第四百四十一話 ミリュウ=リバイエン
「消える? どうして」
「だって、なにもかもなくなってしまったんだもの」
彼女は儚げに笑っていた。ミリュウ=リバイエンといえば、どんなときも強気で、不敵な態度を崩さないというのがセツナの中の印象だったのだが、いま目の前にいる人物は、いまにも消え入りそうなほどか弱く見えた。
「あたしは、ザルワーン人よ。ザルワーンの五竜氏族リバイエン家に生を受け、箱庭の世界で育てられた。それが魔龍窟に落とされた結果、武装召喚師とかいう物騒な存在になってしまった。けれど、五竜氏族として生まれた本質を消すことなんてできなかったのよ」
ミリュウは心情を吐露するのだが、セツナには、そこにどういった問題があるのかがわからない。五竜氏族であるという本質のなにが駄目なのか、理解できない。五竜氏族というものがどういったものなのかは知っている。いわば王侯貴族のようなものだという。
ガンディアにおいては、ガンディア王家や王家に連なる貴族たちがそれに該当する。しかし、ザルワーンの王侯貴族たる五竜氏族の立場は、ガンディアにおける王侯貴族とは格段の差があるという。
五竜氏族は龍の末裔であると公言しているらしい。龍は、人間を支配し、使役する存在であるというのが、五竜氏族の立ち位置だ。そして、その存在理由のままにザルワーンの国民を支配するのが、五竜氏族なのだということだが。
そこに問題があるようには思えない。
ザルワーンがガンディアに敗れ去ったことで、五竜氏族の根幹が崩れたといいたいのならば、わからなくはない。五竜氏族による支配の正当性を確かなものにしているのは、ザルワーンという国の存在だったからだ。その国が潰えようとしている。
決戦の結果、ガンディア軍の大勝利に終わったことをセツナははっきりと覚えている。虚空の存在となりかけ、世界に溶けながらも戦いの成り行きを見守り続けた甲斐があったというものだ。危うく、自分自身を見失うところだったが、こうして現世に戻ってくることができた。
それは皆に逢いたいという気持ちがあったからだ、とセツナはいまさらのように実感している。寝台に突っ伏して寝ているファリアにも逢いたかったし、いま、椅子から立ち上がり、苦しそうな顔をしているミリュウとも逢いたかった。ふたりだけではない。もっと多く、逢いたいひとたちがいる。レオンガンド、ルウファ、エイン、ルクス、ラクサス、ドルカ、グラード、アスタル――枚挙に暇がないほどに、逢いたいひとの顔が浮かんだ。
「あたしの体に流れる血は、五竜氏族の血。あたしを構成するのは、五竜氏族という呪われた宿業そのもの。ザルワーンという国が亡び去ったのなら、消え去るしかないじゃない」
「そんなことは――」
ない、と、いおうとしたが、ミリュウの切迫した視線に言葉を続けられなかった。藍色の瞳が揺れているように見えた。潤んでいる。彼女が頭を振った。
「ううん、いいの。ごめん、疲れきってるのに、こんな愚痴みたいなことを聞かせちゃって。違うの。そうじゃないの。そういうことがいいたいんじゃなくて……」
「ミリュウ?」
セツナは、彼女のことが心配になって名を呼んだ。しかし、彼女はこちらを見ようともしなかった。苦しように頭を抱え、嗚咽さえ漏らしているように聞こえるのだが、寝台の上のセツナにはどうすることもできない。手を伸ばしても、彼女に届く距離ではない。
(触れて、どうする?)
