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第四百三十二話 愛憎の結末

 叫び声が反響する中、オリアンの背中が遠ざかっていった。追いかけることはできない。追えば、追いついてしまう。追いつけば、殺さざるをえない。殺せないというのに、殺さなくてはならなくなるのだ。堂々巡りの矛盾の中で、彼女は頭を抱えて天を仰いだ。

 天井に吊り下げられた魔晶灯が、まるで彼女の激情に感応したかのように明滅を始める。玄龍殿一階の中心区画。無数に入り乱れた通路の中心であり、数多の部屋を結ぶ交点。その幾つかの部屋の扉が開いたかと思うと、誰何の声が飛んできたが、彼女は答えなかった。問いかけてきたのは、ザルワーンの高官だろう。天輪宮にいるのだ。それ以外には考えられない。こちらの態度を不審に思ったのだろう、高官のひとりが衛兵を呼んだ。

 彼女は、動けなかった。

(あたしは、なにをしたかったの?)

 自問したところで、答えなど出るはずがなかった。

 いや、答えならばある。彼女は、ミリュウ=リバイエンは、オリアンに報いを受けさせたかったのだ。娘の期待を裏切り、魔龍窟へと陥れ、十年に及ぶ地獄の日々を過ごさせた男に、相応の報いを突きつけたかったのだ。それは、死、以外にはない。殺すことだけが、目的だった。父親とは思わなかった。敵だと思い続けていた。

 オリアン=リバイエンを殺すことだけを夢見て生きてきた。

 それ以外の目標はなかった。しかし、それでよかったのだ。オリアンさえ殺すことができれば、それでよかった。青春は無残にも失われ、血と死の臭いが蔓延する地獄が彼女の生きた世界だった。生き抜くにはなんらかの目的が必要だ。目的もなくあの苛烈な世界を戦い抜くことなどできるはずもない。

 ただ漫然と「生きたい」と思うだけではダメなのだ。ただ生きたいとか死にたくないとかいっていた連中は、まっさきに死んでいった。目的を持ったものだけが生き残った。ミレルバスへの復讐を誓ったジナーヴィ、ジナーヴィの力になりたいといっていたフェイ、将来を掴むと宣言したクルード、星を掴みたがっていたザイン、そして、父殺しを胸に秘めたミリュウ。

 戦い抜いて、生き延びた。

 地獄から掬い上げられたとき、彼女はオリアンを殺すことを誓ったが、まずは任務を優先せざるを得なかった。戦争が終わってから殺せばいい。そう判断した。だが、ミリュウはガンディア軍に捕らわれてしまった。クルードもザインも死に、ひとりになった彼女には、やはり、オリアンを殺す以外の道はなかった。なにもかもを失ったのだ。

 止まり木を見つけた。そこに止まっていれば、心が安らいだ。その少年の側にいることで、孤独感を紛らわせることができた。己を欺瞞するには打ってつけの相手だった。記憶が混濁しているという言い訳もできた。ちょうど良かった。だが、彼女の根底にあるのは、オリアンへの殺意であり、オリアンを殺さなくてはその安らぎに身を任せることはできないと思った。

 呪縛。

 ザルワーンという国に縛られている。裏切ることはできない。彼の仲間になることは、できなかった。彼は光だ。その光の中にいたいと思った。けれど、ザルワーンという国がこの世にあるかぎり、オリアンが生きている限り、そんなことはできない。

 オリアンを殺さなくてはならない。でなければ、彼女が真に自由を得ることなど遠い夢だ。

 ガンディア軍は、ザルワーンの首都龍府に迫っていた。まととない好機が訪れようとしている。龍府侵攻のどさくさに紛れて、オリアンを殺すことができるかもしれない。

 彼女が龍府の案内人を買って出た最大唯一の理由がそれだった。捕虜の身で龍府に潜入するには、ほかに方法が思いつかなかった。龍府が複雑な地形の都市だったのが幸いした。ガンディア軍は、龍府制圧のためにどんな手段でも取るつもりだった。利害が一致した。彼女は、龍府の案内人という立場である程度の自由を得られた。それはいい。目的ではない。彼女の目的はただひとつ。オリアン=リバイエンを殺すことだけだった。

