第四百三十七話 龍府にて
部屋の外には、ゼフィルとバレットが待っていた。戦後処理のすべてが終わったわけではないだろうが、ふたりだけで捌ききれるものでもない。
レオンガンドの側近である四人は、ガンディアの最高意思決定機関といっても過言ではなく、彼らの支配下には数多の文官がいる。戦闘では毛ほどの役にも立たない文官たちだが、戦後処理などの事務では面目躍如の働きを見せてくれている。当然だ。でなければ、それら文官の存在意義がない。
ゼフィルにせよ、バレットにせよ、征竜野の戦いが終わって以来休む間もなく働き続けている。征竜野の戦いにおける彼我の損害や、ひとりひとりの戦功についても調べ上げなければならない。
手柄については軍の協力あってこそ正確な評価が下せるということもあり、ひたすらに時間がかかった。もちろん、大将軍以下、ガンディアの軍人たちが協力を惜しんでいるわけではない。あの戦場での手柄を正確に把握するのは大変だということなのだ。
「待っていてくれたのか」
「はい」
ゼフィルが若干やつれた顔をしているのは、別段不思議なことではないが、バレットの表情に疲労が見えるのは珍しいことだった。バレットは事務よりも戦闘を好む男だったし、レオンガンドが彼を側に置いた理由の大部分が、剣の腕によるところが大きかった。しかし、アーリアという最高の護衛がいるいまとなっては、彼の役割は変わらざるを得ない。不慣れな事務に精を出してもらうしかない。
軍に所属させるという案もあったのだが、レオンガンドは苦慮の末、却下した。彼自身、凄腕の剣士ではあるし、戦闘員としての活躍を見てみたくもあったのだが。
「よもやナーレス殿が生きておられたとは……」
「わたしも驚いたよ」
「なんでも、危うく殺されるところだったとか」
「……らしいな。ミリュウたちのおかげで助かったんだ」
ミリュウ=リバイエンとリューグ=ローディン。どちらも、生粋のガンディア人ではない。リューグは野盗くずれの剣士であり、ログナー戦争での働きによってガンディア軍所属となった人物だ。ラクサス=バルガザールの推挙によって王立親衛隊に入り、いまはラクサスの手足だ。
一方、ミリュウに至っては、ガンディア軍の関係者ですらなかった。ザルワーンの武装召喚師であり、セツナたちと戦い、敗れたために捕虜となったはずの人物である。そんな彼女がガンディアに協力しているのは、ウルの異能による支配ではなく、ミリュウ本人の意志だった。捕虜の身でありながら最低限の自由を得るための、彼女なりの方法だったのだろう。ほかに理由があったとして、レオンガンドが関知することではないが、それはそれとして、ミリュウ=リバイエンの処遇については考えなくてはならない。
「そういえば、彼女はどうするつもりだ?」
レオンガンドは、歩きながら問うた。
「はい?」
「ザルワーンがなくなるということは、彼女を捕虜とする理由もなくなるだろう?」
ミリュウは、ザルワーンに所属した武装召喚師だ。国主ミレルバスを失ったザルワーンがガンディアに全面降伏することになったいま、彼女もガンディアの支配下に入るということになるのだが、そのあとのことについては、ミリュウ自身がどう判断するのかにかかっている。
ガンディアに在ることを望むのならば、喜んで迎え入れるだろう。彼女は有能な武装召喚師だという。セツナが苦戦を強いられるほどだといい、それだけの実力者がガンディア軍に加われば、戦力はさらに充実するだろう。
特に、だ。
有能な将士が揃っていたログナーと違って、ザルワーン軍は人材不足といって良かった。広い国土と多大な兵数を誇るザルワーンの人材不足というのは、ガンディアのそれよりも余程深刻であるのだが、そればかりはザルワーンを責めることはできない。ザルワーンという国が、有能な人材の生まれにくい土壌だということではないのだ。
ザルワーン軍にとって有益な人材は、ナーレスが中央から遠ざけるだけ遠ざけていた。軍への関わりすら絶たせた例もある。果たして、ザルワーン軍には有能な将校はほとんど残らなかった。
もっとも、ナーレスが猛威を振るうまでもなく、ザルワーンの将官の多くは戦死してしまっているのだが。
ザルワーンの有能な将といえば、グレイ=バルゼルグを思い起こさせるが、彼は元来メリスオールの猛将である。もちろん、メリスオールがザルワーンの一部となった以上、グレイをザルワーンの将のひとりに数えるのは間違いではない。しかし、ザルワーンの将の名として真っ先に上がる名が、他国の将というのは、ザルワーンの人材不足ぶりを示しているのではないか。少し前までならば、グレイ=バルゼルグ以外では、ナーレス=ラグナホルンの名も挙がったことだろう。彼もガンディアの軍人だった。生粋のザルワーン軍人で名の挙がる人物は極めて少ない。
