第四百十八話 勝鬨
鬨の声が聞こえる。
勝鬨を上げているのだ。
誰もが勝利に沸き、誰もが生存を喜び、死別を惜しんだ。
敵味方、多くの人間が死んだ。数え切れないほどの戦死者、負傷者が出た。それほどまでに激しい戦いだったのだ。あまりに苛烈すぎた。
「本陣、落ちなかったみたいだね」
ルクスは、戦場の各地から聞こえる勝鬨にも、表情を緩めることはできなかった。奇妙な喪失感がある。虚脱感がある。勝利の実感はなく、むしろ失ったもののほうが大きすぎる気がした。
《蒼き風》は、武装召喚師と戦闘を繰り広げた場所に留まっていた。ガンディア軍本隊との合流を呼びかける声もあったが、シグルドが黙殺した。《蒼き風》は契約分以上に働いた、というのがシグルドの意見であり、それに反論するものは皆無だった。敵武装召喚師撃破という、もっとも過酷な戦果を上げたのが《蒼き風》だ。だれも文句をいうことはできまい。
「落ちてたら、どうなってたかねえ」
「まあ、つぎの契約先を探す羽目にはなったでしょうね」
「違いねえな」
シグルドはいったが、笑い話ではあるまい。もちろん、《蒼き風》の実力を考えれば、引く手数多。つぎの契約先くらいすぐにでも見つかるだろうが、シグルドにとってガンディアは愛着のある国らしいのだ。そんな国と敵対する可能性のある契約を結ぶことはないだろう。遠方に流れる必要が出てくる。そうなれば、長い旅になっただろうことは請け合いで、旅の嫌いなルクスは、本陣が落ちなくてよかったと心底思うのだ。
ガンディアがどうなろうと知ったことではないが。
「どうしたよ? 元気ねえな」
「そりゃ元気でいられるはずないっしょ」
頭に置かれた手の分厚さに目を細める。シグルドの大きな手が頭に置かれるだけで安堵を覚えるのは、昔からの刷り込みによるものなのだろうか。心配事や不安は、シグルドの手のひらの厚みにかき消されることが多い。
ルクスは、シグルドの手を退けながら立ち上がった。グレイブストーンを鞘に納め、周囲を見回す。敵武装召喚師という嵐が過ぎ去った後、戦場には数多の死傷者が転がっていた。《蒼き風》の傭兵たちの死体と、ガンディア軍正規兵の死体だ。数えるのも億劫になるほどの数の死体があった。あの風使いは、たったひとりでそれだけの戦果を上げたということになる。やはり、武装召喚師というのは凶悪なのだ。
が、局地的な戦闘の経過が、全体の戦況に及ぼす影響などたかが知れていた。もとより、征竜野の戦いは、ガンディア軍の勝利に大きく傾いていたのだ。武装召喚師がひとり気炎を吐いたところで、戦況を覆すことなどできなかった。
無論、あの武装召喚師は、それを理解していたはずだ。すべてを理解した上で、時間稼ぎのためだけに戦ったのだ。そして、あの男が目的を果たせたことは、流れてくる情報によってルクスの知るところになっている。
ミレルバス=ライバーンによるガンディア本陣への特攻。ザルワーンの国主みずから、単身でガンディア軍の本陣を襲撃し、本陣に構えていたレオンガンドに肉薄したというのだ。幸い、本陣は落ちなかった。死んだのはミレルバスであり、レオンガンドは生き残った。レオンガンドは、ガンディアの勝利を宣言し、勝鬨が本陣から戦場全域に広がっていった。
戦いは終わった。
ルクスは、奇怪な虚脱感の中で、疲労を覚えていた。ロンギ川の戦いからこっち、無理をしすぎた反動が、もの凄まじい疲労や倦怠感となって彼の意識を押し包んでいるようだ。無理は承知だった。ゼオルで療養しているべきだと、医者もシグルドたちもいっていたことだ。それでも、彼は周囲の反対を押し切って、参戦した。
団長命令に反抗したのは、それが初めてかもしれない。
反抗して良かった。
ルクスは、ぼんやりと死体の群れを眺めている。もし、この戦場にルクスがいなければ、どうなっていたのか。考えるだに恐ろしいことだ。シグルドもジンも死んでいたかもしれない。シグルド=フォリアーにせよ、ジン=クレールにせよ、武勇に秀でた傭兵であり、いくつもの戦場で数多の戦功を上げてきた猛者であることは間違いない。だが、それは通常戦力を相手にした場合の話だ。規格外の超人や、武装召喚師を相手にどこまで戦えるものか。
シグルドがあの武装召喚師の腕を吹き飛ばしたのは素晴らしい戦果だ。それは認める。だが、その程度では、あの男の攻勢を緩めることは出来なかった。むしろ、敵の攻撃は苛烈になり、小さな嵐と突風の乱れ打ちで、何人もの味方が死んだ。
傭兵たちも死んだ。
「戦争が終わったんだ。ちったあ嬉しそうな顔をしろよ、《蒼き風》の突撃隊長さん」
「できるわけないっしょ」
