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第四百十七話 うつけの最後

「そうか……負けて、終わるか。こんな負け方か……ふはは」

 言葉では、敗北を認識している素振りを見せているものの、彼は、勝利を疑ってはいないかのような目をしていた。

 彼にとっての勝利とは何なのか。

 そんなことを考えながら、レオンガンドは、ミレルバスの側で足を屈めた。勇猛果敢にも単身で本陣に特攻してきた男が、いまにも死のうとしている。

 彼の死を、最期を見届ける必要がある。

「あんなことが起きなくとも、あなたの刃はわたしには届かなかったさ」

 レオンガンドが告げると、ミレルバスは目を少し細めた。眩しい物でも見るかのように。強すぎる光を拒絶するかのように。

「二十年、大きくなったものよな……」

「あなたは、老いた」

 龍の兜の下、ミレルバスの顔は、二十年前に見た時とは様変わりしているといってもよかった。二十年だ。あのとき、ただの子供でしかなかったレオンガンドは、二十年の時を超えて大人になった。立派とは言い難いかもしれないが、歳相応には成長したはずだ。王としての責務を全うできるくらいには、変わることが出来たはずだ。

 一方、マーシアスの使いに過ぎなかったミレルバスも、この二十年で国主の地位についた。国王と国主。立場は同じ。されど、年齢が違う。レオンガンドはまだ若く、ミレルバスは老境に足を踏み入れようとしている。

 ミレルバスが対峙すべきはレオンガンドではなく、シウスクラウドだったのではないか。レオンガンドは、そんな愚にもつかないことを考えながら、ミレルバスの顔に刻まれたしわを見ていた。

「当然だ。わたしは、人間だからな」

「人間……」

「英雄にもなれない、ただの人間だったのだよ」

 ミレルバス=ライバーンは、なぜか笑った。なにがおかしかったのか、レオンガンドにはわからない。きっと本人にしか理解の出来ないことなのだろう。

 ミレルバスはひとしきり笑うと、血を吐いた。顔面からは血の気が引き、肌は土気色になっている。死も近い。だが、目は生きている。輝いている。

「だが……!」

 レオンガンドは、ミレルバスが右腕を動かしたのを見て、即座に反応したものの、相手の動作があまりに早すぎた。銀光が閃いたかと思うと、顔面に激痛が走った。痛みと熱にレオンガンドは何事かを口走ったようだが、自分でもなにを叫んだのかはわからなかった。ただ悲鳴を上げただけかもしれない。

「陛下!」

「レオンガンド様!」

「ミレルバス貴様!」

「待て」

 口々に喚くものたちを手で制しながら、レオンガンドは、ゆっくりと右目を開いた。右目は、問題なかった。疼くのは左眼だ。激痛が収まる気配を見せない。歯噛みして、堪える。

「し、しかし……」

「油断したのは、わたしだよ」

 親衛隊長たちに自嘲の笑みを返すと、彼らは沈黙した。

「届いたぞ、我が刃……」

 また、笑い声が聞こえた。ひどくうつろな笑い声だった。

「やはり、ガンディアの“うつけ”殿は“うつけ”殿であったな」

「否定はしない」

 左眼の痛みに顔を歪めながら、彼は、ミレルバスを見つめた。欠けた視界に映る男の右手には、短刀が握られていた。刀身に血がついている。レオンガンドの血だ。左眼を切り裂いたのだ。左眼はもはや使い物にはならないだろう。

「だが、いいさ。これで。良い教訓になった」

 強がりをいったつもりはないが、結果としてはそう聞こえたかもしれない。

「教訓……か」

 ミレルバスは、乾いた笑いを発した。再び短刀を振り回そうとしたようだが、そのときには彼の右腕は細切れになっていた。血飛沫の中に無数の鋼線がきらめく。

 なにもそこまでする必要はない、といおうとしたものの、不意を衝かれ、レオンガンドの目を守れなかった彼女の心中を察すれば、そんな言葉も出なかった。

 失ったのは、片目だ。命ではない。生きているのだ。しかも、視界は狭くなりこそしたものの、大きな問題はない。レオンガンド自身が戦場に出たとしても、直接戦うことなどありえない。指揮官としての自己も否定している彼にとって、戦闘は大将軍以下の有能な人間に任せるものなのだ。

 ミレルバスのような蛮勇を振るうこともない。

「“うつけ”は、今日で仕舞にさせて戴く」

「そうか。わたしが“うつけ”を殺したか」

 ミレルバスの声には、もはや力はなかった。眼力さえ、消えている。勝利への執念も失せ、残るのはわずかばかりの生命力に過ぎないのだろう。それも風前の灯といっていい。風が吹けば消えてしまうほどに儚い命が、ミレルバスに言葉を紡がせている。

「では、君はなにになるというのだ?」

「獅子となりましょう」

「獅子となり、なにを為す」

「小国家群の統一」

「統一……ふっ……ははっ、ふはははは……」

 レオンガンドの発言に、ミレルバスは盛大に笑った。馬鹿げた妄言と否定するような不快な響きはなかった。ただ、笑っている。しかし、彼の目は笑ってはいなかった。まっすぐに、射抜くようにレオンガンドの目を見据えていた。

