第四百十一話 光、乱れて
ウォルドがセーラに勝てたのは、間違いなくブラックファントムのおかげだった。ブラクファントムの能力でなければ、彼女を出し抜くのは難しかっただろう。ずば抜けた身体能力に、間合いの広い太刀、斬撃は強烈で、間合いに入られれば避けきるのは困難極まりなかった。
認識を不可能にする能力とは別の能力。奥の手といってもいい。
ブラックファントムはあの一瞬、実像を伴う幻影を生み出したのだ。実像を伴うということは、それ自体が実在するということであり、セーラが幻影と見抜けなかったのも無理はなかった。
セーラは、幻影を切り裂いたとき、しっかりとした手応えを感じただろう。実像を伴うとはそういうことであり、セーラの意識は、幻影のみに注がれた。ウォルドが認識から外れているということに気づきもしなかったに違いない。でなければ、ウォルドが殺されていた。危うい賭けだった。しかし、賭けにでなければ、勝ち目も見えない相手でもあった。
全身から力が抜けていくような感覚がある。ウォルドが最初からこの能力を使わなかったのには、大きな理由があった。実像を伴う幻影を生み出すには、認識不可能力よりも多大な精神力を必要とするのだ。それこそ、その後の戦闘行動が難しくなるくらいの消耗がある。いま、使うことにしたのは、戦況がガンディアの勝利に傾いていたからだ。戦況がもし五分五分だったり、ザルワーンが優勢ならば、使わなかったかもしれない。
セーラ戦の後を考えれば当然の話だが、その場合、ウォルドは勝てたのだろうか。
セーラを倒すためだけにすべての力を振り絞ることができたからこそ、勝てたのだ。
セーラがマナを標的にしなくて良かった、とウォルドはいまさらのように思った。マナの召喚武装のうち、スターダストの凄まじい火力ならばセーラを一蹴できたかもしれないが、この乱戦で使えるわけがない。ムーンシェイドは中近距離に対応できるものの、セーラ相手には分が悪いように思われた。距離を取って投擲したところで、避けられ、間合いを詰められて終わりだ。かといって、近距離で戦うにはムーンシェイドの攻撃範囲は狭すぎる。ブラックファントムよりはわずかに広いものの、大きな違いはない。セーラの斬撃のほうが早く、深く届く。
「わたしは、ただ、名を――」
彼女はまだ何かを言おうとしていたが、そこで事切れた。ウォルドは見開かれた目を見ていたが、そこからなにかを感じ取るようなことは出来なかった。瞼を閉じてやる。セーラは敵だ。そこまでしてやる必要はないのだが、なぜか、そうしたくなった。
立ち上がる。背後に気配があった。
「終わったか」
「……戻ってきたのか、イリス」
いつも通り無愛想な声に振り返ると、イリスが仏頂面をこちらに向けていた。全身、至る所に返り血を浴びていて、負傷しているのかそうでないのかの判別がつかなかった。しかし、敵陣から戻ってこられるということは、無事だということでもある。
「状況がよくわからないからな。一度合流するべきだと判断した」
「ふむ……」
ウォルドは、彼女がいっていることがよくわからなかった。が、周囲を見回して、察する。幻想的といっていいような光景が目に飛び込んできたのだ。敵味方の死体が転がるだけだったはずの戦場に、光が乱舞しているのだ。光の球が乱れ飛び、閃光が弾けて視界を灼く。イリスがよくわからないというのも理解できるというものだった。
さっきまで気が付かなかったのは、セーラに意識を集中しすぎていたからだろう。そうしなければならなかった。彼女だけに意識を向けなければ、殺されていたかもしれない。一瞬の油断が命取りになる、そんな相手だった。
「しかし驚いた。殺されたのかと思ったぞ」
「見ていたのか」
「別に見たくもなかったがな」
「一言多いよ、おまえは」
「ウォルドにいわれたくないぞ」
涼しい顔で言い返してくる相手に、ウォルドは嘆息しかでなかった。
「……はあ」
「なんだ?」
「こっちは感傷に浸ってるっていうのに、なんなんだ、おまえは」
「む……」
イリスがバツの悪そうな顔をしたので、それだけでウォルドは満足した。もう一度、セーラに視線を落とす。女の死体が動き出すような兆候はない。安堵する。彼女が不死者ならば、さらに苦戦を強いられたかもしれない。首を刎ねればいいだけのことだ、というが、彼女を相手に簡単な話ではないだろう。
「で、なんでまたここまで戻ってきたんだ? マナには会わなかったのか?」
「マナには会ったぞ。マナにも聞いたんだが、そういうことならウォルドに聞けって」
「なんで俺なんだ」
そういったものの、理由はなんとなく察した。ウォルドの知識量がマナの比ではない、というマナの思い込みがそういわせたのだろう。確かに、武装召喚術の知識については彼女とは比較にならないものがあるだろうし、その点に関しては彼も他の武装召喚師に負けるとは思っていない。基礎から高度なものまで、武装召喚術に関する知識を吸収することに余念はなかった。独自の研究も続けている。並大抵の知識では、彼に追随することはできない。