「オリアン様と一緒にいただと?」

「はっ」

 高官と衛兵の話し声が聞こえたが、彼女は無視した。もはやどうでもいいことだ。なにもかもを失った。生きる目的も、糧も、意味も。

 殺せなかった。

 愕然と、認める。

 殺す機会はあった。好機があった。主天の間に足を踏み入れた時、オリアンは眠りこけていた。足音ひとつ立てず近づけば、簡単に殺せたはずだ。剣で首を刎ねればよかった。だが、それもできないまま、オリアンに気取られた。

 それから、玄龍殿に辿り着くまでの間にも、いくらでも斬りつける機会はあった。オリアンのいう通りだった。彼は、隙を見せていた。本当に殺すつもりならば、玄龍殿に達するまでにできたはずだ。それをしないまま玄龍殿に辿り着いてしまった。

 オリアンは、業を煮やしたのだろう。彼は、彼女に殺されたがっていた。殺されるためにすべてを仕組んだのだといっていた。彼女の記憶も、感情も、想念も、すべて、その目的のために作り上げられたものだったのだと、オリアンはいってきた。

 それが真実だとすれば、彼女のこれまでの人生はなんだったのか。実の父に仕組まれた、血塗られた父殺しの道を歩んできただけのことだ。それだけの人生。ほかにはなにもない。

 彼女は絶望した。

(健やかに?)

 オリアンが最後に残していった言葉を反芻する。健やかにどうしろというのか。生きろとでもいうのか。健やかに生きて、どうなる。

 なにもないというのに。

 生きる目的も、理由もなくなってしまった。殺すべき相手を殺すこともできないまま取り逃がしてしまった。

「傷を負っているようだが……」

「何者でしょう?」

「なんであれ、玄龍殿で剣を抜くものが有るか。引っ捕らえて牢にぶち込んでおけ」

 言い捨てると、高官らしき人物たちはこの場を後にした。彼らにしてみれば、この状況下でくだらない騒ぎに関わりたくないということかもしれない。彼らが本当に政府の高官ならば、ガンディア軍の対応に追われているはずだった。一秒でも早くこの場を離れたいというのは真理だろう。

「はっ」

 役人に敬礼をしたのは、四人の衛兵。玄龍殿の各所から呼び集められたのだろう。天輪宮の中でも武装し、帯剣しているのはいままでが非常事態だったからだ。通常、天輪宮内での帯剣、帯刀は許されていない。戦時下ならではの光景だった。

「そういうことだ。神妙にしろ」

「たった四人で、あたしを捕らえるつもり?」

 ミリュウはいったが、決して衛兵たちを見くびっているわけではない。彼女は負傷している上、武装召喚術も使えなかった。幻竜卿も竜人も彼女の召喚に応じてはくれなかったのだ。もちろん、それで彼女が無力になるはずもない。武装召喚術がなくとも、そこらの軍人以上に戦えるのが武装召喚師というものだ。

 あの地獄は、戦闘技術を磨き上げるには打ってつけの空間だった。

 拳を握るものの、力を入れる必要はなかった。構えさえいらない。相手は四人。前方と左右、そして背後に立っている。彼らはまだ剣を抜いてもいなかった。彼女の剣が床に転がっていることが、彼らの油断を誘ったのかもしれない。

 そんなことは、どうでもいいことではあったが。

「女……貴様、なにものだ?」

「オリアン様をどうした?」

「オリアンなら逃げたわよ。この国を捨ててね」

 ミリュウは自嘲気味に笑った。実際、彼女が笑ったのは自分自身だった。情けなくも標的を取り逃した愚かな自分を嗤うことしかできなかった。

「馬鹿な」

「信じるな、妄言だ。オリアン様がそのようなことをなさるはずもない」

「そうだな。大方、オリアン様を暗殺しようとして失敗したんだろう」

「あら、案外頭も回るのね。そうよ、あたしはオリアン=リバイエンを殺そうとして、失敗したのよ」

 彼女は、兜を脱ぐと、左の男に向かって投げつけた。同時に動いている。目の前の男に殺到すると足を払って転倒させ、のしかかって制圧すると、男の腰から剣を抜いた。首筋に剣を突きつけ、右と後ろの男を一瞥する。左の男は、兜の一撃にのされたようだった。