「そうか、統一か。この有象無象をひとつに纏めようというのか」

「そうでもしなければ、生き残れませんから」

「ふふふ……そうだ。そのとおりだ。そしてそれは、だれもがわかっていて、目を背けてきたことなのだ。そうだ、そうなのだ……強国を、強大な国を作り上げなければ、いずれ飲み込まれ、消滅するだけなのだ……」

 大陸を三分する勢力がある。ヴァシュタリア、神聖ディール王国、ザイオン帝国。沈黙を護る三大勢力のうち、どれかが動き出せば、ほかのふたつも動き出し、小国家群を瞬く間に飲み込んでいくだろう。弱小国家の群れでは、三大勢力のいずれにも勝ち目はない。それどころか、抵抗することすらできないまま踏み潰されるに決まっている。

 対抗するには、小国家群がひとつに纏まらなくてはならない。ひとつの強大な国家になるか、いくつかの大国家の連合体となるか。なんにせよ、いまのままでは三大勢力に対抗することなどできはしない。座して滅びを待つのと同じだ。

 もっとも、小国家群の統一などという大それた夢は、レオンガンド一代でできるものではない。何年、何十年とかけてもなお、達成できないことかもしれない。数百年、小国家群は小国家群で在り続けている。常態化したものを変化させるというのは、簡単なことではないのだ。そして、その長い戦いは、三大勢力が動き出した時に終わりを迎える。

 途方もなく遠く、容易く崩れ去る。

 夢とは、そのようなものなのかもしれない。

「それが君の夢ならば、最後まで諦めぬことだ。諦めた時、ひとの夢は露となって消える。夢が消えれば、ひとが果てるは道理。人間と夢は同一のもの……忘れぬことだ」

「もちろん」

 レオンガンドがうなずくと、ミレルバスは満足そうな笑みを浮かべた。そして、血反吐を吐いた。痙攣し、しばらくすると動かなくなった。

 死んだのだろう。もう二度と、動き出すことはあるまい。彼が不死者でない限りは。そして、そんな無様な真似をするような人物には思えなかった。たったひとりで本陣に特攻してくるような男が、死んでも生き返るという無残な姿を晒すだろうか。

 彼の目は、レオンガンドを見つめたままだった。その瞳には左眼を失ったレオンガンドの無様な姿が写り込んでいるに違いない。ミレルバスが満ち足りた顔をしたのは、そんなレオンガンドの姿を最期に見ることができたからかもしれない。

 ガンディアには負けたが、レオンガンドには勝った――ミレルバスがそんな結論を抱いて死んだのだとしても、レオンガンドには否定できるはずもなかった。

 レオンガンドは、ミレルバスに敗れた。

 彼は、ミレルバスの瞼を閉じると、静かに立ち上がった。敵国の王の満足気な死に顔には、戦い抜いたものだけが持つ尊さがあった。

 ミレルバス=ライバーンは、戦い抜いたのだ。この戦争を。彼の人生を。戦って戦って戦い抜いて、最期に得られたものがレオンガンドの左眼ひとつ。そんなもので満足できるはずもないのだが、ミレルバスの感情など、敵対者であるレオンガンドにはわかるはずもない。

 レオンガンドがミレルバスの立場ならば、彼のようには笑えなかっただろう。

(あなたはなぜ、笑って死ねたのだ)

 国土の大半を奪われ、戦いは負け続けた。それでも。最後の最後まで勝利を諦めず、たったひとりで本陣に辿り着いたのがミレルバスという男だった。本陣の目前に満ちた守備部隊をものともせずに突き破り、レオンガンドにあと一歩のところまで迫った唯一の敵。満ち足りたのだとしても、おかしくはないのだろうか。

 ミレルバス=ライバーンが武勇の人だという話は聞いたことがなかったし、軍議の場でもミレルバスを敵戦力のひとつに数えるようなことはなかった。だが、現実は違った。ミレルバスは、ほかのどの戦力よりも凶悪で、強力極まりなかった。

「陛下……!」

 ナージュの声に振り返ると、彼女が駆け寄ってくる姿が見えた。視界は欠けている上、痛みと熱は引く気配を見せない。眼球の切り口から流れる血が頬を伝い、顎から落ちていくのがわかる。酷く、痛い。が、泣き言を言っている場合ではないのも事実だ。

 ナージュの接近を右手で制すると、彼は、ゼフィルとバレットに目を向けた。

「ザルワーン国主ミレルバス=ライバーンは戦死した。我らの勝利だ」

 もう一度、ミレルバスを見下ろす。満足気な死に顔に変化はない。微動だにしていなかった。彼は息絶え、死んだのだ。戦いは終わる。

 長い長い戦争が、ようやく終わるのだ。

「勝鬨をあげよ」

 レオンガンドが告げると、まず、親衛隊長たちが声を上げた。それは本陣の守備隊に伝播し、本隊へと伝わり、戦場全体を揺るがすほどの大音声となるだろう。

(勝った……か)

 妙な虚しさの中で、レオンガンドは、勝利の風景を見ていた。

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