なにもできない。
ただのガキになにができるというのか。
セツナは自分の情けなさに絶望的になりながら、ミリュウが動きだすのを見ていた。腕で目元を拭う仕草は、涙を流した証拠ではないのか。
「本当に、ごめんね」
ミリュウは、それだけを言うと、セツナを一瞥もせず部屋を飛び出していった。風のような早さは、鍛えあげられた肉体を誇る武装召喚師の実力を感じさせた。
「あ……」
セツナは手を伸ばしたまま、だれもいなくなった虚空を見ていた。不意に眼下で物音がしたと思うと、
「追いかけないの?」
「わ」
セツナは突然の声に驚いて仰け反ったが、声の主は、容赦なかった。
「わ、じゃないわよ。わ、じゃ。追いかけないの?」
寝起きとはとても思えないような鋭い目つきは、彼女が少し前から起きていたことを示しているのか、それとも寝起きがいいのか。どちらにせよ、ファリア・ベルファリア=アスラリアとの再会を喜ぶような雰囲気ではなかった。
セツナとて、ミリュウを放置して、ファリアと無事を喜び合うような感覚は持ちあわせてはいない。
「彼女、すっごく悩んでいたのよ。君が目覚めるまで待っていてもいいのかどうか、とか、自分はここにいるべき人間ではない、とか」
ファリアが目を伏せて、いった。セツナが寝ている間の出来事なのだろう。ミリュウは、いまも悩み、苦しんでいるのであろうということは、ついさっきの言動からも明らかだ。見るからにいつもとは違う彼女がそこにいた。
「わたしでは、彼女の力になることはできなかった。ミリュウが求めているのは、わたしじゃないもの。敵を助けるようでなんだけど、セツナじゃなくちゃ、駄目なのよ」
ファリアと視線が交わった。真摯なまなざしだった。ファリアはファリアなりにミリュウのことが心配なのだ。ミリュウは当初、敵として立ちはだかった人物だが、いまではある程度気心の知れた間柄といってもいいほどではないか。ふたりが軽口を飛ばし合ったり、セツナを巡って火花を散らせるのは日常茶飯事だった。たった数日で結ばれた関係だというのに、なんと濃密なものなのか。
出逢いが、衝撃的だったというのもあるだろう。それに、ミリュウがセツナに対して、好意を抱いているというのを隠さず、むしろ明らかにしていたというのも大きいのではないか。好意。好感。特別な感情。なぜ、敵として刃を交えただけの相手に好意を寄せるのか。それもわかっている。武装召喚術の後遺症というべきか、反動というべきか。ともかく、ミリュウはセツナの記憶に触れたらしい。その結果、セツナに対して、そのような感情を抱くようになったのだという。まったくわけがわからないことだが、把握はした。好かれるというのは、決して気分の悪いものではない。そして、彼女の想いに一切の邪念がないということがわかれば、セツナだって気を許すものだ。
「もちろん、君がどうしようと勝手よ。君がどのように判断しようとも、なにもいわないわ。だって、君のことだもの。君の感情。君の判断。君の人生。決めるのは、君自身の意志じゃなくては駄目よね」
ファリアが付け加えてきた言葉を頭の中で咀嚼するようにして、セツナはうなずいた。
ミリュウがなにに苦しみ、なにに悩んでいるのか、はっきりとわかったわけではない。しかし、そうやって苦悩しながらも、セツナが目覚めるまでずっと側に居てくれたのは、彼女がセツナに救いを求めているからではないのか。セツナになにかを訴えたいからではないのか。
勝手な勘違いかもしれない。傲慢な考えかもしれない。だが、彼女がセツナに対して、言いたいことがあったのは間違いない。
伝えたい気持ちを上手く言葉にできないから、彼女は苦悩し、泣いていたのではないのか。
そう想った時、セツナは寝台から飛び降りていた。全身の筋肉という筋肉が情けないほどの悲鳴を発している。動かないでくれ、このまま寝ているべきだ、回復を待つのが得策だ、とでもいっているかのようだったが、セツナは無視した。寝間着の格好のまま、部屋を飛び出す。広い廊下は、華やかな装飾が施されており、いかにも宮殿然としていた。
セツナは立ち往生した。龍府天輪宮紫龍殿の構造など、わかるはずもなければ、ミリュウがどこへいったのかなど、想像もつかなかった。
(だったら!)
「武装召喚!」
セツナは呪文の末尾を口にしながら、右腕を掲げた。セツナの全身に光の模様が描かれたかと思うと、爆発的な光が生じた。光は一瞬にして右手の内に収斂し、その中から漆黒の矛が出現する。カオスブリンガー。
「力を貸してくれよ」
黒き矛を握り締めると、意識が肥大する感覚に苛まれた。いつも通りの五感の拡張。いつも通り、だ。ドラゴンを倒すために振るった力ではない。いつもの力。分相応の、力。それでいい。それだけで十分だ。怪物退治の力を必要とする時ではない。
セツナは、肥大する五感が捉えた紫龍殿の構造が脳内に描き出されていくのを待つつもりはなかった。
紫龍殿の内部構造がわかっても、ミリュウの居場所がわからなければ意味がないのだ。
ならば、どうするのか。
答えはひとつしかない。