第四百二十話 本懐
敗北は、目に見えていた。
最初から結果のわかりきった戦いだった。
身を投じたのは、彼がザルワーン軍の最高位である神将を戴く身であり、龍眼軍の総司令官であるからだ。それに、国主ミレルバス=ライバーンが決めた道を否定することなど、彼にできるはずもない。
持たざる彼にすべてを与えてくれたミレルバス=ライバーンは、彼にとっては神に等しい存在なのだ。
だから、ミレルバスの命令には一も二もなく従った。ただ従うだけではない。全身全霊で、その命を完遂してきた。これまでもそうであったように、これからもそうあるべきだと想い、信じてきた。彼にとってミレルバス=ライバーンは、命を賭けるに値する人物であった。
だから戦い続けてこられたのだ。だからこそ、今日まで走り続けてこられたのだ。ミレルバス=ライバーンを信じられないものが、神将として君臨し続けることはできまい。ザルワーン軍の頂点にあるということは、ザルワーンの光も闇も見続けるということに他ならなかった。正も邪も入り乱れるのが、政治というものだ。目を背ける必要はない。ただ受け入れ、黙殺するだけでいい。
その結果がこれならば、彼にも責任があるのかもしれない。正を導き、誤を糺すということをしなかったのは、彼が盲目的にミレルバスを信じていたからでもあった。
信じ抜いた果てが、目の前の光景だ。
征竜野を埋め尽くすのは、ガンディア軍の兵士の姿であり、軍旗であり、隊旗であった。戦場に渦巻いていた熱気と狂気は消え、はたまた、戦場を混乱に陥れていた光の乱舞も、いつの間にか消え失せている。逆巻く大気が血の臭いを天に運び、ガンディアやルシオンの旗を閃かせている。
聞こえるのは勝鬨であり、生を喜ぶ数多の声であり、死別を惜しむ声だ。ガンディア側も多数の死者を出している。勝つためには、犠牲が必要だ。犠牲のない勝利など、そうあるものではない。もっとも、敗軍の死者の数とは比べるべくもないが。
征竜野。ザルワーン首都・龍府周辺の平地をいう。ザルワーンの建国神話に謳われる龍が降臨した地であり、龍が征した野のことだ。その平野が戦場となったことなど、ザルワーンの歴史上なかったことだ。龍府まで攻め込まれる事自体がなく、五方防護陣を機能させる必要すらなかったのが、これまでのザルワーンだった。
しかし、ガンディア軍が五方防護陣を破り、龍府に接近したことで、そういった歴史的事実は覆されることになった。征竜野は戦場となったのだ。
ザルワーンは、龍府を戦火に巻き込むことを恐れた。何百年もの間変わっていないという古都の景観を壊したくないというのは、龍府に生まれ育ったものの多くが共有する価値観であろう。それは彼にも理解のできる感情だった。
だからこそ、打って出た。堅牢な城壁を捨て、城塞都市の地の利をも捨て去って、征竜野に進発した。すべては、龍府の景色を護るためだったとしても、なんら不思議ではなかった。
もちろん、籠城すれば勝ち目があったかというと、そうではない。籠城とは、援軍を期待して行うものだ。ザルワーンの残存戦力といえば、龍府の龍眼軍二千を除けば、ルベンの千程度であり、ガンディア軍の七千に対抗するにはあまりに少なすぎた。籠城して、ルベンの龍鱗軍に援軍を頼んだところで、状況を打開することはできなかっただろう。たった千人では、ガンディア軍に打撃を与えることはおろか、各個撃破されて終わりだったに違いない。
ほかに手がなかったわけではないが、なんにせよ、現実的な手段となると限られてくるものだ。たとえば、ガンディアと敵対関係にあるアザークを煽動するという方法は、アザークがこちらの誘いに乗ってくれなければ意味がない。アザークが、ガンディア・ザルワーン戦争におけるガンディアの優勢を知っていれば、後の戦禍を恐れ、ザルワーンの誘いに乗らない可能性もあった。近隣の国々に援軍を要請するにしても、それと同じだ。ガンディアの圧倒的優勢を知れば、ザルワーンに手を貸すなど馬鹿馬鹿しくなる。
冷静に考えれば考えるほど、ザルワーンには打つ手がなかったことがわかっていく。
降伏するのが、最良だったのだろう。
降伏すれば、少なくとも、この戦いで命を落とすものはいなかった。
「ミレルバス様……」
