第四百十三話 夢を追うもの(二)
「うおおおお!」
雄叫びとともに背後から迫ってきた殺気に、ミレルバスは無意識に対応していた。前方に飛びながら振り向いて初撃をかわし、大剣が地を抉った隙を突いて、太刀の間合いまで接近し、一刀両断に切り捨てる。兵士の唖然とした顔は、斬撃が避けられるとも思っていなかったからだろうか。
敵は、さらに迫ってくる。四方八方、あらゆる方向から、ミレルバスの進軍を止めるために殺到してきている。最後の防壁を目前にして足止めなどされたくはなかったが、仕方がない。無視していられるような数でもなかった。そう思った時、
「どおりゃあ!」
気合とともに眼前に迫ってきた敵兵が吹っ飛んだかと思うと、ジェイド=ヴィザールの姿が視界に飛び込んできた。真っ赤に染まった全身は、彼がそれだけ敵兵を殺戮してきたということの証明だろう。
「ここは我々が!」
ジェイドだけではなく、数人の兵士がミレルバスの周囲に展開した。だれもかれも返り血を浴び、精悍な面構えをしていた。死ぬ気などまったくないその表情は頼もしくもあり、哀れでもある。彼らは、英雄薬の副作用を知らないのだ。
「頼む」
ミレルバスは、ジェイドにそれだけをいうと、進行方向に向き直った。最終防衛線まであと少しというところ。
「ミレルバス様の侵攻を邪魔させるな!」
「おおっ!」
ジェイドたちの叫び声が、心地よく耳に響く。
「止めろ! 何としてでも止めるんだ!」
「本陣を守れ!」
「行かせるな!」
当然、敵防衛部隊の反応も激しい。
最終防衛線の後方に、新たな肉壁が構築されはじめていた。黒と白の戦士たちによる防壁。戦力としては、ガンディア兵よりは強いのかもしれないが、ミレルバスにとっては同じことだ。雑兵は雑兵に過ぎない。
(壁が一枚増えたところで)
どうということはない、と彼は駈け出した。背後でジェイドたちが暴れだしている。動き出すなら、いましかない。いまを逃せば、また集中攻撃を受けて足止めされる。
新たな最終防衛線が完成を見る頃、ミレルバスの太刀は重装兵の盾を切り裂いていた。
「退け」
告げたものの、二の太刀で敵兵の首を刎ねている。左右の兵がほとんど同時に繰り出してきた突きを屈んでかわし、その場で回転しながら太刀を振り抜く。左の兵の腕を切り飛ばし、右の兵の胴を薙いだ。悲鳴が聞こえたのも束の間、ミレルバスは前進を再開するのと同時に、新たな敵が壁となって立ちはだかったのを認めた。
圧力があった。いまのいままで相手にしていた雑兵とは比べ物にならない威圧感があった。全身、総毛立つのがわかる。感じているのは強烈な敵意であり、紛れもない殺意だった。もちろん、雑兵たちも眩いばかりの殺気を放ってきてはいたものの、その純度が違った。苛烈といってもいいほどの憎悪があった。怨念があった。暗い敵意。昏くも激しい怒り。そういった負の感情が、分厚い壁となってミレルバスの進撃を阻もうとする。だが、彼は止まらない。死体を飛び越え、壁の正体を目視する。壁となっているのは、ひとり。たったひとりの敵が、前方に立ち尽くしている。最終防衛線とミレルバスの間に立っている。
怪物の面を被った人物。龍とも獅子ともつかない怪物の仮面は、その人物の素性を隠すためなのだろう。仮面の武装召喚師。報告によれば、ザルワーンに展開したガンディア軍のうち、マルウェールを落とした部隊と行動をともにしていた武装召喚師だ。マルウェールを預かっていた翼将ハーレン=ケノックは、仮面の武装召喚師に通じ、ガンディア軍を市内に招き入れたという。それにより、マルウェール市内は戦場になったというのが、マルウェール戦の真相であったらしいのだが。
仮面の人物は、軽装の鎧を纏い、左手に握った幅広の剣をこちらに向けている。装甲に覆われた右腕は異様な程肥大している。普通に立っているだけにもかかわらず、奇妙に尖った指先が地につくほど長大な右腕。一目でわかる。
(召喚武装か)
ミレルバスは、警戒したものの、立ち止まってもいられない。相手が凶悪な武装召喚師であろうとも、いまの自分ならば対等以上に戦える。自信があった。そんなものがどこから湧いてくるのか信じられないのだが、しかし、強圧な自負は、彼の背中を押すのだ。
「ミレルバス=ライバーン!」
仮面の男が叫び、同時に左手の剣を投げつけてくる。滾る憎悪が波動のようにミレルバスの意識を貫くが、彼はなにも感じなかった。飛来する剣を太刀の一閃で叩き落とし、直進を続ける。相手も動揺ひとつしない。それどころか、仮面の奥の目が笑ったような気がした。武装召喚師が右腕を振りかぶる。ミレルバスは直進を止めない。ただ一直線にガンディア軍の本陣を目指す。それ以外に勝利の道はなかった。光の経路はもはや目に映ってはいない。敗北が決定的だからか。ミレルバスの死が、絶対的なものになったからか。
