第四百二十六話 龍が見た夢
「ミレルバス=ライバーン。君の夢はなんだ?」
「なんだよ、唐突に」
「いやなに、気になったのだよ。ここは、君のような、栄達が約束された人間が立ち入るべき場所ではないからな」
そういって、オリアン=リバイエンが表情を歪めたのは、必ずしも本心というわけではなかったが、といって、偽りの感情でもなかった。彼の研究室に足を踏み入れるのは、大抵、彼と同じく人の道を踏み外したものであり、ミレルバス=ライバーンのような人道を行こうとする人間にとっては忌避すべき領域であるはずだった。
ミレルバス青年の若々しさが漲る顔は、オリアンの真意がわからず、戸惑っているというようなものであり、そこが普通の人間らしいともいえた。ミレルバス=ライバーンは、五竜氏族に生まれながら、五竜氏族らしさというものをほとんど持っていない、稀有な人物だった。
オリアンは元々、ザルワーンの人間ではない。武装召喚師であるという、ただそれだけのことでマーシアスのお気に入りとなり、リバイエン家に入った。武装召喚術という秘術の存在は、当時はまだ目新しく、彼がマーシアスの前で披露したとき、周囲の度肝を抜いたものだった。だれもが、噂で聞いたことがあるだけだったのだろう。武装召喚術の使い手というだけで、国主マーシアスは、彼を手元に置きたがった。マーシアスの際限のない欲望を満たすには、武装召喚術ほど打ってつけのものはなかったのかもしれない。
オリアンがマーシアスに召し抱えられるのをよしとしたのは、ここでならば、ゆっくりと研究できると思ったからだが。
当時のザルワーンは大国とは言い切れなかった(メリスオールを併呑する以前のことだ)ものの、マーシアスは、彼が研究に勤しむためのものを十分に用意してくれた。
要するに、金と時間と場所だ。さらには、リバイエン家に入ることで、地位も得た。オリアン=リバイエンと名を変えただけで、ザルワーン国民は彼に平伏した。どこの馬の骨ともわからないものが、一夜にして龍の一員となってしまったのだ。
ザルワーンの歴史が始まって以来の暴挙というものもいたようだが、そういう連中をマーシアスは鼻で笑った。歴史に縛られることの愚かさを笑ったのだろう。マーシアスは、破壊者だった。彼自身、歴史と秩序に縛られる存在でありながら、歴史と秩序を粉々に破壊することを願っているようだった。
そのためにオリアンは登用されたといってもいいようだ。武装召喚術ならば、ザルワーンに蔓延する価値観を破壊し、世界をも変えてしまえるのではないか。マーシアスの子供染みた言動を彼は笑わなかった。
ひとは夢を語るとき、だれしもが子供のようなものだ。
マーシアスに重用されるオリアンに近づくのは、同じく重用される人間たちである。五竜氏族の君子たちであり、外法の研究者であり、独自に武装召喚術の研究を始めていたという連中だった。
そんな彼らとの交流は、オリアンにとっても決して悪いものではなかった。ザルワーンの情勢がよくわかったし、ザルワーンにおける自分の立場というものを理解できたからだ。煩わしくはあったものの、有意義でもあった。
そんな中にあって、ミレルバス=ライバーンという青年だけが、オリアンの琴線に触れるなにかを持っていた。
彼は、オリアンの研究室に入ってくると、オリアンの話を聞きたがった。オリアンは自分のことを話すのは嫌いだったが、ミレルバスを嫌いにはなれなかった。
よく、話した。
どうでもいいことから、自分の出生に纏わることまで。最初は虚実織り交ぜ、ミレルバスを煙に巻こうとしたものの、ミレルバスのあまりの純粋さに、本当のことだけを話すようになってしまった。
他人に心を許すなど、馬鹿馬鹿しいことだと思ったものだが、許してしまったものは仕方がなかった。
しばらくすると、ミレルバスは、武装召喚術を学びたがっていることがわかった。ライバーン家の次期当主である彼は、立派な指揮官になるためにも戦場に立たなければならないことがあった。机上で学ぶだけではなく、実戦で学習しろというのは、実にマーシアスらしいものの考えだった。その結果、何人かの次期当主が負傷したことを笑うところまでが、マーシアスという人間だろう。
