第四百四十六話 墓と魂
墓を眺めている。
征竜野の戦いで命を落としたものの多くは、龍府内の共同墓地に埋葬された。戦後、ガンディア軍の龍府入りが遅くなった原因のひとつは、敵味方の死体の回収に時間がかかったからだ。しかし、それでもすべての死体を回収することはできなかったという。そのため、龍府制圧後も、戦死者の亡骸を回収するための部隊が編成され、何度となく征竜野に繰り出されたらしい。
そんな中にあって、傭兵団《白き盾》に所属した傭兵たちの亡骸は、戦後間もなく、《白き盾》の団員たちによって回収された。団員の多くは、死後、故郷に帰ることを切望していた。それは、どこで野垂れ死んでもいいという覚悟とは別のものだ。死んで故郷の土となるか、故郷の空に昇るのかはそれぞれだろうが、特に関係のない土地に埋葬されるよりは故郷のほうがいいと思うのは、普通の感情だろう。
しかし、亡骸を故郷に送り届けるというのは、簡単なことではない。交通手段が発達した世界ではないのだ。集団墓地に埋葬するのも致し方がないというところだろう。
「ログナーやガンディア出身のものの亡骸は、故郷へ送り届けられるようです。先ほど、ガンディア軍と話をつけてきました」
「……ありがとう」
空は晴れ渡り、秋の冷ややかな風が墓地を駆け抜けていく。無数の名が刻まれたいくつもの墓標は、ザルワーンの長い歴史を想像させる。その墓標に真新しく刻まれた名前群こそ、征竜野の戦いで死んでいったものたちの名前であり、そのうちのいくつかが、《白き盾》に属した傭兵の名前だった。《白き盾》だけではない。《蒼き風》の傭兵たちも、ガンディアの軍人たちも、ザルワーンの兵士たちも、墓の下に眠っているはずだ。
もっとも、征竜野の戦いで死んだものが全員、この墓所に眠っているわけではない。龍府は、マイラムや、ガンディオンに比べても巨大な都市であり、このような墓地が都市の各所に点在する。一箇所ではなく、各所に分散して埋葬されているということだ。
集団墓地は、戦死者の霊を慰めにきた人々が大勢おり、クオンもそういった人々とともに献花し、ひとりひとりに語りかけていった。死んだものの魂がそこにあるわけではない。墓石の下に埋まっているのは、亡骸だけだ。生命活動を停止し、ただの肉塊と成り果てた物体が土に還るときを待っているに過ぎない。
しかし、それでも、彼は言葉を発せずにはいられなかった。後悔がある。自責の念がある。取り返しようのないことをしてしまったという実感がある。やりきれない。
征竜野の戦いは、《白き盾》にとっては初めて、クオンが戦場にいないという戦いだったのだ。クオンが、自分のために作り上げたのが《白き盾》という傭兵団だ。その戦場には、常にクオンがいた。いなければならなかった。彼の目的のために行動し、彼の願いのために活動するのが《白き盾》なのだ。団員たちは、クオンの理念や理想に共感して、ついてきてくれている。
彼らの身を守るのは、クオンの絶対的な使命だった。
「ぼくが征竜野にいられたら、だれも死ぬことはなかった」
クオンがつぶやくと、一瞬、周囲の空気が緊張した。彼には、《白き盾》の幹部たちが付き従っている。幹部以外の団員たちも数十人ほどが彼と行動を共にしていたが、団員たちには聞こえてはいないだろう。
幹部とは、マナ=エリクシア、ウォルド=マスティア、イリス、そしてグラハムのことだ。他の団員との違いは、クオンとの距離感であり、戦場における役割という程度のものだ。が、戦場で指揮を任せることができるというのは、それだけで特筆すべき事であり、そういう連中が幹部になるのも当然と言えた。
イリスは、幹部というよりは、クオンの護衛のようなものだが。
「それはいってはならぬことです」
グラハムの声音は、いつになく厳しい。
「思ってもなりません」
「わかっては……いるよ」
グラハムの言いたいことは理解できる。重々承知のことだ。起きてしまったことを悔いても、どうにもならない。過去は変えられない。失ったものは、失ったままだ。命を取り戻すことなど、できるはずもない。征竜野の戦いに舞い戻れることはないし、彼の盾が過去の仲間を守ることもない。
