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第四百二十九話 落日

 日が落ちようとしている。

 いや、とっくの昔に落ちかけていたのだ。

 ザルワーンという太陽が昇り詰めたのは、遠い昔のことだ。それも、低い天に昇り詰めただけであり、大陸小国家群最大の国になったわけでもなければ、覇を唱えたわけでもなかった。ザルワーンという太陽が上り詰めることができた高さは、ガンディアによって瞬く間に乗り越えられる程度の高さでしかなかった。

 その高さを維持することだけで手一杯だった、というのが大国ザルワーンの実情だったらしい。そして、その状況を作り上げたのが、彼女の最愛の夫だというのだから、わからないものだ。

「どうしました? わたくしの顔になにか?」

 リューグが横目で少女の顔を覗き見ていると、彼女は怪訝な表情をした。メリル=ラグナホルン。見た目通り十七歳の少女であるのだが、彼女は人妻であった。ガンディアからザルワーンに奔った軍師ナーレス=ラグナホルンと結婚したのが三年前、十四歳のころだというが、別に珍しいことではない。

 ガンディアの軍師であったナーレスの立場を固めるための手段ならば尚更だ。

 ナーレスは、ザルワーン国主ミレルバスの信任を得、彼の娘、つまりザルワーンの姫君とでもいうべき女性を妻に迎え入れたのだ。それによって、ナーレスの立場は安定したものとなり、彼の工作は捗ったに違いない。メリルとの政略結婚を謀略に利用したのが、ナーレスなのだ。ナーレスの破壊工作が発覚したいま、彼女の胸中はいかばかりか。

「いやいや、たいしたことではないのです。やはり、貴族の方々は顔の造作が我々とは異なるものだと感心していただけなのです」

「それではまるでわたくしたちが人間ではないなにものかのようですね」

「五竜氏族は竜ではないのですかな?」

「人間です。少なくとも、わたくしと旦那様は、人間です」

「まあ、軍師殿が人間なのは知っていましたがね」

「人間が竜と結婚するでしょうか?」

「ははは……」

 リューグは、彼女から視線を逸らすようにして、周囲を窺った。迷宮のように入り組んだ龍府の町並みは、まばゆいばかりの夕日に照らされ、赤く染まっていた。ミリュウ=リバイエンとともに龍府に侵入してから数時間。目に映る風景は同じはずなのに、まったく違う景色を見ているような感覚がある。

 息を呑むほどに美しい建物の数々は、侵入当時から変わらぬ衝撃をリューグに与えている。リューグのような感性の鈍い人間ですら、足を止めて見入ってしまうほどの景観の美しさは、ザルワーンの長い歴史の中で醸成されてきたものなのだろう。

 ザルワーンは、ガンディアやアザークよりも余程古い国であり、小国家群の中でも特に歴史のある国のひとつだ。

(さすがは古都、って感じだな)

 古都龍府。何百年も前に建造されたままの景観を残しているといわれるが、それはおそらく嘘だろう。少なくとも、誇張されているに違いない。何度も補修や改修があってこその、現在の龍府に違いないのだ。でなければ、彼を取り巻く景観を維持することなどできるはずがない。建物そのものが頑丈でも、自然災害や人災で損傷しないはずがないのだ。人間とは、間違いを犯すものだ。どれだけ上等な教育を受け、どれだけ強固に支配されていようと、失敗するときは失敗する。それが人間だ。

(全員が竜っていうんなら別かもしれんが)

 それは、ザルワーンという国の成り立ちから考えて、ありえない。竜の末裔を謳うのは、ザルワーンの支配階級である五竜氏族だけだ。そして、その五竜氏族出身の少女が、竜の末裔であることを否定している。もっとも、彼女の言のすべてを受け入れる必要はないのだが、メリル=ラグナホルンはとても人外には見えなかった。気品のある美しい女性だった。

 メリル=ラグナホルン。

 リューグが彼女を見つけたとき、彼女は、そう名乗った。メリル=ライバーンではなく、ラグナホルンと名乗ったのだ。それは、彼女がいまもナーレス=ラグナホルンの妻であるということを示していた。

 彼女は、ライバーン家の人間である前に、ナーレス=ラグナホルンの妻なのだといった。であるならば、ナーレスとともに生き、ナーレスとともに死ぬのが道理なのだというのだ。では、彼女はなぜ生きているのか。

 それは、彼女がナーレスの死を確認できていないからだ。

 ナーレスは拘束されるとすぐさま、投獄された。即座には殺されなかったのだ。拷問もされなかったらしい。どうやら、彼女の父である国主ミレルバスは、ガンディアを撃退した後、ナーレスを再度登用するつもりだったようなのだ。なんとも甘い話だが、それだけナーレスの実力が買われていたということだろう。