ミレルバスは、戦場に立つたびに、自身の非力さを認識するのだという。戦場に立てば、自分が五竜氏族の君子ではなく、無力で卑小な一個人であるということを否が応でも認識せざるを得なくなるのだと。それでは、五竜氏族の一家の当主として振る舞うこともできなくなる。力が必要なのだ。そのためにミレルバスは日々肉体を鍛え、精神修養に励んでいるものの、一向に身にならないという。
だから、彼は武装召喚術に可能性を見たのだろう。武装召喚術は、一見、非力なオリアンにさえ、絶大な破壊力を与える強力無比な術だった。本来、人間が手にするべきではないといえるほどの力だ。ミレルバスのような力のない人間ですら、兵器と成り果てることができるだろう。
もっとも、ミレルバスの望みはオリアンが否定した。武装召喚術は一朝一夕で覚えられるものではない。もちろん、そんなことは百も承知だったに違いない。秘術なのだ。簡単に覚えられては、有り難みもなにもないとでも思っていただろう。
オリアンは、少なくともミレルバスとは比較にならないほどの修練を積んでいる。肉体をいじめ抜き、鍛え上げている。ただの軍人ですら相手にならないのが、武装召喚師の肉体だ。鋼の肉体といっても過言ではない。それくらい鍛えあげなければ話にならないのだ。それくらい、召喚武装の使用というのは心身に負担がかかる。
いまのミレルバスでは、召喚武装を操ることはできないだろう。召喚武装を支配するどころか、召喚武装に支配されるのが関の山だ。
いまから武装召喚術を身に付けるために心身を鍛え上げるというのならば、協力は惜しまないつもりだったが、ミレルバスにそんな時間があるかというと、そんなはずはなかった。ミレルバスは、マーシアスの寵愛を受けるひとりだ。彼は多忙であり、であればこそ、暇潰しにオリアンの研究室を訪れている場合ではないのだ。
「夢や野心があるのなら、納得もできるというものだが」
「夢……か」
ミレルバスは、オリアンの言葉を反芻するようにつぶやいた。
彼は、戸惑ったようだった。オリアンからそんな質問をされるとは持ってもいなかったのだろう。それは、以前、彼が答えあぐねていた質問だった。
ハル=ヴリディアという女性がいる。その名の通り、いまはヴリディア家に輿入れした女性であり、つまりは国主マーシアスの妻である。そして、リバイエン家当主の娘であるということだった。
オリアンがリバイエン家に入ったのも、ハル=ヴリディアがリバイエン家の出身だったからだというのは、おそらく間違いない。マーシアスの思いつきではあるのだが、その思いつきにマーシアスの妻であるハルの存在が関与している可能性は多分にあった。どこの馬の骨ともわからない人間を五竜氏族に加えようというのだ。関連の薄いほかの家よりは、自分の生まれ育ったリバイエン家に入れることで監視しようというのは、わからない話ではない。実際、リバイエン家の屋敷では、常に監視の目が光っていた。オリアンとしてはどうでもいいことだが。
ハル=ヴリディアとミレルバス=ライバーンの関係というのは、少しばかり複雑だ。同じ五竜氏族の出身であるふたりだが、ハルはミレルバスにとって憧れの女性だったらしい。初恋の相手であるが、想いを伝えることはなかった。ミレルバスが恋を認識する頃には、彼女は、マーシアスの妻となっていたからだ。
マーシアスが、ミレルバスを重用しているのは、そういうところもあるのかもしれない。マーシアスの人格は、決して褒められたものではない。己の欲望に忠実な、獣のような男だった。そんな男が、ただミレルバスを側に置くとは思えなかった。なんらかの意図がある。例えば、マーシアスの妻としてあるハルの姿をミレルバスに見せつけ、ひとり悦に入っているのではないか。オリアンにさえそう思わせるほどに、マーシアスの人格というのは壊れていた。
そんな男を夫に持つ女の心が、ただひたすらに純粋な青年に傾くのも無理はなかったのだろう。ハルがミレルバスと逢瀬を重ねるようになったのは、必然だったのだ。
『ミレルは、夢を持っていますか?』
ハル=ヴリディアが彼に問うたとき、ミレルバスは、答えることもできなかったようだった。
ふたりの密会を目撃したのは、そのときだけだが、その一回だけということはあるまい。そのときのハルの甘い声音と、普段の冷ややかな態度の差が、そう感じさせた。もちろん、オリアンにとってはどうでもいいことだが。
例えば、ミレルバスとハル=ヴリディアが深い関係を持っていたとしても、そしてその結果ザルワーンがどうなろうと、知ったことではなかったのだ。