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第四百二十八話 龍が見た夢(三)

「なんだ、そんなことか」

「そんなこととはなんだ。大変なことだぞ」

 オリアンの言葉に、ミレルバスは少しばかりむきになったようだった。

 国を変えるというのは、並大抵の覚悟でできることではない。いや、覚悟だけでできるものでもない、といったほうが正しい。夢見るだけならば簡単だ。こうなればいい、ああなればいいと語るだけならば、無責任でいられる。だが、実現しようとすれば、さまざまなものが壁となって立ちふさがるだろう。壁は、敵対勢力だけではない。味方の中からも壁は生まれるに違いない。国を変えるということは、現状を破壊するということにほかならない。悪い部分だけを良くすればいいという問題では無いのだ。

 根本から変えなくてはならない。

 ミレルバスは、ザルワーンの問題は、国の根幹にあると見ていた。根こそぎ変えていく必要がある。でなければ、この国はいずれ立ち行かなくなる。だからこそ変えなくてはならないのだが、何百年も続いていきた支配体制を変えるとなれば、反発も大きいだろう。

 支配階級に生まれたというだけで薔薇色の人生を謳歌している連中にとっては、許しがたい変化だ。そういった連中が支配者として君臨する現政権では、そんな提案をしたところで黙殺されるのが落ちだ。最悪、ミレルバスの政治生命が断たれる可能性もある。

 まだ二十代になったばかりだった。夢を語るには若すぎ、実現しようとするにも幼すぎる。実力も権力も持たない若造に過ぎない。夢をかなえようというのならば、力をつけなくてはならない。ゆえに、彼は武装召喚術を学びたがったのかもしれない。

 しかし、武装召喚術はいわば武力だ。武力を手にしたからといって、国を変えられるものでもあるまい。もちろん、力は重要だ。そんなことはわかりきっている。

「結局は力だろう。政治力にせよ、権力にせよ、必要なのは力だ。違うかね?」

「否定はしないよ」

 彼は、いった。力が重要なのは、疑いようがない。

 力がいるのだ。

 そのためのひとつとして、武装召喚術を学ぼうとも考えたのだろうが、ミレルバスには不可能に近いということをオリアンは何度もいった。武装召喚術を我がものとするのは、簡単なことではない。一朝一夕に手にすることができるのならば、オリアンだって諸手を上げて教えてあげただろうが、そんな甘い話があるはずもない。

 武装召喚術をものにするには、膨大な時間を捧げる必要がある。それこそ、人生を棒に振ってもいいという覚悟がなければ会得することなどできない。

 彼には時間こそあるものの、それを自分の意志だけで費やすことはできない。彼はいま、政治に携わっている。国主の補佐として、龍府で働いているのだ。その立場を捨てることはできない。政治力を得るには、ここでその立場を捨てることなどありえない選択だった。武力を得るために武装召喚術を学んでいるうちに、国政への発言力が失われるなど、馬鹿馬鹿しいことだ。

 力。

 ミレルバスが、オリアンの研究室に訪れるのは、ただそれを求めるがゆえだったのだ。


 時が流れ、事件が起きた。

 ザルワーンの歴史には記されないような小さな、しかし、ミレルバス=ライバーンにとってはとてつもなく大きな事件だった。

 オリアンは、その事件を間近で見ていた。

 ある、夜の事だった。オリアンは、マーシアスに呼び立てられ、天輪宮の一室にいた。退廃的で、享楽的な芸術品の数々が並ぶ空間に足を踏み入れるのは、はじめてのことではない。マーシアスの密謀を聞くときは、いつもこの部屋だった。

 その部屋は、マーシアスが数百年の禁を破って作り上げた空間だった。国主マーシアスとその妻ハルのためだけの一室を、天輪宮の一角に設けたのだ。ザルワーンの長い歴史において、マーシアスのような暴挙に出たものはひとりとしていない。国主の座についた途端、その権力を暴力的に振り回し、あらゆる状況を自分の思うままに変えていくのがマーシアスという男だった。もっとも、マーシアスの成したことのすべてが悪というわけではない。悪魔が常に悪意を振るうわけではないように、彼もまた、善政と呼ばれるようなことをすることもなくはなかった。だからといって、彼の悪魔的な権力の振るい方は、この国を破滅へと促進させる以外にはないのだが。

 国主夫妻の寝室は、異様な緊張感の中にあった。寝台の上にはマーシアスが腰掛けていて、なにかを待ち望んでいるかのように扉の方を見ていた。明かりはなく、夜の闇と同じだけの漆黒が、室内を満たしている。

 その数日前から、オリアンはマーシアスから「面白いことがある」といわれていた。心底楽しそうに微笑んでいたマーシアスだったが、その目は笑ってはいなかった。いつものように超然とした目は、オリアンの心の底まで見透かすようだった。悪魔の様な、とは彼のための言葉だった。

