第四百五話 怪人対超人(三)
「あんた、名は?」
男が、尋ねてきた。
「後生だ。聞かせてくれたっていいだろ?」
「そう思うなら、まずそちらから名乗るべきだな」
「そいつは失敬。俺はフォルカ=ミジェット。龍眼軍第五部隊“地鈴”隊長フォルカ=ミジェットだ」
彼は、そう名乗ると、戦斧を大上段に掲げた。振り被り、全力で叩きつけることで、戦斧の威力を最大限に引き出そうというのだろうが。
(間合いに入らなければいいだけのことだ)
イリスは、相手との距離を計りながら、足元の剣を引き抜いた。手にした瞬間飛びかかってくるのではないかとも考えたが、フォルカのように戦い方に拘る男が、そのような手を使うはずもなかった。難なく二刀流に戻ったイリスは多少拍子抜けしながらも、剣を構え、相手に応えた。
「……わたしはイリス。《白き盾》のイリスだ。家名などはない」
イリスが告げたことは、本当のことだ。家族はいたのだ。家名ならばあったはずだが、覚えていなかった。頭のなかをかき回された時、忘れてしまったのだろう。覚えていたのは、名前と、姉と妹のことだけだった。そして、その姉と妹も、生まれ落ちた家のことは忘却していた。覚えていないということは、忘れてよかった記憶なのだと彼女は認識しているし、姉妹もそう思っているに違いない。
「《白き盾》の懐刀か。なるほど、道理で……」
なにやら納得している男を見つめながら、彼女は息を吐いた。脇腹の痛みが薄れる様子はない。深刻な痛みだ。本来ならば、すぐにでもこの場を去るべきだ。戦況を考えれば、これ以上戦果を求める必要はなかったし、敵将を探し出し、殺す必要も見当たらない。ガンディア軍が押しに押しているのだ。負ける要素は皆無であり、それならば、《白き盾》の陣に戻るのもひとつの判断だ。
しかし、いまの状態でこの戦闘狂から逃げ切れるとは思えないのも事実だった。
「強いわけだ!」
フォルカが戦斧を大上段に構えたまま、突っ込んできた。隆々たる筋肉の塊が突進してきたのだ。凄まじい迫力だったが、イリスは気圧されもしない。抗わず、後ろに飛びながら右手の剣を投擲する。突進の勢いを殺すために投げた剣は、見事フォルカの腹に突き刺さり、イリスはむしろ驚きを覚えた。フォルカは、自身が死ぬことよりも、突進の勢いを殺すことを恐れている。さらに後退するが、フォルカの突進が早い。とてもイリスより質量があるとは思えないほどの速度であり、彼女は右手を左手の剣に添えた。片手よりも両手のほうが威力は上がる。当然の話だし、彼女は別に二刀流にこだわりがあるわけではない。フォルカには悪いが。
(早いっ)
イリスは内心悲鳴に近い声を発しながら、フォルカの姿を見ていた。イリスが飛び退き、空中に身を置く間に、フォルカは猛烈な速度で迫ってきていた。開いていた距離は瞬く間に短くなり、イリスは戦斧の間合いに捉えられることになる。フォルカが吼えた。大上段に構えた戦斧が唸りを上げる。瞬間、イリスは一転して前進している。
「はっ」
男が自嘲気味に笑った理由は、イリスには察することもできない。両手には、剣がフォルカの胸を貫く感触がある。抜群の手応え。彼は死ぬ。それもすぐにだ。彼が不死者でない限り、息を吹き返すようなことはない。断じて。
イリスは、フォルカの懐に飛び込むことで、必殺の一撃をかわしながら、必殺の一撃を叩き込んだのだ。
「良い、ぜ……」
フォルカが血反吐とともに吐き出した言葉に、彼女は目を細めた。男の巨躯が倒れかかってくるが、気にせず二本の剣を抜き、飛び退く。巨体が地に落ちた。見ると、戦斧の切っ先が大地を刳り、地面に巨大な亀裂を刻んでいる。
(なんて力だ)
