第四百二十一話 本懐(二)
「馬鹿め」
セロスは、そんな彼らの想いを一蹴するかのように告げた。
「は?」
「わたしはミレルバス様のために死のうと思った。ミレルバス様のためにならば、死ぬことも恐ろしくはない。むしろ、喜びに等しい。そう思っていた」
いまでも、そう思っている。
自分を見出してくれたミレルバスのためならば、命を擲つことなどたやすいことだ。その死に意味が無いのだとしても、構わないとさえ思えた。ミレルバスの恩に報いることができるのならば、どのような無様な死に様でも良かった。彼のために命を捨てることに意義を見出だせたのだから。
しかし。
「だが、もはや遅いのだ。もはや、死ぬべき場所を失ってしまった」
セロスは、ザルワーンとガンディアの戦争が終わったことを悟っていた。徹底抗戦を訴え、最後の最後まで勝利を諦めなかったミレルバス=ライバーンが死んだことで、ザルワーンが戦う理由は潰えたといっても良かった。いまのいままでガンディアに抗おうとしていたものたちも、ミレルバスの戦士を聞けば意気消沈し、戦意も失うだろう。
セロスの部下の中には、いまだにやる気を失っていないものもいるようだが、そんなものはごく一部に過ぎない。五百人中の五十人が死ぬ気で戦ったところで、どうすることもできない。ただ、惨めに死んでいくだけだ。無駄に命を散らすだけだ。
「まだ、終わってはいません」
「そうです。我々の意地を見せつけることはできます!」
「意地を見せつけてなんとする?」
彼は、部下たちの青さに苛立ちを覚えはしなかった。むしろ、羨ましいとさえ思えた。二十歳若ければ、彼らのように青く叫んでいられたのだろうが。
(わたしも年老いた)
彼は、胸中で嘆息した。この、ミレルバスのための戦いを最期にしようと心に決めて、征竜野に臨んだ。激しい戦いだった。命の危機も何度かあった。ガンディア軍の猛者が、ザルワーン軍本隊の最深部まで飛び込んできたのだが、龍眼軍の部隊長や精兵の活躍もあって、彼は負傷することもなかった。
そうするうちに、ガンディア軍が勢いを得た。龍眼軍の兵士たちがつぎつぎと討ち取られ、複数の部隊が壊乱していった。部隊長を失った兵士たちを取り纏め、陣形を再構築したものの、ガンディア軍に付け入る隙を与えてしまった以上、どうすることもできないまま戦況は悪化の一途をたどる。
気がつけば、ザルワーン軍の本隊は半壊、後方の部隊に至っては全滅といっても過言ではない状況にまで追い込まれていた。残る希望は、本陣に向かったミレルバスたちだったが、それもミレルバス戦死の報告によって絶望的なものとなった。
生き残ってしまった、と彼は想った。
そればかりは、想定外の出来事だった。
ミレルバスの本陣特攻が成功する如何にかかわらず、彼は、自分は戦死するものだと決めつけていた。戦場で激しく戦い、その中で散るものだと思っていた。ミレルバスと同じ場所で死ぬことができるのならば最良だが、そうでなければ、ミレルバスのための血路を開いて死ぬべきだった。だが、彼は本隊の指揮を任されたこともあって、動くに動けなかった。神将という立場を考えれば当然のことなのだが、死とは程遠い所から、戦場を俯瞰していた。
結果、セロスは、戦いの終わりというものを客観的に認識できたのかもしれない。
「ザルワーン軍人は意地と誇りの生き物であるべし」
「それが、我々のすべてであったはず」
「ザルワーンの軍人として戦場で死ねるのならば、それは本望というものでありましょう?」
部下たちの真摯なまなざしは、彼らが一時の感情に任せて死に逸っているわけではないということを如実に示していた。
「ミレルバス様のために。ミレルバス様の勝利のために。閣下も、そういったではありませんか」
「そうだ。だが、それはミレルバス様がザルワーンの国主であったればこそだ」
セロスは、我ながら酷い詭弁だと思いながら続けた。
「ミレルバス様は戦死なされたのだ。ザルワーンの国主が戦死すればどうなるか、知っていよう。国主の座は、自動的に別の五竜氏族当主のものとなる。我らの命運を握るのは、その新たな国主様なのだ。その御方が死ねと命じて、初めて我らは死ぬことが許される。勝手に死ぬのは、国への反逆にほかならぬ」
「国への……」
「反逆……!?」
「そうだ。新たな国主様の命もなく勝手気ままに死ぬものに、軍人としての誇りも意地もあるまい」
セロスは部下たちを一瞥すると、手綱を捌いた。彼の愛馬が嘶くと、その雄々しさに周囲の軍馬が道を開ける。兵士たちが何事かとこちらを見て驚いたが、彼は気にせず、愛馬に前進を命じた。
「閣下……!」
「それは詭弁ではありませんか」
「だが、正しいとは、そういうことだ。我らの命を握るのは、我ら自身ではない。ザルワーンの国主様こそが、我らの命の使い方を決めるのだ」
それは正しい意見ではあったが、同時に決定的に間違っていることも、セロスは知っていた。ザルワーンには、もはや新たなる国主が誕生することはない。ミレルバス=ライバーンのザルワーン改革のひとつは、彼の死によって為されたのだ。五竜氏族の当主が順番に国主の座につくという歪な国家体制が終わり、新たな政治体制が始まる。
そのためには、本来ならば新たな国主となる五竜氏族当主の協力が必要だったが、それも問題はないだろう。リバイエン家の当主は、ミレルバス=ライバーンの協力者であり、改革の支持者でもあったのだ。
「では、閣下はどうされるおつもりなのです」
「降伏するよりほかはあるまい。ミレルバス様もそれを望んでおられるだろう」
「それが、新たな国主様の命令なのですか!」
「この状況で、国主様の命令を待つなどということはできんよ」
そういって、彼は馬を進めた。十数名を残して、彼の供回りも続いた。
(詭弁よな)
セロスは自嘲したが、そうするしかなかったのも事実だ。
彼らを死なせる必要はない。道理もない。彼らは優秀な戦士であり、育て上げれば有能な指揮官にもなれるかもしれないのだ。そのような人材を、趨勢の定まった戦いで殺す理由があるだろうか。
彼らは納得できていないようだし、彼らの感情もわからないではない。自分たちを現在の立ち位置まで拾い上げてくれたのが、ミレルバス=ライバーンという人間であり、ミレルバスが国主でなければ、自分たちはただ支配されるだけの存在で在り続けただろうことは想像に難くない。
何百年も続くザルワーンの支配体制が変わることはなく、支配階級と被支配階級に二分されたまま、歴史を紡ぎ続けたのだろう。地を這う虫同然で在り続けたのだろう。もちろん、そのような歴史が永遠に続くとは限らない。国主がミレルバスでなかったとしても、このような結末を迎えたかもしれないのだ。むしろ、ミレルバスはよくやったと見るべきだ。彼は、ナーレス=ラグナホルンという猛毒に冒され、壊死しかけた国で最後まで戦い抜こうとしたのだ。
戦い抜いた果てに、彼は死に場所を見つけることができたのだ。
(わたしの死に場所はどこだ)
セロス=オードは考える。部下たちに告げたように、機会も場所も失ってしまった。