第四百一話 英雄幻想
よく見ると、オリアン=リバイエンは、片腕を失っていた。
おそらく、この戦いの最中に切り飛ばされでもしたのだろうが、男の表情に焦りや恐れは見当たらない。むしろ強敵との戦いを愉しんでいるようにも見えた。
その表情は、彼と殺し合った女性によく似ていた。
ザルワーン軍の本隊は、もはや本隊という体をなしていなかった。ガンディア軍の集中攻撃によるものか、戦力は激減し、陣形すら保てていない。その中でひとり気炎を吐くのが、古めかしい甲冑を纏った武将だったが、彼の奮起に周囲の兵士は応えられていなかった。
五百対三千といったところだろうか。ザルワーン軍本隊は、ガンディア軍の包囲攻勢に押され続けている。そんな中にあっても、際立った動きを見せる兵士がいるのだが、それらに対しては武装召喚師たちが反応していた。ウォルド=マスティアに、マナ=エリクシアという《白き盾》の武装召喚師に、ファリア・ベルファリア=アスラリアだ。
ウォルドは現在、一対一の死闘を繰り広げている。相手は女だが、動きを見る限り、武装召喚師が苦戦するのも納得といったところだった。マナはその近辺で超人的な敵兵を探し回っているようだ。マナが手にしているのはスターダストという召喚武装ではないらしく、戦場に味方を巻き込むような爆発が起きることはなかった。
ファリアは、ガンディア軍本隊の中を馬で駆け回っている。場所を転々としながら、オーロラストームで強敵を狙撃していた。ファリアの狙いは、主に本隊前列の大将軍に向かって移動する敵のようだった。大将軍アルガザード・バロル=バルガザールは、どういうわけか本隊の前列にまで馬を進めており、みずから武器を振り回していた。そうでもしなければ、ガンディアの兵士たちがまともに機能しないとでもいいたげな戦い振りだったが、よくよく考えて見ればしかたのないことだったのかもしれない。
ガンディアの弱兵には、きつすぎる相手だったのだろう。
彼は、ガンディア兵がそこまで弱いとは思ったことがなかった。黒き矛の前では、ガンディア兵もログナー兵もザルワーン兵も同じなのだ。だれもかれも紙切れのような鎧を身に纏う肉塊という印象に過ぎない。弱兵とは、世間一般の評判だった。そして、その世間一般の評判によれば、兵の強さはログナー、ザルワーン、ガンディアの順になるといい、ザルワーンとガンディアの間には深い河が横たわっているというのだが、本当のところはどうかわからない。
そのころになって、ようやく右翼と左翼の部隊が敵本隊の後方に殺到した。ついさっきまで少数の敵部隊に抑えられていたルシオンとミオンの騎馬部隊が、ようやく敵兵を撃破したようだ。ルシオンの騎馬部隊といえば女性のみ騎士からなる白聖騎士隊の五百人だが、包囲陣に参加したとき、白聖騎士隊の人数は半減していた。白聖騎士隊とぶつかった敵の部隊はごく少数だ。ザルワーン軍の総兵力を考えれば、避ける数などたかが知れているし、大地に転がる死体の数を数えればわかることだ。敵も味方も、無残な亡骸となってザルワーンの大地を紅く濡らしている。
武装召喚師とも対等に渡り合うような兵士たちが、両翼の騎馬隊に差し向けられたのだろう。ミオン騎兵隊の損害もかなり大きいようだ。ギルバート=ハーディ突撃将軍は無事のようだが、表情は険しい。
厳しい顔つきをしているのは、ルシオンの王子夫妻も同じだ。
ハルベルク・レウス=ルシオンにリノンクレア・レーヴェ=ルシオンのふたりは、愛馬を駆り、敵本隊に突っ込むと、それぞれの得物を存分に振り回し、敵兵を血祭りに上げた。さすがはルシオンの王子と王子妃といったところだろうか。
これにより、ザルワーンの本隊はガンディア軍に包囲されたのだが、包囲を完成させるには遅すぎたようだ。敵本隊は壊滅に近い状態であり、包囲せずとも、殲滅できただろう。
一方で、ガンディア軍の本陣に殺到しようとする一団があった。間違いなくザルワーンの部隊であるそれらは、本陣に特攻し、王の命を奪うことで、戦争をザルワーンの勝利で終わらせようとしているのは間違いない。