 そんな中、寝室に入ってきた人物がいた。だれが入ってくるのかわかっていたのだろう。マーシアスが、声をかけた。

「やあ、ミレルバス。こんな真夜中に呼び立ててすまない」

「いえ……。なにがあったのでしょうか」

 といったのは、ミレルバスだった。彼の表情は見えなかったが、怪訝な顔をしていたに違いない。突然、夜中に呼び立てられたのだ。急いできたものの、室内は静まり返っている。不思議に思わないはずがなかった。

「なにがあったと思う?」

 マーシアスは、愉快そうに笑った。なにが楽しいのか、いやに耳障りな笑い声だった。いつもよりも不快感が強い。なにがあったのかと、彼は不安を増大させただろう。

 やがて目が闇に慣れてきたのか、ミレルバスが息を呑んだのがわかった。おそらく、マーシアスの足元に横たわる人物に目が行ったに違いない。マーシアスの足元には、ハル=ヴリディアの体が横たえられている。

「ハル……様!」

 ミレルバスの愕然とした声に、マーシアスの低い笑い声が重なった。ミレルバスは、マーシアスの前であるということを気にもせず、ハルの元に駆け寄ったようだった。

「これは……いったい!?」

 オリアンは、その様子を部屋の隅で見ていた。マーシアスがなぜ彼をこの場に呼んだのか、なんとなくはわかっていた。マーシアスの悪魔めいた思考は、オリアンのそれに近いところがある。波長が合う、と言い替えてもいい。ただし、オリアンはマーシアスのような破滅願望があるわけでも、権力を振りかざしたがるわけでもない。オリアンにはオリアンの使命があり、役割がある。その役割を遂げることこそ、彼の人生の全てだった。

「ミレル……どうして、ここに」

 ミレルバスに体を抱えられたハルは、意識が判然としないのか、寝室に彼がいることを不審がっていた。

「なに、嫌な噂を耳にしてな」

 マーシアスが、世間話でもするようにいった。

「その噂というのも、国主マーシアスの妻が国主の側近と密通しているという、あまりにくだらないものだ。わたしは一笑に付したよ。国主にせよ、その側近にせよ、権力者というのはなにかと恨みを買うものだからな。ろくでもない恨みが、かような噂話を生むのだろう。なあ?」

 マーシアスの言葉に、ミレルバスはなにも返せなかったようだ。言葉を選んでいる風でもない。ただ沈黙を返したというべきか。

 マーシアスがこちらを見た。呆れたような、どうでもよさそうな、そんな表情。ただ、楽しんではいる。このような状況すら、彼にとっては余興に成り果てる。彼の人生は遊興そのものだ。なにもかもが遊びであり、ひとの命も、他人の人生も彼の心を満たすための玩具に過ぎない。

「噂は噂だと思っていたし、実際、ただの噂なのだろう。君のような職務に忠実な男が、国主の妻に手を出すとは思えない」

 マーシアスが言葉を紡ぐ中、ハルの体は小刻みに震えているのが、オリアンの目にも見えていた。ハルは、怯えているのだ。これから起きる出来事を知っているのかもしれない。オリアンにはわからないことを理解しているのは間違いない。

「そうであろう?」

 マーシアスが笑うと、ミレルバスは顔を俯けた。そこにいたって、彼はようやく、腕の中のハルの様子がおかしいことに気づいたようだった。マーシアスの手によって傷つけられていてもおかしくはないが、血の臭いはしない。外傷も見当たらないだろう。

 マーシアスは、粗暴な男ではない。みずから暴力を振るうことを極端に嫌う男だった。もっとも、それは自身の手が汚れるからであり、疲れるからのことだ。他の方法でなら、いくらでも悪行を重ねることができる。

 そんな男だ。ハルに外法を施したのだとしても、おかしくはなかった。外法に関しては、ザルワーンでマーシアスの右に出るものはいなかった。

「ミレル……すみません、わたくしのせいで」

「そうだ。おまえのせいだよ、ハル。おまえがこの男に懸想けそうしなければ、この男の夢に己の夢を重ねなければ、乱心しなければ、このようなことにはならなかった。いままでのように振る舞い、本心を隠してさえいれば、このようなことにはならなかったのだ」

 残念そうな言い方ではあったが、マーシアスが本当はどう思っているのか、オリアンにはわからなかった。愉しんでいるのかもしれないし、本当に悲しんでいるのかもしれない。数少ない信用に足る人物たちに裏切られたのも同然なのだ。彼としては、許しがたいことだろう。