ただし、それは武装召喚術においてのみだ。それ以外の分野にまで手を出せるほど、ウォルドも暇人ではない。
「あんなの、わかるわけがないだろ」
「なんだ、ウォルドでもわからないのか」
「そもそも、いつからこんなことになってたんだ?」
「少し前からだが……いったいなにが起きているんだ?」
イリスの言葉は、そのまま、ウォルドの台詞にもなり得た。戦場を席捲する光の乱舞。光球が踊り、光が弾け、呪詛のような言葉が聞こえたかと思うと、絶叫が響き渡る。幻想的で、異様な光景。地に埋めるのは敵味方の死体と、味方の兵士たち。大将軍の姿がかなり近くに見えた。敵の数はもはや数えるほどしかいないのではないかと思うほどに少なく、ガンディアの勝利は決定的に思えるのだが。
(この光がなんなのか……それが問題か)
ウォルドは、気を引き締め直すと、仲間と合流するためにその場を離れた。
(攻勢は止んだ……わね)
ファリアは、馬上、ゆっくりと呼吸を整えることができる状況に安堵した。ザルワーン軍の超人兵による苛烈な攻撃がなくなり、大将軍アルガザードの安全がある程度は確保できたのは、大きな成果だといえる。
アルガザードの突出から始まった彼女の孤独な戦いは、それによってようやく終わったといってもいい。超人兵の数に限りがあったということでもあるだろうし、超人兵の全員が大将軍の首を狙ったわけではないということでもあるだろうが。なんにせよ、緊張感に満ちた彼女の戦いは終わったのだ。
大将軍は、必ずしも無意味に突出していたわけではない。大将軍みずからが前線に出ることで、ガンディア軍全体の士気を高める効果は間違いなくあった。超人兵と不死兵の存在に動揺し、戦意も下がりっぱなしだった前線の兵士たちに喝を入れただけではない。大将軍がすぐ近くで見守っているという効果は大きく、兵士たちは、手柄を求めて武器を振るった。大将軍を護るために防壁を構築した部隊もあれば、大将軍の尖兵として敵陣へと突貫する部隊もいた。アルガザードの思惑は当たったのだろう。
が、その間、アルガザードは敵軍の攻撃対象とならざるを得なかった。大将軍だ。ガンディア軍の指揮官であることは誰の目にも明白だったし、アルガザードについてまわる大将軍旗の存在はあまりに目立った。大将軍旗の存在は、ザルワーン軍にとってはいい目標となっただろう。大将軍が前線に出てきたことでガンディア軍に押され始めたのならば、大将軍を討てばいい。そうなれば、ガンディア軍は勢いを失い、ザルワーン軍は勢いを取り戻すことができるだろう。ザルワーン側がそう考え、超人兵をアルガザードに差し向けるのは、当然の道理としてファリアは考えた。
ファリアは、王立親衛隊《獅子の尾》の役割をたったひとりでやり遂げようとした。《獅子の尾》は、王立親衛隊の中でも特殊な立ち位置の部隊だった。《獅子の爪》と《獅子の牙》が、王の剣と盾としてレオンガンドに近侍する傍らで、《獅子の尾》は戦場を駆け回る必要があった。遊撃こそが、《獅子の尾》に与えられた役割であり、であればこそ、武装召喚師のみの部隊という偏った編成になっているのだ。
もっとも、絶大な破壊力を誇る遊撃部隊が、その破壊力を発揮するには、たった三人の隊員が揃っていなければならないのだが、この戦場には、ファリアしかいなかった。ルウファは戦線を離脱していたし、セツナはヴリディアでドラゴンの囮をしていた。
ふたりの分も頑張らなければならない。
決戦前の覚悟は、ファリアに力を与えた。
馬上、オーロラストームを構え、アルガザードに迫る超人兵を策敵しては狙撃し、撃ち漏らしたとしても、連射で圧倒した。撃破に成功すれば、場所を移して新たな敵を探す。その繰り返しで、アルガザードに接近する敵を倒し続けた。どれくらい戦っていたのかもわからない。少なくとも、軽いめまいを覚えるほどに疲弊していることは確かであり、それは召喚武装の能力を行使しまくったことの証明であるだろう。
戦い抜いたという感覚とともに、まだ戦争は終わっていないという確信がある。
前方に展開していたザルワーン軍の二千は、既に四分の一以下といっていい数であり、こちらの勝利は疑いようがない。ガンディア軍の本隊と、両翼の別働隊による包囲陣が完成したことで、ザルワーン軍は押すことも退くこともできないという状況に陥っているのだ。
開戦当初、三倍強程度だった戦力差はおそらく十倍以上になっており、こちらが負けることは考えられない。もちろん、油断はできない。不死兵や超人兵のような秘策がないとは限らないのだ。
(まだ秘策があるとは思えないけれど……)
あるのならば、とっくに出しているだろうと彼女は考える。敵は既に秘策を使いきっているのではないか。
