナ、いますぐアスタル将軍に報告だ!」

「はい」

「そこ、はいなの!?」

 エインは悲鳴を上げたが、もはや時既に遅しだった。ニナは風のように部屋を飛び出すと、扉が閉まる音だけが取り残されるように響き渡った。

 エインは、憮然としながら、ドルカに視線を戻した。ドルカは、卓上に突っ伏したまま、こちらを見ている。どこか勝ち誇ったような顔に愛嬌を感じるのは、人徳のなせる技だろう。ドルカは皮肉めいた言動の多い人物ではあるが、取っ付き易く、人懐っこいところもあり、嫌いになることのほうが難しい人物だった。

「ま、いいんですけどね」

「なにが」

「将軍だって、冗談くらいわかってくれますよ」

「ははは。さてはエインくん。俺が将軍に半殺しにされたのを知らないな?」

「は?」

「軽い冗談のつもりだったんだよ」

「いやいや、駄目でしょ」

「うん、駄目だった。死にかけた。いや、いっそ殺してくれたほうがいいとさえ思えた」

 思い出すだけで苦痛なのか、ドルカの表情は悲壮を極めていた。と、部屋の扉が開くと、再び、風が吹いたかのようにニナの姿が現れる。彼女は例の仏頂面のまま、告げてくる。

「駄目でした」

「なにが!? っていうか、早いよ!」

「アスタル将軍は大将軍閣下との会議に出席中で、報告できませんでした」

「そ、そうか……それは良かった……」

 エインはほっとするとともに、ニナの本気なのか冗談なのかわからない口振りに冷や冷やせざるを得なかった。ドルカの影響を受けているのかもしれないと思うと、彼女の前でも緊張していなければならなくなる。

「あー……そういえば、ザルワーンのことは閣下に一任されたんだっだな。アスタル将軍もこっちの残るんだっけ?」

「そうですよ。ログナー方面軍の大半とともに、ザルワーンの治安維持、領土防衛に当たる予定です」

「陛下は王都に向けて出発……か。そういや、セツナ様方も帰るらしいな」

「ええ」

「いいなあ。俺もバッハリアに帰りたいよお。温泉大好き」

 駄々をこねるドルカを見遣りながら、エインは、レオンガンドたちが龍府から出発したのがつい数時間前の出来事だということを思い出した。ログナー、ザルワーンを下し、領土が北に広がったところで、ガンディアの中心は相変わらずガンディオンなのだ。王都ガンディオン。エインも何度か訪れた都は、龍府にこそ劣るものの、ログナーの首都マイラムには負けない規模の都市だった。

 龍府からガンディオンの道のりは遠く、馬を飛ばしても十日はかかる見込みだという。最速で十日だ。寄り道をすればそれだけ時間がかかるだろうが、今回の帰国に際してはほとんど寄り道をする予定はないはずだった。まずは王都に帰らなければならない。王都に凱旋し、ザルワーンに勝利したことを宣言するのだ。

 そこからガンディアの新たな歴史が始まるといってもいい。

「温泉……か」

「バッハリアといえば温泉だぜ? ガンディアとの戦争中だって湯治客で賑わってたらしいからな、あの街」

「そういえば、一度もいったことないですね、バッハリア」

「ログナーに戻ったら、一度来いよ。軍を挙げて歓迎するぜ」

 バッハリアはログナーの地方都市のひとつだ。ガンディアとの戦争では、戦場にはならなかったが、それは地理的な幸運に恵まれていたといってもいい。バッハリアはログナーの北東部に位置し、ログナーの南の国であるガンディアにしてみれば、黙殺して当然の立地だったのだ。

 ログナー戦争のおり、ガンディア軍は、バルサー要塞からマルスール、マイラムを目指した。バッハリアに兵を割くだけの余裕がなかったというのもあるが、短期決戦を目指していたガンディアにとってはバッハリアに戦略的価値を見いだせなかったのも大きいだろう。ログナーの首都を落とせば、全土を手に入れるのも難しく無いと踏んだのかもしれないし、それも間違いではなかった。

 エインは、ログナーが早々にガンディアに降伏したのは、決して間違いではなかったのだと改めて実感していた。ログナー軍の全力を上げて抗戦すれば、ガンディア軍にある程度の損害を与えることはできただろう。しかし、黒き矛を振り回すセツナの前では、その程度の損害など無意味に等しい。むしろ、セツナに勢いを与えるだけの結果に終わったのではないか。そして、そうなればもう終わりだ。手の打ちようがなくなる。ドラゴンを撃滅するほどの怪物を相手に無為無策で戦うなど、馬鹿げた話だったのだ。

 あのまま戦い続けていれば、エインはおろか、ドルカやアスタル=ラナディースまで戦死していたのは、疑いようのない事実だ。

 生きていることに感謝するのは、生きていたからこその廻り合せがあったからであり、充実したいまがあるからだが。不遇に終われば、死んだほうがましだったと想うのかもしれない。

「そうですね。それもいいかな」

 エインがドルカの提案にうなずくと、ドルカはにかっと笑った。時折見せる底抜けにひとの良さそうな笑顔こそ、ドルカの本性なのではないか。エインはそんな風に思った。

(温泉……か)

 温泉というものがどのようなものなのか、想像もつかない。どうやら心身の疲労に対して効果的なものであるらしい。ただの沐浴ではない、というのだが。

(休めるというのなら、それもいいか)

 ゆっくりと休む時間が欲しいのは、だれだって同じだ。

 戦術、戦略を思索するのが好きなエインであっても、そうだ。じっくりと、ゆっくりと頭を休める時間が必要だった。

 戦争が終わった。事後処理が落ち着き、ザルワーンの治安が安定を見せれば、エインたちもログナーに戻ることができるだろう。

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