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第四百二十二話 本懐(三)

 漠然とした虚無感の中で、彼は、ガンディアの大将軍旗を見ていた。青空の下翻るそれは、大将軍アルガザード・バロル=バルガザールの居場所を味方のみならず、敵兵にも広く伝えている。兵の群れを掻き分けるように進んでいるセロスだが、このまま前進していれば、すぐにでも大将軍旗の下に辿り着くだろう。当然、ガンディアの兵隊が彼の接近を阻もうとするだろうが、神将みずから降伏を伝えようというのだ。すんなりと通してもらえるとは思うのだが。

(死に損ないにできることはなんだ)

 ミレルバスのために死ぬことができなかったセロスに残された道は、生き延びたザルワーン兵をひとりでも多く生かし続けることではないか。

 ザルワーンは決戦に敗れたのだ。ガンディアに飲み込まれるのを止めることはできない。ザルワーンが小国として生き残ることを、ガンディアは許しはしないだろう。地上から消えてなくなるのがさだめだ。だが、国は滅んだとしても、ひとは残る。兵も民も生きているのだ。

 ガンディア王レオンガンドがいくらザルワーンを憎み、恨んでいたとしても、ザルワーン人を根絶やしにするような真似はしないだろう。領土だけを手に入れたところで、持て余すのが関の山だ。人手がいる。いや、それ以前に、ザルワーン人を根絶することになんの意味もない。積年の恨みを晴らすだけにすぎない。己の感情を処理するためだけに周辺諸国のみならず、自国民の反感さえ買うようなことはしないはずだ。

 だからこそ、ミレルバスは意気揚々と死に場所を目指すことができたのではないか。

 戦後、国民が悲惨な目に合うことはないという確信があったればこそ、平然と死ねたのではないか。

 そんなことをぼんやりと考えているうちに、セロスたちは、ガンディア軍本隊の最前列に至った。陽気にも勝鬨を上げている連中とは違い、最前線の兵士たちには緊張感が満ちている。ザルワーン軍の残兵がなにをしでかすのかわかったものではない。敗北を認めず、死ぬまで戦い続けるかもしれない。現に、一部の連中は最後まで戦い抜こうという意志を持っていた。そういう声が聞こえていたとしても不思議ではない。兵士たちの緊張の面持ちは、一触即発といった風であり、ちょっとしたセロスの言動が彼らを激発させるかもしれなかった。

 そうなれば、もう手のつけようが無くなるだろう。こちらの兵も、命を守るために応戦せざるを得なくなる。

(益体もないことだ)

 セロスは、馬に乗ったまま近づきすぎれば、ガンディア兵の緊張感を煽りかねないと思い、馬から降りた。周りの部下もまた、彼に習って下馬した。部下たちは、セロスがなんの目的でガンディア軍に近づいているのかを理解しているのだ。彼らとて、これ以上、無意味な戦いを続けたくはあるまい。一部の好戦的な連中とは、そこが違う。

 彼は、馬を部下のひとりに預けると、側近たちとともにガンディアの陣に歩み寄った。

「大将軍閣下にお目通り願いたい。わたしは、ザルワーン軍神将セロス=オード。このザルワーン軍のすべてを預かるものである」

 彼が高らかに名を告げると、敵陣にどよめきが走った。もちろん、察してはいたに違いない。部隊長や側近たちとも異なる出で立ちは、彼が上位の指揮官であることを示していた。

「セロス神将閣下ですね。しばし、お待ちを」

 そういって、彼の言葉を聞き入れたのは、目元の涼しげな女だった。豪奢な鎧は、セロス同様、彼女が相応の立場にあることを明らかにしている。部隊長か、それ以上の立場の人間だったのだろうが、それほどの人物が最前線まで出張ってきていることに、彼は驚きを覚えた。危機感がないというわけではあるまい。そうでもしなければ、ガンディアの兵士たちを鼓舞することなどできないと踏んだのかもしれない。

 実際、ガンディア軍が盛り返したのは、大将軍旗が前線に移動してきてからだ。セロスは、それを好機と見たものだ。大将軍旗の近くには、必ず大将軍がいるに違いなかった。でなければ、士気を高めることなどできないだろう。だからこその好機。大将軍を討つことができれば、ガンディア軍の戦意は著しく低下するはずだ。

 だが、セロスの目論見が果たされることはなかった。オリアン=リバイエン謹製の薬を服用したというものたちを差し向けたのだが、そのほとんどがアルガザードに到達することもできなかったのだ。ガンディアの分厚い陣形を突破できても、最後の防衛線を割ることができなかった。凶悪な武装召喚師が、戦場のどこかに潜み、大将軍を護っていたということだが。

 突如、前方のガンディア兵たちが左右に退いた。セロスがここに至るまでと同じような現象は、すぐに、大将軍がここに来るための前触れだということがわかった。戦場のまっただ中に、大将軍が通るためだけの道ができたのだ。

