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第四百十九話 勝鬨(二)

 ハルベルク・レウス=ルシオンがガンディア軍の勝利を知ったのは、本陣に向かっている最中だった。

 ガンディア軍。精確には、ガンディア・ルシオン・ミオンの三国同盟軍であり、そこにレマニフラというガンディアの新たな同盟国軍が加わった大所帯であるが、最大の兵力を有し、三国同盟の盟主であるガンディアの軍勢であるといっても間違いではない。

 そもそも、これはガンディアの戦争なのだ。ルシオンもミオンも援軍を貸し出したに過ぎない。それも、のちの見返りを期待してのものであり、無償で提供したわけではない。

 見返りは、期待できるだろう。それだけの戦力を提供したのだし、何人もの死傷者が出ている。数多くの戦場で武勇を極めた白聖騎士隊からも多数の死者が出た。彼の妻が手塩にかけて育て上げた騎士は、替えの効かない貴重な戦力だった。その戦力を失ってしまったのだ。当然、その代償に見合うだけの見返りを要求することになるだろうが、それも先の話だ。

 戦いは、ガンディアの勝利で終わった。

 戦後の雑多な処理が落ち着いてから話しあえばいいだけのことだ。レオンガンドもこちらの要求を跳ね除けるようなことはしないだろう。ガンディアは、ザルワーンの領土の半分以上を手に入れることになる。となれば、ガンディアの国力は拡充され、ルシオンやミオンへの見返りのために割くだけの兵力も十分に用意できるはずだ。

 戦野を駆け抜けながらハルベルクの脳裏を過るのは、そういったことばかりだ。頭を振り、ため息をつく。戦闘中は、目の前の戦いに意識が向いているからいい。雑念は消え、無想無念で戦いに集中できる。勝利に向けて猛進することができる。しかし、戦いが終われば、その無想無念の境地から解放されてしまうのが厄介なものだと彼は思うのだ。

 政治的なことばかりを考えてしまう。

(らしくないな)

 ハルベルク・レウス=ルシオンとは、そのような人間だっただろうかと、彼は考える。ルシオンの王子に生まれ、ガンディアの王子、王女と遊びながら育ってきたのが彼だ。価値観の多くを、ガンディアの王子、王女と共有してきた。同じように夢を見、同じように夢を語った。同じ地平を見ているのだと思い込んでいた。

 どうやらそうではないらしい、ということがわかってきたのは、つい最近のことだ。レオンガンドの夢は、ハルベルクの想像を超えた先にあるようなのだ。その夢の形こそ彼にはまだわからないものの、いや、夢の形が不鮮明だからこそ、妙な胸騒ぎを覚えるのかもしれない。

 バルサー要塞を奪還して以来、レオンガンドはまるで行き急ぐかのように戦争を起こし続けている。ログナーへの侵攻と併呑、そして今回のザルワーンを巡る戦争。外征に次ぐ外征は、ガンディアの国力を著しく消耗させ、疲弊させるものに違いない。幸運にも連戦連勝を飾り、損害も最小限に留まっているものの、こんなやり方がいつまでも続けられるものでもない。

 また、彼は頭を振った。ルシオンには、他国の心配をしているだけの余裕はないはずだ。意識を切り替えるように、彼はつぶやいた。

「しかし、手間取ったな」

「はい。まさか、ザルワーンにあのような手練が残っているとは思いもよらず。不明を恥ずばかりです」

 ハルベルクが隣を見ると、リノンクレアは視線を下に向けていた。大切な部下を多数失うことになったのだ。心底悔しいのだろう。彼女自身、右頬に切り傷を負っていた。傷は浅い。綺麗に消えてなくなるのだろうが。

 ハルベルクとともにガンディア軍本陣に向かっているのは、リノンクレアを含め、十騎足らずの女性騎士たちであり、白聖騎士隊から選りすぐった精鋭中の精鋭たちだ。だれもが戦勝の空気に浮かれず、精悍な横顔を見せている。

 彼女のいった手練とは、ガンディア軍が超人兵と呼称しているザルワーンの精兵のことだ。精兵とはいうものの、並大抵の実力者たちではなかった。まさに超人という呼称がぴったりの猛者たちであり、ザルワーンの底力を見せつけられた思いがした。