「でも、考えてしまうんだ」
もし、と。
もし、クオンが征竜野の戦いに参加できていれば、こんなことにはならなかっただろう。《白き盾》から死者がでることはなく、ガンディア軍全体の損害も抑えることができた。ドラゴンの猛攻を耐え抜いたのがシールドオブメサイアだ。ザルワーン軍がドラゴン以上の破壊力を持ちだして来なかったということは、クオンひとりがいれば、ザルワーン軍など赤子の手をひねるように簡単に撃破できたはずだ。
「わかっていたはずです。これが戦いなのだと。戦場に立つというのはこういうことだと、知っていたはずです。守護なき戦いとはこういうものなのです。矢を受ければ傷つき、刃が触れれば切り裂かれ、鉄槌の一撃で死ぬ。それが戦場というものです」
グラハムの淡々とした口調は、クオンを責めているというわけではなさそうだった。教育しようとしているのかもしれない。どこか覚悟の足りないクオンに決意させようとでもいうのかもしれない。
「戦場……」
クオンの脳裏に浮かぶのは、盾の向こう側の風景だ。圧倒的な理不尽に蹂躙されていく敵の姿は、あまりにも哀れで、正視に耐えないものだ。シールドオブメサイアの守護を得た《白き盾》は、まさに無敵の軍勢であり、敵の攻撃をまったく寄せ付けず、一方的な攻撃で勝利を掴んできたのだ。
敵の攻撃を受け付けないというのは、恐怖を感じないということであり、緊張とは無縁の戦いを続けてきたということでもある。
《白き盾》の中から負傷者が出ることもなければ、死者が出たことなどあるはずもなかった。《白き盾》は常にシールドオブメサイアによって守護され、であればこそ、無敵の傭兵団として引く手数多の活躍をしてくることができたのだ。これが別の召喚武装であれば、そうはならなかっただろう。
クオンが召喚したのがシールドオブメサイアではなく、カオスブリンガーであったならば、敵に与える損害はより大きくなったものの、仲間の被害も増えたに違いない。
シールドオブメサイアは確かに強力だ。完全無欠の盾。絶対の守護。その庇護下で戦ってきたのが、クオンと《白き盾》の傭兵たちだった。もちろん、クオン以外の団員には、それまでにいくつもの戦場を潜り抜けてきたような猛者も少なくはなかったし、武装召喚師のふたりやイリス、グラハムなどは、本当の戦場を知っている。
クオンは、どうだろう。
クオンとて、常に盾を展開して戦ってきたわけではない。しかし、彼が盾を用いないのは、彼自身が攻撃手にならなければならないという極限られた状況のときだけであり、それは本当の戦場といえるものだったのか、どうか。
「彼らは征竜野の戦場で死ななかったとしても、いずれ別の形で命を落としたでしょう。死とは、そういうものです」
「それは詭弁だよ」
「詭弁であろうとなかろうと、どうでもいいことです。わたしは心構えを説いているのですよ」
「心構え……か」
「クオン様。貴方は《白き盾》の団長であるということをもっと自覚するべきだ。団員は、貴方の命令ひとつで死地に赴く覚悟で付き従っている。なればこそ、貴方のいない戦場でも死を恐れず戦い、敵を倒し、敵に殺されたのです。その死をなかったことにするということは、彼らの決意や覚悟を侮るということにほかならない」
クオンは、グラハムの説教に耳を傾けながら、集合墓地の光景を目に焼き付けようとした。晴れやかすぎる空の下、立ち並ぶ墓石に捧げられたいくつもの花が、戦いの虚しさを示しているように思えてならない。
「団員の命を上手く使うのならば、だれも文句など言いませんよ。貴方のためならば、我々は喜んで死にましょう。我々《白き盾》はただの傭兵ではないのです。貴方の夢、貴方の願い、貴方の望みを叶えるために集ったものばかりなのです」
グラハムの考えには狂気が混じっている気がしてならないのだが、周囲の幹部も団員たちも、だれも反対意見を持っているようには見えなかった。ほかに行き場のないイリスや、付き合いの深いマナとウォルドがそう思うのはわかる。新参者ではありながら、天啓によって配下に加わったグラハムがそういった考えに陥るのもわからなくはない。しかし、団員の全員がそう思っているは、考えにくい。