セロス=オードは、網膜に焼き付いたミレルバス=ライバーンの最後の姿を思い浮かべながら、その名をつぶやいた。
わずか数百騎とともに敵本陣を目指す国主の横顔は、いままでになく英気溌剌としていたものだ。それこそ、ミレルバスの顔を直視できるようになって、初めて見るような顔つきだった。成功するかもわからない、ましてや生きて戻ってこられる保証などないに等しいにも関わらず、国主の目は活き活きとしていた。
死地に赴くものが見せる顔つきではなかったが、セロスは、ミレルバスのそんな表情を垣間見ることができてよかったと思っていた。国主ミレルバス=ライバーンは、喜びや楽しみ、怒りや哀しみといった表情を見せることのない人物だった。ザルワーンを改革するためには、己を殺す必要があったのだろう。ミレルバスという個人的な意志ではなく、国主ミレルバス=ライバーンの意志が、彼を突き動かしていたのだ。
彼の眼差しには、常に重く苦しさが付きまとっていた。
しかし、敵軍本陣へ赴くミレルバスの顔は、どこか晴れ晴れとしていた。すべての重圧から解放されたような清々しさがあった。
その表情を目撃したとき、セロスは感動すら覚えたものの、同時にこの戦いの意図を理解した。この決戦は、ガンディア軍に敗北を突きつけるためだけのものではないのだということが、彼にもわかった。
レオンガンド・レイ=ガンディアを討つことによる勝利は、副次的なものでしかないのだ。
ミレルバスは、戦うために、決戦を起こしたのではないか。
盛大に戦い、戦いの中で死ぬために、この戦いに至ったのではないか。
ミレルバス自身の死を飾るためだけの戦いではなかったか。
そんな馬鹿げた結論に至ったのは、特攻部隊を率いるミレルバスの清々しい横顔と、ミレルバスたちはどうあがいても死を免れることはできないということがわかっていたからだ。本陣への特攻だ。たとえ成功し、レオンガンドの御首を頂戴することができたとしても、生還することは限りなく難しい。間違いなく、死ぬ。死ぬのだ。
死ぬための戦いとしか、言いようがなかった。
セロス=オードは、馬上、周囲を見回した。周囲には、彼の供回りである五十騎の精兵と、二百人の騎兵、二百人あまりの歩兵がいる。それが、彼が戦場の各地からかき集めた、龍眼軍の戦力のすべてであり、つまるところ、ザルワーンが現状運用可能な全戦力だった。五百人に満たない戦力だったが、さすがにここまで生き残っているだけあって、凄まじい面構えの持ち主ばかりだ。精鋭が集まった龍眼軍の中でも、特筆すべき精兵たちだろう。負傷者も少なくはないし、戦意を喪失しているものもちらほらと見受けられるのだが、それを咎めることはできない。
戦いは終わったのだ。
ミレルバス=ライバーンが戦死しただけでなく、もはや覆しようのない戦力差がついてしまっている。十倍どころの騒ぎではなかった。こちらは五百人足らず、敵軍は六千程度。しかも、こちらは完全に包囲されていて、手も足も出せなかった。
この戦力でも、死力を振り絞れば、包囲を打ち破り、龍府に戻ることは可能かもしれない。だが、意味が無い。先にもいったように、籠城とは、援軍を期待できなければ、あるいは敵軍の撤退が期待できなければ、意味のないことなのだ。それに、龍府に逃げ込むにしても、それまでにどれだけの犠牲を払わなければならないのか。当然、全滅の可能性も大いにある。
「閣下。敵軍は勝鬨をあげていますなあ」
部下のひとりが、あきれたようにいった。彼の言う通りだ。征竜野を満たすのは、ガンディア兵による勝鬨の声であり、セロスたちの存在が黙殺されているかのようだった。実際、黙殺されていたとしても不思議ではない。たった五百人では、この戦局を変えることは愚か、ガンディア軍に痛手を与えることすらできないのだ。
「ミレルバス様が戦死なされたのだ。当然であろう」
「なんとも勝手な……」
「閣下、奴らに一泡吹かせませんか」
「そうです。そうしましょう」
セロスの側近たちが口々にいった。彼らの目は、まだまだ死んでいない。むしろ、敗色が濃くなればなるほど、彼らの目は強く輝きだしたのだから困ったものだ。そして、敗北が決定的なものになったいま、彼らは死ぬことを望むようになっている。