国王レオンガンド・レイ=ガンディアが討たれれば、ガンディアは敗北する。たとえ、敵を殲滅できたとしても、王を失うということは、敗北以外のなにものでもない。レオンガンドには子供がおらず、王位継承者がいない状態で戦死でもされれば、ガンディアの政情が荒れるのは目に見えている。だからこそ、戦場に出るべきではないと、レオンガンドの腹心たちはいっていたようだが。
レオンガンドは、本陣にいる。
立って、迫り来る敵の様子を見ている。
本陣には、レオンガンドの腹心と、ナージュ・ジール=レマニフラなどがいた。もし、本陣に敵が突っ込んでくれば、彼女たちも惨殺されるのだろうか。
彼は、すぐにでも飛んでいきたいと思った。意識が肉体にあり、自由に動かせるのならば、瞬時に馳せ参じることもできよう。ヴリディア砦跡から龍府までならば、いまの彼ならば転移できる自信があった。確信といってもいい。
それだけの力がある。
だからこそ、制御できないのだ。
いま、彼はミリュウがいっていたことを理解した。
制御しきれないほどの力が暴走するとどうなるのかということも、身を持って実感しているのだ。
恐怖がある。
力への畏れ。
使い方を誤れば、大切な人たちを傷つけてしまいかねない。いや、制御できていない以上、正しく使うことなどできはしない。力を振り回しているのではない。黒き矛の力に、振り回されている。
意識が拡散していく中で、彼は、茫然とした。
眼下に広がる戦場には、異変が起きている。
光が、乱舞していた。
「ミレルバス=ライバーン殿とお見受けする」
「いかにも」
前方に立ち塞がった騎士らしき男の言葉に、ミレルバスは、目を細めた。
彼はいま、敵陣中央にあり、四方を敵に囲まれている。だが、ミレルバスには勝機が見えていた。輝かしい勝利への道程が、光の経路となって彼の脳裏に投影されている。
それは敵陣を突っ切る道筋ではあったが、元より、他に道はなかった。目指すは敵本陣。敵本陣に到達するには、本陣を防衛する部隊をやり過ごさなければならない。
最初からわかっていたことだ。無傷で突破できるなどとは、思ってもいない。
目の前の敵兵は、一般兵とは一線を画す出で立ちと佇まいであり、見るからに騎士然としている。実際のところはどうかわからないが、彼はその男を騎士と断定すると、倒すべきだと判断した。騎士を殺し、敵部隊の士気を少しでも低下させることができれば、本陣への到達も容易となる。
「我が名はカレス・ザン=クオード! ガンディアの勝利のため、御首、頂戴つかまつる!」
騎士は、名乗りを上げた直後、突っ込んできた。
ミレルバスは、ガンディアの騎士が噂通りに派手さを好んでいることに苦笑する。敵前でわざわざみずからの名を告げるなど、派手好みの最たるものではないか。もちろん、騎士としては、敵国の君主を討つから、というのもあるのだろうが。
要らぬ心配だ。
カレスと名乗った騎士が突進とともに繰り出してきた突きを、右に流れるようにしてかわす。騎士は即座に反転し、こちらに向き直ったが、その瞬間には頭部と胴体が離れている。ミレルバスの斬撃は、常人の目では負えないほどの速度だった。ミレルバスですら。自分がなにをしたのか理解できないときがある。
肉体が、無意識に反応している。
「カレス様が討たれたぞ!」
「くそっ」
「敵はミレルバスひとりだ! 囲め、囲め!」
ミレルバスがカレスの死体が地に崩れ落ちるのを見届けていると、敵兵が叫ぶ声がいくつか聞こえてきた。疑問を抱く。包囲は既に為されている。四方八方、彼の視界を満たすのは、ガンディアの兵と黒白の兵。完全包囲といってもいいような状況だった。そんな中にあっても危機感ひとつ感じないのは、敵が弱すぎるからだ。そして、少なすぎるのだ。
いまの自分を抑えるには、この十倍の戦力が必要ではないか。
ふと、そんな馬鹿げた妄想を抱いたのも、薬の副作用なのだろうか。