 彼女は、獄中のナーレスと何度か面会したこともあるようだ。五竜氏族の権力を用いて潜り込み、逢瀬を重ねていたというのだが、その行動力にはリューグも呆れる思いがした。しかし、彼女がナーレスと逢っていたことがミレルバスに知れると、彼女は屋敷に軟禁されてしまった。ナーレスが外部との連絡に彼女を使うことを憂慮してのことだろう。

 メリルは、諦めなかった。ライバーン家の私兵を秘密裏に動かし、ナーレスと接触させようとしたらしいのだが、それは無駄に終わる。ナーレスの牢が別の場所に移されたのだ。それでも、彼女はナーレスの生存を信じ、私兵に探索させていた。生きているということだけは判明したが、居場所は、ついぞわからないまま、今日を迎えた。

 リューグがライバーン家の屋敷に潜入し、彼女と対面したのは、そんなときだった。当然、メリルは警戒したものの、ナーレスとレオンガンド・レイ=ガンディアの約束を履行するためだと告げると、彼女は大粒の涙を流した。

『わたくしは、そんなにも愛されていたのですね……』

 彼女はいったが、その通りなのだろう。

 ナーレスはメリルを愛し、メリルはナーレスを愛している。

 その愛の一途さには、目を細めたくもなるものだが、同時にどうでもいいことでもある。恋だの愛だのにうつつを抜かしていられるような状況ではない。

「では、急ぐとしますかね。天輪宮に忍び込むなら、今が好機です」

 龍府はいま、ガンディア軍の入府によって大騒ぎになっている。もっとも、龍府の人々のほとんどは避難しており、騒いでいるのは龍府に残っていた軍人や軍関係者だ。

 龍府の外で行われた決戦は、ガンディアの圧倒的勝利に終わったらしい。ザルワーン国主ミレルバス=ライバーンの戦死が龍府に伝わっており、その情報は、リューグはメリルから伝え聞いた。リューグがライバーン屋敷を探し出すまでに戦闘の大半は終わっていたということがわかる。戦力差は絶大であり、勝利は疑いようもなかったが、こうもあっさりと決着がつくと、自分の存在意義に疑問を抱かざるを得ないのがリューグだ。龍府の南門からは既にガンディアの兵隊が雪崩れ込んできており、龍府がガンディアに制圧されるのも時間の問題だった。つまり、リューグが単独で忍び込み、メリルの安全を確保する必要はなかったのではないか。もちろん、ミリュウの助けも不要だったということになる。

「ええ。急いでください。妙な胸騒ぎがします」

 龍府の中心に聳える宮殿を目指しているのは、ひとえに、メリルの要望だった。投獄されたナーレスが移送されたとすれば、天輪宮の地下深くではないか、というのが彼女の推測だった。その推測が正しいのかどうかは、ザルワーンの事情に疎いリューグにはわからないが、彼女が私兵を使って龍府中を探っても見つからなかったのならば、彼女の私兵でも立ち入ることのできなかった天輪宮の中に幽閉されていると見るべきだろう。生きているのか、死んでいるのか。いや、生死を確かめるためならば、とにかく向かわなくてはならなかった。

 ガンディアによる龍府制圧を待てないのは、ナーレスが生きていた場合、ガンディア軍の入府の混乱に乗じて殺されるかもしれないからだった。ナーレスは、ザルワーンの軍人に軍神の如く尊崇されているものの、敵も多かったそうだ。ガンディアと繋がっていたことが判明したことで、元より敵対していたものはより激しい敵意を抱くようになり、彼を崇拝していたものの中からも強烈な悪意を抱くものが現れている。メリルがライバーン家の屋敷に軟禁されたのは、そういった連中から彼女の命を守るためでも逢ったのだろう。

 国主にして実父であるミレルバス=ライバーンの愛を認めながらも、それでも、メリルは、ナーレスとの愛を貫こうとしている。

(尊いねえ)

 狗にはわからない感情ではある。

 だが、理解できなくて構いはしない。彼は、メリルが思った以上に身軽に動けることに驚きながらも、天輪宮に急いだ。天輪宮は龍府の中心に聳える、城郭のような宮殿だ。龍府のどこからでも、その巨大で壮麗な建造物を拝むことができ、道に迷うことはなかった。

 龍府に潜入し、ライバーン家に向かうまでも迷わなかったが、それはミリュウという案内人がいたからだ。彼女は、メリルと顔を合わせたくなかったのか、ライバーン屋敷の外で待っているといってリューグから離れたのだが、それがまずかった。

 リューグがメリルを解放し、屋敷の外に戻ると、ミリュウの姿が消えていた。

(嫌な予感……ってやつか)

 まさか、ミリュウ=リバイエンがザルワーンに戻るとは思えないが、考えられないことではない。ありえないことではない。彼女は、ニーウェ=ディアブラス――セツナ・ゼノン=カミヤと戦って敗れ、ガンディアの捕虜となっただけだ。ガンディアに忠誠を誓ったわけでもなんでもない。狗ではないのだ。

(竜……か)

 魔龍窟とやらで作り上げられた人造の魔竜。

 それがミリュウ=リバイエン。

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