しかし、クオンは、グラハムが団長である彼よりも、団員たちと交流をはかっていることを知っている。少なくとも、クオンよりも余程《白き盾》の内情に精通しているに違いなく、新参者でありながら幹部として振る舞えるのは、彼のそういう努力があってこそなのだ。つまり、クオンの個人的な思い込みよりも、説得力があるのだ。
それでも、クオンは、団員たちをこれ以上一人足りとも死なせたくはなかった。そのためには、彼自身が強くならなくてはならない。強くなる、というのは肉体を強化するということだけではない。精神を鍛え上げ、シールドオブメサイアの召喚効率を高めていくことこそが最重要だ。
たとえば、ヴリディア砦跡にありながら、征竜野の団員たちを守護するということが可能になれば、もはや怖いものはない。
「グラハム。あなたの言、記憶に刻もう」
クオンは、グラハムの目を見た。生まれながらの貴公子の目は、いつも通り澄み切っている。いつ見ても不思議に思うのだ。なぜ、彼のような人材が、クオンの元に参じたのか。クオンを主と仰ぎ、命を投じようというのか。
クオンは、自分が特別な人間だなどと思ったことはない。ごく普通の家庭に生まれ育った、一般市民だと認識しているし、その認識が変わるようなことはないだろう。偶然にも異世界に召喚され、どういうわけか召喚能力を得てしまったという点だけは異常ではあるものの、それだけといえばそれだけのことだ。
そんな人間の下に、何十人もの屈強な戦士たちが集っている。いや、戦士だけではない。戦闘者以外にも多数の協力者が、彼の周りに集まっていた。彼らがなにを望み、なにを求めているのかはそれぞれ異なるはずだ。居場所を求めるものもいれば、名声を求めるものもいるかもしれない。無敵の傭兵団という雷名に惹かれて集ったものもいるだろうし、スウィールに連れて来られた連中もいる。《白き盾》とは、雑多な意識の集合体なのだ。
そんな連中が、グラハムのいうように、クオンのために死ぬことを恐れないというのか。
「だけど、ぼくは皆を護りたい」
クオンが告げても、グラハムは涼しい顔のままだった。隣で、ウォルドがにやりとしている。イリスは相変わらずの仏頂面で、マナは少し困ったように微笑んでいる。
「ぼくには、そのための力がある。それだけの力がある。もちろん、シールドオブメサイアに頼ってばかりではいけないというのもわかっているさ。でも、だれひとり失いたくないんだ」
苦痛がある。
ドラゴンとの戦いによる消耗よりも、余程辛い痛みが、クオンの胸に刺さっている。
ドラゴンとの戦いの最中に意識を失ったクオンが目を覚ましたのは、今朝のことだ。九月二十九日。征竜野の戦いが終わって、二日が経過していた。その間、クオンはずっと眠っていたのだが、眠っていたクオンを見ていてくれたのは、やはりイリスとマナのふたりだ。グラハムは事後処理に奔走し、ウォルドは戦勝祝いで酒をたらふく飲み、酔っ払って寝込んでいたという。
目が覚めたクオンを待っていたのは、《白き盾》設立以来、初めて戦死者が出たという報告であり、その死者の数だった。いや、数が問題ではない。死者を出してしまったという事実が、重くのしかかってきたのだ。
クオンが征竜野の戦いに参加できなかったがために死者がでたのは、疑いようのない事実だ。クオンが征竜野の戦いに赴くことさえできれば、だれも死なずに済んだのだ。
いや、ヴリディアにありながら、征竜野の仲間を守護することができれば、こんなことにはならなかった。
クオンは自分を責めた。
そして、理解したのだ。
このままではいけない。
このままでは、仲間を失い続けることになる。
強くならなければ。
そのためには、どうすればいいのか。
「まあ、わかっていましたよ。クオン様がお優しいのは。だからこそ、皆がついていくのですから」
「試したのか?」
「まさか。どちらに転んでも構わないというだけの話です」
グラハムは涼しげに目を細めたが、彼の真意はわからなかった。