「動けば、殺すわよ」

「はっ、オリアン様の暗殺を企てたものを逃すと思うか?」

「自分の命より、オリアンのほうが大事?」

 ミリュウはあきれたが、制圧下の男の表情に嘘はなかった。

「それが我らのすべてだ」

「ザルワーンがなくなれば、五竜氏族の価値もなくなるというのに」

「国が潰えたからといって、そう簡単に在り方を変えることなどできないさ」

 残るふたりの兵士がじりじりと距離を詰めてくるのを感じながら、彼女は息を吐いた。ここでこの男を殺したところで、どうなるものでもない。戦いは終わったのだし、なにより、同じザルワーン人だ。

(だからなによ)

 胸中で吐き捨てたが、割り切れるものでもないということにも気づいていた。あれだけ憎んだ存在であっても、そう簡単に殺すことなどできるものではない。それは、オリアンを殺せなかったのと似ているが、違うものだろう。

「融通が効かないってのは、美点でもなんでもないんだけどさ」

 ふと、聞き覚えのある声が聞こえたと思うと、視界の片隅で衛兵の体が崩れ落ちた。四人のうち、残るひとりが剣を抜いて、その状況に対応しようとしたが、すぐに諦めたのがわかる。

「だれもかれも、頑固なものだな」

「あんたも、頑固じゃない?」

「うーん、否定したいところだが」

 そういって剣を鞘に収めたのは、リューグだった。刀身に血はついていなかったのを認めて、彼女はほっとした。倒れた衛兵は殺されてはいない。一瞥すると、ミリュウが体重で制している男も、ようやく諦めたようだった。というより、その目はなにかに驚いていた。

「ご無事で何よりですわ」

 女性の声に顔を向けると、見目麗しい姫君がリューグの背後から駆け寄ってきたところだった。暗がりの中ではよくわからないが、リューグと行動を共にしているということは、それ以外には考えられなかった。

「……メリルちゃん?」

「お久しぶりですね、ミリュウお姉さま」

 ミリュウは、メリルの顔に幼い頃の面影を見出して、懐かしさのあまり泣きたくなった。が、こらえ、尋ねる。メリルの確保だけが任務であったはずのリューグがなぜ、ここにいるのか。

「どうして、ここへ?」

「地下通路を進んできたのですが、途中、おじさまと出逢いましたの。おじさまがいうには、玄龍殿にミリュウお姉さまがいるということでしたので、急いできたのです」

「急がされたのはよかった。おかげで間に合ったわけだ」

「間に合わなくても、あたしが死んだだけじゃない。問題はなかったわ」

 胸のうちに広がる驚きを隠すように言い返しながら、彼女は剣を引いた。念のため、手に握ったままではあったが、衛兵の上から退いて、解放してやる。

 衛兵は、ライバーン家の姫君であるメリルがミリュウに対し、親しげな態度で接していることが信じられないのか、呆然としていた。

 呆然としたいのは、彼女も同じだった。

(父上……あなたはなにをお考えなのですか)

 叫びたかった。

 叫んだところで、なにが解決するわけもない。ただ、声を上げなければ、発散しきれない感情が渦巻いている。心の中を汚濁のようにうねっている。

 メリルが地下通路で出逢ったおじさまというのは、十中八九オリアンのことだろう。そうなると、気になるのは、なぜオリアンがミリュウの居場所を彼女たちに伝えたのかということだ。オリアンにしてみれば、どうでもいい存在のはずだ。自身を殺すために育て上げたにも関わらず、最終的に殺せなかったのだ。出来損ないといってもいい。

(それなのに、どうして……!)

「ミリュウお姉さま……?」

 おずおずと名を呼ばれて、彼女は、はじめて、自分が泣いていることに気づいた。ぼろぼろと零れ落ちる涙を止めることができない。感情の波をせき止めることなど、出来るはずもなかった。ただただ泣いていた。

 なにが悲しいわけでもなければ、嬉しいわけでもない。

 ただ、涙が溢れた。

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