秘策のひとつだったのだろう不死兵による戦場の混乱は、あまり長引かなかった。アルガザードが兵士たちを叱咤激励したおかげで、ガンディア軍は持ち直すことに成功したからだ。
一方、超人兵は、さすがにガンディア軍に打撃を与えることができていた。まず、包囲陣の完成が遅れに遅れたことは大きい。ルシオンとミオンの騎馬部隊による包囲陣への参加を遅らせたのは、超人兵の活躍に違いない。ミオンの騎兵隊にせよ、ルシオンの白聖騎士隊にせよ、その勇猛振りは近隣諸国に鳴り響くほどのものであり、並大抵の戦力では、その進撃を止めることなどできるとは思えなかった。
包囲が遅れたことで、ザルワーン軍の一部隊による突撃を許すことになった。それに対しては、ファリアは対応できなかったし、別の部隊が対応したはずだが、結果がどうなったのかはわからない。彼女は、アルガザードを護ることで精一杯だったのだ、
超人兵の活躍は、それだけではない。常人では抑えきれない化け物達は、ガンディア軍の兵士たちをつぎつぎと殺戮し、戦力を奪っていった。ガンディア軍が一時押されたのは、超人兵の存在が大きかった。一対一ではまず敵わない上、二対一、三対一でも対等には成り得ないのが、超人の超人たる所以であり、それら脅威への対処は、ファリアたち武装召喚師が行う必要があった。
前線に投入された武装召喚師は三人。《蒼き風》のルクス=ヴェインは、武装召喚師ではないものの、召喚武装を扱う彼は超人に対応できる数少ない人間ではあった。
ガンディア軍には武装召喚師があとひとりいるのだが、彼は片腕を失っており、それ故、前線には配置されていなかった。
ともかく、ファリアたち武装召喚師は、乱戦の中で超人兵のみを狙うという高度な戦いをしなければならなかったのだが、武装召喚師には決して難しい話ではなかった。そもそも、常人とは動きが違いすぎるのだ。なにもかもが人間の常識を超えた怪人たちは、武装召喚師の索敵に瞬時に引っかかった。苦戦を強いられることもあれば、攻撃を喰らうこともあったものの、ファリアは多数の超人兵を撃破することができた。その多くは、アルガザードを狙って単身飛び出してきた超人兵であり、単独だからこそ簡単に倒せたというのもあるだろう。
《白き盾》の武装召喚師たちがどの程度の超人兵を倒したのかはわからないが、ファリアひとりで殲滅したわけではないのは間違いなかった。いくらファリアでも、武装召喚師と渡り合える敵を何十人も倒せるはずがない。
額に汗が滲んでいるのを実感する。
「おかげで助かりましたぞ、ファリア殿」
「は……?」
突如降ってきた声に怪訝な顔を向けると、アルガザード・バロル=バルガザールの巨躯が、すぐ左隣にあった。見上げて、あっ、と声を上げてしまうほどの驚きを覚えたファリアは、しばし呆然とした。アルガザード自身、長身で、ファリアよりかなり上背があるのだが、彼の愛馬そのものもファリアの軍馬が貧相に思えるほど立派な体躯を誇っていた。自然、大将軍が高所からファリアを見下ろしているような形になる。
隆々たる巨躯に纏うのは豪奢な鎧兜であり、まさに派手好きのガンディアを象徴するような格好ではあったが、それは「大将軍ここにあり」ということを周囲に知らしめるためでもあるのだろう。大将軍旗だけでも十分に目立つのだが、旗はむしろ遠方の兵士への目印であり、派手な鎧兜は近距離の味方へのものかもしれない。
ファリアに向けられた好々爺然とした表情は、ガンディアの全軍を統括する大将軍には似つかわしくないものだが、アルガザードといえばその柔和な笑みだというのはよく知っている。
「ファリア殿がわたしを護ってくださっていたおかげで、安心して前線に立っていることができました。ふがいない兵たちの尻を叩くには、前線で采配を振るうしかありませんからな。助かった」
「い、いえ、当然のことをしたまでです」
ファリアがいつになく緊張したのは、アルガザードの目を見てしまったからかもしれない。柔和な表情からは考えられないほど凄絶な気配が、瞳に宿っている。大将軍としてガンディア軍のすべてを任されるということがどれほど重圧なのか、その瞳の色でわかるというものだった。ぞくりとする。老練の将にさえ、限りない緊張を強いるのが、大将軍という立場なのだろう。
「当然のことをできるのは強みですよ、ファリア殿」
といってきたのは、副将のジル=バラムだった。彼女はいつも通りの冷ややかな表情だが、それは戦場に身を置いているからだろう。戦いはまだ終わってはいないのだ。最後まで油断はできない。気を抜けば最後、ザルワーンに逆転される可能性だってある。
なにより、異常な事態が起きている。
「ところで、あれらがなんなのか、わかりますかな?」
そう問われたことで、ファリアはアルガザードが近づいてきた理由を悟った。
光の玉が、戦場を蹂躙するかのように駆け巡っていた。