その有名な将も軍師もザルワーンの敵だったのだが、いまはいい。ザルワーンを手に入れたいま、考えるべきは、有象無象の将士の中から如何にして有能な人物を拾い上げるかだ。ガンディアも、ザルワーンに負けず劣らず人材不足に陥って久しい。近隣諸国を欺くための施策が裏目に出たのだが、それもいまとなっては仕方のない代償だったと思える。
“うつけ”と誹られ、彼が王位を継ぐことに絶望した連中は、ガンディアを去っていった。ナーレスとの喧嘩別れから始まる一連の大量離脱は、ガンディアという国に多大な損失をもたらしたが、結果として、ガンディアは近隣諸国から黙殺される程度の存在になることができたのだから皮肉なものだ。そして、多くのものを失望させたガンディアの“うつけ”は、バルサー要塞を奪還し、ログナーを下した。そして、ザルワーンと激闘を繰り広げ、勝利を掴んだ。
勝ったのだ。
多くの代償を払い、ようやく手にした勝利だ。
しかし、感慨に耽っている暇はない。人材を探さなければならない。ザルワーンを飲み込み、肥大したガンディア軍を制御するには、相応の人物が必要だった。それも、相当な数が必要だと、大将軍も嘆いていた。ザルワーンの全国土を制したわけではないが、単純に見積もって、ガンディアの兵力は倍に膨れ上がるだろう。
ガンディアとログナーを合わせた兵数のさらに倍、だ。
さすがは大国と歌われるだけのことはあり、ザルワーンには、数多の兵がいた。それこそ、ガンディア単独では覆しようのない兵力差を誇った大国が、ザルワーンだった。数のザルワーンなどとささやかれるように、兵士ひとりひとりの質は決して高いとはいえないものの、それを補って余りある兵力を有していた。
戦争は数が物をいうものだ。多少の質の差など、物量の前では風の前の塵にすぎない。
その数を手に入れるだけでも十分ではあるのだが、兵を率いるには、指揮官がいる。ガンディアとログナーの軍人だけでは、足りなくなるのは誰の目にも明らかだ。軍事に疎いレオンガンドでさえ、今後のことを考えると頭が痛くなる。もちろん、軍事に関しては大将軍たちに一任しておけば問題はないのだが。
そんな不足した人材の中で、ミリュウ=リバイエンは光り輝く宝石のようなものだ。原石などではない。武装召喚師としての実力は、セツナを圧倒したという事実で十分にわかるというものだし、人格的な問題もないと見ていい。ウルの支配がなくとも、彼女は、ガンディア軍に対して危害を加えようともしなかった。それどころか、セツナにべったりであり、まるで拾われた捨て犬のようだったというのがエイン=ラジャールの評だ。実際のところはわからないが、ミリュウがセツナに気を許しているのは確かなようで、ファリア・ベルファリアもミリュウのことを信用している節があった。
それに、ミリュウには功績がある。ナーレスの保護は、彼女とメリルとリューグ、三人の功績であり、偉大なる軍師の生還に尽力した三人には、なんらかの形で報い無くてはならないと考えていた。そのひとつが、ミリュウの登用なのだが、そればかりは彼女の意志が重要だ。
ウルに支配させ、運用させるという手もあるが、ウルの異能も万能ではない。それに、いざというときのために、彼女の手を開けておきたいというのもある。カインとミリュウを同時に支配し、運用するとなれば、ウルはなにもできなくなるらしいのだ。
「陛下が強要するというのはなしですか?」
ゼフィルが冗談めかしていった。できないことではないかもしれない。が、それをしたくはなかった。もちろん、ガンディアのためにならば魔王にだって魂を売る覚悟はある。実際、悪王の道を歩んでいるという自覚もあった。アーリアやウルが彼の元で働いているのは、強要ではないにせよ、それに近いものかもしれなかった。
「そんなことをすれば、セツナに嫌われるな」
一番の懸念がそれだった。
ミリュウは、四六時中、セツナに付きまとっていたといい、セツナはそれに対して満更でもないという態度だったらしい。彼女の人格を蔑ろにするような手段を取れば、セツナの心証が悪くなるのは間違いない。
セツナ・ゼノン=カミヤ。