 マーシアスは、手元に置いていた小刀をミレルバスの足元に投げつけたようだ。小刀が床に転がり、乾いた音を立てた。

「マーシアス様……?」

「ついさっきのことだよ。わたしが噂話の真相を問い質したところ、この女が豹変してな。危うく殺されるところだったのだ。」

 マーシアスがハルを一瞥する様を、オリアンはじっと見ていた。彼はこの場では、ただの傍観者だった。マーシアスがなぜ、自分をこの場に呼んだのかはわからない。余興には自分以外の観客も必要だとでも考えているのだとすれば、趣味の悪いことこの上ないのだが、マーシアスの人格を考えればありえない話ではない。

「それからさ。この女から情報を引き出すのに苦労したのだがね、どうも、この女のいうことは要領を得ない。この女は、君を愛し、君の夢の力になりたいということばかりをいうのだ。それは、どういうことなのかな」

 彼は笑っている。底冷えのするような笑い声が広い室内に反響していた。

「考えられるのは二つに一つ。ひとつは、君がわたしを暗殺するために、この女の心を籠絡した。ひとつは、この女が勝手に君の夢に殉じようとした。この女の思い込みの激しさは折り紙つきだからな。後者でもわからなくはないのだ。だが、確証がない」

 ミレルバスは、ハルの体を抱き抱えたまま、動くに動けないといった様子だった。もちろん、傍観者である彼になにができるわけもない。ミレルバスとは仲良くやってはいたが、オリアンはいま、マーシアスに目をつけられるわけにもいかなかった。

「そこで、だ。君に無罪を証明する機会を用意してやったのだよ。ミレルバス。君は優秀な人材だ。我がザルワーンの将来には欠かすことのできない人間だ。が、君がわたしの暗殺を企てたのならば、話は別だ。わたしは裏切り者を許しはしない」

 彼の言葉は真に迫っていた。実際、マーシアスは裏切り者をひとりとして許したことがない。苛烈な報いを受けさせるのが、彼の常だった。そして、彼を彩る権力と暴圧に対向する手段はない。この国において国主は絶対だ。特に、彼が国主となってからはその傾向が酷くなったのだが、その事実を嘆くことすら許されなかった。

「さあ、ミレルバス。答えよ。君は、わたしの暗殺を企み、この女と通じたのか。それとも、この女とはなんの関わりもないのか。無関係を証明したいのならば、この女を斬れ――」


 マーシアスが告げたとき、ミレルバスはなにを思ったのだろう。

 ふと、そんなことを考えてしまったのは、これが夢だからに違いなかった。夢を見ているのだと自覚したとき、彼は馬鹿馬鹿しさに笑い飛ばしたくなったのだが、その理由もわからないまま目が覚めた。

(ミレルバス。君の夢を見たよ。君は彼女と逢えたか?)

 オリアンは、視界に差し込む光の冷ややかさに目を細めながら、胸中でつぶやいた。魂の実在を信じているというわけではないが、願わずにはいられない。もちろん、魂が実在したとして、ミレルバスのようなものが行き着く先は地獄に決まっているのだが、それはハル=ヴリディアも同じだ。救われない魂の持ち主たち。その死後の安寧を祈るのは、悪いことではあるまい。

「だれか?」

 オリアンが尋ねたのは、主天の間の出入口に兵士を発見したからだ。意識は判然としないものの、疲労は少し回復していた。万全ではないし、戦闘もおぼつかないといってもいいような状況だったが、必ずしも武装召喚術を使えないというわけでもない。

 軽装の鎧を見につけ、兜を目深に被った兵士は、体格から女だということがわかる。オリアンの問いに緊張を走らせたところを見ると、眠っている間に近づこうとでも考えていたのだろうか。しかし、女兵士の口から発せられた言葉は思いもよらぬものだった。

「オリアン様、お逃げを。龍府に雪崩れ込んできたガンディア軍が、オリアン様の所在を血眼になって探しまわっているということです」

 低く抑えられた声は、女兵士が極端に緊張していることを示していた。次期国主を前にしてのことなのか、五竜氏族を前にしてのことなのか。それとも、そのどちらでもないのか。いずれにせよ、オリアンは玉座から引き上げなければならなかった。座り心地の良い玉座は、なるほど、ミレルバスのような長考する人間には打ってつけのものだったのだろう。

「そうか」

 兵士の返答に対して疑問を抱かなかったのは、頭が働いていないからではない。さもありなん、と思ったまでだ。ガンディアが苦境においやられたのは、二十年前、マーシアスがシウスクラウドに毒を盛ったことが原因だった。マーシアス亡き今、その外法の後継者たるオリアンを探し出そうとしていたとしても、おかしくはない。

 玉座から腰を浮かせると、女兵士がこちらを一瞥した気がした。

「なにかね?」

「急いでください。ガンディア軍が天輪宮に達するのも時間の問題です」

「わかったよ」

 抗わなかったのは、その声に聞き覚えのある音が混じっていたからかもしれない。


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