イリスは、フォルカの馬鹿力に呆れてものもいえなかった。それと同時に、剣で受け止めるような真似をしなくてよかったとも思った。剣で受け止めていれば、剣もろともイリスの肉体は真っ二つになっていたことだろう。たとえ膂力は互角に近く、対抗できたとしても、刀身が折れる。戦斧の刃は分厚く、イリスの剣よりも余程頑丈そうだった。
「隊長!」
「なんてことだ……」
「隊長の敵を……!」
フォルカの死体に駆け寄る兵士や、こちらに攻撃の意思を示す兵士たちを見遣りながら、イリスはやれやれと首を振った。雑魚はいくら集まっても雑魚だが、全力を出せないいま、その雑魚すら強敵になりうる可能性があった。後方を一瞥する。
旗幟鮮明。
ガンディア軍の最前列がもうそこまで近づいてきていた。いや、後方だけではない。前後左右、あらゆる方向から、ガンディア軍の部隊が迫りつつある。包囲がようやく完成した、ということだろうが。
「遅すぎる」
奮然とつぶやくと、彼女は、一度だけフォルカに視線を送った。部下に慕われていたのだろう。兵士たちが、こちらの攻撃を恐れることなく、その死体を後方に運んでいく。死体とはいえ、戦闘に巻き込みたくないということだろうが。
満足気に死んだ男の死に顔は、ついぞ拝むことはできなかった。
(下がろう)
敵戦力は削れるだけ削ったのだ。イリスができる限りのことはしたはずだ。何十人の不死者、十人近い超人兵、部隊長をふたり、殺している。十分だろう。これ以上の戦闘は不要だ。あとは、ガンディア軍に任せればいい。
イリスは、兵士たちが弓を構えるのを見て取ると、すぐさまその場を離れた。
暴風が吹き荒れると、男の周囲には大きな空白が生まれた。ガンディア兵も傭兵も存在しない円状の空間が、彼の攻撃範囲だということがわかる。全周囲、広い範囲だった。近づき、少しでも射程に入ればものの見事に吹き飛ばされる。例外はない。どんな相手だろうと、彼は容赦なく天まで飛ばした。付け入る隙がないとはこのことだろう。
地に落下したルクスは、苦痛に歯噛みしながら相手の分析を続けた。
敵は、ひとりだ。部下を連れてもいない。たったひとりの武装召喚師。ひとりだが、強い。強力な武装召喚師だ。シグルドは、ジナーヴィより弱いといったし、ルクスもそう思ったものだが、今となっては考えを改めざるを得ない。
(不完全な召喚武装を用いて、これだ)
いち早く起き上がり、男の姿を視界の中心に捉える。
痩せぎすの男が身に纏う白金の鎧が、いま、この戦場を支配する召喚武装だ。ロンギ川の戦いで猛威を振るったジナーヴィ=ワイバーンの召喚武装とまったく同じもののようだった。背部の翼が破壊されたままだ。破壊したのはルクスで、その鎧を機能不全にまで追い詰めたのもルクスだ。
もっとも、鎧を無力化するためではなく、ジナーヴィを殺すための攻撃が、結果的に鎧を機能不全に追いやったのだが。
鎧は、戦後、ガンディア軍によって回収されたはずだが、いつの間にか消えていたという。なにものかが持ちだしたのではないかと思われたものの、ガンディア兵にせよ、それ以外の兵にせよ、だれひとりとして逃げ出した形跡はなかった。そもそも、あの鎧が無傷で手に入っていたのならまだしも、壊れた召喚武装に興味を持つようなものがいるのは考えにくい。
かといって、鎧がみずから異世界に戻ったわけでもないらしかった。武装召喚師たちによれば、召喚武装がみずから元の世界に還るということは不可能に近いという。契約によって縛られている以上、勝手なことができないのが召喚武装だというのだ。では、なにが起こったのか。
武装召喚師たちでもわからないという。
(あいつのほうが武装召喚師として上手ってことか)
《白き盾》のウォルド=マスティアとマナ=エリクシア、それに《獅子の尾》のファリア・ベルファリアよりも、だ。
事実、その通りなのだろう。
彼は、不完全な召喚武装で、こちらを圧倒していた。