背中を叩かれて、彼はうめいた。背中の傷跡が痛む。シグルドは手加減というものを知らないのだ。それは決していいことではないのだが、かといって、文句をいう気にもなれない。いっても聞かないだろうし、加減を覚えたシグルドなど、気味の悪い怪物と同じだ。いつだって全力なのが、シグルドのいいところでもある。
「カール、エルク、マーカス……恨んでるかな」
ルクスは、死体の海の中に彼らの亡骸が埋まっているのだと思うと、いてもたってもいられなかった。すぐにでも探しだして、ちゃんと葬ってやりたいと思う。
「そうですね、恨んでます」
耳元で聞こえたのは、マーカスの声だった。幻聴だろう。マーカス=アンディート。思い入れはないが、悪いやつではなかったのは確かだ。突撃隊長の下につけられるだけあって、優秀な戦士だった。そんな彼を無駄に死なせてしまったのだ。恨まれても、致し方がない。
「そうだよな」
シグルドのいった通りだ。部下の命は有効に使わなくてはならないのだ。仲間が死ぬのは仕方のないことだ。だれもが完全無欠でいられるはずはない。ルクスですら死にかけるのだ。常人である傭兵たちならば、なおのことだ。
「死体の中に隠れてろ、ってどういうことなんですかねえ」
「死体の中に隠れ……て?」
「意味の分からない命令にも程がある」
「命令……?」
カール=アースマン、エルク=エルの幻聴が紡いだ言葉の意味が理解できず、彼は、首を捻った。幻聴なのだ。意味が理解できなかったとしても問題はないのだが、妙に引っかかりを覚えた。声に現実感があったのだ。まるですぐ側で話しているような、そんな感覚。錯覚に違いない。三人は死んだということは、シグルドがいってきたことだ。
「うむ。よくぞ任務を果たしたな。おかげでルクス君が大発奮してくれたぞ。敵武装召喚師撃退の大活躍、大金星だぞ。論功行賞でも取り上げられること間違いなしだな、うん」
「あ、そういうことだったんですね」
「隊長殿を発奮させるための餌か……」
「それならばまだ納得できますけど……」
「ん……?」
シグルドの意味不明な言葉に反応するかのような幻聴に、ルクスは後ろを振り返った。そして、愕然とする。間の抜けた声が、口から漏れ出るのを止めようがない。
「はあっ!?」
「どうしたんです? 隊長殿」
「情けない顔してますな」
「い、生きてる?」
ルクスは、天地がひっくり返るかのような衝撃の中で、彼を取り囲む三人の男の顔を見回した。
マーカス=アンディートは、相変わらず《蒼き風》一の優男の座を維持していたし、《蒼き風》でも最高峰に厳ついエルク=エルの顔面はルクスですらすぐに目をそらしたくなった。カール=アースマンの飄々とした顔つきは、いつも以上に涼しい表情だ。
「はい?」
「なにいってんですか」
マーカスたち三人は、ルクスの態度こそ理解できないとでも言いたげな顔をしていた。とても死人には見えない。三人とも傷だらけではあったが、生気に満ちた目つきだったし、声もはっきりとしていた。鎧はぼろぼろで、使い物にならないだろうが、鎧兜など、買い換えればいいだけのことだ。体が無事であれば、それもできる。彼らは生きている。生きていたのだ。
「いやだって、団長がみんな死んだっていうから……団長?」
ルクスがシグルドに視線を向けると、彼は素知らぬ顔をした。
「そんなこといったっけなあ……ジン?」
「わたしはなにも」
「だよなあ」
ジンがシグルドに同調するとは予想外だったものの、シグルドの反応そのものは想定の範囲内だ。これまでの数多の戦場で、日常で、何度シグルドにしてやられたことか。
「そういうことだ。俺はなにもいってねえ。おまえが勝手に勘違いしたんだろうよ」
「ついさっき、マーカスたちにいってましたよね、任務を果たしたとかなんとか」
「それも幻聴だよ、幻聴」
笑い飛ばし、すべてをなかったことにしようとするシグルドに対し、ルクスは、なにも言わずに剣を抜いた。グレイブストーンの群青の刀身が、陽光を反射してきらめく。澄んだ湖面のように美しいと評判の剣には、武装召喚師の血が付着したままだ。
「おい、ルクス。なにを考えてやがる……!」
シグルドの顔から血の気が引いていくのがわかった。歴戦の猛者の表情が一瞬にして変わるというのは、こうも面白いものかと彼は思った。 ルクスはそれだけで十分に満足したのだが、ふと、試してみたくなったのだ。
「団長、どうされました?」
「どうっておまえ、剣を納めろっていってんだよ」
「剣? なんのことです」
「その手に握ってるだろーが!」
「幻覚ですよ、幻覚」
笑って、ルクスは地面を蹴った。