(あれか……)

 大将軍のための道を進んでくる馬は、眩いばかりに飾り立てられており、遠目からでも目に焼き付くかのようだった。その馬を操る大男こそ、大将軍なのだろう。大将軍自身、華美た鎧を身に纏っている。誰がどう見ても大将軍だとわかるように、だろう。大将軍旗がその後ろに翻り、さっきの女騎兵は大将軍を先導していた。

 道の外壁を成すガンディア兵たちは、馬上の人物を仰ぐこともできずに畏まり、緊張に凍りついている。もちろん、こちらへの警戒も忘れてはいないのだろうが、大将軍の進行を妨げることはできない。

(アルガザード=バルガザール)

 名は、よく知っている。ガンディアの先代の王シウスクラウドが健在であったころから、彼の名は広く知られていた。軍師として頭角を現し始めていたナーレス=ラグナホルンよりも余程有名だったのだが、それは、ガンディアにほかに名のある将がいなかったこの表れでもある。が、アルガザードがその名を天下に知らしめるのは、むしろ、シウスクラウドが病に倒れてからのことである。約二十年に渡ってガンディアの国土を守り続けてきた彼の名を知らぬものは、ガンディアの近隣にはいないだろう。

 防戦に長けた将だといい、野戦は不得意だと聞いていたのだが。

(まったく、評判など当てにならぬものよな)

 彼は、この戦いで、ガンディアの大将軍にいいようにあしらわれただけだったような気がしてならなかった。思うように戦えたのは、一瞬だけだったのではないか。

 翼将、天将、聖将と上り詰め、新設された神将位を与えられたにも関わらず、ガンディアの将にあしらわれるだけの結果しか残せなかったのには、彼も苦い顔をせざるを得なかった。

 勝負は時の運というが、そんな言葉は慰めにすらならない。惨めなだけだ。

 そんなとき、セロスの背後が騒がしくなった。かと思うと、頭上から声が降ってきた。

「閣下、我々には理解できませぬ」

「これが我々の選択なのです」

「どうか、御武運を」

 いくつかの声が、一陣の風となって彼の真横を通り過ぎていった。轟く馬蹄が大地を揺らし、黒い外套がはためいて見えた。馬上、剣や槍を閃かせながら、ガンディアの大将軍へと殺到したのは、徹底抗戦を訴えていた十数人だった。

「お覚悟!」

 だれかが叫び、別の誰かが吼えた。いや、雷鳴だったのかもしれない。雷撃が、先頭集団を打ち抜き、吹き飛ばしていた。さらに女騎兵が長大な馬上刀を振り回して三人を切り倒すと、残りの数人は左右の兵士が繰り出した長槍に貫かれて死んだ。

 セロスの周囲は、騒然となった。だれもが口々に叫んでいた。ガンディア兵はザルワーンの卑怯を罵り、騙し打ちを嘲った。ザルワーン兵の中には、仲間の仕出かしたことに絶望したものもいれば、触発されたかのように突撃し、返り討ちにあったものもいた。また、ガンディア兵を殺したものもいた。

「馬鹿げたことを」

 セロスは、嘆いたが、もはやどうにもならぬとも思った。状況は、一瞬にして最悪のものと成り果てた。緊張状態にあったガンディア兵が、激発してしまった。そのきっかけを作ったのは、ザルワーン側なのだ。言い訳のしようがなかった。

「やめよ、やめよ! 抗ってはならぬ、戦ってはならぬ。我らは負けたのだ! 負けたのだ!」

 セロスは叫びながら、この混沌こそ、望んだものではなかったのか、とも思わないではなかった。血の臭いが鼻孔を満たした。戦場には、再び混乱が渦巻き出した。敵将は極めて近い位置にいる。戦況はもはや戻せない。だが、進めることならばできるかもしれない。大将軍を討ち、さらに将のひとりふたり殺し、武装召喚師どもを血祭りにあげれば、戦況はこちらに傾くのではないか。

 彼は頭を振る。冷静に考えれば、ありえないことだ。そんな都合よく物事が運ぶはずもない。できて、大将軍を討つことくらいだ。それも、時間とともに機会は失われていく。見ている間にも、大将軍の守りは硬くなっていくのだ。好機は失われる。永遠に。

「負けたのだ。我らは。勝ち目など、ありはせぬ」

 譫言のようにつぶやきながら、セロスは、腰の剣を抜いていた。

「ならばなぜ、剣を抜かれたのです?」

「死ぬのに、勝ち負けなど関係ないからだ」

 結局、彼が欲したのは、死に場所だった。


 セロス=オードは、こののち、十三人のガンディア兵を斬り捨てたものの、ジル=バラムの手によって討たれた。生き残ったザルワーン兵は、神将の死によって完全に戦意を喪失し、ガンディアに投降。ガンディアもそれを了承した。

 かくして、征竜野の戦いは幕を閉じたのだった。


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