(違う)
ミレルバスは、胸中で己の考えを否定しながら、仮面の男が異形の右腕を地面に叩きつけるのを見ていた。鋭い爪が地を抉ったかと思うと、大きな亀裂が走った。大地に刻まれた亀裂は、一直線にミレルバスに向かってくる。それとともに、亀裂の底からなにかが噴き出してくるのが見える。ミレルバスは右に身をかわす。衝撃が来る。左腕が吹き飛んだのが感覚でわかった。地の底から吹き出した力が、ミレルバスの左腕を切断したのだ。直進を諦めていなければ、全身が真っ二つになっていたかもしれない。
激痛があったものの、そんなもので彼の進軍を止められるはずもない。彼は、仮面の男を一瞥した。
「腕の一本くらい、くれてやる」
「一本では、満足できないな」
武装召喚師は、既につぎの攻撃に入ろうとしていた。再び腕を振り上げている。しかし、ミレルバスは、二度も同じ攻撃を喰らうつもりはなかった。一足飛びに間合いを詰め、掲げられた右腕を切りつける。右手だけの斬撃。激突音が鼓膜を貫く。
太刀は、弾かれこそしたものの、攻撃を阻止することには成功したようだ。右に流れた腕を踏みつけるようにして、武装召喚師を飛び越える。前方、最後の肉壁が立ち塞がっているのが見えている。大幅に増員されてはいるものの、武装召喚師以上の強敵は見当たらない。本陣はその向こう。光の乱舞が眩しいが、彼は止まらない。
空中を泳ぐようにして着地する。多少の距離は稼げたものの、背後から猛然と迫ってくる気配があった。仮面の武装召喚師だ。
「行かせん!」
「征くさ」
振り向きざま、ミレルバスは告げた。武装召喚師の右腕がうなりながらこちらに向かってくるのが見えていた。それが召喚武装であることは疑いようがない。鎧兜すら両断する太刀の一撃を受け止めたのだ。その上、なにかしらの能力を持っている。その能力の詳細は不明だが、凶悪なのは間違いない。二度と撃たせてはならない。あの攻撃を後方から撃たれれば、避けるのは難しいだろう。幸い、予備動作がわかりやすいため、武装召喚師を視界納めていれば問題はないのだが。
(問題はない?)
彼は、自分の考えを鼻で笑った。
(片腕を失って、よく言う)
抉るように伸びてきた右腕の一撃を太刀の腹で受け止めると、踏み込み、間合いを詰めた。仮面の奥で、男が笑ったのがわかる。声が聞こえた気がする。
「そんな男だったか?」
ミレルバスは、太刀で男の右腕を上方に押し上げると、敵武装召喚師の目を見た。仮面の奥、狂気に歪んだ目には、喜悦が浮かんでいる。ミレルバスは、自身の右腕を振り下ろした。太刀が武装召喚師の胴体を鎧ごと斬り裂いていく。手応えは十分。彼は、その一閃が男に致命傷を刻んだことを認めると、すぐさま進路に向き直った。振り返る寸前、切り口から血が噴き出していた。彼は死ぬか、死に瀕するだろう。
「まだ……!」
それでもなお追い縋ってくる武装召喚師に対し、ミレルバスは振り返り、冷ややかな視線を注ぐと、伸びてきた右腕を太刀の一閃で押し退けた。召喚武装は空を切り、男は前のめりに倒れていった。もう立ち上がることはなさそうだ。立ち上がったとしても、そのときまでミレルバスがここに留まっているはずもない。
彼は、既に進路に向き直っている。雑兵犇めく進路の先に、敵本陣がある。ガンディアの軍旗が翻っている。あの旗の下に、レオンガンド・レイ=ガンディアがいる。そのことを考えるだけで、ミレルバスは震える想いがした。
地を、蹴る。
ガンディア軍にとっての最終防衛線は、目前。何十人もの敵兵がひしめいている。黒衣と白衣が翻る中に騎士の姿もあるのかもしれない。騎士と雑兵の違いなど、いまのミレルバスにはわかるはずもない。だれもかれも雑兵と同じだ。武装召喚師すら超えてきたのだ。片腕を失い、いまも血を失い続けている。
(だが、問題はない!)
どうせ、死ぬ。
わかりきったことだ。
英雄薬によって破滅が約束されたのだ。
(英雄……か)
彼は目を細めた。喚声が聞こえる。敵兵たちが、口々に喚きながら、ミレルバスに向かって殺到してきている。なんとしても、ここで止めるという悲壮な覚悟に満ちた声、気迫、意思。錯綜する数多の意志が、ミレルバスの五感に触れる。
「来い、ガンディアの兵よ。わたしはここだ。ここにいるぞ」
ガンディアによって敗北がつきつけられたとき、想いが弾けた。
ザルワーンの敗北が決した時、ミレルバスの選択が誤りであったということが判明した時、ほとんどすべての戦いで敗れ、戦力が失われた時、そして、この国の終わりが見えた時。
ミレルバスは、己の夢を思い出したのかもしれない。