 二十人足らずの超人兵が、五百騎の白聖騎士隊を封殺したのだ。たった二十人である。こちらは騎馬で、相手は徒歩だった。それにも関わらず、ハルベルクたちは超人兵を抜くことができず、包囲陣を完成させることができなかった。結局、超人兵を殲滅し、包囲陣を完成させることが出来たのは、戦いも終盤に向かう頃合いであり、白聖騎士隊がガンディアの戦勝に寄与するところは少ないといえた。もっとも、ルシオンの歩兵は無事に包囲陣へ参加することができており、そこそこの戦果を上げて吐いたようだが。

「いや、ザルワーンがあのような戦力を有しているということは、ガンディアも把握していなかったんだ。恥じることではないよ」

「ですが」

「ザルワーンの隣国であるガンディアの知らない情報を、どうして我々が知ることができる。無論、諜報活動にも力を入れるべきだということはわかっている。だが、ザルワーンは、我々の敵ではなかった」

「ガンディアの敵……」

「無論、ルシオンもザルワーンの敵ではあったかもしれない。ザルワーンは南進を掲げていたからね。ガンディアが敗れれば、つぎはルシオンが標的となったのは間違いないが……」

 そこまでいって、彼は、言葉を濁した。そうなれば、ミオンともどもガンディア領に攻め入り、ザルワーン軍を撃退することになったに違いない。ザルワーンがガンディアからルシオンに攻め込もうと、ミオンに攻め込もうと、だ。挟撃となれば、多大な戦力差もどうにかなる。そうなれば、ガンディアの旧領は二国で分け合うことになったはずだが、そんな妄想は、もはや意味をなさない。

「ガンディアが勝ったんだ。もうなんの心配もいらないよ」

 ハルベルクは、思っていたこととは別の言葉を口にしたものの、それも彼の考えのひとつではあった。実際、ガンディアについての心配事はなくなるだろう。少なくとも、近隣の国々はガンディアに靡くか、ガンディアに手出ししようとは思うまい。

 ログナー、ザルワーンとふたつの国を下したガンディアは、この大陸小国家群の中央において最大規模の国となったのだ。しかも、近隣の国々のうち、ふたつの国とは同盟を結んでいる。これでは、ガンディアと戦おうなどと思う国が現れるはずがなかった。

 前方に、ガンディア軍本陣が見えてきた。

 本陣の周りには勝鬨を上げる兵士たちの姿が溢れており、その中を突っ切るようにしなければ、本陣に到達することもできなさそうだった。その数たるや優に千人を越えており、本陣の守備部隊だけではないのは明らかだった。戦勝を知った各地の兵士たちが本陣に集まってきたのかもしれない。その中に大将軍の姿が見えないのが気になったが、別段、問題が起きているというふうでもなかった。おそらく、ザルワーン軍の残存部隊が降伏していないのだろう。

 白聖騎士隊のひとりが声を上げ、ルシオン王子ハルベルクの本陣行きを告げると、群衆がふたつに割れた。血まみれの平地の向こうに本陣がある。本陣にもひとが溢れている。軍団長や部隊長だろうか。その中にレオンガンドがいるのだろう。

 レオンガンドに逢い、なにを話そうか。

 そんなことを考えながら、彼は、ようやく勝利の実感を得ていた。

 

 声が聞こえていた。

 ずっと、聞こえていた。

 頭の中でがんがんと鳴り響くような歓声とも喚声ともつかぬ大音声に、彼は発狂しそうになりながら起き上がった。血と土が口の中で唾液と入り交じり、不愉快さを助長する。吐き出してもすっきりするわけもなく、彼は、憮然とした。

 周りを見ると、無数の死体があった。敵よりも味方の死体のほうが多いように見えるのだが、気のせいではあるまい。彼が気を失うまでの間に、彼の部下は多数死んでいた。気を失っている間、さらに死んだはずだ。彼自身、自分は死んだのだと思っていた。死んでいてもおかしくはなかったし、そもそも、死ぬ気で戦っていたのだ。生き残るつもりは、微塵もなかった。

 それなのに生き延びてしまったということに、彼は、脱力感を覚えずにはいられなかった。 

「隊長殿、ご無事でしたか」

 声に顔を向けると、彼の部下だった。傷だらけだが、目には力が漲っている。生き残った実感が生気を与えているのかもしれない。敗北よりも、生の実感のほうが強いというのが、いかにも人間らしい。