それこそ、拾われた子犬のような少年は、いまやガンディアの象徴のような存在となっている。黒き矛のセツナの名を知らぬものはいないし、その名を聞けば震え上がるものも少なくはない。黒き矛カオスブリンガーとともにいくつもの戦いを潜り抜けてきた少年は、ほとんどの戦いで多大な戦果を上げており、彼がいなければ、ガンディア軍はザルワーンに勝利することなどできなかったのは、だれひとりとして疑わないだろう。
ガンディア大勝利の立役者のひとりであり、この戦争の主役だったといっても過言ではない。ナグラシア強襲から始まるザルワーン戦争でもっとも多くの敵を殺したのが彼だ。総勢一万五千を誇ったザルワーン軍の一割以上を、たったひとりで殺戮したという。
想像するだけで震えが来るほどの戦果。
まさに戦禍と呼ぶに相応しい人物だった。
そんな人物が実際に存在し、純朴な少年の姿をしているとは、だれが思うのだろう。そして、そんな少年が、なんの見返りも求めず、この国のために戦ってくれているということを知れば、奇異に思うに違いなかった。
レオンガンドも、そのうちのひとりだ。
セツナの考えていることがわからないというのは、当然のことではあるのだが、ある意味では恐怖でもあった。彼がレオンガンドに愛想を尽かし、敵に回った時、レオンガンドの夢は潰える。ただガンディアを去るだけならば、まだ、いい。ガンディアも少しずつ大きくなり、戦力も整い始めた。黒き矛の不在を補填できるとは思えないが、他国と渡り合えるだけの力はついてきている。
だが、セツナが敵国の矛となれば、そんなものではどうしようもない。鬼神のような彼の戦いぶりによって、ガンディアは瞬く間に崩壊するだろう。レオンガンドの夢は露と消え、獅子の国は歴史に埋没する。ログナーやザルワーンがそうなったように、だ。
そうならないためにも、彼の心をこの国に繋ぎ止めておく必要がある。地位と名誉では縛れないのが、セツナという少年だった。金が欲しいわけでも、女を必要としているわけでもない。そういう意味では、金だけで行動を縛ることができる傭兵ほど、扱いやすいものはなかった。
セツナが欲するのは何なのか、レオンガンドは日夜考えているが、答えはまだ見つかっていない。
いまは、セツナに嫌われないように振る舞うので精一杯だった。そして、セツナに嫌われないようにするには、彼と彼の周囲のひとびとを大切にすることだと、レオンガンドは考えている。ファリアやルウファといった《獅子の尾》隊の関係者だけではなく、セツナと良好な関係を結んでいる人物についての情報は、レオンガンドの耳に入っている。エイン=ラジャールもそのひとりだし、ルクス=ヴェインも一応、その範疇に入っている。
そして、ミリュウ=リバイエンもだ。
ミリュウを害するようなことがあれば、セツナはレオンガンドを嫌うのではないか。そういうおそれがある行動を取るのは、得策ではない。もちろん、功利的な考えだけではなく、レオンガンド個人としても、そのような振る舞いをしたくはなかった。
「セツナはまだ帰陣していないのか?」
「はい」
「エイン軍団長が隊を率いてヴリディア砦跡に向かったのは、戦後しばらくしてからのこと。征竜野の戦地からヴリディアまでは、半日はかかる距離です。馬を飛ばしたとしても、今日中に龍府につくかどうか、といったところです」
といってきたのはバレットだ。レオンガンドは把握していなかったことだが、セツナとクオンについては、だれかが迎えに行かなければならないのは明白だった。
セツナと《白き盾》のクオン=カミヤは、ヴリディア砦跡でドラゴンを釘付けにするという重大な役割を果たしてくれたのだ。たったふたりで、あのような巨大な怪物と戦い続けるというのは、並大抵のことではない。ふたりが並外れた召喚武装の使い手だということが最大の要因なのだろう。セツナのカオスブリンガーと、クオンのシールドオブメサイア。ふたつが揃って、ようやく成し遂げることができたのではないか。
もちろん、事の詳細は、セツナたちが帰陣してから、本人に直接聞くまではわからないが。
ドラゴンが消滅したのは間違いないし、それを為したのはセツナとクオン、ふたりの武装召喚師に違いないのだ。
「英雄との再会は、先延ばしになりそうだな」
レオンガンドはそっとつぶやくと、前進を再開した。ゼフィルとバレットが待っていたということは、レオンガンドが必要な案件でもできたのだろう。
ガンディアの大勝利に貢献した少年のことは頭の隅に追いやると、思考を切り替えるようにして、息を吐いた。