「ん、あー……どうやら無事らしい」

 手も足も動いた。それどころか、指先まできびきびと動くことから、なんら問題はないことがわかる。意識が鮮明になるにつれて、全身の痛みまで明確化していくのには辟易するが、それが生の実感であるということも否定出来ない。

「皆、隊長殿が戦死されたのだと思い、死に物狂いで戦ったのですが」

「酷い早とちりもあったものだな」

「頭に矢を受けておいてそれはないでしょ」

「そうですよ、隊長」

「そうだっけか」

 ミルディ=ハボックは、ぞろぞろと集まってきた部下たちの視線の冷ややかさから逃れるようにして、自分の兜を脱いだ。部隊長であることを主張するかのように装飾が施された兜には、確かに矢が突き刺さっていた。その矢の見事な刺さりっぷりに、彼は笑い声を上げたくなった。矢は兜に突き刺さったものの、頭蓋を貫くことはできなかったのだろう。兜を突き破るので精一杯だったに違いない。だが、その際の衝撃は、常人ミルディを気絶させるには十分だったのだ。

「こりゃあ、戦死したと思うわな」

 兜から矢を抜くと、鏃の尖端に血が付いていた。側頭部に触れる。傷痕があった。兜の質が悪ければ、頭蓋骨も割られていたかもしれない。

「でしょー」

「ですから、我々は死に物狂いで戦ったんですがね」

 部下のひとりがゆっくりと息を吐いた。彼の視線をなぞるように、ミルディも周囲を見やった。征竜野の戦場を満たすのは、ガンディア軍の兵士たちの姿であり、彼らが発する勝鬨の声だ。ミルディを短い眠りから呼び覚ましたのは、その声だったのだろう。

 ミルディは、静かに立ち上がった。龍眼軍第四部隊“風旗”に所属する百名のうちの五十人ほどが、彼を取り囲むように集まってきていた。それが“風旗”隊の生存者ということなのだろう。たった五十人。されど、五十人。頑張ったほうだろう。生き残ったほうだろう。全滅してもおかしくはなかったのだ。不思議ではなかったのだ。

「負けた……か」

 ミルディの周囲に集まった隊員たちのさらに周りには、ガンディア軍の兵士たちの姿があった。ミルディたちを包囲する連中に気の緩みは見えない。ミルディたちが武器を捨て、降伏するまでは戦闘状態を解くことはできないのだ。ミルディは不思議に思ったが、すぐに合点がいった。“風旗”隊の隊員たちが、ミルディの命令もなしに降伏できるはずもなかった。

「ミレルバス様が戦死なされたと」

「そうか。ミレルバス様が」

 ミルディはぽつりとつぶやくと、手の中の兜をガンディア兵のいない方向に向かって放り投げた。放物線を描いていく鉄の兜に、矢を投げつける。矢は兜に弾かれて地に落ち、兜も落ちた。

 「さて、降伏するとしますかね」

 ミルディがいうと、隊員たちはほっとしたような、それでいて至極残念そうな顔をした。

 生き残れたことを喜びながらも、ミレルバスのために死ねなかったことを悔いている、そんな表情だった。だが、いまさらガンディア軍の勝利に抗ったところで、どうなるものでもない。ただ、死ぬだけだ。もちろん、何人かは道連れにできるだろう。だが、そんなものはガンディアへの嫌がらせにすらならない。無駄な足掻きだ。

(足掻いて、なんになる)

 彼は、胸中で吐き捨てるようにいった。これまで散々足掻いた結果がこれなのだ。これ以上足掻いたところで、見苦しいだけのことだ。

 ミレルバス=ライバーンが最後の賭けに敗れたのだ。本陣に特攻し、ガンディア国王レオンガンド・レイ=ガンディアを討つことで戦争を終わらせるという、ザルワーン唯一の勝利条件が満たされなかった。むしろ、ミレルバスは戦死したということは、こちらの敗北であろう。

 勝利の条件は違ったとしても、敗北の条件は同じだ。

 ザルワーン軍は敗北の条件を満たした。

 地にはガンディア軍の鬨の声が満ちている。

(みんな、死んだかな)

 ミルディは、同僚たちの生死が気になったものの、いまはとにかく、ガンディア軍に投降することが先決だと思ったのだった。

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